劇場公開日 1989年6月17日

「「日本のいちばん長い日」の226事件版を撮ろうとしたのだと思います」226 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0「日本のいちばん長い日」の226事件版を撮ろうとしたのだと思います

2022年1月16日
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鑑賞方法:DVD/BD

何故、本作を五社英雄監督が撮ったのでしょうか?
もし本作を他の監督が撮っていたならどうだったでしょうか?
もし岡本喜八監督が撮っていたなら?
もし深作欣二監督が撮っていたなら?
そんな思いに捕らわれてしまいます

226事件の映画は幾つもあるようですが、やはり高倉健と吉永小百合が主演した「動乱」がまず思いだされます
東宝の森谷司郎監督が1980年に東映で撮った作品です

しかしその内容は皇道派の青年将校達の狂気と利用されただけの哀れさを描いて反戦映画とするのか?
その中で運命に翻弄される男女のメロドラマなのか?
226事変のドキュメントをリアルに描くのか?
全部やろうとしてみんな中途半端に終わってしまっていました
ハイライトたる肝心の226事件そのものもほんの少しで全くもの足らないものでした
興行成績も二大スーパースターを配していながらあまり冴えないものでした
挙げ句の果てには、軍国主義を美化しているとまでむちゃくちゃな難癖をつけられてしまうのです

本作はその「動乱」を反面教師にして出発したように感じます

前半はいきなり226事件が始まり、事件の推移をまるでドキュメンタリーのように克明に映像化していきます
あまりにもリアルです
首相官邸、山王ホテルなどのセット、衣装、小道具、エキストラの兵士達の動きも何もかもリアルです
実物大で実際にキャタピラで走行する3台の戦車はなんちゃっての形状ですが、それらしさは十分に備えており白けてしまうようなものではありません

名カメラマン森田富士郎の撮影も雪の冷たさを感じる色温度での映像が見事です

つまりドキュメンタリー的な実録映画を志向したのです

なのに反乱が失敗してからの後半はぐだぐだになります
集中力は失われて焦点はぼやけてしまうのです

五社監督は結局一体何を撮りたかったのでしょうか?
テーマは何だったのでしょうか?
226事件の実像をリアルに描こうとしたはずではなかったのか?
ならば後半で、なぜ妻や子供との回想シーンをそれぞれにとってつけたようなっているのでしょうか?

決起した青年将校達とその妻、病気で決起に参加出来ない男とその兄を取り巻く感動的なドラマが本当は予定されていたように思えてなりません

しかし、五社監督はそんなセンチメンタルなもの撮りたくなかったのだと思います
いや撮ろうとして止めたのだと思います
そんなものなんの意味があるのか?と
実録的映画に傾斜して、ドラマは一瞬の回想のみとしたのだと思えてなりません

そもそも主人公は一体誰だったのでょうか?
まるで岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」のようです
本作はその226事件版を撮ろうとしたのだと思います

冒頭の白黒映像の人物のアップ映像は、いきなりそれを宣言していたシーンだと思います
前半は「日本のいちばん長い日」に習って、事件の推移を事実にこだわって撮られています

そしてぐだぐだのようにみえる後半こそ、五社監督が撮りたかった本作の主題であったのだと思います

反乱軍側の主張とか、皇道派とか統制派だとかそんなことは監督にとっては大して関心はないのです
どうでもいいと映像に言わせているように感じます

反乱が失敗に終わったことが明らかになったのに、兵を引こうとしない青年将校達が苛立ち、あがき、放心し、諦観する姿を描くこと

それこそが、本作における監督の目的であったと思うのです

そしてその姿は「日本のいちばん長い日」での終戦を認めようとしない青年将校達と、226事件が潰えた時の青年将校達の姿は相似形をしている
そう主張している映画に見えるのです

この反乱事件は1936年のことです
その9年半後、東京は焼け野原になり日本は敗戦したのです
226事件は、敗戦を予告していたのだということを描こうとしたのだと思うのです

そして226事件の鎮圧と、太平洋戦争の敗戦は、どちらも天皇陛下の決断によってしか誰も収拾とできなかったのも同じ
226事件の首謀者の軍法会議と、太平洋戦争の東京裁判も相似形です
そのことも指摘しようとしているように感じます

本作は1989年6月公開です
昭和天皇が崩御されたのはこの年の1月7日
つまり本作は昭和がもうすぐ終わるであろう事を見越して製作されたのです

監督は本作をもって昭和を総括しようとしたのだと思います
その意欲たるや素晴らしいことです

しかし、それで結局何を伝えようとしたのでしょうか?
監督のメッセージとは何だったのでょうか?
不明瞭のまま映画は終わってしまうのです

結局のところ「動乱」と同じく、あれもこれもやろうとして失敗したのだと思います

そもそもメッセージがあったとしても、観客はそれを五社監督に期待などしていないのです

それはあなたが撮るべき映画であるのか?
そう思うのです

国民の為だと自分勝手な大義を掲げて、国民が望んでもいない騒乱を起こし、結局国民から見放されたかっての学生運動にも似ているように、自分には見えました
さらに1972年2月18日から28日に起こった連合赤軍のあさま山荘事件は、戦後に起こされた226事件のように自分には思えてくるのです

今は2022年
226事件から86年
あさま山荘事件から50年ちょうど
その日はもうすぐです

新たな226事件など起こしてはなるものか
そのメッセージだけは確実に伝わりました

令和の時代に、左右どちらからも226事件を起こさせない
それは私達の責任なのです
天皇陛下に収拾してもらうなんて情けなく恥ずかしいことです
国民主権なのですから

あき240