ツリー・オブ・ライフのレビュー・感想・評価
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娯楽映画ではない
絶対にデート向きではありません!!意外すぎる内容に、失礼ながら、もうわけがわからず途中で爆笑してしまいました。別に、悪い映画ではないと思います。ただ、ブラピやショーンペンの名前だけで見に行くと大後悔します。かなり長い映画ですし。宗教観念がテーマだということはすぐに気がつきましたが、それにしても映像のテーマがランダム過ぎて意味不明です。ウーパールーパーとかまで出てきて、もう何でもありで、???って感じです(笑)この映画を大絶賛する人は、この映画を理解出来ない人たちを非難するんだろうな、とも思いつつ、私はこれは楽しめなかったですね。個人的に「未来世紀ブラジル」みたいな一般的受けしない映画も好きですが、だからってそれがみんなにとって面白い映画だとは思わないので、私の今回の意見もご容赦ください。ツリーオブライフは、映像は奇麗だし子役の演技なんかも最高でしたが、ちょっと偏った宗教観のおしつけがましい感じが漂っていたので、残念ながら好感は全く持てませんでした。学校はずっとキリスト教系の学校でしたし、キリスト教への理解もありますが、これはちょっと違和感のある映画でした。
自分には合わなかった
今の自分は、いったいどこから来たのか、心はどのように形成されていったのか、そのルーツを辿る。だがこの作品、単にルーツを辿るドラマとは言い難い。抽象的な表現が多く、そのルーツも“生命誕生”にまで遡る。神の存在も見え隠れする。
これはむしろ現代版「2001年宇宙の旅」といえる。
ネーチャー的な映像が主で、ドラマがそれを補完する独特の構成は、多角的な目線で捉えた映像が実に美しい。気持ちがよくなって眠ってしまいそうだ。
このテレンス・マリック監督、映画の製作にあたって通常の絵コンテを描くのだろうか? すごく興味深い。
もちろん、できあがった作品にカット割りはあるのだが、そのどれもが通常より遙かに長回ししたフィルムを素材に、それらを紡いで一本の作品にしたように見える。明らかに通常の編集作業とは異なる気がしてならない。もし、そうだとすると、もの凄い量のフィルムを消費して作品が作られたことになる。VFXのパートも、そこまでやるかというほど多い。
そこまでしてテレンス・マリック監督が訴えたかったものは何か? そこに共有できる価値観があれば素晴らしい作品なのかも知れない。
だが、自分には合わなかった。睡魔と闘うので精一杯だった。
ビスタ・サイズとは思えない画面の広がりと奥行きは賞賛できる。
p.s. 若きジャックと中年ジャック(ショーン・ペン)も似ているが、オブライエンの才能を引く次男R.L.の顔がブラピにそっくり。
ヨブ記でなくてもいいじゃない
いい子でいたいのに、いつまでもいい子でいられない。この映画の主人公も、旧約聖書のヨブも同じである。いや、いい子でいようとしても、とかく「父」は自分のあらを探して、すぐに罰をあたえるのだ。
自分が自分のままでいると、罰せられる。「父」の言いつけを守っていてもやっぱり罰せられる。なぜなんだ!という問いがこの映画のテーマになっている。
この問いは思春期の少年の問いである。「非行」とは、少年の無意識の行動が悪として断ぜられることだ。ご近所の窓ガラスを礫で割るのは少年たちの狂騒の結果だし、お隣の女性の下着を盗む行為は悪ではなく恥辱として認識される。それは本人にとっては、生きる必然のさなかにある行いである。もし悪いことだと自覚してやったら、その作為はもう「非行」ではなく犯罪だからだ。だが、同時にその行いは、少年のイノセンスとは無関係に、大人のまなざしや世の掟から、悪とも見なされうる。
少年の無言の問いは、「僕のどこが悪い?」にある。
それはヨブが神に向かって発した問いと同じだ。
映画の冒頭に引用された旧約聖書ヨブ記の言葉は、そのときの神の答えである。
「わたしが大地を据えたとき、おまえがどこにいたか答えてみよ。」
おまえは善悪を判断する主体であると思いこんでいるかもしれないが、わたしが天地を創造したときには影も形もなかったんだぞ、という意味だ。宇宙や自然の大きな秩序の一部に過ぎない人間が、自ら「いい子」かどうか、罪をおかしたかどうか、罰せられるべきかどうか、判断するなんてことはできないという意味だ。
「いい子」だからほめられたり、「わるい子」だから罰せらるわけではない。それはほめられるために「いい子」を演じたり、罰をおそれて「わるい子」を忌避したりする作為を戒める言葉でもある。純粋に神への信仰とは「いい子」を演じて、何かを得ようとする作為から解放された無償性にあるのだと言う意味である。
映画はこのヨブ記を下敷きに構想されている。この信仰の無償性を説いた旧約聖書の一章を計算に入れておかないと、理解不能の映画になるかもしれない。
で、感想をいえば、つまらない。主人公の回想シーンに登場する少年は存在感があってとてもいい。見事なキャスティングだと思う。思春期の少年がぐれる話だと思えばなかなかよくできている。しかし、大方の感想にあるように宇宙創生から現代に至る長丁場の映像は無駄に長い。キャメラワークも同じ。台詞の少ない映画なのに、映像の「おしゃべり」がうるさいのだ。
なぜこんな映像が必要だったのか?宇宙創生以来はじめて、自らに善とはなにかを問う人間という存在が現れる。宇宙の大きさに比べて塵芥ほどの存在が、不遜にも神の秩序を問い詰めるのである。その人間たち、つまりこの映画の家族たちが地球上にドラマを演じるまでの天文学的なひろがりと時間とを映像化した意図はわかる。わかるけれど、気持ちはちっともついていかない。
同様に、成長した主人公が天上的な幻想の中に踏み込んでいくシーンがラストに出てくるが、気持ちは高ぶらない。この映画のクライマックスなのに、よくできたカレンダーのグラフィックを見せられているようで、視覚的な美しさを除外すれば、ほとんど空っぽの映像である。そこはおそらく、死後の世界であり、天上的な場所であり、家族が和解していく場所でもあり、その和解を静かに受け入れようとする主人公の心象でもある。だがこの静けさはうわべのものだ。映像を作り出した技術者たちがその粋をこらして、舌なめずりしながら、どんなもんだいと作為している悪趣味の映像である。
ヨブ記のテーマはたしかに普遍的なものだ。しかしその物語をトレースしたところで、人の気持ちは動かない。ヨブ記を知らなくても、ドストエフスキーのカラマゾフは読める。
ならばなぜ、この映画はヨブ記を知らないアジアの東の果ての人たちを感動させないのか。
理由は簡単だ。物語はトレースしてみたが、テーマの普遍性には届かなかったということだ。「ヨブ記を扱いました」といえば、それだけでヨーロッパやアメリカでは受ける。日本で「戦艦大和の最期」をテーマにすればどんな陳腐な映画でも興行収入にめどが立つのと同じである。
結論。この映画は西欧人しかわからない(?)ローカル映画である。
個人的感想ですが…
大人になった長男(ショーンペン)は死んでる、または臨終寸前ではないのでしょうか?
時々、心電図のような音が聞こえますし、一緒に暮らしていると思われる女性は正装して花束を用意、あれは見舞いか墓に供える花束かな…
なんかシックスセンスと同じように思いました。
映像は美しく、俳優たちの演技もすばらしいが、観念的!
観る前から、単純な映画でないことは覚悟していたが、やはりよくわからなかった。まず、キリスト教をよく知らないので、ヨブ記と言われても何の事だかさっぱりわからないし、その考え方にもついていけなかった。仏教的?だと、信じる者は救われるのかと思ったら、この映画の引用をつなげていくと、いくら信じていても災いはやってくるようだし、それでも信仰せよってつらくないか? 過去のパートの家族の描写はなかなか良いと思うが、次男が何故亡くなったかがラストに描かれるのかと思ったら、そうでもないし、話が飛躍して大きくなりすぎて理解を超えていた。わかる人にはわかる映画なんですかね???
ああー、これは難しい
正直なぜこっちを全国公開にしてミスターノーバディを小規模公開にしたのか理解に苦しむ。
こちらの方がよっぽど難しいだろうに。
まさかブラピ目的でツリー・オブ・ライフを観に行った愚かな人がいないことを願って止まない。
宗教意識の低い日本人には理解が困難であることは確実である。もちろん私も含めて。
大学で宗教学を専攻している、もしくはしていた人にはきっと大変興味深い内容だったと推測できる。
しかし、父との確執にはかなり共感できる部分があったし、映像表現もミスターノーバディに劣らず素晴らしかった。
暇なときに観たい一本。
映画?
この映画はぶっ飛んでる。
タランティーノ的なぶっ飛び方とは全然違うが通じるものがある。
映画という定義が正しいのか?
初めてのジャンルなので評価は出来ない。
正直、字幕を見ないでも全然いける。
ブラッド・ピットの子供役が
ブラッド・ピットの実の子かと思うぐらいに似てた。
ショーン・ペンは何でこの映画に出演したんだろ・・・
地球の神秘、宇宙の神秘、生命の神秘を表現する為か、
ナショナルジオグラフィック的な映像(実写とCG)が永遠と流れる。
これは映画か?
芸術作品として観れば良いのか?
カンヌ受賞作品として期待して観にいくと、肩透かしを食らうかな。
これが受賞作?
5本しか撮っていないというテレンス・マリック監督の作品。ブラッド・ピットとショーン・ペンというハリウッドの2大スターの競演。2001年宇宙の旅に共通するテーマ・・・という宣伝に惑わされて期待感いっぱいだったが、「何じゃ、こりゃ」という期待はずれ。久しぶりの「金返せ!」というがっかりの映画。
テレンス・マリック、買いかぶりじゃあないの。
久々の爆睡zzzz
やはり私には
カンヌ受賞作品
なによりテレンス・マリックは鬼門だった。
予想のごとくの爆睡。
爆睡者が言うのも何だが、
他人のいびきの轟く劇場も久々だったな~~!!
かつて、
テレンスってあんまり共興的に日本ではいい感じでない気がしたけど
ミニシアターでのゆっくり楽しむ映画な作品で
ブラピ&ショーンペン
テレビ広告に誘導され満席の劇場
最初から爆睡覚悟の私と違い
もっと何かを期待された観客が文句を申して帰る方多数!!
私のように爆睡覚悟でテレンスに挑むとか
耽美・・・
さすれば文句も自分に合わないですむはずです。
限定できないテーマ
神様はなぜこの地球を創り、生命を創り、私達を出会わせ、子供を産ませたのか。そして、なぜ交通事故で死んでしまう"運命"を何億人といる人間の中から、わざわざ私の子供に与えたのか。がテーマなのか。
父は子供に自分のような人間にしたくない。事業を興せるくらい力強い人間になってほしい。だからきついしつけをさせてきた。それに不満を感じた長男はその不満をまるで父親のような振る舞いで、弟に強くあたる。それに気付いた長男は嫌いだった父親と似ていることがわかり、父親に共感し絆を深めていく。家族には色々な壁があり、またその壁は家族を結びつける。がテーマなのか。
圧倒される神様なる映像は美しく、また威圧するような効果で終始鳥肌が立っていた。
???だったけど。
寿命、運命、善行と幸福の理不尽、誰しもが抱くような永遠の疑問にキリスト教的な視点で答えているのであろう映画です。僕はキリスト教信者ではないけれど云わんとする事はなんとなくわかります。仏教でいえば四苦八苦、一切皆無の概念に近いものなようです。絶対的な信仰心の強さと現世利益のギャップに悩み、それでも神に帰依するのにいわゆる”幸福”になれないその苦しみは信仰心が強いほど深いのでしょう。それでも現世的な意味でなく宗教的な意味で”幸福”を得られた姿に癒されました。
宣伝ミスか?確信犯か?
去年愛知トリエンナーレで似たようなアート作品を沢山見た。
表現が似てるとかでは無く、作者の頭の中を精一杯映像化しました。
という感じ?私は好き。だけど、これを見るつもりで来たのじゃないのよ。
だってテレビの番宣とか全然違うイメージじゃん。
トリエンナーレで見たなら感激したかも…
でもさ、ヒューマンドラマと思って来たしね。
まさか、脳が破壊されるようなヘビイな作品(私にはね)とは思わないから…
回りの観客に気を使ったわ。広告に偽りあってすいません的な…
ちょっとね。メジャーな役者が出てるからって、
ショッピングモールのシネコンで公開するのは罪だわね。
帰りにコクリコ坂見て精神のバランス取って帰りました。
覚悟せよ。
この映画については、自前のブログでも、某映画サイト(Xxxxx!映画)でも感想を書いたが、ネットやその他で様々な感想を聴く内さらに言いたいことが沢山できた。レビューの精神から外れた愚痴になるかもしれないが御勘弁を。
本作は…陳腐な言い方だけど…非常に芸術的で、片やエポックメイキングな映画、片や完膚無きまでに理解不可能な愚作と、半々に分かれることは、絶対に不可避であろう。
その理由は、理解の仕方が無限に有りすぎて、あるいは理解の対象が余りに巨大で、結果として理解を拒むという印象を持たれたという所か。
要は理解が出来ない映画に対するスタンスの違いだ。僕はたまたまそう言った映画も好きかどうかは兎に角、嫌いじゃないし、深く感情の揺らぎを覚えてこの点数にしてるだけで…
前述のサイトは、あくまで私感だが「映画は娯楽だ、それ以外は有り得ん」といったスタンスの人が全体的に多く、故に本作の感想の三分の二は否定的な意見だ。…あ〜待って!否定が駄目と言うのではない。「自分には分からないから、他の人の感想が楽しみだ」といった穏やかな人もいれば、「0点は無いのか」「単館でやれ」「人生最悪」といった怒り心頭の人、酷いと「長々書いて誉めてる奴は全員配給会社の回し者だ!」という、心から作品を評価してる人からしちゃ全く不本意な嘲罵をかます人も。
そこら辺の言及は止すとして…しかし、こんな毀誉褒貶入り乱れる感想を観る内に、はたと気付く。誉める人も、貶す人も、皆躍起になっているみたいだ。まるでモノリスを取り囲む猿達のように。生身の感情が引きずり出される。茫然とした顔で「先生流石です」と顔を少し赤らめる人々の横で「おい、あの評論家気取りどもを焼き殺せ!」という怒号も聞こえる。そんなchaosな状況は始めてだ。
皆本気でぶつかり、それなりの感触を得て、感情の進むように感想を書く。型破りの作品の前に為す術無く立ち尽くし解釈を急いだり、感覚に任せたり、無性に腹が立ったりする。(型破り≠素晴らしい)
こんな型破りを何食わぬ顔でかますテレンス・マリックにはほとほと感心だ。きっと毀誉褒貶の嵐を見て、微笑しているのだろう。こんな物をマジに作るなんて狂気のような物すら感じる。
映画は娯楽だと言う人、映画を観て少しでも損をしたくない人は、観ない方が良い。それでも観ようという人は、覚悟を…映画を見終わった時から、貴方はテレンス・マリックの掌の上にいるのだ。
語り継がれる映画
テレンス・マリック監督最新作、ブラッド・ピット×ショーン・ペン共演、カンヌ映画祭パルムドール…話題には事欠かない“話題作”。
テレンス・マリックの映画なので、どんな映画かある程度覚悟して観に行ったら…
期待通りの映画だった。
期待通り、難解、哲学的、見る人を選ぶ映画だった。
おそらく、映画の半分も理解出来ていないだろう。
ホームドラマかと思いきや、話が一気に宇宙へ、あらゆる“生命”の誕生へと飛ぶ。
確かに難解で最初は苦労したが、その圧倒的な映像世界に徐々に魅了されていった。
映像で見せ、後は見る者に委ねる…そんな映画は最近無く、「2001年宇宙の旅」を思い出した。
ホームドラマと宇宙、生命の誕生…何の関連も無いように思えるが、そうではない。
宇宙の始まりと共にあらゆる生命が生まれ、並行して生きていく。
宇宙という大きな生命と人間という小さな生命。
どれも生命には変わりない。
それを圧倒的な映像で表現したテレンス・マリック、やはり伝説的だ。
おそらくこの映画、何年経っても答えは出ないだろう。
でも、「2001年宇宙の旅」もそうやって語り継がれて来た。
最近は答えが簡単に出る映画や分かり易い映画が多い。
そんな中で、こんな映画があってもイイ。
難解、考えながら観る映画
とにかく難解だった。
なんで次男が亡くなったのか、展開がよくわからない。
映像は確かに高評価されるかもしれないけど
台詞も極端に少ないから余計に考えながら観てしまう。
運命、生命、家族というテーマを投げかけられ
自分に投影しながら観ると100通りの感想が生まれそう。
でも一回観れば十分かな。
命の円環
難しい。分からないです。
鑑賞後は、その難解さに降伏した心持ちで、でもどこか心地の良い眩暈に陥ったみたいな、浮遊したみたいな感覚で、フラフラと劇場を去りました。
これって、何なんですかね。正直言って、訳は分からないです。
“拒絶か賞賛か”―極論的に賛否分かつ映画だな、と。
自分はまあ…開始から程なくして、突如始まる“在る”映像の圧倒的なアウターゾーンの洪水に、最初戸惑いはしたものの…そこから先、否定の感情も湧かず、没頭していったタイプなんですが。
まあ、何回も言いますけど、訳は分からないです。
いや、物語とかは分かるんですけど。何でそうするの?という。何がどうなって?という。
様々な解釈と、あらゆる示唆や引用が散りばめられているんでしょうけど、自分はもう、そこは手放します。
無理ですもん、考察なんか。自分にはとても。
もう、在るがままを受け容れるしかないな、と。
“在る家族”を物語の中心に据えてはいるけど、実際は挿話として挟んでいるだけなんですよね。
映画の枠というか、人の営みなんかを軽々と飛び越えて、時空を飛び越えて。
宇宙にまで到達するんです。
開闢を語るんです。
命の神秘を問い、神の存在を示唆する。
地球の歴史を語り、生命誕生を語り、人間を語り、父を語り、母を語り、兄弟を語り、自分を語り、死を語る。
そして、命の連鎖に円環させる。
果たして、物語の主人公達は救われるのか、癒されるのか…。
自分は「生きてる以上、誰しも苦悩の直中だ」と理解しました。
それが、生きることだ、と。
今もレビューを書きながら、色々思考を整理してみましたが、やはり“観て良かったな”と結論を得ました。
難解で、どれだけ理解出来たのかは分かりませんがw
とても良質上質な映像体験が出来たと、感謝の気持ちで一杯です。
テレンス・マリック、ブラッド・ピット、ショーン・ペン、ジェシカ・チャステイン、ありがとう。
たまには、父の話でも聞いてあげるか。
終わらない思考のスパイラル。
美しいモルダウの調べにのせて語られる国村隼の重厚なナレーション。
「家族とは?」「人間とは?」「生命とは?」多くの人はこのCMに大きな期待を抱いて映画館に赴く。
光と影。広角レンズとステディカム、アオリ撮影を多用して紡ぎだされる誰もが知りながら辿り着けない壮大な叙事詩。
断片的な映像。難解なショーンペンの芝居。イメージ先行の回想シーン。
親は誰でも、自分に出来なかったことを子に託し、子はまた親となり、その
子へと繋いで行くのだろうか。それは子にとって時に重圧になりトラウマとして澱のように残る。
劇中、説明的なセリフやシーンは殆ど無い。それ故何が何を指し、表しているのかが理解できない。この映画はストーリーを追ったり、冒頭から結末に向かう類の映画では無いことに突然のエンドロールで気づく。
一人の男を通して描かれた物語は、終焉に向かう人類の未来を憂う哀歌なのか、それとも繋いで来た生命に向けての賛歌なのか。
一点、CGの恐竜はいただけない。抽象的に描く心象風景の中に、具象的表現を持ち込むべきでないからだ。ただ、この難解な映画、面白さは皆無だが、好きか嫌いかと聞かれれば「好きだ」と答えるだろう。
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