劇場公開日 1963年11月8日

「広島でのロケと広島弁で綴る「母親」の願いと葛藤」母(1963) M.Joeさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5広島でのロケと広島弁で綴る「母親」の願いと葛藤

2022年6月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

主人公の乙羽信子は2度離婚し、6歳ぐらいの男の子と、母親の杉村春子の家に住んでいる。その男の子が重い病と分かり、その治療をさせたいと願う乙羽信子である。殿山泰司、高橋幸治らが出演。
見て驚いたのであるが、この映画が公開されたのが昭和38年とのことで撮影はその前あたり。ほとんど広島市内で撮影されている。当時の広島の様子を捕らえた記録映画ではないかと見入った。
平和記念公園、平和記念資料館は昭和30年に完成。広島市民球場は昭和32年完成。空撮も含めてその辺りの様子が出てくる。原爆ドームの中でのケンカの撮影もあり、貴重である。また、その前の川では貸しボートがいくつか見られる。
そして、原爆スラムと言われている基町地区のバラックがこの家族が住む家なのである。路上で豚が飼われているのも面白い。のちに乙羽信子は子どもと印刷業を営む殿山泰司と住むが、その自宅での印刷の様子、杉村春子の紙折りの内職のシーンは当時の様子をよく表している。私の母も同じように内職をしていたことを思い出した。朝鮮人という言葉も出てくる。このときの言葉のやり取りも納得。

何といっても杉村春子の機関銃用のような広島弁と押さえつけるような言い方がとても印象に残った。トゲトゲしいが、時にはクスット笑わせるようで面白い。広島出身でないとあすこまでの完璧な広島弁はできないであろう。
乙羽信子の母親役もさすがである。耐えながらもひた向きに生きる女性を表現している。
この二人の母は同じように夫と離婚し、息子があり、杉村春子は大学生の息子(高橋幸治)と、乙羽信子は6歳ぐらいの息子(頭師佳孝:どですかでん)と住んでいる。
この母子の織りなす葛藤とさまざまな事件。母としてのやさしさや子への期待。そして、母はどう生きていくのか。
とてもいい映画であった。

(広島市映像文化ライブラリー)

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M.Joe