メランコリアのレビュー・感想・評価
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鬱映画とは違う
トリアー作品、三大鬱映画のひとつを鑑賞
(ニンフォマニアック、アンチクライスト、メランコリア)
鬱映画と言われればそれまでですが
主人公ジャスティン(キルステン・ダンスト)が
はた迷惑な新婦なだけで、なぜ彼女がそんな奇行を
繰り返すのかは描かれていないのでわからない。
まぁあんな母親(シャーロット・ランプリング)と
父親(ジョン・ハート)なら納得するしかないか。
登場人物、全員が感じ悪くて共感できません。
セリグマン(本作ではジャスティンの上司だけどw)の
厭らしい目つきも健在だった🤣
嫌味ったらしいセリフやカメラワークも気持ち悪い。
その反面、映し出される映像と音楽の美しさ
あんな風に惑星が衝突するとは思わないけれど
惑星メランコリアの美しさが「邪悪」な地球の生命体を
浄化してくれるんだぁあと、ジャスティンたちと一緒に
目を瞑って待機したくなった。
もしもトリアー監督がアルマゲドンを作ったら的なラスト
この監督が「アルマゲドン」を作ったらラストはこうなってしまいました???映画史上最悪のラストかもしれません。
あのラストはないだろう。何か希望をもって終わってほしかった。
私の好きなキルスティン・ダンスト もこの役柄は嫌いだ。
でも、なぜか惹きつけられる映像と音楽の不思議な映画だった。
この監督は予測不可能なことをよくやる。ドッグヴィルでは何度も途中で見るのを止めようと思ったが、最後まで我慢して見ていたら、あのラストとなった。あんな奴らは全員死んでしまえば良いと思わせるように観客の感情を操作しているようだ。本当に全員を殺すとは思わなかったが。トリアー監督恐るべし。関係ないけど、トリアーとタイピングすると候補にトリアージが出てくる。ちょっと意味深。
ジャック・バウアーが薄情過ぎる
メランコリアは地球に衝突しないと余裕綽々も束の間で衝突確定したら奥さんも子供も置き去り!?
恐れをなしていたのはK・サザーランドのみなテイタラク。
最後は地球終焉で現実を受け入れる潔い女子たちの生き様。
地球滅亡がテーマでソコを中心に進んでる?関係無い内容が前半から続く。
よくわからなかった
冒頭から不思議な映像が始まって。
いったいどんなジャンルなんだろうと思いましたがSFでしたね。
話の見えない話が続いて少し眠かったです。
登場人物もぶっ飛んでる人が多くて、それが終末だからなのか、元々の人間関係がそうさせるのかよくわかりませんでしたが、とにかくよくわからない不思議な話でした。
地球が滅ぶなら大切な人の側で終わりたいですね。
トリアーの作品をいろいろ観てから鑑賞してください。
トリアー監督の作品はダンサーインザダーク、ドッグヴィル、マンダレイ、イディオッツ、このあたりは観たんですが、どれもすばらしく、ファンです。自分自身の中に無意識にあるゆがんだ道徳観をグシャッとひねりつぶしてくれる感じが、マゾ的な意味で大変気持ちいいです。特にドッグヴィルは秀逸でした。
そういった人間の闇の部分、底まで落ちたと思ったのにさらに存在したもっと深い闇、を作品ごとにどんどん掘り下げてくれます。このメランコリアは、ついには地球そのものを破壊してしまうのですが、僕としてはずいぶんロマンチックな結末を描いたなあと言う印象を受けました。本当は人類には逃げ場もなにもなく、ただ醜く生き続けるしかないことこそが本当の地獄であるはずなのに、この映画はスパッと息の根を止めてくれます。これを救いと受け止めてしまう人間は、トリアーの側の人間ですね。僕はDVDで見ましたが映画館で観たかったです。
次回作のニンフォマニア、期待しています。
甘美なる絶望
自らの鬱病経験を元に、絶望名人(!)トリアー監督の描く、甘美なる絶望。絶望は片思いに似ている。見終わるとその世界観に陶酔してしまうほど、この絶望は甘く切ない。
ワーグナーのオペラ『トリスタンとイゾルテ』の音楽に乗せた、冒頭8分間のプロローグ映像が圧巻だ。このスローモーション映像が本作の全てを物語る。くずおれる馬、がんじがらめの花嫁、空に浮かぶ2つの月。あまりの美しさに息を飲むと共に、この世界の虜になってしまっている自分に気づく。私の片思いの始まりだ。
物語は主人公である2人の姉妹それぞれの名前を付けた2部構成になっている。前半は妹ジャスティンの結婚パーティーが舞台。鬱という病を抱えたジャスティンは、結婚によって今の状況から脱出を計ったのだが、周囲の人々との精神バランスの差から、どんどん鬱状態に陥って行く。鬱病を知らない人々の「当たり前」が彼女にとってどんなに「キツイ状態」であるか、誰も理解してくれない辛さ。しかし“普通の”結婚パーティーに呼ばれたつもりの客や家族たちに、ジャスティンの奇行は、単なる「変人」にしか映らない(つまり悪いのはすべてジャスティン)。無理もない、誰も彼女の心の中を知らないのだから・・・。ただ1人、彼女を愛し理解している姉クレアも、大勢の客の対処に追われ、妹の行動にイラだってしまう。「時々、あなたのことが本当に憎くなる。」本音を言えるのは愛がある証拠。姉の言葉を責めることは誰にもできない。俗物の義兄や職場の上司、娘の結婚に最初から悪意を持っている母(シャーロット・ランプリンの存在感!)、状況を把握できない父、これらの心無い人々にがんじがらめにされる花嫁。笑顔の溢れていた幸福な花嫁が、数時間後には夫も職も失ってしまう様を観るのは辛かった。
後半は、重度の鬱状態に陥ってしまった妹の面倒を見ながら、地球に異常接近して来る惑星メランコリアに怯える姉クレアの物語。青く輝く惑星メランコリアが、“普通の人”であるクレアと、“絶望の人”であるジャスティンに間逆の影響を与えるのが興味深い。守るもの(=家族)のあるクレアは、メランコリアが近付くにつれ、軽いパニック状態に陥っていくが、守るものの何もないジャスティンは、メランコリアのエネルギーを吸収するかのように、日々活気づいていく。2人の対比が非常に良く描けている。地球滅亡はジャスティンにとって、今の状況からの脱出(それが最悪の状態でも、“今”から逃れられればそれで良いのだ。この気持ち、鬱を経験した人は絶対解るはず)に他ならず、惑星メランコリアは自分を救ってくれるヒーローでもある。深夜、全裸で川辺に寝そべり、メランコリアの青い光を全身に受けて恍惚とするジャスティンの美しさは、月の女神アルテミスのようだ。
「メランコリアは絶対に地球にぶつからない」と豪語していたクレアの夫は、妻も幼い息子も見捨てて、安直な逃避に走る卑怯さを見せる中(本作のキーファー・サザーランドはヒーローじゃない。24時間で地球を救ってはくれない・・・笑)、恐怖に押しつぶされそうになりながらも、家族のために食事の準備をするクレアの強さが印象的だ。刻一刻とその“瞬間”が訪れようとしている。
このラストシーンはある種のハッピーエンドと監督が言うように、こんなにも美しいのなら地球滅亡も悪くないかもしれない・・・、その瞬間に手を取り合う人がいれば尚のこと・・・。
他人の結婚式ほど退屈なイベントはない
全米映画批評家協会賞にて、作品賞&主演女優賞の2冠に輝くなど絶賛されている作品なので、意気揚々と劇場に向かったのだが…。
つまんなかった…。
去年の『ツリーオブライフ』同様、キャストと冠の権威に安直に誘われるとロクな事ぁないっていう典型例。
ツリー〜が人類の誕生ならば、今作は人類の終焉がテーマと云えるが、その程良い中間点って無いものかね?
グダグダの自慰ワールドが延々続き、ドデカい睡魔にぶつけられた此方が悪夢の終焉ってなもんだ。
オープニングでの壮大なる衝突・爆発シーンで
「おぉ〜」
っと期待感が高まったものの、見応えは唯一そこだけだった。
あそこだけ観て帰りゃ〜良かったって今更ながら後悔している。
芸術性重視の『アルマゲドン』かなって切り換えて対応しようとしても、ずーっと結婚式で集うワケ有りの家族・仲間達のグチャグチャの泥沼模様やからね。
アンタらのいざこざなんざぁ知らんがな、とっとと死んどくれって了見である。
他人の結婚式ほど退屈なイベントは無いって改めて痛感した。
まあ、キルスティン・ダンスト嬢のオールヌード拝見できただけでも良しとするか。
意外と胸が大きく、美しい裸体だった。
スパイダーマン時代よりだいぶ可愛くなった気がする。
ので、そこのみ評価して20点
後は無い。
有ってたまるか。
そうやって妥協している自分がとてつもなく虚しい。
そろそろ自分自身も終焉時なのかもしれない。
では、最期に短歌を一首
『瞳を閉じて 蠍との距離 踊る花 愛して終わり 地球(ほし)もあなたも』
by全竜
劇場メランコリア。
久しぶりに途中退席をする人の数を数えてしまった作品。
いや、まぁ想像はしていたけど、爆睡過多になる可能性が
かなり大きいことは言うまでもなく…^^;
劇場内はいびきとお菓子袋の音しかしない(スクリーンが静か)
という、異様な静けさ&煩さだったけれど、身体がダルくはない、
(それは、寝てたからだろう!というご指摘、ごもっともです)
ただ劇場サイドに申し上げたいのは、今作をプレミアスクリーン
にて午後の回に上映するのは、いかがなものかと思いますよ。
さぁ~♪眠り~なさい~♪を助長している、と思うんですが…。
惑星メランコリア。
だいたいこのネーミングからして「憂鬱」になるでしょう…^^;
(梓みちよが頭の中でグルグル歌い出しちゃって、これがまた)
監督がそうだったから、こういう作品ができたの。はいいけど、
なんていうのかな、とても正直に描かれ過ぎてついてゆけない。。
異常が正常に戻れる世界が「滅亡」だ。という、かなり心理的な
メッセージが込められているのだが、強すぎるんだわ。病素が。
主人公の行動(家族のも)がいちいち気に障り、進まない展開に
眠くなってきて、ハッと目が覚めてもダンストのアップ。なんだぁ、
さっきから進んでないじゃんと思っていると、また眠くなるという…
どのくらい時間が経ったのかを尋ねたくなるダンスト感。
彼女がニガテ~っていう人は、目覚めが彼女ですから、要注意。
ただこう言っちゃ本当に失礼なんですが^^;
このメランコリックな表情を醸し出せる稀有な顔立ちかもしれない。
一番かわいそうなのは新郎だと思っていたけど、
あの人もダンストに、突然土地を買って、押し付けてましたね。
何しろ登場人物、父親も母親も姉も皆おかしい。
いや、姉はまだイライラしながらも、頑張っていた方なのか…。
いよいよ、という時になって夫はああいうことになるし、子供を
抱えて彼女も神経が参ってしまうワケですね…切に耐えた方が
追いつめられ、鬱に苦しんだ方が解放されるという、この矛盾…
でも運命って、正しい。間違っている。じゃないしなぁ。。
今作で、地球に惑星が衝突して滅亡する。というのは設定上、
心理的外傷を負った人間には、そのくらいの衝撃が加わらないと
すべてにおいて解消されないという、比喩みたいなものなのかな。
世界が滅亡するのにあの家族だけが対象となっている描き方も、
そもそもかなり狭い世界観の中で起きている事象であるという、
この世の終わり。なんていう台詞を個人的に言ってしまう概念。
心を病んだ人間には、どうにかして改善が望まれるだろうが、
それは個々の心理環境に基づいており、他人には計り知れない。
だけどそれだけ大きな不安に苛まれているから、もうそのくらいの
衝撃じゃないと「屁」でもないワケよ。とダンストに言われてるような。
どうして観ているこっちがこんな気分に!?そう思って
トイレに立ったアナタ、出ていかれたアナタ、帰ってしまったアナタ、
自腹料金を解消できなかったことで、メランコリーになりませんよう。
(可哀相な馬たちの、可愛い顔が目に染みる。しかし豪邸だったなぁ)
たいくつでした。
最初の映像は見ごたえあったよ・・・でも長い。
結婚式のシーン、花嫁が他人とアレしたりゴルフ場でアレしたり・・・長いな。
お姉さんが主人公のパートはお姉さんが右往左往するところがまあまあ・・・でも長い。
おっぱいに、0.5点足し。
トリアーはきっとこう言う
正直ここ数年で最も不快な映画。
いきなりめんどくさい映像から映画は始まる。
これを「美しい」という表現をする人は最初からこの映画を見誤る。
というか、どう見てもトリアーの偏屈的な趣味が全開していて美しいわけが無いのだが。
最近は出てくるオンナだけでなく、映像までめんどくさくしてるなあ。
ああ、音楽もうるせえ。バカじゃないのか?
トリアーの映画のオンナがめんどくさいのは、いつもどおり。今回もかつてはかわいかったのに今ブサイクの代名詞のダンストが汚らしく演じてくれる。
かつてかわいかったけど劣化した女優を続けて使っているせいなのか、トリアーの映画とMUTEKIがダブるのはたぶんオレだけだ。
さてそもそのこの話、最初から頭がおかしい、というかあまりにも現実的でない。最初のリムジンのシーンでそれを教えてくれる。披露宴パーティのありさまも全ては不確実なのだ。そこには作り手の言い訳がましさを感じる。
ダンスト演じるジャスティンは、ひたすら世間に対して不誠実なふるまいを行う。ごめんなさい、でも私努力してるのよ、という。
オレもかつてちょっと鬱になったことがあるので、どうしようもないつらさが態度に出て、他人に失礼を働くこと、家族に心配させることもあった。それはわかる。でも一方それは世間で生きていく上では、やはりわかってほしいけど分かって貰えないんだよ。それが世間と言うものだ。
しかし惑星メランコリアが降ってきそう、となると俄然ジャスティンが冴えてくる。メランコリアが降ってくるか、こないか、近くにくるか、遠くに行くか、なんだか偏頭痛の周期みたいだが、実際鬱の周期のようにも描かれている。
しかし、こんなのどう考えても甘えである。
ひたすら前半で私こんなに奇行をしちゃうけど、それは鬱のせいなのよ、と一生懸命訴える。
一方後半で、なにガタガタ騒いでんのよ、子供が怖がってんでしょ。と諭す。
いやいや、アンタが怖いって。
ひたすら自己弁護と自己肯定に終始する。最後は開き直って、世界滅亡レベルだと私、普通でしょ?とか本気で恐ろしい。
トリアーはきっとこう言うヤツなんだぜ?
「世界オワタ メシウマwww」
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