劇場公開日 2018年6月30日

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パンク侍、斬られて候 : 映画評論・批評

2018年7月3日更新

2018年6月30日より丸の内TOEIほかにてロードショー

商業映画であることが奇跡の、これぞ存在自体がパンクな劇薬

失礼を承知で言えば、石井岳龍町田康の圧倒的なカルト文学作品「パンク侍、斬られて候」を映画化するというニュースを聞いたときのわたしの正直な反応はふたつ。これ以上のコンビはいない、というものと、でも果たして大丈夫か、という懸念であった。前者は、なにせ“映画の暴動”を起こした「爆裂都市」での旧知の仲(石井聰亙時代)、原作のスピリットを最も理解し、パンク精神で現在の日本映画界に再び竜巻を起こしてくれる映画作家として石井監督以外のチョイスは考えられない、という思い。後者は、とはいえこれまでいわゆる“商業的な作品”を撮ったことのない彼が、この豪華キャストの、あきらかに日本映画としては大作の部類に入るスタジオ映画を負って立つなかで、どれぐらい初心を貫けるのか、という老婆心である。要するに、原作自体がどうやって映画化するのかと思わせられるほど、とんでもなくアナーキーな作品(なんせ猿が喋り、人間と共に戦い、天の世界が……)であるゆえに、いまの日本映画界のシステムのなかでこの良さをどれだけ素直に実現できるのか、ということだ。

だが、懸念は杞憂に終わった。本当に。まず、映像化困難な部分も含めて原作に忠実に映画化されていること。もちろん131分に凝縮され、映画版のオリジナルな要素が入ってはいるものの、原作の素晴らしさを裏切らないという意味で忠実なのだ。

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第二に、これは宮藤官九郎の脚本の功績が大きいと思われるが、あらかじめ原作を読まずしても理解可能、観客がこの世界に馴染めるようなひらたい工夫がされていること、それでいながら原作の世界観や、途中現代語がほいほい入り社会的な風刺の効いたセリフが出てくるといった要素が生かされ、思わず爆笑しながらも鋭い、と膝を打たずにはいられない。

そしてなにより俳優陣の熱量が凄まじい。これは映画ならではの醍醐味である。石井組常連も新参者も、各俳優陣がそれこそ(いい意味での)ライバル精神をスパークさせて、やるだけやったるという覚悟で演じているのが伝わってくるのだ。暴走する人も役のツボを突いている人もいろいろだが、それらをひっくるめて統一感を失わずに作品の魅力に昇華し得ている。

一見、いま流行のポップでライトでカラフルな娯楽日本映画に見えながら、じつは異なるレベルに達している衝撃作。前代未聞というのは嘘ではなかった。この夏、ぜひ狂い咲いて欲しい。

佐藤久理子

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