カッコーの巣の上でのレビュー・感想・評価
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私達のいる処って…
何が凄いって、ジャック・ニコルソンの顔が凄い。「シャイニング」も、そうですけど、彼の顔見てるだけで感動してしまいそう。彼の顔の筋肉、どうなってんの。時の映画賞、総取りにするわけですね。
そんな彼の演ずるマクマーフィーも、また凄い。彼、誰に対しても、平等なんです。
できます?。全てのヒトと対等であろうとする。その一方で、婦長さん、ヒール張りまくりですが、実はリアルな世界では、婦長さんキャラで仕事するヒトが、俄然、圧倒する。きっと私も、その1人。自分ができることは、他者も出来て当然。出来ないヒトは、劣っている。そう思うと、自分と他者の間に、垣根ができる。マクマーフィみたいに、垣根レスにヒトと、接するのって、容易ではない。
但し、他者を見下す、他者に自分の価値基準を押し付けようとするヒトには、容赦しないマクマーフィ。その結果…。
この映画が公開され、映画祭で喝采を浴びて、ずいぶん経ちます。今の医療の現場、どうなのかな?。このクニでは「月」みたいな話がありましたけど。
タイトル忘れちゃったんですけど、確かイタリア映画で、精神疾患のある方を、ほとんど退院させる話がありました。不安になりますか?。何故、そんなことしたと思いますか?。かなりデリケートな問題なので、私から言及できませんが、邦画「くちづけ」とか、マンガ「ブラックジャックによろしく」あたりが、参考になると思います。
そもそも、「カッコーの…」ですが、これは、閉ざされた世界の、閉ざされたヒトだけのお話でしょうか。あるいは、私達、全員が当事者で、今、私達の暮らす世界の縮図として創られたのでしょうか。婦長さんになりたくないと思いながら、婦長さんと同じことしている自分が、いませんか?。
私達は、未だに、カッコーの巣から、飛び立っていないのかな?。
病んでいるのは治療している側?
ラスト、ネイティブアメリカンだけ逃げていく、ということは彼らがアメリカ社会で隔離されている象徴だからでしょう、1990年に北米にいましたが一人もネイティブアメリカンを見ませんでした、土地を逐われて居留地でご自由にどうぞと言われても行くところも、もうないのが現実。社会の順応は、治療?学校教育?同化政策?どこの国でも。
周囲に好影響を与えていくマクマーフィの姿に感動
マクマーフィが仮病で入院した精神病院は、閉鎖的な空気が漂い、患者達もどこか人生に対する諦めが感じられるところだった。彼はそんな狭い世界に生きている患者達に、バスケや釣りを教えたり、頭の固い婦長の管理体制に抗議したりすることで、少しずつ患者達の意識を明るく変えていく。彼が患者達に人生の希望を見せる姿に感動し、心が温かくなる。
マクマーフィは他の患者達のことを「話も理解していない奴ら」等と差別的な表現をすることもある。しかし、それは彼が他の患者達を対等な人間として見ているからこそ、変に遠慮せずに率直に思ったことを言っているのだと感じる。そこに彼の精神病患者に対する差別心の無さが表れていて、人間的な器の大きさが見ていて気持ち良い。
マクマーフィを演じたジャック・ニコルソンの全力の演技も、マクマーフィの人間的な魅力を表現できていて素晴らしい。この映画を観てジャック・ニコルソンが好きになった。
人間らしさとは
主人公の入った精神病棟には、ルールで何もかも決められて監視されている。
そんな精神病棟で、偽って入った破天荒な主人公は自由を求めてルールを破り、色々な問題を起こす。
患者どうしトラブルも起きるが、だんだんと皆人間らしさを取り戻していく。というお話。
笑って楽しい映画だと思って観ていたが、ラスト問題児の主人公を強制的に大人しくさせされ、考えされられる映画だった。
主人公に施された、ロボトミー手術という物は知っていたが、改めてその非人道的さと恐ろしさを感じた。
素晴らしい
今観ても、感動する作品。
マックが、来たことで患者達が楽しそうにしていく姿が、とてもよかったし、チーフの変わっていく様子もとてもグッとくる。婦長さんも、悪い人ではなく、仕事に対して責任を持ってやっているなかでの、すれ違い。そして迎えた、ラストが、衝撃的!!なんとも言えない感情になりました。
怖いロボトミー手術
原題の通りだと、結局逃げだせたのはあの巨漢のネイティブ・アメリカンでしたね。ストーリー展開も出演者の演技も素晴らしく、アカデミー賞に価する価値ありですね。
ただ、私が気に入っているのは、仮病で入った精神病院にも、実は私も仮病だったというあのネイティブ・アメリカンがいたことです。この手の展開って結構好きです。「ベルリン天使の詩」の別の天使、実は私も天使なんです。「ハイランダー」のあのおばさん、実は私も不死身なんですとかね。
隔離された病棟!! 精神を病んだ人間の尊厳とは?
ジャック・ニコルソン演じるマクマーフィーは
刑務所の労働から逃れるために、精神病を
装っていました。
古い時代、1963年の精神病院に来たけれど
其処には生き甲斐を無くした患者たちがいました。
社会から隔離された、看護師たちからも自由を奪われた患者に生きる希望や自由を
与えようとして必死になるマクマーフィーの
人間らしい心を見ることができました。
刑務所みたいに厚い塀に囲まれた精神病院!
病院を脱出して患者たちをバスに乗せて走る場面は患者であっても人間として自由に
生きたい!
港から船を出す場面は、人生を謳歌したい
気持ちが伝わるシーンでした。
ラチェッド婦長を演じたルイーズ・フレッチ
ャーが光る演技でした。
患者に嫌われる役柄を体当たりに演じていました。
閉ざされた病棟にまだまだ患者に対しての
差別や偏見があった時代の古さ、理不尽さを
感じました。
病院で亡くなる患者の男性の1人。
その後の孤立したマクマーフィーの姿は
生きている屍のように見えました。
マクマーフィーと患者たちの友情、人間として
の生き方、死にいく様、尊厳を考える
ストーリーでした。
補足、昨年の9月に亡くなった女優の
ルイーズ・フレッチャーに追悼したいと思います。彼女自身、難聴でありながらアカデミー賞のスピーチは素晴らしいものでした。
最初は怖い婦長に一泡吹かせようぜ!的なコメディを想像してたけど 人...
最初は怖い婦長に一泡吹かせようぜ!的なコメディを想像してたけど
人の尊厳、心の自由について考えさせられる良い映画だと思う。
っていうか後半のお別れパーティーからの急展開がめっちゃしんどい。
素晴らしいとしか言いようがない演技
刑務所から逃げる為に、精神異常を装って施設へと来た主人公。
しかしそこで見たのは不条理に患者達を抑制する実態だった。
嫌気がさして脱走を考えるが、不思議と共同生活をするうち「仲間」との関係が気になってくる。
そして周りも彼をきっかけに変化していく…
ジャック・ニコルソンとルイーズ・フレッチャーが凄いのはもちろんですが、他の登場人物 皆の演技がとにかく素晴らしい。
そしてストーリーも非常に考えさせられる作品。
衝撃的なラストシーン、飲み物を持つ手が止まり完全に画面に見入ってしまいました。
まさにこういう映画が自分の知らない世界を見せてくれて、日常において人との付き合い方を見直すきっかけになる。
映画史に残る不朽の名作!!
いやぁ、余韻が凄い……
映画が終わった後の拍手
映画が終わった後、拍手をしたくなる時は時々ある。しかし、この作品を見た時には、映画館で自然に拍手が沸き起こった。
思い出してみても、映画の最後にあんな反応があったのはこの作品だけかもしれない。
もう一度、見直してみたいと思いつつ、そのままになってしまっている。
生きる力を何度も権力に奪われる姿が心に響く
20代で初めて見て、60代の今でも毎回何かを感じる名作です。
クズな主人公マクマーフィの生命エネルギーがこの映画の全ての根源だが、その力を強制的に何度も権力に奪われる姿がどの年代でも心に響くのだろう。
ラストの救いに泣けるのはそのエネルギーが受け継がれた姿を感じたから。
権力に道理があるのも描いてるのも凄い。
監督と主役役者だけでなく、何もかもがこの時代に噛み合って完成した映画の歴史に残る名作
ここまで政治にへつらう映画があったか
この映画は精神病院が舞台で、「精神病」の患者たちが登場人物ですが、製作者側は一言注意書きを入れておくべきでした。「精神病」などはこの世界に存在しないのだ…と。それがこの映画の世界観です。
精神病を否定すれば、精神病院の患者たちへの治療は監禁や拷問にすぎません。
だから道化役マクマーフィはこうした不当な処遇を告発するような言動をつねにしている。それは身近な生活上の管理体制を素材にして、映画製作当時の東側における監視社会の不当さを訴えかけているようにも見えます。
しかし、精神病の存在を否定できなければ、精神病院の患者たちへの治療は病気から自由になるために不可欠です。マクマーフィがしていることは単なる治療妨害であり、患者を自由から遠ざけるだけの話です。むろん、これが現実なのです。
このような歪んだ世界観を、製作者側に無理やりでっち上げさせたのは、いうまでもなく「東西冷戦」でしょう。そんな世界政治の構図の中で、西側陣営の象徴たるアカデミーに、半沢直樹じゃあるまいに土下座して映画を作って、「よくできたでしょ、褒めてよ」と言っているのが本作です。
…小生はいただけませんね。
追記)
その後、ネットの情報から本作の下敷きにミシェル・フーコーの狂気論があることを知りました。
その狂気論とは、「狂気とは理性と対の知の形だが、近代的理性が権力を握るのに従い、医学的管理の下に社会から見えない場所に追いやられてしまった。しかし、時代の制約から逃げるには狂気の全面的開放が必要であり、それを実行したのがゴッホやニーチェであった」というものです。
なるほど、理性と狂気の対立という構図ならわかるかも…と思って再見しましたが、狂気の全面的開放が港のクルージングや深夜パーティで、時代を変える予兆がチーフの脱走にあるとは、小生には思えませんでした。比喩として何も意味を受け取れない。
「狂気の歴史」を読破しなければわからないのでしょうか。ならば、それは一般の娯楽映画とは言わないでしょう。
病院の中も外も、何も変わらない
常々、健常者はこの世にいない、みんな何か病気を抱えて生きている、そう思っていました。病院の中の人達は健常者と差異は無く、病院の外の人達も病んだ顔をして歩いている。何処の世界でも変わらず、支配する者、好んで支配をされる者がいて、秩序に膝を屈して、意志を捨てて苦痛に耐える人生を好むか。あるいは――自由とは、決して得難い物では無く、勇気を持って踏み出さなければ、痛みを恐れず突き進まなければ、得られない物――。
正直、如何にこの映画を捉えるか難しかったのですが、こんな所でしょうか。何か苦い物を感じて、お薦めしにくいところもありますが、とても良い映画だったと思います。
病院が病いを癒すのではなくむしろ病人を作り出していくところに恐怖を...
病院が病いを癒すのではなくむしろ病人を作り出していくところに恐怖を覚えた。難しい題材だがユーモラスに感じる場面が多く救われた。結末はつらかったがチーフの存在が一筋の光となった。やるせないものの静かな感動が波打つ、心に刻まれる作品だった。
大好き
大好きな映画です。東京来て、これを名画座で見てから、真面目な映画(社会派映画)も観られるようになった。自分にとってのひとつの成功体験です。
DVDも買った数少ない映画。(愛する「スターウォーズ」すら持っていないのに)いつかちゃんとレビューします。
2019/11/21追記
masami さんに、「監督はチェコスロバキア(当時)出身だからか自由への渇望が感じられる」と教えてもらい、心底そうだなと思ったので、忘れないようにここに書いておきます。
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