ツリー・オブ・ライフのレビュー・感想・評価
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心の目で観て、感じて、楽しむ映画
予告編を見て結構期待していた作品なんですが、レビューでは賛否両論。
恐る恐るも、この目で観てみなくては…という思いで鑑賞。
全体的にとても穏やかな作品です。そして言えるのは、
この作品に起承転結とか、オチとか、わかりやすさを期待していると、
見事に裏切られるかもしれないということ。
最後はどうなるんだろう…と考えるよりも、
場面、場面から受けとる感覚や思いを大切にして、それを楽しむ。
僕の場合は、そんな観方が最適な映画だなと感じました。
さて、予告編にあるように、挿入されたイメージ映像は、雄大かつ幻想的で素晴らしいです。
冒頭はそんなイメージ映像が多いこともあり、不覚にも睡魔に襲われました…
美しい映像とサウンドがあまりに心地良いので、トランス状態になるんです。
くれぐれも睡眠は十分にとってから鑑賞しましょう。
そんな睡魔も、本筋の家族の話に移ってくると、いつの間にか目がパッチリ。
なるほど、こう繋がるんだ~ってやっと理解。
家族のお話はなかなか感慨深いものがありました。
信条の異なる父と母。それが子供たちの心に大きな葛藤を生むんですが、
この父と母の存在がとても魅力的。
父役 ブラッド・ピットの円熟した演技に、こんなオヤジ役できる程、年とったんだね…
なんて感心しましたが、考えれば実際子供いるんですよね~
母役 ジェシカ・チャステインも素敵。こんな優しく美しい母がいたらな~
この父と母を見ていると、
人にはそれぞれ必要な役回りってのがあるんだなと、つくづく感じます。
その影響を受ける者たちが結果どうなるかは、「神のみぞ知る」なんでしょうけども。
芸術的な映像が目立つ本作ですが、
地味ながら、何気ない日常を切り取った場面にも、中々の妙があります。
国が違うはずなのに、なぜこんなにも懐かしい思いに駆られるのか…
加えてその空気感。
蝉の声や、枝葉の擦れる音、水の滴りなど、わずかに聞こえてくる効果音が絶妙なんでしょうね。
見る人によって見方も異なるかと思いますが、中々無いタイプの貴重な作品でした。
ツリー・オブ・ライフ
この映画で、感じたことを書くのはとても難しいことです。
ツリー・オブ・ライフで描かれていることは、私たちがすでに抱えたり見ている日常とあまりにも近いから。
永遠に続く命の壮大さと、日々の暮らしの中でちっぽけに生きる人間の一生を同じ次元で見ていくというのは、映像になると逆に当たり前すぎるものになってしまうのかもしれません。
ただ、一つだけ言えるのは、この映画の中に登場していた人たち、両親と子供、一人ひとりの心の痛みや与えられた時間を受け入れて生きるということの意味だけは、痛切に私の胸に届いたということです。
自然界では当たり前のことですが、人間の一生も、自分自身のものではなく、命をつなぐための貸し与えられた時間でしかないということを、思い通りにならないままに受け入れることの苦しさは、やはり人間だからだと思うのです。
難しい作品ではありますが、最後まで観た後に、確かな形ある答えではなくとも、私の中に残してくれたものがありました。
そして、このように生身の俳優たちが、挑むように内面をさらけ出して演じてくれることが、映画の魅力であることも思い出させてくれる作品でした。
うねり続け生命の詩
いやあ、眼と耳で観るクラシック曲のような映画だった。
人間ドラマと言うよりも映像詩。
断片的な映像の洪水と楽曲との一体感が非常に心地良い。
もうアルファ波出まくり。
本作で印象的だったのは“うねり”。
光のうねり
星々のうねり
波のうねり
細胞のうねり
煙る星雲、火山、大瀑布
子どもらの動きに合わせて躍動し続けるカメラ
映画に繰り返し登場する、うねりうねる事柄の同調。
うねりとは何だ?
うねりとは脈動だ。流動だ。連続だ。そして、
次の動作が予測できない、不規則な動作だ。
だがこの世に“不規則”など本当に存在するのか?
なにがしかの法則に基づいているのに、
その法則があまりに巨大で膨大で、
我々人間にはその動きを予測できないだけではないのか?
宇宙、海、天変地異、生体活動、そして、人生。
これらを繋ぐ巨大な法則。
それを単に世の不条理と呼ぶか、神と呼ぶか、究極の科学と呼ぶかは人によるが、
本作の節目節目で登場する“光のうねり”は、
その“人には伺い知れない巨大な摂理”の象徴に思えた。
その上で語られる、或る家族の姿。
鑑賞中、映画版『サイレントヒル』のある台詞が浮かんだ。
「子どもにとって母親は神と同じ」
幼い頃は親の言う事が唯一無二のルール。そこに間違いは無いと信じてたし、
その親同士が喧嘩すると世界が瓦解するような気分に襲われた。
この映画の少年が募らせた神への不信も親への不信に他ならない。
これも一種の信仰。
劇中で、母と息子は己に問うているようだ。
『あんなに優しく美しい息子がなぜ死ななければならなかったの?』
『こんな無機質で虚しい俺の人生に意味などあるのか?』
悲しみに耐えて生きなければならない理由がほしい。
神への奉仕でも、
家族への愛でも、
なんでもいいから、
生きること、死ぬことに理由を与えてほしい。
理由なんて無いかもしれない。
けれど人間の生と死が無価値だなんて、一体全体誰が本気で信じたがる?
人は様々な悲しみに、何らかの方法で折り合いを付けて生きてる。
この母親の場合はそれが神への信仰だっただけだ。
宗教という言葉に身構えてしまう僕だが、本作のは
金儲けの為の宗教でも
権威主義者の宗教でも
他人の思想に不寛容な宗教でも無い。
ただ生きたいが為の宗教だ。
僕らと何も違わない。
みんな歯ぁ食い縛って、世の不条理に耐えて生きてるだけだ。
<2011/8/15鑑賞>
あまり面白くない
う〜〜ん
よく分かんねー
難しいよね
なんか自然な風景流しすぎって感じ
穏やかな映画かな〜って思ってたら、それ以上に穏やかだった(笑)
ショーンペンとかなにしてるか分かんない
あそこどこなんだろ?なにか天国的な?
人生の……わかんね
ブラピ好きなのになあ
他の人のレビュー見てるとみんな納得してるから怖いなあ(笑)
5.0とかつけてる人って映画通かな?
どう考えても納得できない映画です
こういう映画ってさ〜
観念的な映画と言えばそうだけど、その部分さえも映像表現するのが映画で、そういう意味合いにおいて、カンヌで受賞するほどの表現だったんでしょうか??
「全てのものが宇宙から始まっている」という、なんの感慨も湧かないようなテーマを、陳腐な映像表現で延々と押し付ける。砂浜で多くの人がウロウロしているシーンで、大川隆法の巨大なアップが空に浮かんできそうで・・・そんな感じですかね!
意味が有ろうとなかろうと、続いていくもの。
良かった! とか 最悪! とか。ベスト何位! とかじゃ語れない。
特別賞で殿堂入り!
ある家族の話と観念世界の映像が交互にグワーと来て、意味は分かんない。
説明もできない。
いや、そもそも意味なんて要るのか?
説明できる事が大切なことなのか?
母親がキリスト教徒ということになってるけど、神との対話がベース。
キリスト教徒じゃないから分からない! なんてナンセンスだと思う。
根本にあるのは、生命への疑問や意味。命って?生きるって?って事。
ある一家がクローズアップされ、たくさんの出来事が起こる。
良い事も悪い事も。
それに意味があるのか?どうしてなのか?最後まで分からない。
でも生きるってそうじゃない。
皆、意味もなく生き死ぬやんか。
彼らは映画では、主人公だけれども、ただの命の繫がりの一部分を切り取っただけ。
あらゆるものは繫がり、繋がってるがゆえに縛られ、永続的に巡り巡る。
あらゆるものが親に影響され縛られる。ネコからイヌは生まれないし、猿から一気に人間になったりしない。DNAは繫がりを証明し続ける。
ただ、人間は感情を持ち考えるから、厄介なん。
感情も思考も生き方さえも影響され縛られる。
どう生きたいのか迷い、自分らしい生き方を模索する。親に影響されてることにさえ気付き苦しむ。
全ては永続的に繰り返されてきたこと。命は意味もなく生きては死ぬ。
だいたい意味なんて要るのだろうか。
わたしだけの命に永遠はないけれど、命を巡る繫がりは永遠に続いていく。
私たちが生きてるのは永遠の中の一瞬で、一瞬の中の永遠なんだろう。
じゃあ、その儚い一瞬を精一杯生きたいと思う。
尊大なテーマ
今回は、特にストーリーや観た方の感想なども見ず、
急に時間ができたので映画館へ行ったのですが、
先入観なしに観たので余計に新鮮でした。
人物のない映像と音声だけで、
あれほど心情や生命を表現できるなんて
すごいと心から感心しました。
今日は一人で美術館に行きたい気分だったので、
まさかの音楽付きであんなに綺麗な映像が観れて感動しました。
すうーっと心が洗われるような感覚でした。
初めて観る感覚の映画で、
独特なカメラの動きや映画の撮り方に見入ってしまいました。
尊大なテーマですね。
私も、私を取り囲むものも、
過去もいまも未来までも、
とてもちっぽけなものに感じました。
この映画をみたら、
何があっても受け入れられるような気がします。
強さというより、あきらめに近い。
だけど虚しくもない。
より人が愛しくなり、より寛大になれた気がします。
観る人によって感じ方も捉え方も幅広い、
色んなことを考えさせられる映画でした。
100人いたら、100通りの解釈ができそうです。
ちなみに主人は途中から寝てました。
(ショックです。が、睡眠不足だと思いきり眠気はきそう。)
我が子2人はまだ小さいですが、
きちんと向き合って、
日々を大切に生きていきたいと思います。
2011年宇宙の旅?と生きる意味
何とも不思議な映画で、正直かなり面食らいながら観ていたが、終わってみると、とても映画らしい映画だとも思える。監督がどのような宗教観をもった哲学者なのか知らないが、哲学者にして映画監督であることが、この映画の制作を可能にしたのだ。台詞を少なくし、解釈を観客にゆだねている点や、映像と音楽/音響のみで宇宙や生命進化を描写していくあたりは確かにキューブリックの「2001年宇宙の旅」と似ているところがある。
この映画を観て、こんなふうに感じた。
この宇宙には、創造主が存在する。それは、宇宙が高度に複雑な法則に従って組み立てられ、その中で生命が誕生し進化してきたことからわかる。偶然の積み重ねでは説明できない。
しかし創造主とは、キリスト教が唱えるような、人を救う存在ではなく、また罰する存在でもない。神は与え、奪い、救い、罰するというまるで相反することを人間に対し行っているように見えるが、そうではない。創造主は、もともと人間など遥かに超越していて、人間の存在など、この広大無辺な宇宙ではとるに足りないものなのだ。
そうでなければ、3月の震災で突然あまりにも多くの人々の命が奪われた理由は説明できない。この震災を天罰だと言い放ったどこかの都知事がいるが、天罰を与えられるとすれば、原発で多額の利益を得、原発のおかげで電気を湯水のように使ってきた人々であろう。創造主は無慈悲、というよりは人間に対し無関心なのだ。善人がしばしば悪人よりも不幸な目に合うのも、神が人間の行いなど見てなどいないからなのだ。
父の教えに従い、仕事に成功はしたが「世の中は悪くなる一方だ。人々はどんどん欲深くなる、他人を支配しようとする」とつぶやき、仕事に疲れ家庭も冷え切った長男ジャックが、人生を振り返り、父と母、兄弟のことを想い出す課程で、救いを見いだしたのがラストシーンであろう。救いを求めるのは神ではなく、自分自身であり、家族である、とのメッセージではないかと解釈した。
監督がこの映画で意図したのは、一方的にこれが正しいと主張するのではなく、観客が生きる意味を考え、生きるよりどころを見いだすきっかけを提供したかったのではないかと感じた。様々な解釈が可能な映画だ。小説ではこのようにはいかないであろう。
CGによる映像群は見事で、とくに木星の映像は、鮮烈で印象に残った。
ところで、多くのクラシック音楽が効果的に使用されているのにパンフレットには音楽については全く言及がない。曲の一覧くらいは載せて欲しかった。
監督の哲学講義。
多くの方が指摘しているように、なんかもう、映像がねぇ^^;
あまりに壮大過ぎて、捉えどころを失っている作品。
予告で観る限り、父と子の運命(とはいえよくある話)だけど、
天地創造のごとく、恐竜は出てくるわ、モルダウは流れるわ、
いったいどこへ視点を向ければいいのか憚られるほどの内容。
理解できるかよりも、そういう風に作ってないと思いますねぇ。
というのは、製作を兼任したブラピのインタビューを聞いて。
なんで自分のような小さな製作会社に監督が本作の映画化を
持ち込んできたのか?謎^^;に思っていたが、どうにも万人ウケ
する話ではない。だからこのくらいの規模の会社で丁度よかった、
カンヌでパルムドールが獲れたのはご褒美のようなもの。
父親役も自分以外の俳優に決まっていたのに降板、監督に言われ
代わりに自分が演じたそうだ。
ふむふむ…。もともとT・マリックって有名大学を二つも出ていて、
監督してない時は教授として教鞭もとっている。だから映画製作は
その彼が論ずる哲学論の延長、講義だと思って観てみると、あ~
それでこういう感じなのか~。って納得がいくような感じがした。
彼にしてみれば、自分が論じたいテーマを哲学的な映像にのせて、
壮大で限りない人間界のメッセージ(実は一般家庭の家族のお話)に
転化させたような、う~ん…やっぱり映像作家さんなんですかねぇ。
偉大、壮大、物語はとるに足らない(スイマセン^^;)、みたいな。
実業家として成功した息子が思い出すのは自身の暮らした過去、
横暴で支配的な父と慈悲深い母、そして可愛い弟たち。思春期に
入り、それぞれが父への反抗を胸に成長、成功への期待を背負う
父は仕事に身を投じ、子供達への風当たりは更に強くなっていく。
時を現在にした冒頭、真中の弟が亡くなったという知らせが入る。
幸福だった家族に走る哀しみの連鎖。兄と弟の絆が過去に戻って
さらに延々と描かれる…。生命誕生とか…そんな世界も含めつつ。
思うにこの一家の長である父親、確かに横暴で支配的なんだけど、
こんなん昔の父親は誰でもそうだったけどな。うちの父親もそう。
子供からすればまったく理不尽な取り決めや^^;マナーの崇拝^^;
今じゃ、バカな!?(爆)と思えるくらい子供の頃は親が怖かった。
父親を殺したいほど憎む長男の気持ちもなんとなくわかる~(爆)
それは、珍しいことなんかじゃないのだ。誰もが大人になろうと
して、親の擁護から離れていこうとする段階の、ほんの反抗心の
端くれみたいなもの。それを優しい母親が包み込み、大丈夫だよと
胸に戻すわけだ。そんな行きつ戻りつを繰り返して子供は成長する。
親が憎い。自分がその親に似ているのはもっと憎い。でも、自分が
この人の子供である事実は変えられない。良いところも悪いところも
ぜーんぶこの人を映す鏡が自分。そろそろ認めるしかない。となって、
いつの日にか父子は和解を試みる。…ここはけっこう感動できた。
愚かな父親は自身を反省する。ただ、強くなって欲しかったんだと。
賢い息子は自身を照らし合わせる。僕は、あなたに似ているんだと。
あーこれでいい。と愚かな私は思った。親子なんてこんなものだよ。
完璧じゃないから同じ失敗をする。それを分かち合えるのが家族だ。
思春期真っ只中、異性への好奇心からおかしな行動をとったり、
他人の家を壊してみたり、まったく破壊的な行動のひとつひとつが
逆に懐かしく思い出せるんじゃないだろうか。弟を失った哀しみの
その何倍もの幸せや恩恵を、今までもこれからも、享受できる人生。
エレベーターから逃避した世界で彼が見たものは偶像というよりも
過去が啓示してくれる明るい未来、運命はこう導かれるものなのか、
なんて少しは明るく捉えて前向きに生きてってくれよ!っていう弟の
メッセージだと私は受け取りたいなぁ。
悪い話じゃない。だけど万人ウケはしない。そして意味も分からない。
だけどテーマはスッと立ち上がってくるような不思議な快感を覚えた。
(感想も意味不明になってますね^^;まぁ大樹の如くノビノビと生きよ~)
一番苦手な部類の映画。何がどう苦手なのかは眠くて何も覚えちゃいない
今年観た映画の中で一番アカンかった。
何がオモロいのかサッパリわからない。
厳格な父親(ブラッド・ピット)と優しい母親のいる平凡な一家だったが、次男の死をキッカケに家族の絆が崩壊する。
後に社会人となった長男をショーン・ペンが演じており、幼少期と現代との2つの時代から確執に迫り、ドロドロの骨肉の争いに突入するかと思いきや、家族そっちのけでなぜか宇宙空間へワープ。
ビッグバンによる地球誕生の歴史が延々と続き、我々の頭には“??”がどしゃ降り。
イグアノドンが大地を疾走する件で、さすがにシビレを切らし、
「ブラピ一家はどこ行ったんや?!」
と捜索願を提出したくなった。
家族に焦点が戻っても、頑固で子供達に絶対服従を強いる陰湿なブラピの親父っさんに、イヤイヤ付き合い、成長するに連れて、距離感に疑問を抱く。
その生活がホント〜につまんなそうで、子供達の無表情振りが否応無しに脳髄に染み込んでいく。
家族とは退屈の極みの集合体の象徴であるとすら感じた。
常に宇宙と家族との繰り返しで、次男の死の真相はそっちのけ。
家族のいざこざなぞ所詮、宇宙から観たら土星の輪っかの破片みたいなものって意味かもしれないが、飛躍しすぎにも程がある。
んで、結局、「おお、神よ…」
っと空に祈って、はいオシマイ。
って何じゃそりゃ、そのサゲは!?
物語性は皆無に等しく、家族につきまとう不協和音や苛立ちは、表情や空気で察してくださいっと言い残し、一枚一枚の絵を静かに何千枚を並べていき、ニュアンスで観客個人に理解度を委ねていく。
芸術的と称すれば、聞こえは宜しいが、丸投げやないか?無責任や、基本的な起承転結ぐらい作れと言い捨てちまえば、それまでである。
なぜ産まれてきたのか?
なぜ生きているのか?
生命とは?
自立とは?
僕って何?
親って何?
家族って何?
そして、愛って何?
答え無き議題に粘着質に自問自答し続ける。
ネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチと…。
そんなんエヴァンゲリオンの最終回観たら30分で済む。
こんなん批評ちゃうね。
まあ、いいや
最後に短歌を一首
『神に問ふ 愛奪うのも 道なのか 木陰に集ふ 宇宙(そら)をみる距離』
by全竜
#6
この映画、私は好きです。
私は、≪心で感じて≫というのが映画を観るうえでのモットーなのですが、この映画はまさに≪心で感じて≫観る映画ではないのかなあと思いました。
頭で考えて観なかったのできちんと映画の主旨を理解出来ているかは分かりませんが、観終わった後にしっかりと胸に残るものがあってすごく心地よかった。
そして、自分でもよく分からないけど途中からずっと涙がとまらなかった。自分でもびっくりするくらいでした。心が浄化された感じです。
いろいろ頑張って理解しようとしない方がこの映画を楽しめるかもしれないです。
樹のようにつながっている
皆さん、こんにちは(いま、8月26日pm6:30頃です)
う~ん、哲学的だな。
哲学というものをどう捉えるか?
それによって、この映画の評価は変わるだろう。
哲学?そんなものは結構。もっと、楽しいやつが好きなんだというひと。
哲学って好きなんだ。高校のときの「倫理社会」の授業も、ほかのとは
違って興味を持って聴いたもんだというひと。
それは様々でしょうが、僕は好きだったんです。
ミクロとマクロ。人間の息遣いと、宇宙や自然の成り立ちといったらいいんだろうか。その両方が交互に現れる。
ミクロは少年の息遣い・・・誰にも経験があるだろう、光景。
父性愛とそれに対する憎悪。男は強くなくちゃいけないんだという。そして、自分を大きく見せようとする父親。それに反発する少年。
母親のぬくもりと嫌悪感。こよなく愛しているのに、父親に服従ばかりしているじゃないかとなじる少年。弟たちに対する思いとジェラシー。
好きになった女の子に、わざとつらく当たる。そのくせ、彼女の下着を盗んだりするが、あわてて川に捨てる。そういった諸々の自分に対する罪悪感。
マクロは宇宙と地球と大自然と、その営々と連なった歴史だ。
火が燃えてる幻想的なシーンが何度も現れる。
宇宙史というのか地球史というのか。まだ、人間が生まれる前の世界。その生い立ちのなかに、山がぶつかり、できあがる。
恐竜たちの熾烈な戦いもあり、弱肉強食の世界もあったりする。
その過程のなかで偶然にも、人間が現れる。
ミクロとマクロを結びつけるのが、宗教であり、哲学だ。
泉のような永遠の世界。父親も、母親も、兄弟たちも、かわらぬ姿で登場する。そう、それは「この世」というより「あの世」というべき世界。
そうまさしくイマジネーションの世界。宗教的というより、マリック監督が突き詰めた想像力「哲学」なのだ。
正直、ストーリーはドラマチックではないし、役者もブラッド・ピットはよかったけれど、ショーン・ペンの演技力は必要としないんじゃないかと思ったりした。
だけど、哲学的世界を思いっきり広げた映画をリスペクトしたい。
現代人に、捧ぐ
「シン・レッド・ライン」などの作品で知られるテレンス・マリック監督が、ブラッド・ピットを主演に迎えて描く壮大な家族ドラマ。
この夏、最も映画館で観賞すべき映画として注目された「トランスフォーマー・ダークサイドムーン」。そして今、別の観点で最も映画館での観賞が相応しい、いや、映画館でなければ観賞するべきではない作品が出現した。それこそが、本作である。
一組の家族を軸に、人間の絆、愛、生きることを根源から見つめ直すというテーマを掲げて製作された本作。冷静に考えて観賞すれば、ごく普通の家族でごく普通に発生する反抗期、ちょっとした家庭不和を語る作品なのだが、その語り口が全知全能の神様を持ち出した混沌映像詩として語られているものだから、神話にでもなってしまいそうな壮大、かつ壮絶な葛藤の歴史絵巻のような色合いを帯びて観客にぶつかってくる。
のどかな公園で一人、人類愛を叫ぶファンキーな詩人を見ているようで、何だか気恥ずかしくなってしまうのは私だけか。
この作品を家庭のテレビ、または小さなパソコンの画面で観賞してしまうと、暗闇という物語へと問答無用に引きずり込む引力の要素を失ってしまうために、映画への愛ばかり溢れた素人監督の前衛作品のようにインパクトばかりが一人歩きするという危険性を孕む。
観客は家族の井戸端騒ぎばかりを追いかけることになるので、もう観賞どころの話ではなくなるほどに、顔を赤らめてしまうこと必至。まさに、映画館の暗闇という異質のフィールドだからこそ許される作り手の創意工夫が光る生真面目映画だろう。
作品を構築する土台が宗教色の強い観念であるので若干気後れする部分があるが、そのような方のために壮大な風景描写であったり、華麗な地球の創造描写がそつなく用意されているので、もう真夏の疲れを搾り出すようにたっぷりと、暗闇の安眠を楽しませてくれるという親切設計。不意に起きて、渋いピットとペンの男くさい魅力を味わってみたり。また、寝たり。まさに、心と体を休めたい現代人のために、用意された作品だろう。
それにしても、このようなハリウッド娯楽色を拭き取った意欲作にあって堂々と製作を買って出て、意気揚々と厳格な親父を演じてしまうピット様の大らかさと、俳優としての幅の広さには大いに頼もしさを感じる。単なる一過性のスターに納まらない魅力をもった、真の映画人として評価したい。
長すぎ
宗教色の強い映画。家族の話の時は引き込まれていったが、キリスト教の内容になってからは、最初こそちょっと驚いて面白かったが、あまりにも長すぎて、途中で飽きた。予告から想像される内容とあまりにも違うので、見終わった後、みんなの不満げな感じがひしひし伝わってきた。
期待した映画でなかった
カンヌのパルムドールを取った作品というので映画館に足を運びました。物語のストーリーは単純だけど、ヒーリング映画というかただ見ているだけで心が癒される映画だと思いました。確かに映像もお音楽も素晴らしい。ストーリーとかドラマを期待すると残念な映画ですが、これはこれで良い映画だと思いました。
感じる映画
評価は、あくまでも個人的な点数です。
というか、この映画ほど評価点数が意味を成さない映画も珍しいと思います。
ストーリーは終始解りにくいし、映像も抽象的。
宗教的知識を必要とする場面も少なくない。
ともすれば退屈な映画、眠くもなるだろう。
実際映画館で観たときは、何人か途中で席を立っていました。
しかし、それでもこの映画を推したいです。
そもそもこの映画、解ろうとして観る映画じゃない気がします。
映画に対して完璧な理解が得られなくても、
家族に対する考え方、「神様」に対して日頃無意識に思っていること、そして私たちがふとした時に感じる「生命」や「生き死に」への根源的な畏怖…
そういった様々な感情が、この映画を観ていると自然に引き出されてきました。
映像面は完璧。こんなに心地いい映像を劇場で観られただけでも価値があった。演技も最高。
音楽、モルダウが本当にいい場面で流れる。サントラ買い決定しました。
万人受けする映画では、間違いなく無いです。
カタルシスを得られる映画、号泣出来る映画は、山ほどあります。
デート用の映画、ファミリー向け映画も、沢山上映中です。
しかし、心で「感じる」映画を求めているなら、この一本でしょう。
個人的には、空いている映画館で、独りで観る事をおススメします。
神と人間の関係を、父子の葛藤に置き換えて描いた作品。難解+爆睡(^^ゞ
難解とは聞いていましたが、余りに深遠な哲学的な内容に、全編爆睡してしまいました。従って記憶の断片でレビューを書き込みすることをお許し下さい。
字幕翻訳者のベテラン戸田奈津子さんに言わせれば、本作は21世紀の『2001年宇宙の旅』だ!と評していました。なるほど、象徴的な映像が多く、そのワンカットごとに深い意味が込められていそうで、共通点を感じさせられます。
但しドラマとしてみていった場合本筋に全く関係ない風景ショットの連続には閉口してしまいました。ウトウトとしていたので、今日見にいく『ライフ』の試写会に来ているのかのような錯覚に囚われてしまうほどでした。
監督の言わんとするところは、よくある親子の葛藤を描くことに留まらず、ひとりの人間が生きていくことの意味を映像化したかったようなのです。仏教でいえば「諸法無我」と同意になる命の起源とつながりを挿入することで、主人公が存在している背景には、こんな無数の関係性があるのだよ。ひとりひとりは、独立して生きていくことは困難で、みんな依存し合って生きている無我なんだということが言いたかったのでしょうか。
タイトルの『生命の樹』というのは、聖書にも仏典にもおよそ世界宗教に扱われている概念。個々のいのちは独立しているようで、実は一本のいのちの樹に繋がっているという考え方です。およそ宗教が、今のように各宗に別れて相争う状態となる前のもとなる教えの時からあった根本概念なのでしょう。
劇中に描かれるジャック父子の確執は、本作にあってはむしろ伏線にしか過ぎません。恐竜時代まで登場する原始からの命の系譜があくまで本筋。それでこの父子の確執の意味するところは冒頭に旧約聖書のヨブ記の話が登場してくるように、神と人間の関係の比喩なんですね。威圧的な父親像は、人間を罰するユダヤ教やキリスト教の主なる裁き神になぞらえているのだと思います。その辺はフロイトやユングの心理学を彷彿されるものがあります。
キリスト教にならずとも、信仰を持つものにとって悩ましいことに、油断するとヨブのように打算的になり神仏と取引しがちになることです。信じてやるから金よこせ(^^ゞ見たいに。あるいは逆境の時に、自分は神仏に見放されたと勝手に信仰を投げ出してしまうことです。神仏の救いとは、世の父親に似て、決してその子供たちを突き放しているのではなく、魂が鍛えあげられる成長を暖かく見守ってるだけなんですね。しかし、子供の目からは、困ったときに手を差し伸べてくれない神仏に対して、勝手に見放されたと思い込んでしまう。さらに危機が迫ってくるとは知らず、神仏の示した戒律には逆らって自由を主張する。人間と神仏との関係は、実にこの作品に登場する父子にそっくりなんです。だから、信仰深い母親は、目に見える「あなた(神)」へ問いかけて、神に愛されている自覚を取り戻そうとするわけなんですね。
本作を分かりにくくしているもう一つの要因は、ジャックの少年時代と中年時代の二つの描かれる時間軸に全くつながりがないことです。それが、極端に断片化されて交差するものだから、まるでピカソの絵を見ているような混乱に陥ってしまうことです。
映像や音楽自体のクオリティは素晴らしいものを感じさせます。但し、分かりやすくて楽しい仕上がりの作品とは決して言えません。西欧的な一神教の風土に共感できるかどうかで評価が別れることでしょう。見にいくからには、それなりに睡眠を充分取って、気力充分で行かれることをお勧めします。
すばらしい最高傑作
キリスト教的という評価もあるが、じつは反キリスト教的な要素も多く含まれているのではないか。
正反対のものが、渾然と境界をはっきりしないまま同居する。抽象と具象。自然と人工。慈悲と無慈悲。生と死。
「恐竜のCGがいまいち」と思うのは、「生きている恐竜が実在しない」というわたしたちの知識がそう思わせるのであり、土星や木星、太陽、溶岩、、、などについては、CGの可能性があるとは考えずに見てしまう。
見るものに深く問いかける映画である。
音楽もいい。わたしは、モルダウの出だしのところや、何回か繰り返されるシチリアーナで思わず涙が出てしまいました。
ショーンペンは、こういう少年が大人になったときの役に◎。
評価を満点にしなかったのは、プロモーションの内容が、あまりにも違うため。
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