レフト・アローン 第1部

劇場公開日:

解説

「百年の絶唱」の井土紀州監督が、思想家・[糸圭](スガ)秀実と60年代の学生活動家たちと対話を重ね、ニューレフト運動の歴史を振り返るドキュメンタリーの第一部。DVCAM作品。

2004年製作/94分/日本
配給:スローラーナー
劇場公開日:2005年2月5日

ストーリー

「プロローグ」映画全体を通じてのインタビュアーであり、対談者である[糸圭](スガ)秀実が、2001年に早稲田大学で勃発したサークルスペース移転阻止闘争において、非常勤講師という立場にありながら学生たちと共に大学当局と闘う姿が描かれる。「ニューレフトの誕生」1950年11月、高校2年生で日本共産党(所感派)に入党した松田政男は、極左冒険主義時代の山村工作隊などにおける非合法活動、また総点検運動での過酷な監禁・査問を経験する。その後、神山(茂夫)派で活動することになった松田は、1955年の六全協における国際派と所感派の統一、1956年のスターリン批判やハンガリー事件を、衝撃的に受け止めることになる。それを契機に、日本共産党と決別し、トロツキズムからアナーキズムへ接近していく様子が、一人の活動家の視点から語られる。「花田・吉本論争」1950年代後半から60年代初頭にかけてニューレフトの誕生と交錯する形で、花田清輝と吉本隆明は激しい論争を繰り広げた。文学者の戦争責任に端を発したこの論争は、日本共産党員である花田とニューレフトのシンパサイザーである吉本の論争であったため、旧左翼対新左翼という図式をとることになり、吉本の論理破綻や引用誤植にもかかわらず、吉本の圧倒的勝利に終わることになった。[糸圭](スガ)秀実は、吉本の勝利を、ニューレフトが文化的ヘゲモニーを握っていく時代状況の必然的な帰結であるという。その[糸圭](スガ)に対して、気鋭の批評家・鎌田哲哉が、当時のニューレフトが発見しえなかった大西巨人の可能性を持ち出して対峙する。[糸圭](スガ)と鎌田の言葉は、激しくぶつかり加速していく。「60年安保」アメリカの極東戦略再編と日本の経済力・軍事力復活を背景に、1958年頃から岸信介内閣によって、日米安全保障条約の改定交渉が進められていた。このような政府の動きに対し、様々な形で反対運動が巻き起こり、空前の大衆運動へと発展していく。誕生したばかりのニューレフトは実践の坩堝に叩き込まれることになるが、全学連のヘゲモニーを握って安保闘争の中心を担うことになるのは、共産党を離れた学生たちによって結成された『共産主義者同盟』(ブント)だった。ブントを代表するアジテーターだった西部邁が、1960年1月の羽田闘争の様子や、盟友・唐牛健太郎のこと、安保ブントの解体、そして左翼と決別して保守の立場を標榜するに至る過程を体験的に語る。また、1960年に大学に入学し、安保を最年少のアクティヴィストとして通過した柄谷行人も、解体していくブントの様子を目の当たりにしながら、先行する活動家たちから距離をとるように、以降一人で思索の道を歩んでいった様子を語る。一方、安保と並行する形で起こっていたのが、九州の三池闘争である。そのオルガナイザーであった谷川雁の自立主義と直接行動の原理を衝撃的に受け止めた松田政男は、それ以降全く独自に戦術思想の道を切り開いていくこととなる。60年安保という激動期を生きた3人によって、それぞれの闘争と転機が語られる。「エピローグ」早稲田の闘争で学生たちとシュプレヒコールを挙げ、今はなき東大駒場寮でのシンポジウムに参加し、法政大学の学生会館を柄谷行人と並んで歩く[糸圭](スガ)秀実。その姿は、大学再編の流れの中で破壊されていく自治空間に、墓碑銘を刻んでいるようにも見える。

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