葛城事件のレビュー・感想・評価
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どいつもこいつも、正義面だからなお恐ろしい
映画「葛城事件」(赤堀雅秋監督)から。
作品全体に、重い空気が流れ続け、
観賞後の気持ちも、(正直)どっと疲れたが、
「無差別殺人事件を起こした加害者青年とその家族」に、
スポットを当て続けたことで、第三者としてでなく、
三浦友和さん演じる、加害者の父としての苦悩が伝わってきた。
子供が大きな事件を起こしたら、親の育て方をはじめ、
どんな家庭に育ってきたのか、と追求する世間の目がある。
特にインターネットが普及し、国民総評論家時代とも言える現代、
加害者とその家族をギリギリまで追いつめる社会構造は、
とても危険なことだと感じているし、
マスコミも、加害者・被害者両方の立場で報道することなく、
加害者と加害者の家族を徹底的に吊るし上げているように見える。
冒頭、ブロック塀に殴り書きした誹謗中傷の文字を消しながら、
三浦友和さんが「バラが咲いた」を口ずさむシーンは、
この映画を思い出すには欠かせない気がする。
そして、こう言い放つ。
「騒ぎたいんだよ、何か理由をみつけて、騒ぎたいだけだ。
どいつもこいつも、正義面だからなお恐ろしい」と。
普段の生活で自分たちが他人に与えている悪影響は棚に上げて、
誹謗中傷できる事件を見つけ、ここぞとばかり大声を上げる。
(または、それをきっかけに目立とうとする)
死刑制度反対を訴え、加害者と獄中結婚した女性も、
正義面した、そのひとりなんだよなぁ、きっと。
イヤな映画だけど、いい映画
よく見ると家族の在り方は昔から変わっていないのに…
どこかで歯車が合わなくなったのか、それとも元々の溝がより深くなったのか
よく耳にする「家庭環境が悪い」はどう考えても逃げだと思っていた
見終わってもやっぱり逃げであることに変わりないけど
なるほど、それってこういうことかと
目の当たりにした光景が、団塊Jr.としてはあまりに日常すぎて辛く
感情や理想の押し付けで徐々に大きくなるひずみを抱えたままつっ走る、あの、昔よく見た感じ
立ち位置的に、長男の感情が痛いほど分かってしまって無事精神崩壊
案外の重さでびっくり
それほど重い映画だと全然思わなかった!
日本人だったら結構理解できるかもしれないが、外国人なら色々混ざり合っている現象を一々理解するさえ難ありだと思う。例えば家庭の中女性の地位は低いこと、暴力を振るわれても、そのお母さんは弱気で謝るしかできなく、反抗もさらに無理。
また違和感も感じるところもある。例えば、稔が駅でナイフで人を刺すところ、周りの人の反応があまりにも異常で普段だったら逃げるだろうし。
そもそも田中麗奈のあの役は何なんだ?全ての過程を観客に伝えるきっかけと繋がる人間だろうが、たまには彼女の全然いないところでもフラッシュバックみたいに昔話が挿されている。最後また出てて全ての結末をあの暴力のお父さんに話す、だけ、の役か。
一つ過去と今の転換が上手いのは取れるところ。
見終わるとこの映画の言いたいことは何だろうと。
殺人犯に成る次男の育てた家庭自体が歪んでる、か。
日本人はこうゆうのが好きだなぁーと。
黒沢清の『トウキョウソナタ』を思い出せられるわー
家に悲しい事ばかり。
あの家もどっかでおかしい。
ただしあそこにはお父さんは失業。
お母さんは心理的に家に縛られている。
子供は自分の世界を探している。
結局家庭外部の父の失業はきっかけだ。
とても重かった。
が、
この映画はそれよりまた重い!
特に見てやはりダメなのは三浦友和の演じたお父さんだよなと思う。
もう最悪の父だー
全ての悲劇を招いて最後に自殺もできなく自業自得なのも全部あの父。
妻と愛情もなく、暴力を振る舞う。
二人の子供を差別視する。
長男の死も次男の犯行も全て家庭環境の影響だ。
特に南果歩の演じたお母さん、何度も彼女が料理できないことを提示している。
それもまた彼女の愛情の無さを示していじゃないか。
葬礼の時の話、彼女の話したエピソードも、彼女自身が自由を憧れる暗示だろうか。
また彼女も夫の暴行を止められない、というより、怖がっているだけ。次男を一番理解しようとするが、彼を守ることもできない。
こうして、また『トウキョウソナタ』と同じように、両親から崩れている日本家庭の話だ。
そのような家庭から殺人犯が.....
とにかく重いです。
劇場でずっと見たらさぞより重いだろう。
個人的には何を伝えたいかよくわからない重い映画はあんまり好きじゃない。
こんな家族ありゆる
死刑反対、好奇心にて次男と獄中結婚した宗教じみた女役に田中麗奈。何も出来ない女だが、この話の中心である家族のインタビュアー的役割を果たす。
やっぱり三浦友和、あんたは悪人になりきれねぇ俳優だ。無理がある。
役的に俺人生頑張ってるんだ、家族養ってきたんだ感がハンパない。が、普段の良い人が拭いきれてない。
世の中に不満を漏らし連続雑人事件を起こし、死刑判決を受けた次男役の若葉竜也は役柄良かった。こういう親のすねかじり自己中息子いるからね。
何も言えず、逃げてばかりの母親役に南果歩。
父親に逆らえず、闇を抱えている家族持ちの長男に新井浩文。
見た感想は、この様な犯罪が絡んだ(色々詰め込められた)家族映画を出されると次似たような映画は作りづらいと思う。
ある人は関係ない、絶対不幸にはならない、この様な家族の所に関わらない方がいいと思うだろう。
しかし、これはあなたの家族や身近でもなりゆる可能性がある話。
また、誰にでもこういう人生になりゆる可能性がある話の映画だと思う。
誰もが肝に銘じておかなければならない。
この様な家族の結末を。
こんなありふれた世界だからこそ。
救いようがない
交錯する想いの中、破綻し、もはや遮ることが困難なまでに悪臭を放つ家族像を淡々と語る。その語り方はフォックスキャッチャーを想起してしまった。辛い麻婆豆腐、吸い殻、カナブンなど、象徴的なシーンを用いてその重く暗い闇を描く。無駄なシーンがなく、どれもが何らかの違和感や意外性を感じさせるこの家族の間違いが仕込まれている。1つ1つはたわいのないことなだけに、この危機が別世界での話ではなく、身近にありえることとして認識させられてしまい怖い。
三浦友和はじめ、役者陣が何も好演。監督の力量に感服する一本である。
最低な親父
実際に起こった事件を基にしたフィクションである本作は作品的には良いのだが、そのてのトラウマを抱える者にとっては苦痛この上ない作品である為★1つ。
葛城清の全てを象徴するマイホーム。
庭に植えたみかんの苗木は子供達の成長を願うもの。
親の代から継いだ金物屋を営む清は一国一城の主人かのように家族に対し抑圧する。
清はプライドが高く自分以外の全てに否定的。出来の良い長男を褒め、何をしても長続きしない次男を罵倒する。妻は清のストレスの捌け口となり暴力を受ける。そんな支配的な日常から長男は自立し家を出て家庭を築く。
残された妻と次男は1度は家を出たのだが、見つかり家に戻る。
最後の晩餐…何が食べたい?
母が息子達に話す姿が本作の中で唯一ホッと出来るシーンだが、そんな最中にドアが開き…清が…緊張感半端ない。
長男の自殺、次男の死刑、妻は精神崩壊により施設、
清のマイホームには誰も戻って来ないのにそれでもしがみつく清の姿にムカムカする。
こう言う人いるね〜って思った。
家族から嫌われてるし、周りの人だって挨拶程度の付き合い。家業だって客も来ない金物屋で収入あるの?と思うけど、一応社長だから見栄っ張り。息子の嫁家族には大盤振る舞いし、中華料理店の店員には常連客ぶって横柄な態度。人を見下し最低な親父だ。
あー全く腹が立つ‼︎
次男が最後に本音を言った。
自分の駄目さは十分理解してる。けど認めたくないから他人を、日本を、誹謗中傷しどうにか自尊心を保ててる。嫉妬に狂って事件を起こしたって。
次男は清によく似ているが清より賢いのかも知れない。狂ったイノシシは殺処分に…と。
葛城清…こいつこそが悪の根源なのだ。
家族こそが被害者だ。
死刑囚と獄中結婚ってよく聞くがその真意が理解出来ない。死刑制度廃止はわかるが死刑囚と面会が許されるのが家族だけだから獄中結婚するの?謎である。
戦慄家族物語
赤堀雅秋監督の前作「その夜の侍」は凄まじい人間ドラマであったが、同じく舞台劇を映画化した本作もまた。
話はシンプル。ある家族の物語。
しかし、語るのは難しい。
一つ一つ整理し、考えながら、書いていきたいと思う…。
ある青年に死刑が宣告され、傍聴席のある人物に不敵な笑みを向ける。
その人物とは、父。
やがて父が一人暮らす閑散とした家に、青年と獄中結婚した女性が訪ねて来る。
ここを導入部とし、明らかに何かあったこの家族の姿が炙り出されていく…。
葛城家。
マイホームに父と母、二人の息子。
一見ごく普通のありふれた家族のように思えるが、温もりなど微塵もナシ。
まず、一家の大黒柱・清がモンスター。常に横暴で威圧的な態度で、せっかくの会食の席で店員に聞いてるこっちが嫌になるくらいのクレーム、家族に暴力を振るう事も一度や二度じゃない。
母・伸子は朗らかな性格だが、何処か心ここにあらず。
長男・保はすでに独立して妻子持ちだが、ある秘密を言い出せない。
次男・稔はニートで引きこもり。
それぞれが問題や闇を抱え、家族が顔を合わせただけでヒヤヒヤする空気を孕む。
清は自分なりに家族を大事にし、守ってきた。
が、そんな自分の思いとは裏腹に、知らず知らずの内に家族を支配し、苦しめていた。
当然のようにその時は訪れた。
「あなたの事が嫌い。なのに、何でここまで来たんだろう」妻は家を出、精神がおかしくなっていく。
何とか家族を繋ぎ止めようとする長男だが、今にも壊れそうなほど小心。言い出せない秘密と二つの家族が重くのしかかり…。
人生の一発逆転を狙う次男。彼が起こした“人生の一発逆転”とは…
実際に起きた複数の無差別殺傷事件がモチーフ。
ここで本作が一筋縄でないのは、何故彼がそんな事件を起こしたのかではなく、彼を事件に駆り立てたのは何か、である点。
次男にも問題はある。何をやってもダメな自分の一方的な社会への逆恨み。
それを植え付け、さらに増長させたのが…。
自分の思い通りにいかなければ、不条理な不満をぶちまける。
自分の非を認めず、反省も責任能力も無い。
この異常犯罪者にこの父親あり。
見たら分かる通り、この次男は父親に類似の性格になったではないか。
世間を震撼させた事件の加害者全員が全員、同じとは限らない。
本作の場合、父への憎しみ、父の蔑みだったが、そういう歪んだ何かしらが異常心理を形成する。
三浦友和が存在感と破壊力抜群の恐演。
南果歩、新井浩文も渾身の力演。
次男役の若葉竜也が一際印象を残す。
ちょっと浮いてると感じてしまうのが、田中麗奈が演じた次男と獄中結婚した女性。
キチ○イだらけの登場人物の中で一応唯一のまともな人物の設定だが、言わせて貰えれば彼女もまた相当キチ○イ。
時々言動に不可解があり、次男を助けたいと言いながら結局は何もせず、偽善者こそ一番のキチ○イと言うならば痛烈に効いている。
この家族にも幸せに満ちた一時があっただろう。
清が見る家族写真やとある回想シーンはまさにそれ。
家族を愛するのはいいが、彼に欠けていたのは、思いやる事。
強欲に愛する余り、結果自分で壊し、失ってしまう。
ラストシーンも印象深い。
子供たちの成長と共に育った木の枝に縄を括って死のうとする。が、枝が折れて死ねなかった。
死ぬのは簡単。生きる方こそ苦しい。
父は子供たちに“生かされた”のだ。
自分が建て、自分が壊した、自分の城の中で、独りで。
映画は見たら普通、いい所を褒めるもんだが、本作はその逆で称えたい。
不快感100%、後味悪し、誰もがこんな家族にはなりたくない、お近づきにはなりたくない、ド鬱家族物語。
終始緊迫感張り詰め、見た後ドッと疲れるが、片時も目が離せない!
話はいたってシンプル
どーしよーもないやつはどーしよーもない環境で育っている。諸悪の根源はこの場合は父という事なのだろう。父親抜きの三人の語らいのシーンは、唯一ホッとできた瞬間だった。息子が自殺をしても、凶悪犯罪を犯しても、それでもまだ虚勢を張り続けている。最後死ねなかったのは、首をくくったのが自分が息子たちの願掛けに植えた蜜柑の木であるということから、家族に生きろと言われたのだろう。劇中の彼の言葉、生きて苦しめ。皮肉なことだ。
シンプルな話を特別にしているのが、葛城一家四人の役者の演技力。強いて言うなら田中麗奈の素性をもっと描いて欲しかった。平常心でないのは明らかなのだから。
とにかく始めから終わりまでずーーっと辛かった。分かってはいたけど。唯一和ませてくれたのはどこか優しい音楽か。目も当てられないシーンの後に限って流れる。救いだったような気がする。
他人事とは思えない
予告を観ていて、重い話なんだと思っていましたが、予想をはるかに超えるほど重い話でした。
観終わって一番思ったことが、うちの家族に似ているような気がしました。
あそこまで、壊れていない気がしますが、みんな自分のことしかしていない。
そう思ったら、葛城家よりはましなのかな。
見栄ばかり張る父親
父親に逆らえない母親
父親に期待されている兄
自分の殻に閉じこもっている弟
みんなそれぞれ、壊れています。しかし、すごい役だなと思います。
家族の崩壊が観れましたが、悲しいとは思いませんでした。自分が似たような環境にいるかもしれませんが。
じわり、じわりと。
「その夜の侍」で失望した監督だけに、やや斜に構えながら鑑賞したのだが、逃げ場をどんどん塞がれていくように締め付けられた。じわりじわりと、真綿で締め付けられるとはこういう感覚か。
くるぶしまで海水に浸った洞窟で迷い、だんだん水嵩が増してくるような、このままいけばどうなるのかおよそ想像がつきながらも、逃げ道が見つからない感覚だった。
奇妙に置かれた掃除機のコードを手にした瞬間、あ、ミカンの木!ととっさに気付くのだが、結果は予想を外してくるあたりは見事だ。
まさに「俺がいったい何をした?」といわんばかりに、予想と結果、本音ときれいごと、正論と暴言の区別がつかなくなってきたところで締めくくるとは手際がいい。甘く見すぎていた自分に後悔した。
印象の項目にどれか3つチェックしようと思うだけど、どれとも違う。薄気味悪さってないかな?、悲しいじゃなくて哀しいってないのかな?
家族という凶器。
山の日@渋谷アップリンク
またまた宇多丸の影響で鑑賞。
池田小事件の知識はほとんどなかったが、一見普通にも見える家族。
ほんの少しのボタンのかけ違いから、あれよあれよと言う間に崩れ落ちていく。
というか、もっと前から本当は崩れかけていたけれど気付かないふりをしていた?ものが一気に崩壊する。
宇多丸はちょっと大袈裟に表現しすぎていたのでは、と指摘していた
「食育」を無視したコンビニ飯や出前料理
とか
妊娠中の女性がいるのにたばこを吸うシーンとか
一国一城の主として建てた、大事な自宅の思い出の木で首吊って自殺しようとするとか
「家族」として表すには、辛すぎる、不快すぎるシーンの連続で…
かなりざわざわした…
父親としての像
として、しかもありそうな像でもあったからこそ、
家族って何が正しいんだ?!!と考えさせられる(安易な言葉で好きでは無いが と宇多丸は言っていた)
ことに…
とりあえず、婚活 が、頑張ろう…汗
『価値観』という病巣
日本人特有のものなのか、それとも人類の業なのか、哀しくもあり情けなくもあるが我々は常に『価値観』に縛られる。『こうあるべきだ、こうでなければならない』。本来、結果に導くプロセスが目的化してしまう現象。もう定理といっても良いくらい枚挙に暇がない。
そしてその『価値観』が結局、張りぼてでできた偽物だととっくに気づいているのに捨てられない臆病さ。いじらしいほどしがみつき、しかし砂の城の如くサラサラと崩れ落ちていく現実。或る家族が、自分達でこしらえた虚空に飲み込まれていく様をドラマティックに披露する作品である。
観ていて常に感じること、それは、紛れもなく自分の人生に酷似しているということ。痛々しい位に各シーンが胸を抉り、掻き回す。締め付け、押しつぶす。感情移入の度合いが半端無くこの登場人物の兄弟に注ぎ込まれる。しかし、もう自分はすっかり歳を取り、頭頂部も禿げ散らかしてきた。そうなると表層の原因である父親でさえ、憐れでならない気持ちを禁じ得ない。この父親も又悲劇なのは、自分の父親を悲しい位重ね合わせているから。。。
今年は邦画の当たり年。このような重くのし掛るテーマの作品がきちんと商業ベースで上映続けることを願って止まない。
最後に、父親が部屋内を滅茶滅茶に壊した後、子供の成長を願った庭のミカンの木に掃除機の電源コードを括り付け、吊ろう戸実行に移すが弱い枝のせいで自殺が失敗に終わり、何事もなかったかのように、コンビニ蕎麦を啜るラストシーン、自ら命を絶った長男、罪の報いで国家に殺された弟、精神的に破壊された母親等々のように逃げることも又許されない現世に、やりきれない無常観を目一杯吸収し、映画館を後にした。
良質なフィクションは、今更ながら影響力の計り知れない強さを感じさせられる、自分にとって忘れられない印象であり、自分を構成する部品の一つになってしまうことが苦しい。
(もっと自分の人生を赤裸々に詳らかにしながら、作品との対比をしようと思ったのだが、まだもう少し熟成が必要と、エクスキューズしてみる 多分巧く文章を残せない・・・)
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