劇場公開日 2019年5月10日

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「染み付いた昭和」轢き逃げ 最高の最悪な日 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

0.5染み付いた昭和

2022年9月13日
PCから投稿

感覚が昭和。輪郭をゆるくしてフィルムダメージを入れたら1970年製作の映画──で通る。台詞ぜんたいにそこはかとなく“昔の人たちの会話の気配”が漂ってしまう怪。作為のレトロではなく、感覚に染み付いてしまったレトロ。ある意味、衝撃的だった。

愁嘆場への執着。愁嘆場を撮りたい──がひしひしと伝わってきた。同時に愁嘆場を演じたい、も伝わってきた。

よく知られた逸話がある。
『海外の監督は創作意欲によって映画をつくる。対して日本の監督は自己顕示欲によって映画をつくる。』

──

日本の映画/ドラマのクオリティが“どうしてもツッコミたくなってしまう低レベル”を維持・継承しているのはご存知の通りだが、それは言論の自由や、主観に過ぎない論や、権威的な批評家集団によって強固に守られている。

また、メディアそのものの権威──というものがある。

先般、与党のとある政治家が、NHKの朝ドラについて公的なかたちで苦言をのべた。曰く『脚本の論理性が崩壊しています。』

為政者がドラマの内容に介入したことで賛否を呼んだ。が、権力者が表現の自由に対して容喙した・圧力をかけたという非難のほうが多かった。

しかし私的な見識だがNHKは一政治家をはるかに上回る強権力だ。(たとえばそれが元首相であろうと。)NHKならずとも好きな方向へ誘導報道できるメディアは日本の支配カーストのトップにいる。

ドラマが酷いという世評は日常茶飯事にもかかわらず変革やテコ入れがなされたことはいちどもない。政治家が苦言したところでびくともしないだろう。メディアがいちばん強いからだ。視聴者なんて全員“おまいら”に過ぎない。

けっきょく映画もメディアによって守られる。まして監督がテレビの功労者ならなおさら。
だからこそ日本映画にはタレント枠がある。北野武島田紳助奥田瑛二萩本欽一石井竜也桑田佳祐さだまさし松本人志竹中直人板尾創路小栗旬水谷豊・・・。タレント枠は海外の俳優兼監督枠とはまったくの別物。かれらの初動は創作意欲ではなく自己顕示欲だ。本作もそれが端的にわかる映画だった──という話。

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ぜんたいに感覚が微妙すぎる。宗方(中山麻聖)と森田(石田法嗣)は、ほとんどゲイ関係としか思えない。サイコパスの描き方も斜めっている。そして全員が泣く。

謂わば、自動車教習所で聴講生に見せるための啓発ドラマを依頼された片田舎の製作会社が、頼まれてもいないサスペンスと愁嘆場を挿入してしまった──という感じの映画。

檀ふみは懐かしかった。

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津次郎