「すべての人に」母と暮せば enneさんの映画レビュー(感想・評価)
すべての人に
wowowの放送を録画で、思いがけず見ることができた幸運に感謝しています。私にとって宝物のような、特別な作品になりそうです。静かな、だけど激しい、悲しい、だけど嬉しい、そんな映画です。
物語は、原爆を投下する爆撃機が、ささやかな日常に忍び寄るところから始まります。歴史に残る攻撃によって、いとも簡単に破壊されてしまった、彼らの日常。
原爆投下は一瞬でした。みるみるうちに溶けていくインク瓶は、雄弁に、そこにいた人びとがどうなったかを想像させます。そして、粉々のガラス片を猛速で真横に運ぶ爆風。激しいのはそれだけ。たったそれだけ。この場面は見事の一言です。金縛りに遭ったように、息もできませんでした。
以降、被爆後の地獄絵図は一切なく、投下3年後の静かな日常生活の描写だけ。それがかえって、悲惨な体験をした人びとの深い深い悲しみを浮き上がらせています。主人公たちはただ一様に、思い出を語るのです。その中に、クスッと笑えるエピソードがふんだんに織り込まれている。それが、彼らの運命の哀しさを一層引き立てます。そう、彼らはみな、思い出に生きている。思い出の中でしか、生きられない。唯一、思い出の世界から現実に生きる道を選ぶのは、原爆で死んだ医学生・浩二の恋人、町子だけ。
死んだときに、母さん!と叫ぶ間さえなく一瞬にして自分の命が消えてしまった、その悲しみを思う。その悲しみに思いが至るのは、単に私が歳を取り、数多の戦争映画やドラマを見て悲惨さを知っているから、ではなく、この作品の力だと思います。浩二は饒舌で明るく、実に愛くるしい青年です。この陽気な子が、すっかり心を塞いで口をつぐみ、うつむいて黙りこんでしまう。そして、すーっと姿が見えなくなってしまう。その哀しみの深さ、重さ…。あとに残された母の、身の置き場もなくなるような、例えようのない寂しさ…。皮肉なことに、浩二の亡霊が現れるたびに、母はこの世に生きるエネルギーを失っていくのです。
物語は、舞台演劇のように進みます。場面転換も、セリフ回しも、ライティングも。ここは好みの分かれるところでしょうが、私は、山田監督は原作者である井上ひさしさんへのオマージュとして、あえてそうしたのでは、と感じました。そうでない演出なら、他の監督に任せればいい、とでも言いたげに。その演出に、すべての登場人物がピタリとはまっています。セリフも、それぞれの人物にピタリとはまっています。どこが違っても、あの感じは出せなかったでしょう。私には、完璧に思えます。
浩二は、母が心配で成仏できなかったのでしょう。母が自分への執着を振り切ったとき、息子の霊魂はやっと、母のそばに来ることができた。と同時に、母が手放した執着はまた、母自身の人生への執着でもあったのです。自分の命にさえ執着がなくなった彼女にとって、残った唯一の心配事は、息子の許嫁、町子の幸せでした。だからこそ、その心配が解決したその日のうちに、母は何も思い残すことなく旅立つことができたのです。こうして、息子は意に反して、母の最期に立ち会うことになってしまったのでしょう。
これ以上のラストはありません。クリスチャンだけでなく、すべての人にとって、死は終わりではないからです。死によって、不完全なこの世の苦しみから解き放たれ、魂にとって真の安楽な次元へと住処を移すことができるのです。主人公母子をクリスチャンに設定したことで、これを無理なく伝えることに成功しています。愛する息子に寄り添われ、夫や長男の待つ世界へと歩を進める母の、満ち足りた笑顔。この世に自分を送り出してくれた母を、魂の安住の地へと導く息子の、誇らしげな仕草。愛にあふれたこの母子の物語に、もっとも相応しいラストだと思います。
町子にとっては、死んだ恋人の母に新しい婚約者を紹介した日は、古い自分との決別の日でもあったと思います。新しい婚約者を得た町子が幸せだったなどと、どうして言えるでしょう。町子は、死んだ恋人を忘れはしません。町子は、浩二の母が強く勧めたことに忠実に従っただけ。まだ浩二を愛していたから。一生、死者の面影を胸に一人で生きていくだけの強さを秘めた女性です。死んだ恋人を、そしてその母を愛していたから、彼女は言われたままの道を選んだのです。片足のない、誠実そうな、しかし浩二とは真逆に冗談の一つも口にしなさそうな、真面目なその人に寄り添う町子の姿から、障害を持つ男と一緒になる覚悟と、過去を振り切って生きようとする強さと、他の男の妻となっても浩二への永遠に変わらぬ愛を抱いて生きていくという決意が、痛いほどに伝わってきました。
母の前に現れた浩二は、亡霊なのか、それとも、生きることに憂き始めた母が生み出した幻影なのか。私は前者だと思います。これは「お話」です。必ずしもリアリティを追及する必要はありません。
では、なぜ、戦死した長男は亡霊となって現れなかったのか?
私は霊の研究家ではありませんが、よく聞く話から想像するに、兄が死んだときはまだ弟がおり、母は一人ではなかった。心配が少ない分、この世に魂が留まる理由がなかったのではないでしょうか。しかし、次男である浩二は、母を一人残してしまった。しかも、母は病弱で、浩二はいつも、母が薬を飲んでいるかを気にかけ、声をかけていました。母への愛に加えて、その優しさと責任感から、浩二は幽霊となって母のそばに来たのです。いつかは別れを告げなければならないなどとは考えもせずに。結果として、別れは告げずに済むのですが…。
これほどまでに静かな反戦映画を、私はほかに知りません。
すべての人に、しっかりと噛みしめて味わってほしい映画です。あの戦争の幾万の犠牲の上に、恵まれた毎日を生きられる私たちが、生きることのかけがえのなさを心に刻みつけるために。