シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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悲劇的なラスト
旧劇版の後、離れてましたが、序、破、Qを見てから完結編を見ました。まとめての感想です。
初号機が覚醒したら何故かサードインパクトが起きたり、Qからいきなり別アニメのようなシーンになってたり、シンジは何も悪くないのにクルーから酷い対応をされたり、加持がスーパーマンみたいな役割を生前に果たしてたりするのに違和感を感じましたが、とにかくサード、フォース、アナザー、アディショナルの各インパクトの条件が複雑で訳が分からない、各キャラも正体不明な人物ばかりだし、正直途中から理解しようとする気がなくなってしまった。シンジの成長が物語の本筋というのなら、その視点でもっと描くべきでは。Qと完結編の大部分でシンジは傍観者だった。各キャラの抱えるトラウマや精神の補完がすべて完了してシンジは大人になり、大団円でハッピーエンドという点で大満足な意見も多いのだとは思いますが、現実的には親の説得なんかうまくいかないことが多いものだし、主人公が実質48歳のバアサンを押し付けられるのでは、これはこの上ない悲劇的なバッドエンドだと思います。旧劇版のラストの方が美しかった。
アニメ映画の集大成
エヴァンゲリオンシリーズが始まって約26年。
私が初めてエヴァンゲリオンを見たのは去年のYouTubeでの無料配信だったが、どっぷりと沼に浸かってしまった。
延期を何度も繰り返してようやく本作「シン・エヴァンゲリオン」の公開。
作品の内容はもちろん、制作技術がとても素晴らしいと思った。作画はもちろん、CG、アニメ映画史上初のプリヴィズでの撮影。とにかく生活感が出るような風景には感動した。
庵野監督はとにかくシネスコの使い方が上手い。今作品はおそらくシネスコアニメの見本となるだろう。
個人的にはとても満足だが、監督の意図を理解できずに「CGが下手」「意味わからない」のように賛否分かれる作品だと思う。観る人を選ぶかもしれないが、戦闘シーン、BGMと興奮が止まないので是非観てほしい。
個人的に文句なし
過去、アニメ版から旧劇場版に至るまで見てきて、一言
ようやくの堂々完結、ですね
ただ、単品の映画としては、これだけ見たら良いとはなりませんし、なんなら新劇場版だけでも楽しめそうですが、旧劇場版の洗礼を受けていた方がより感慨深いものかと思います
卒業式、と例えられたりもしますが、正にその通りな作品です
兼ねてから、監督の内面を反映させたキャラクター達が旧劇場版で迎えた結末を知っているならば、なおさら今回の結末は、監督の苦労や成長もまた、感じられる作品かと思います
無論、漫画版の方が良いとか、旧劇場版の方が良いとか様々な意見もありますが、あくまで個人的な納得ですので、星5、ですね
100億突破おめでとうございます!!
エヴァファンです。
5回観賞し+0.1も観賞
何度見ても面白い
いや、面白いとゆう表現では
表しきれない!
庵野秀明監督が
エヴァの呪縛から解き放たれ
また全てのエヴァファンも
エヴァの呪縛から解放された
涙なしでは見れない。
内容は語りません
とにかく見て感じて下さい。
私達があと出来ることは
エヴァシリーズを噛んでしがんで
を繰り返し続けて
作品を永遠に生かせる事かな...
本当にありがとうございました
これでお終い?
全部見てきたので惰性で見てきました(^_^;
ごめんなさい。
マニアな方々には色々と伏線回収かなされた様ですが良く分かりませんでした。
シンジが最後生意気になってたのが気に食わなかったです(笑)これってネタバレ?(笑)(笑)
こんにちは全てのエヴァンゲリオン
1.以前J:COMの放送で旧劇場版を見て以来エヴァがトラウマになってたので新劇場版シリーズを避けてきたが、Amazon primeで新劇シリーズが無料配信してたのでせっかく無料だしと序と破を見てみる。
2.破にドはまりして5回見る。そして勢いでQも見るが内容が中々理解出来ず結局Qも5回見る。
3.結局内容は理解出来なかったがこうなったら最後まで見届けるぞと今作を劇場で見る。 凄まじい映像美とそっくりさんの可愛らしさに打ちひしがれる。
4.視聴後大きな感動の余韻があった反面結末の内容に納得がいかず大きな喪失感に打ちひしがれる。 これで本当に終わりなのか…とまるでリアルタイム放送時から今日に至るまでエヴァを追ってきた人の様な気持ちになる。
5.シンエヴァは好きだ。だから結末にも心からちゃんと納得したい。 そんな思いからTVシリーズと、今後の人生2度と見ることはないだろうと思っていた旧劇場版も含めたエヴァのコンプリートBlu-rayBoxを定価で買う。
6.自宅に届くまでの間YouTubeでエヴァのストーリー解説動画を見漁り更にエヴァの世界にハマる。
7.覚悟してたがやはり旧劇場版で心がへし折られる。
8.このままでは終われないと漫画版に手を出す。そして漫画版に救われる。
以上。映画のレビューに全くなってないけど、少なくとも卒業するどころか自分にとってはエヴァの世界に飛び込むきっかけになってしまった作品でした。 破がきっかけの様な気もするけど、シンエヴァ見た後のあの喪失感がなければあのBlu-rayBoxも漫画版も全部揃える事も無かっただろうな…。
さよならはまた会う為のおまじない。こんにちは全てのエヴァンゲリオン
謎は残るが良かったと思えた作品
最初に大まかな感想を述べるとしたら「いやぁ終わったなぁ……良かったなぁ…………えーと、つまりどういうことだってばよ?」という感じだった。
上手く日本語が使えないが以下感想
一応アニメ、貞本エヴァ、ゲーム、旧劇、新劇、パチスロと大体は見てきた。だからこそ今作の終盤は見てて「あのシーンのリメイクか!」という場面がいくつかあった。1例としてゲンドウの旧劇とシンエヴァで共通のセリフがあったのだがそこで旧とシンでゲンドウの結論が変わったのはかなりグッときた。
また、ミサトにも同じものがある。ここは興奮が抑えられないのでネタバレありで書くが旧劇ではミサトはシンジに「いってらっしゃい」と言い送り出し、散った。
それがシンエヴァではシンジと話し、「いってらっしゃい」と言い、シンジは「いってきます」と言った。ここだけで泣いた同士は多いはずだ。多分。ミサトはシンエヴァでも同じく散ってしまうがシンジに世界を託し、2人の母として、美しく散った。泣いてまうやろこんなん。
ここから少し感情的な文が目立つやもしれん。そこは優しい目でスルーして欲しい。
本作のキャッチコピーでもある「さらば、全てのエヴァンゲリオン」だが最後のシーンを見る限り全然サラバしてないエヴァンゲリオンがいるような気がする。
エヴァシリーズや4号機、甲、乙号機達はどこへ行ってしまったのだろうか。
仮にこれが「サラバするのは新劇のエヴァだけです」だったとしても胎動するエヴァ8号機さんはどうなったのだろうか。まぁ話の流れ的にはエヴァ8号機になったと考えるのが妥当だろうが。そこまでのストーリーはどうなったのだろうか。
というか新劇はアニメ版のリメイクのはずだのにジェットアローンがほぼほぼ出ないではないか。いやまぁ新2号機の1部となっていたが。なぜジェットアローンをそのままの姿で戦わせるなり出すなりしてくれなかったのだろうか。尚これは完全なる私怨であり正直完全にスルーで構わない。
最後に、わたしは穏便派LAS厨である。
これは私が「観るべき」映画
エヴァの作品をリアルタイムに劇場で見るのは、これが初めてだった。序破Q、テレビ版、旧劇場版を見た上で、シンエヴァは劇場で「観るべき」だと思った。公開後1週間程経ってから観に行った。
シンジ君は大人になっていた。いつの間に、あれほど成長したのだろう。夏休みに二人で篭ってゲームをしていた友人が、いつの間にか企業して社長になっていたような感覚だった。私は置いていかれたのだと感じた。
その後、2回目、3回目を観に行った。すると次第に、シンジ君に対する見方が変わって行った。彼は私の隣を歩くことをやめて、私の前を走ってくれる存在になったのだ。私の行く先に彼の背中がある事が、とても頼もしく、安らかな事であると気づいた。
「シンジ君は成長した。だから、君たちにもできる」私はシンエヴァから、こんな言葉をもらった。
エヴァって感じ
見終わったあと、ちゃんとストーリーが分かった人がどれくらいいるのか疑問。
上映後の映画館の雰囲気的に、誰もあまり分かってない印象だが、それこそエヴァな気もする。
全体のストーリーは何となく分かるけど、細かい部分は相変わらず説明されないし、前作から今作の間にも状況が変わっているものもある。
同じように疑問を持った人も多いようだが、ネット上での質問の回答も、結局細かい描写はなかったとか、想像ですが、とかの前置きのある解答が目立つ。
序、破、までのストーリーはそれなりに分かりやすいが、Q、シン、は哲学的要素が多すぎて正直よく分からない。
純粋に楽しめたかは別として、エヴァの世界観的にはそれでいいと思うし、一応それなりに終わったと思う。
今更何を
コアなファンでは無いしパチンコもやらないし、ストーリー展開もいまいちピンと来ていない外連味だけが好きなニワカですが、そんなニワカがどう評価しても嫌な顔されない所にエヴァと言う作品の懐の深さを感じます。
寧ろこうした自身も含む鑑賞者達の様々な考察や憶測やそれぞれの感想などを互いに意見交換するような一連のムーブメント自体が、エヴァのストーリーの神髄(あくまで私はそう感じるだけ)である他人との干渉をポジティブ化するシステムのメタファーになっているように感じました。
物語が終盤に向けて進んでいくにつれ、シンジの意思と共に虚構から現実味のある世界へと変化していくリアルな絵の演出や描写が、現実の世界に、それぞれの人生に各自が起結する構造は総監督である庵野監督の決意でもあるようにまた感じました。
本当に庵野監督様ご苦労様でした。
続く実写立て2本の映画が本当に楽しみで仕方がありません。
絶望的な終わり方
自分は2000年ごろエヴァをレンタルで見てハマりました。
エヴァのブームも去った頃で、エヴァについて語る人も周りにいなかったですがそれでも好きでした。
20年好きだったエヴァの一番最後の映画ということで、シンエヴァはとても楽しみにしていました。
ですが、結果は残念極まりなく、
自分はこれを機にオタクをやめようと思いました。
冒頭はエヴァらしい軽快な戦闘シーンで始まります。
ですが、その後の第3村のシーン。
とにかく長い。長すぎる。
黒レイが主役かと思うほど農業のシーンやら子どもをお世話するシーンやら図書館に行くシーンやら風呂に入るシーンやらが続きます。
そして、落ち込んで寝込むシンジ。
とにかく長い。長すぎる。
ずっと寝込んでる。
この時のシンジは失語症になっていたとどこかで見ましたが、映画内で失語症への言及はなかったと思います(2回見ただけなので見落としたかもしれませんが)。
そして、アスカは裸でシンジの前に現れ、それに対し大人になったケンスケがアスカにタオルをかけます。
アスカは何故かケンスケをケンケン呼びです。
男女の関係があることを、さりげなく匂わす演出です。しかし、結局アスカとケンスケが恋人同士であったかは最後まではっきりしませんでした。
何故監督がこのような、ケンスケとアスカがカップルであることを匂わせるような脚本を作ったのか全く理解できません。
加持リョウジという少年がでてきます。
ミサトと加持の息子です。
14歳です。
あれから14年経った世界でミサトの息子が14歳と言うのなら破のラストの時点でミサトのお腹が大きくなっていなければおかしいと思うのですが14歳です。
加持リョウジ少年は良い子そうでした。
しかし、加持リョウジ(親のほう)の去り方は尺の都合なのかあまりにもあっけなく、加持リョウジ(親のほう)の扱いがあまりに雑で可哀想になりました。最後の方でもまた扱いが雑で可哀想になります。
途中の諸々について。
アスカは昔、シンジのことが好きだったと告白に行きます。でも私の方が先に大人になっちゃった、とも告げます。
個人的な意見ですが、『シンジを好きなアスカ』を好きだった私にとってはこのシーンは悲しくも、良いシーンだったと思います。
そのぶん、序盤のケンケンとアスカは、こんなのアスカじゃないと目を覆いたくなりました。
ちなみにアスカの告白の前に、『だーれだ?』とマリがシンジに後ろから目隠しし、『ヒント、乳のでかい、いい女』と言います。
これがまさか最後のクソみたいなエンディングの伏線になるとはこの時思いもしませんでした。
シンジによる補完計画が始まります。
シンジが登場人物ひとりひとりに語りかけます。あなたは本当はこう思ってたんだよね。僕はこう思っていたよと。
この時、唐突に渚司令という存在が加持リョウジ(親のほう)と一緒に出てきます。
渚司令は碇シンジを幸せにすることで自分を幸せにしたかったと言い始めます。加持に対して『カヲルって呼んでよ、リョウちゃん』などと言います。この人は一体誰なんだろうと思いました。
渚カヲルは、使徒であり、
碇シンジのことを好きな少年であったはず。
しかしここに出てきたのは、謎の渚司令という人物でした。
クライマックス。
旧劇に続きまたしても巨大綾波。CG丸出しの巨大綾波。旧劇の巨大綾波の方が美人だったと思います。
首のないマネキンの行進。そして、天から降り注ぐ人々。猫を抱きしめて微笑んでる女性やらなんやら、色々な人間が空から降ってきます。誰なんだよ。
急に駅のホーム。これは庵野監督の地元の駅のホームだそうです。庵野がさっさとエヴァから解放されて実家に帰りてーよアピールなのでしょうか。理由はわかりません。
スーツを着た、社会人らしいシンジっぽい男が、後ろから『だーれだ?』と目隠しされます。
『胸の大きい、良い女』と答えます。
誰なんだよ、お前は。
碇シンジはそんな奴じゃなかっただろう。
そもそも、声、神木隆之介じゃねーか。
26年シンジを演じてきた緒方恵美さんに対して申し訳ないと思わないのか。監督ってきっと、人の心が無いんだね。
そしてもはや面影すらない、薬でもキメてんの?ってくらい目を見開いた大人シンジらしき神木隆之介が、マリの手を取って行こう!と階段を駆け上がります。
そして監督の地元の駅(何故か実写映像)から飛び出すマリとシンジ。
流れ出すエンディングテーマ。
いったいなんだったんだろう。この映画は。
黒レイは農作業を散々させられた挙句、シンジに名前もつけてもらえず、ネルフから離れたら生きられないとかなんとかいう理由で消滅させられ、
ケンスケとアスカはカップルにさせられて、
シンジはマリルートエンドみたいになってて、
いったい何を伝えたかったんでしょうか。
これが、90年代に社会現象を巻き起こしたアニメの最後なのか。
エヴァをずっと好きだった私の気持ちは何だったのか。
極め付けにとどめを刺してきたのは、入場者特典の公式の薄い本でした。
作画監督のとある人物がカヲレイ夫婦と子供のシンジのイラストを描いてネットで大炎上したあげく、
ラジオに出演した緒方恵美さんにこれはあくまで同人誌です、とフォローさせていました。
いや、同人誌って、そんなにポピュラーなものですか?
同人誌ってオタク界隈のみで楽しむ物ですよね?
エヴァって、大人から子供まで楽しめるエンタメみたいなツラしてのさばってるのに、同人誌を入場者特典にしちゃうんですか?
シンエヴァはどうしても100億行きたいのか、舞台挨拶だの入場者特典だの必死にやってますね。最後の悪あがきに。
どうして100億行かないのか、関係者さん、誰もわからないんですか?
この映画が、エヴァオタクにとって期待外れだったから。ただそれだけです。
私は現実に帰ります。もうアニメは一切見ないです。
監督の気分一つで、いくらでもキャラクターの性格が変わるなんて、もうこんな気分は味わいたく無い。
ありがとう。現実に帰してくれて。
一刻も早く、エヴァというクソアニメの存在が消えるくらいの大ヒットアニメが生まれてくれますように。
エヴァファンの皆様、卒業おめでとうございます。
かと言って、私も卒業。
新世紀時代からずっと変わらぬテーマ。
『大人になろ』
『ニートやめて、仕事しよ』
2度目、観賞後…
テーマは、
『妻への愛』
マリが鼻歌で歌ってる『世界は二人のために』が全てを物語っているように思いました。
愛妻家って素晴らしい。
26年付き合ってしまった、、、
ついにラスト。
アニメ版から観ているので、長い付き合いです。さすがに伏線やら謎を回収する気が無いのには慣れましたね。
常に、登場人物のなかで実は一番常識人のシンジ君がラストを選択するので、どのバージョンも同じようになるのはご愛嬌でございます。無事に終わって良かったです。
もう、二度とエヴァ作らんでくださいよ。
ナディアやウルトラマンのオマージュ作品
旧作シリーズからそうだけど、
今回のエヴァが提示している哲学にも共感ができなかった
毎度のことながら、ちょっと残念。
そもそも、人類の絶滅or 人類の単一化のどちらかしか選べない、
っていう二者択一がクソ設定だと毎回見る度に思う
後者を選択しつつ その方法論の違いが旧作とシン版にあるけど
込められた哲学はいつも一緒。
最愛の人を失って残された遺族が、
どうやってPTSDと克服していくか、という過程を
謎と伏線が交錯する壮大なダークファンタジーで魅せているけど、
いつもあんまり共感できない。
一方でジレンマの枠を超えて、
最後まで人類の運命に抗う選択をしたミサトには共感できた
主題をゲンドウの物語ではなく、
思い切ってミサトの物語に振り切ってくれたらよかったな
こんな否定的な印象を持ったけど、
最後まで 飽きることなく、むしろワクワクしながら楽しめた
庵野さんの 過去のレジェンド作品に対する愛、
オマージュがぎっしり詰まってて見所がたくさん用意されていた
冒頭のパリ奪還作戦には「ふしぎの海のナディア」の影響が強く出てるし、
無人艦隊群の描写は思いっきり「宇宙戦艦ヤマト」
「裏宇宙」や「ゴルゴダ」は「ウルトラマン」を想起させるし、
初号機と13号機の 旧第3新東京市での戦闘シーン、
あれには思いっきり「円谷プロの手法」を感じた
実際どうなのかは知らないけど、
スタジオセットとしてミニチュアで旧第3新東京市の要塞都市を構築して、
そこで モーションキャプチャを装着した2名がバトルを演じたのかなって想像した
往時の円谷プロなら エヴァの着ぐるみでそのまま戦ってそう
こういう庵野さんの個人的な嗜好がオマージュとして
本作に反映されていて、かなりよかった
自己満足映画。
この作品で全て解決しました。
にわかエヴァファン(すいません、パチンコからファンになりました)にとって、綺麗過ぎる展開に、最後まで安心して見れました。
第1章:彼女が出来てウキウキ
第2章:肉体関係を持つなどして盛り上がりまくり
第3章:相手と将来どうするのか葛藤する時期
ラスト:いろいろあったけど、新しい人生を歩む
て感じかな。
Qが一番ぐっときました。
エヴァファンの方、ごめんなさい。
これでエヴァとサヨナラです。
友人の代わりに
1 はじめに
私はエヴァ初心者であり、にわかだ。
これを書くにあたり友人の見識や考察サイトから色々なものを補完し、いまこれを書き連ねている。
私とエヴァの出会いは中学生の頃だった。
当時周りはヤシマ作戦で盛り上がっていたと思う。その頃、何故これがこんなに面白いと言われているか正直分からなかった。
おそらく、当時や今含め私はシンジのことが分からず、好きとは言えなかったからだと思う。
ただ、周りの熱狂はその後も数年あいては再熱し、鎮火し再熱することを繰り返していた。
その間に、当たり前のように私も歳を重ねて行った。
そういう過程の中でエヴァンゲリオンに面白さを、親しみを、愛着を抱いたのだと思う。
今回、シンエヴァンゲリヲンを観て、ああ終わってしまったのだと思った。片手間のように追ってきたこの作品に対して一抹の寂しさを覚えた。それこそが、にわかでも私がこの作品を好きだと言える証明かもしれない。
2 シンジとアスカ、マリ
アスカとシンジがあの形で終われたことに嬉しさがあった。どちらかと言うと、エヴァの醍醐味であるシンジへの好意と嫌悪よりもアスカへの投影が私にはあったからだ。
そうとは限らないことを前提に書くけれど、幸せになりたいと思えるひとと幸せになることは割と難しいことだと思う。この人が好きとこの人と幸せになれるは意味が違うことがある。
学生の内の恋愛はとくに、大概歳の近いひとと付き合うので、同じ速度の同じ温度感で成長できないと距離や理解が遠ざかってく気がする。
上手く噛み合わないまま恋をし続けるのは結構大変だと思う。
私自身が初恋を拗らせ、何年も沢山のことがあったからかもしれないけれど。
好きだなと思う反面、未来も幸せもそこにはない。
Q前日譚の中ではアスカはシンジが死んだものだと一旦理解してるのも理由のひとつ。
だからこそ、最後に明確にアスカとはそうならないよと庵野が言ってくることは現実だなとおもうし、くっついていたら安っぽいなとすら思う。(庵野がエヴァにおいて掲げてるテーマに現実を生きろというのがあるので)
成長の先で新しく現れた相手と幸せを望むのは現実的思考で、マリがシンジを迎えに来るのは自然かも。
最後、惣流が救われたのも良かった。14年間あの海辺で待っていた惣流は式波と同化して救われた感じがして、この辺に庵野が全てのエヴァを回収して終わらせようとしてるが見える。
3 ゲンドウとシンジ
ゲンドウの独白は本当、ゲンドウさあ…である。
孤独な幼少期を選び、人と関わることが嫌であることはいいけれど、シンジに同じことを押し付けているのはどうなんだと思ってしまう。
ユイに会ってわたしの世界が変わったなら、それ以前に自分から動けばもっと変わっていたのでは?ひいては、シンジが生まれる前にもう少しコミュニケーションを覚えられたのでは?という。
これについてはもうどうしようもない所だし、生きている誰かを傷つけそうなのであまり言えない所ではあるけれど。
作品としてはゲンドウの人間性の理由や想いが伝わってエヴァの解決に向かうのに必要な所だったと思う。
シンジがかなりゲンドウに近しい道を歩んでるのも分かる。
それでも、シンジが一歩先に成長した。
何故か考えた時、特異点はケンケンとトウジという純粋な友達がいたことなのかなと思う。
メタ的な視点になるが、14年後のケンケンとトウジが第三村でそれぞれ色々なものを乗り越えている世界線だから特異点になり得ているので、昔の友達の形ではシンジはエヴァを終わらせられないとも思うけれど。
トウジは感情に任せてシンジを殴らないし、ケンスケは裸のアスカをみてもはしゃいだりしない。どちらかと言うと、シンジの方が少し捻くれた大人びた雰囲気であった。
14年間の間に2人は成長し、ただ静かにシンジに寄り添っていたからこそ、第三村の綾波をまたしても目の前で失ったことから進もうと出来た。
アスカが生きるための尻叩きをしてくれ、2人がそのままの自分を受け入れて待ってくれている。
シンジの「なんでみんなそんなに優しいんだよ」色々集約されてる気がする。
4 ゲンドウとカヲルくん
ゲンドウとカオルくんは近い存在であることがシンエヴァで分かった。
ピアノの連弾はもう一つの親子の形か??
もちろん同一人物足り得ないのでこれは拡大解釈すぎるが。
ゲンドウもカヲルくんもシンジの幸せを決めつけ、シンジの幸せを見つけれあげられなかった点でも合致しているのかなと思う。
ゲンドウがシンジに注ぎたかった愛情をカヲルくんが持っているって言うのが近いかもしれない。
宇部新川駅でレイとカヲルくんが一緒にいるのもユイとゲンドウの再会になのかもしれない。
最後の方のシーンでカヲルくん自身がループしているので視聴者もループを観測している側か?
冬月が都合の良い逆行はないとも言っていたのでこの辺は少し曖昧。
5 ミサトさん
これまでのエヴァ作品で、ほぼ毎回ミサトさんはシンジがすることへの責任をもつと発言している。
これについて私は漠然と薄いなと感じていて、世界観として仕方がない部分があるのは前提として書く。
大体の場面において責任の所在を作ろうが責任は果たせないし、シンジの保護者という点でもシンジがしたことをシンジ自身がミサトさんに預けられる所ではない。シンジは目の前で身体で体験をしてしまっているので。
けれど、今回のミサトさんの「責任はわたしが持ちます。」というのは不思議と本当にその気があるぞと思わせてくれた。(もしかしたら、ミサトさんも私もあの場面のシンジに幼さを感じなかったからかも?)
これについては、割と漠然と思っていたことで感覚的なものなので、結末からの影響もあると思う。
それでも、14年たって28歳だったミサトさんも大人になったんだなと感じたし、母親になったんだとも思える場面だった。
また、カジさんの最後を知ってQでのミサトさんの態度にも納得した。
6 庵野
エヴァンゲリオンは庵野の私小説だと思っている。
少し調べたところQの後精神的にきつかったと聞く。
シンゴジラをやってみないかとか、ジブリの声優をやってみないかとか誘われたのは、庵野にとって休息と周りからの優しさを実感する機会だったのだろう。
だからこそ、シンエヴァでシンジは周りに助けられ前を見ることを決められ、ああいう終わりを見出せたのだと思う。
それまでのエヴァンゲリオンという作品は庵野しかり、視聴者しかりこじらせまくったもの。というか、拗らせてるからこそのエヴァンゲリオンとも言う。
最後の駅でのシーンも実生活で庵野が結婚したことも関係あるかなと思う。
シンジは自らの贖罪のためDSSチョーカーをつけているが、マリがそれを外す。
シンジ(庵野)を許し、救い、共に生きるのは、アスカやレイ(過去の女性)ではなく、新しく突然現れたマリ(安野モヨコさん)という所も反映されていそうだ。
7 ありがとう
ここまで書いてきたが、なんでエヴァが好きで、庵野のことを絶妙に雑に扱ってしまうのかはエヴァが庵野の私小説でシンジもゲンドウもおそらく庵野であったことを最初から感覚的には知っていたからなのかもしれない。
エヴァの呪縛で年を取らない子供のままのシンジは、いつまでもエヴァ(自分にとって居心地の良い世界)を卒業できない私でもあるので、完結ありがとうと言いたい。
エヴァがエヴァのままきちんと落とし前をつけれくれたことに嬉しさがある。
とにかく、製作者や鬱の庵野を支えてくれた方々、宇多田ヒカルありがとう。
8 蛇足
箇条書き感想
重複等あったらすみません▽
・庵野はシンジだと思ったらゲンドウか?
・シンクロ率無限大♾笑う
・パリ以外パチスロ感強い(新カットはマシになった方)
・アスカがシンジにレーション無理くり食べさせるシーン、シンジがまだ人間としてていをなしてる上に情けなさがあって良い(新カットは画角変わって薄れる)
・もしかしてゲンドウの眼鏡われすぎ…?
・綾波が第3村で爆けるシーン分かってたのにびっくりするし悲しい
・デカ波の恐さ
・ミサトさんの反動推進型エンジンね聞けて良かった
・綾波いつでも3歳だな
・シンジとゲンドウ戦うところ刃牙みあった。家で普通に戦ってるところとか
・その後精神性の会話する所はエヴァ
・エヴァは観測者視点からのループか?
・みんなコミュニケーション不足すぎでは?エヴァに関わると大人も成長遅くなるのか?
・大人役のシンジ神木隆之介声良い
・現実を生きろ
正直疲れた…
エヴァは序に始まり、漫画、その後の新劇場版と進んでいった自分ですが、何というかこれまで以上に「考えるな感じろ」感の押し付けがすごい。
元々、作中の専門用語や世界設定への説明が少なかったが、今回は更にそれが多い。また、キャラクターの心情の描写にしても、アニメや漫画はじっくりと見たり読んだりすることで、こちらが理解し、キャラに感情移入するようになるものだが、新劇ではキャラの掘り下げやキャラ同士の絡みが少なく、アスカが昔はシンジのことが好きだった、なんて発言をされてこっちはえぇ…っていうリアクションしかとれず、全く理解できない。また、設定が漫画、アニメ、新劇と微妙に異なったり大きく異なったりして頭がこんがらがってしまう。常に見る側として頭をフル回転させねばならずとても疲れた…。
そして、ラストでほぼ接点がないレイとカヲルがくっついているのをみて思わず気分が悪くなり、漫画ではラストに出てくるはずのアスカが全くいなかったりともやもやするところもあった。
とりあえず、エヴァが好きという点で星2にしました。
追記:他の人のコメントをみたらラストにフードを被ったアスカが居たらしく、全く気がつかなかった…
ジブリEVA?
ジブリエヴァ、と言うと語弊があるなら、イマドキのジャパニメーションになったエヴァ、と言うと雰囲気的にはピッタリするのではと思う。
さすが時流を逃さない一流の作家の作品です。
もっと簡潔に言うなら、角の取れたエヴァンゲリオン。もちろんエヴァであるからには一筋縄でいかないし、庵野氏の性癖はそのままに、庵野味が維持されていることも勿論で、その意味では角が取れているとはとても言えないハズなのだが、コレがしっかり取れている。
その証拠に、20余年胸に棘が刺さり、腫れ物に触るように大切だったこの映像体験が、なんかそんなことはどうでもよくなるのです。たいして理由もなく。
これでおさらば、スッキリしたい人は、拍手喝采で終わるべし。
何か大切なものを喪失した気がしてしかたない人は、部屋を真っ暗にして、映画館みたいにして、旧劇を見るべし。
さて、このシンエヴァを見て気が付いたことは、現実というものには2種あるんだということ。
ひとつは人間がどう生きようが、何を感じようが、太陽が昇って西に沈む普遍の現実と、もう一つは、どんなに時間が経ってもその人が生きて、執着心が消えない限り残り続ける不変の一瞬という現実。
普遍の現実は変わらない様で変わっていきますが、不変の一瞬は過ぎ去った大したことのない、2度と戻らない過去を、愛しくてならないほど輝かせ続けます。
ええ、知ってますよ。執着は不幸の元。でもねえ。さして成功者になったわけでもなく、大したこともできずたいていの人は人生を終わる。普遍の風景しか見えないと、侘しい。
何かコツコツと打ち込めることでも見つけないと、社会や他者の評価してくれる幸福では贖えないものはあります。
でも庵野さんてのは優しいのでしょうね。シンエヴァを見ると旧劇の理解度が上がるから、元に戻ることもできる。勧めもしませんが、執着を否定はしてないんですよね。
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