葛城事件のレビュー・感想・評価
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こうとしか或ることのできない人の群像
団塊〜新人類世代である三浦友和の「インテリ」への捩れた憧れや、失われた世代である新井浩文や若葉竜也の抱える劣等感。南果穂が演じる支配されるしかない弱い母親。そんなよくある人達の歯車がどんどん食い違って産まれていく悲劇。まともな人が誰一人出てこないとも言えるが、人間なんてこんなもんじゃないだろうか。傑作だと思う。
この映画もやはり、他人を理解しようとしない今の日本の空気から生み出されている。
物語的にちょっと首を傾げたのは、事件後南香穂が車椅子で認知症になっているという所かな。若葉竜也がどんな人だったのか、観客としてはもう一つ多面的に分かりたいという所で、南香穂が田中麗奈にどんな事を証言するのかは観たかった気がする。
猟奇殺人者を理解の側に引き寄せすぎているという批判もあるが、正常と異常の間に簡単に簡単に線を引いて区別したい人が多いのかね。
別に正常な人とも異常な人ともはっきりとしないグレーとしてキャラクター構築されてるとおもうんだが。
こういう映画があっても別にいいじゃんと思う。
殺人のシーンはもう少し粘って演出して欲しかった。あの状況で誰も逃げないっていうのはどうも。
『眼を背けられないリアリティさ』
自宅(CS放送)にて鑑賞。実在の附属池田小事件加害者一家がモデルと云われ、自己中心的で自らの勝手な理想や幻想を、高圧的に他者へ強いる男の末路を描く。元凶となる悪者を決め附けるのは容易だが、不遇とは呼べない恵まれた過去が一家には存在し、家族四人各々に環境を好転させるチャンスがあった筈である。流される儘が故にそれが叶わなず、それぞれが心に闇を抱く結果を導いてしまう。この家族の言動には、大なり小なり誰しもが思い当たる節や重なる部分があるのではなかろうか。その意味で決して他人事で済まされない重みと凄みが本作にはある。70/100点。
・自宅の落書きを消すファーストシーン、その佇まいや書き附けられた凄まじい文言は、'98年7月25日に発生した和歌山毒物カレー事件の報道映像を彷彿させる。オーディションで選ばれたと云う若葉竜也演じる“葛城稔”の犯行動機は、'08年3月19日・23日発生の土浦連続殺傷事件で逮捕された犯人の自供内容に似ている。他にも身勝手な発言や振る舞いは、'99年9月8日発生の池袋通り魔殺人事件、'08年6月8日発生の秋葉原通り魔事件の犯人を想起させる箇所もある。途中、現金や缶コーヒーは甘目、お菓子は塩っぱい目と我儘な差し入れを強請る中、登場するワッフルの差し入れと云うエピソードは、篠田博之著『ドキュメント死刑囚』に記された'88~'89年発生の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件犯人との遣り取りを思わせる。本作が公開された'16年6月18日の約一箇月後である'16年7月26日未明に相模原障害者施設殺傷事件が発生した。
・一般に周囲を巻き込む程の完璧主義者や理想主義者は、理解者を得るのが難しく孤立しがちであるが、その事が全篇を通し淡々とした語り口や構成が地味乍ら伝わった。
・プリズン・グルーピーと云われる恋愛傾向を持つ人が世の中には少なからず存在し、本作では田中麗奈演じる“星野順子”がこれに相当すると思われる。作中における彼女の存在意義や心の機微が丁寧に扱われており、その言動に同情する迄は至らずとも、違和感は憶えなかった。束縛の余り、次第に対人恐怖症に陥る“葛城保”の控え目乍ら魅力的な新井浩文の演技も記憶に残る。そして何より“葛城清”の三浦友和の存在感と演技が、本作に大きな説得力を与えている。血を分けた家族の破滅を尻目に、現実から目を背け、開き直った挙句、自暴自棄となる腹立たしくも物哀しい悲哀が込められた鬼気迫る熱演は忘れ難い。『アウトレイジ('10)』、『アウトレイジ ビヨンド('12)』での汚れ役も記憶に新しいが、本作が誇れるキャリアの一部となったであろう。
凄い事件の裏は意外と普通の家庭
静かに、淡々と話は事件の前と現在で交差していくが、とても上手に構成されてるなーと、思った。何気ない日常の些細なことや、不器用すぎる昭和の親父、抑圧されておとなしい母、優等生であろうと必死な兄、甘えん坊のまま大人になった弟、ちょっとずつ壊れていくのが、上手に描かれていたと思う。
ラストは、救い用がないがまぁ、そうなるわなー、ってかんじ。無理に派手にもせず、ハッピーエンドにもしてないところがよかった。
弟の妻が、まじ意味わかんなかった。自己顕示しての塊みたいな。
俺がいったい何をした?
観客にエグい現実を突きつけてくる作品。
テーマ自体も救いがないし、見る側の心に食い込んでくるような演出。
観終わるころにはグッタリというか、すげー荒んだ気持ちになっちゃった。
ただね、タイトルにも書いたこの作品のキャッチコピーが秀逸だと思う。
無自覚ゆえの罪とも言えるけど、この父親(三浦友和)だけが悪い、でいいのか?と。
ここまで事態が悪化するケースは稀だとして
この家族それぞれが抱える歪さみたいなものって、
大なり小なり皆が抱えてるものなんじゃないのかと思ってしまった。
もちろん犯罪者を擁護するとかではなくて、
誰もが道を踏み外す可能性って意外と身近にあるかもねっていう。
いやー、傑作には違いないけど、もう二度と観たくねぇな。(苦笑)
身近にいるような人物造形
これは胸糞映画として最高峰の出来(褒めてる)
登場人物が胸糞悪い性格ばかりなのが徹底している。
カリカチュアされ過ぎず実際に居そうな雰囲気なのがエグい。
キャスト全員が凄いが、特に若葉竜也が演じた稔のウザさが秀逸。喋り方・使う言葉等、このリアリティはなんなんだ。
それと、死刑廃止を唱え獄中結婚する女性役の田中麗奈。こちら側も狂気が混じっているのがスゴイ。ここを良心として描かないところにある種のメッセージ性を感じた。
観客を選ぶタイプの映画だが、人の闇部分に関心がある人は観て損はないでしょう。
秋葉原
「バラが咲いた」を口ずさみながら、「人殺し」「出てけ」などと塀や壁に書かれた落書きを消す葛城清(三浦)。そして息子稔の死刑判決を真摯に受け止める裁判所のシーンが交互に描かれるオープニング。そして獄中結婚をした星野順子(田中麗奈)が清のもとを訪れる。
保(新井)は会社のリストラに遭い、辞めたことを妻にも言えずにぶらぶらしていた。そして、家族の行き詰った姿を見たため飛び降り自殺を図る。そうして、次男稔(若葉竜也)は通り魔として数人を殺傷・・・
明らかに秋葉原通り魔事件をモチーフにしている映画だったが、親とも同居していない長男の自殺ってのがどうしても理解できない。家族間の確執はそれなりに理解できるのだが・・・強い父親でありたいと家父長制を誇示したいがために、心が離れてゆく様子はなかなかの出来栄えだった。特に中華料理屋のシーン。
それにしても死刑制度廃止論者だけで結婚するというのは、何かのパクリだろうし、現実離れし過ぎている。終盤、死刑が執行されたと報告され、再び清のもとを訪れる順子。精神病院に入院するまでとなった妻(南)がいないためか、「家族になれ」とレイプしそうになる清。そのあとは部屋中を荒らしまくり、庭先のミカンの木で首を吊ろうとする。でも失敗。再び部屋に戻り、スパゲッティをすするのだった・・・
家族という病巣
赤堀作品は何作品が観てますが、だんだんと差し迫る精神的な怖さが絶妙だと思います。
三浦友和さん演じる父親がモラハラのクソ親父で、自分の意見・やり方が1番正しいと思ってて、周囲の人全てにそれを押し付けている人です。
結局、長男が自殺をしたのも、母親が精神的に病んだのも、次男が無差別殺人を犯したのも、この父親ありきとしか言いようがありません。
他の人も言っていましたが、獄中結婚のくだりはあまり意味がなかったような気がします。
家族って名ばかりで、簡単に壊れてしまう脆いものです。現代の闇とも言えるテーマだと思います。家はあっても、中は空っぽなんです。そこに愛はないのです。
どうしてこんな事になっちゃったんだろう?
まさにその通りで一つアクシデントがあったわけじゃない。
家族の些細なすれ違いが歪さを産み、やがて崩壊していく。
その中心にあったのがこの家の主・清の描いた彼なりの理想の家庭像にあったというのだから救いようがない。
父・清に抑圧された環境で育った長男は社会人になり家族を設けるも父親に意見を述べる事ができず、次男は引きこもりとなり不満を募らせていく。
そして全てが沸点に達した瞬間、次男はナイフを手に取り返しのつかない事件を起こす。
団塊世代の親父の昭和的家族像、故の愚かさ。醜さ。いたたまれなさ。
これほど見ていて辛い映画も中々ない。
とても他人事とは思えないのが怖い。
どのキャスト陣の演技も素晴らしかった。
普通の家族
誰にでも思い当たる節のある家族の日常。
この世代のお父さん像は「こうでなければならない」という
強迫観念じみた理想を刷り込みのように持っているのかもしれません。
なので、自分が間違っているなんて1mmも思ってないでしょうね。
それが全ての始まりであり終わり。
家族全員が家族に言えない弱さを持ち、押し殺す。
とにかく怖かった…普通だから。
見透かされ過ぎてツラい
・死刑の判決が下った無差別殺人が起きるまでと現在を交互に見せる
・前作でも見られた生活臭が漂うほどの部屋の描写のリアリティ、特に引きこもりの次男と両親との気まずい距離感は自分過ぎて見てられない
・ピザにお茶、ナポリタンにお茶、コンビニ弁当を食べる母、食生活から家庭環境がうかがえる
・父の金物屋のレジから見える外の景色の視界の狭さが分かるショットが秀逸
・公園で捨てた煙草を取りに戻った長男が立ちすくむ一瞬の間に覗かせた絶望感
・死刑よりつらい罰を与えたいならどうすればいい?獄中結婚した田中麗奈の行動原理だけ最後まで謎だった
・自殺未遂の父が散乱した部屋に戻ってのびたソバをすする姿で幕
団塊世代に観て欲しい
父親清の説明で、父親の思い、と書いてあるが、清は元々こーゆー人でしかない。常に自分が正しいとしか思ってない。
中華料理屋での話が特にそうで、自分の60代父親も昔、一見のトンカツ屋で同じ様な行動をした事があり、すごく「やだ見」だった。だから、団塊世代の父親というよりは、自分の父親に観て欲しい。かと言って、父親にあまり勧めたくもない。
個人的にはこの三浦友和の清がインパクト強かったが、この中の人物皆自分勝手、独り善がり。
母親南果歩は、一見優しそうで自分の都合ばかり優先させる。子供はかわいいのは当然だがそれだけで、厳しさを見せるのは面倒臭いのであろう。食事が全て自炊ではなく弁当や即席麺というのが象徴的。
兄新井は親のご機嫌を伺って優等生で過ごし、いざ社会に出ると取り柄がなく厳しさを痛感し、自分が正しいと思ってるから親にも妻にも相談せず、一人で抱え込んで終いにパンク。
弟若葉は優等生の兄と常に比較され卑屈になり、やりたい事が見つからない中、父には蔑まれ母からは優しくされるのみ。兄からも蔑まれてると思っているのでまともに会話も出来ず、終いには無差別殺人という勝手な結論で死刑を望む。
若葉と獄中結婚した田中麗奈も、死刑反対を大義名分に、自分なら若葉に愛情を注げるという勝手な思い込み。烏滸がましい。
若葉がナイフを取り出した際、後ろで見てたサラリーマンも、この後の事件を予測しながらも止めたり声掛けたりしなかったのは、自分の身可愛さ。でも同じ状況だったら自分でも声掛けないかも。怖すぎて。
田中麗奈の役は不要な気もするが、この家族、何処にでもある話。全部やだ見。
この話を少し楽しくしたのが、「ぼくたちの家族」で、こちらの方が救いがある。この話は皆不幸。
あまりお勧めでは無いが、忘れ難い話。
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