劇場公開日 2017年11月11日

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「まじなのか笑うところなのか判らない」予兆 散歩する侵略者 劇場版 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0まじなのか笑うところなのか判らない

2020年7月11日
PCから投稿

人の概念がどうなっているのか知らないが、ここでは家族、プライド、過去、未来、命、恐怖、異物などの言葉ごとに、分別管理されているようである。
「それもらいます」と言い、額に触れると、そのアーカイブから、ひとつの概念が抜き出される。
器用である。

「プライド」という概念を、他の概念に触れずに抜き出そうたって、人のプライドが形成されるには、いろいろな要素がからんでいると想像され、素人としては、概念一個抜き出したらジェンガのように瓦解するような気がする。

そもそも、この作業の絶望的なまどろっこしさは何なのか、かたわらを通っただけでバタバタと人が倒れるようなパワーがあるにもかかわらず、ガイドをつけて面倒なプロセスで概念を一個一個抜いていく非効率に、地球人といえども「真壁さんもっと手っ取り早くやりましょうや、曲がりなりにも宇宙人でしょ」と、言いたくなる。
それを言うなら山際さんだって、いわくありげに苦悩するばかりで主体性というか危機管理能力にとぼしい。
そこで東出昌大の異様な大きさと染谷将太の意外な小ささにローレル&ハーディ風のドタバタへの淡い期待をしてみるが映画は終始ぜんぜん大まじめ。完全に真剣だとわかると、次第に困ってくる。

真壁さんが概念を抜いた瞬間に「うわあこれがプライドかあ」とか「これが未来かあ、なるほど」とか言うのがけっこう困る。
演技力うんぬんではなく、リアリティと宇宙人的気配にことごとく欠けた東出昌大が「うわあこれがプライドかあ」と感嘆するわけで、それを巨匠たる監督の映画で見ると、笑えばいいのか、戸惑えばいいのか、あるいは侵略に恐怖を感じればいいのか、こっちはただ見ているだけなのに処し方がわからず、困る。
俳優業に羨ましさを感じたこともあるが、プライドという概念を奪って「うわあこれがプライドかあ」と感嘆する演技はやりたくない。改めてたいへんなご商売だと思った。

エツコさんのお友達のヨウコさんが、おもむろに真壁先生をたずねて「真壁さん、なにかすごい秘密をかくしてますよね、ワタシどうしてもそれが知りたいんです」と言うのだが、これが破壊的なまでの脈略のなさ。黒沢監督はTommy Wiseau の影響を受けたのかもしれない。

人を殺しましたと自白をする山際さんに、警官が「ええっと、じゃあね、わるいんだけどココに名前と住所と電話番号書いといてもらえる。あとで連絡するから」と答える。
監督は巨匠という肩書きの庇護下にいるのだが、このシーンは「I did not hit her. It's not true. It's bullshit. I did not hit her. I did not. Oh,hi Mark.」に匹敵する名場面だと思った。
ぜんたいとして「吸血鬼ゴケミドロ」か「美女と液体人間」のような、甚だしい唐突と省略が、観る者を翻弄してやまない。

これらすさまじい唐突と省略の連続にかかわらず、人間の愛や醜さを描き出そうとしている脚本のふてぶてしさ。むりやりの愁嘆場。
大胆なカリカチュアの監督で、それがSFにおいて裏目に出ている。ひたすら嘘くさい。嘘くさいのに、陰影や音や表情などホラー的雰囲気づくりが上手い。そのちぐはぐがさらなる妙。

漫画で吹き出しにセリフでなく、殴り書きのぐるぐるを書く心象表現がある。殴り書きのぐるぐるとは言ったが、うまく表現できない。くしゃくしゃとも言える、デタラメの円の集まりとも言える。
こんこんと諭しても、ぜんぜん理解してもらえない。玉虫色の回答が返ってくるような相手に、言葉が詰まるような場面で、この吹き出しが使われる。
強いあきれだが、怒りをともなわず、無力を感じ、諦めの境地にはいっている。
これを言葉であらわせたら、かなり使いでのある形容になる。The Roomやこの映画にピッタリの形容だと思う。
もし映画館で見ていたら、もう少しアグレッシヴになったかもしれない。巨匠と呼ばれて久しい監督だが、個人的にはその所以が、非常に解りづらい監督である。

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津次郎