300 スリーハンドレッドのレビュー・感想・評価
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仕事の基準とコミットの大切さを体感する映画です!
たった300人で、ペルシア帝国に立ち向かう様を描いた映画です。
ペルシア帝国のクセルクセスの使者を一蹴し、スパルタの誇りと家族や国の未来を守るために、戦い抜くことをコミットしているレオニダスの生き様には、震えるものがあります。
300人で挑むという噂を聞き、かけつけた武装した友人たちとのやりとりに痺れます。
レオニダス:「そこのお前、仕事は?」
友人:「鍛冶屋です」
・・・
同様のやり取りを何度か繰り返した後、レオニダスが300人の部下たちに質問します。
レオニダス:「スパルタ人よ!おまえたちの仕事は?」
部下たち:「WAR!(戦争!)、WAR!(戦争!)、WAR!(戦争!)」
レオニダス:「見たか?兵士は我々のほうが多い」
仕事の基準というものの大切さを実感します。
300人で挑んだ結果、ほぼ全滅します。
しかし、その生き様や想いを受け継いだ人が、さらに次の世代に引き継ぎ、結果、大きな軍隊を率いて、さらにペルシア帝国へ挑むというストーリーです。
コミットすることのパワフルさを学ぶことができます。
スパルタ兵士に見事に剣で斬られた相手の血飛沫の描写が何とも残酷、且つ劇画チック
ザック・スナイダー監督(バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生等)による2007年製作の米国映画。
原題300、配給ワーナー・ブラザース映画。
スパルタという都市国家の歴史に興味が有り、視聴。ただ、歴史ものというより、超バイオレンスのアクション映画であった。
舞台は紀元前480年、スパルタ王のレオニダスとペルシア帝国(アケメネス朝、指揮するのはクセルクセス1世)が闘ったテルモピュライの戦いを描く。
男子が7歳になると母親から引き剥がされ、徹底的に軍事訓練を受けさせられるというスパルタの教育を、映像で象徴的に描いていたのが印象的。降伏求めるペルシア使者を殺してしまうレオニダスも野蛮であるが、オドロオドロしいペルシア側人間の描写が相当に差別的で、驚かされた。イランに関する2002年ブッシュ大統領による悪の枢軸発言、2006年の制裁開始を受けて、安心して敵に出来る相手ということなのだろうか。
スパルタ軍兵士が上半身裸なのは驚かされたが、この闘いを描いた絵画を見ると史実?重そうな銅製らしい盾を用いて、剣は勿論弓からも守るスパルタ軍隊の強力な防御能力に感心させられる。剣で斬られた相手の血飛沫の描写が何とも残酷且つ劇画チックで、主ターゲットとする米国人男性の鬱憤の大きさの様なものを感じてしまった。
敵役ながら、ペルシャのクセルクセス1世を、装飾的な衣装と共に、世界を支配しようとする誇大妄想者の狂気じみた執念を体現したブラジルの俳優ロドリコ・サンドロには見せられた。
製作ジャンニ・ヌナリ マーク・キャントン、バーニー・ゴールドマン、ジェフリー・シルバー、製作総指揮デボラ・スナイダー、フランク・ミラー、クレイグ・J・フローレス、トーマス・タル、ウィリアム・フェイ、ベンジャミン・ウェイスブレン。
原作は米国フランク・ミラー(グラフィックノベル『300』)、リン・バーリー、脚本ザック・スナイダー、カート・ジョンスタッド(ネイビーシールズ等)、マイケル・B・ゴードン。撮影ラリー・フォン、美術ジェームズ・ビゼル、編集ウィリアム・ホイ、音楽タイラー・ベイツ。
出演はジェラルド・バトラー、レナ・ヘディ、ロドリゴ・サントロ、デビッド・ウェンハム、ドミニク・ウェスト、ビンセント・リーガン、マイケル・ファスベンダー。
スパルタと聞くと、戸塚ヨットスクールを思い出すのは・・・
故石原慎太郎氏が支援者の会会長を務めていた戸塚ヨットスクール。体罰や虐待によって生徒を死に至らしめた事件は20年の時を経ても未だに鮮明な記憶として残っている。軍人を育て上げるわけでもなく、ヨットの訓練を通して「健全な精神と肉体を作ること」を目的としていたという、考えると戸塚宏の頭の構造が異常だとしか思えない。その戸塚ヨットスクールといえばスパルタ教育。映画に登場するギリシアのスパルタはスパルタ教育の語源である。
映像も原作者であるフランク・ミラー独特のアニメにも似た色彩感覚。CGやスローモーションを多用した迫力ある戦闘シーンなど、注目すべきところは多い。腕やら足やら首やらが遠慮なく斬られ飛んでいったしまうし、全体的に血飛沫が凄いのです。観客は完全にスパルタ重装歩兵の目線になっているし、どうせ相手は侵略者だからと、ハラハラしながらも感情移入しながら観ていられる安心設計。存分に古代ギリシアの歴史体験をできるようになっていました。
100万の軍勢とも言われるペルシア軍を向かえ討つべく、道幅の狭いホット・ゲートで陣を構えるレオニダス王(ジェラルド・バトラー)率いるスパルタ軍。最初は先陣部隊を蹴散らし、死体の山を築きあげ、やがて恐怖の不死部隊と戦うことになる・・・とにかく次から次へと無尽蔵に兵士を補充してくるうえに、人間じゃないものまで襲い掛かってくるのです。サイやら巨大象やら巨人まで。『LOTR』でファラミア役だったデヴィッド・ウェンハムもいるんだから、矢でも鉄砲でもオークでもドラゴンでも出しやがれ!てな気持ちにもさせられます。
いくら史実だからとはいえ、戦争とは悲惨なものです。「自由と民主主義を守るため」などという言葉も聞かれますが、スパルタなんて軍国主義そのものの国(ポリス)だし、元々は征服民族のドーリア人。一生国家に尽くす選ばれた軍人といっても、労働をしない『猿の惑星』におけるゴリラみたいなものなのです。「美しく死ぬことが本望」だなんて言葉が出てくるのは自爆テロや特攻精神と一緒。玉砕しても、国に残された兵士たちの家族や国民がペルシア軍に何をされるか心配じゃないんでしょうか?と、映画では感じてしまいます・・・実際には、戦った場所のテルモピュライとスパルタは遠く離れていて、途中にはアテネもあるのですが、映画を観る限りではそこまでわかりません。
歴史スペクタクル映画は好きなので、ある程度は楽しめました。間道を敵に教える醜い男の存在もよかった。しかし、せっかく長老会や王妃を騙すセロンも賄賂をもらっていたという裏を描くのなら、もっとわかりやすくしてほしかったです。それに石原氏が好きそうな題材ばかりを詰め込んであることも気になってしょうがない・・・(当時、石原氏嫌いであったため、失礼)
【2007年6月映画館にて】
筋肉祭り
現代の人々の考えからすれば死を美徳とする生き方は
受け入れがたいものがあるとは思うが、このような時代の
考え方は確かにあったのだと思う。
実際ペルシャ軍は敵国に対し兵士は殺し女子供は奴隷と
いう状況で戦う以外に結局は道がなかったのではないかと
思えば王を中心とした300の兵士たちに共感こそできなくても
避けられない戦いだったのかと思った。
しかしこう言う時代の男たちの死に対する美徳は
時に国や家族に対する思いより大きくなったりして
死に対する自分に酔いしれている感がありその辺りは
まあ、気持ち悪い感じもある。
人によっては惨めでも、家族の為に生きるべきであると
考える人も多いのではないかな。
映像的にはかなりコミックアートを意識した作りになっており
どのシーンを切り取ってもひとつのアートとして完成しているもので
映像美に対しては並々ならぬこだわりを持っていた。
スローを多用しすぎるのがちょっとウザかったが
登場する男たちの彫刻の様な体型は美しかったな〜。
合わなかったです・・
映像の美しさ、肉弾戦の迫力は確かにあったけど、その魅力だけでは2時間はもたなかったなー。そんな印象でした。
戦闘シーンは、通り道が狭くなった谷で、ギッチリ守りながら戦うスタイルが続く。敵の種類が変わっても、同じスタイルで戦い続けるので、戦略のバリエーションがなく、飽きてくる。。ペルシャ軍が背後を取ったあとも戦略は変わらず。それが彼らの美学なんだろうけど、ストーリーにすると盛り上がりに欠けるな。
失礼な話だけど、途中から、大量のムキムキマッチョが、パンツと靴とマントだけ身につけて戦ってるのがなんかおかしくなってきてしまった 笑 合わないだろうな、この作品は。
勇敢な戦士。わかりやすい。
少ない兵でも精鋭と地形を活かせばここまで戦えるんだと感心はしました。
途中王妃の色ものでなんとかしようとするのは、あの時代では仕方ないとは思いますが、少々「おいぉぃ…。王が生きて帰ってきたときなんて言うのよ…。」って思ってテンション下がりました。
全体的には思ってた通りの映画だったので、観たい内容を期待通り観れたのは良かったです。
…は??
ナレーションベースがすごい。
ナレーション半分って感じ、
どこまで強いんすか。って感じで
ラスト一万人になるところも
なんで一万人まで兵がふえたのかも
わからないし、
ちゃんと描かれてないところが
イマイチかなぁ、
狂気ーそれがスパルタだ!
狂気ーそれがスパルタだ!
と主人公自ら叫んでいるように、
この映画は「闘う狂気」を描いたものである。
別な言い方をすれば
正義とか大義とか誇りとかを貫こうとすると、このような「狂気」に行き着いてしまうということか。
ザック監督は、
これ歴史じゃなくて活劇ファンタジーなんですよ
と言い訳しながら、残虐なシーンを積み重ねていく。
あまりにも積み重ねすぎたため、
ファンタジーにしても不謹慎すぎるだろという批判も当然であるが、
その残虐さは、大義と狂気の境目を描いており
「そもそも正義ってなんすか?」という問いかけにも見えるんである。
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ザック監督は
この物語を表現する上で必要だったから、やり過ぎともいえる映像を作りあげたのか、
それとも「闘う狂気」を隠れ蓑にして映像的に好き勝手に作りたかっただけなのか、
どっちだろう。という疑問も残る。
筋肉鑑賞用
久々にくだらない映画を観た感じ。
アメコミヒーロー物みたいなくだらない楽しさもなく、シリアスな歴史物であるかのような時代設定ながら、敵のペルシャ軍の描写はほとんどモンスターとダルシム。
戦闘シーンのアクションとCG、あとはマッチョな筋肉を楽しむ作品なんだろう。
そうした映像美を追求しつつも、もう少し歴史物として真面目に作るか、反対に、架空ファンタジーの設定にするか、どちらかにすれば良かったのに。
ある意味ぶっ飛んだ映画です(脱帽)
観てからしばらく経ってからの感想です。まず、ストップモーションとモノトーンに赤の色彩、他の人も書いていましたが雅に映像革命です。肉体の素晴らしさとその迫力が十分に生きている作品です。この作品以降歴史物の作品がずいぶん増えた気がします。そういう意味でこの作品はある意味エポックメーキング的な作品といえるでしょう。個人的にはザック。スナイダー大好きこの後の作品も似たような色合いを駆使していますがある意味彼の看板的な描き方ですね。すばらしい作品。
「者ども死ねや」…
…というのは司馬遼太郎の小説でよく出る玉砕時(もしくは奮戦時)の台詞だが、まさにそんな映画。名高い「テルモピュライの戦い」をCG合成の長所を生かしてド派手に大風呂敷を広げて描いており興奮する、と言うよりは笑える。結構史実に沿っておる点もポイントが高い。
役者の芝居も大仰で雰囲気にピッタリ。特に王役バトラー、敵王ロドリゴ、悪議員ウエストの大芝居には笑わせてもらった。
残念なのはヒロインの民主主義演説の辺りがくそ真面目で退屈な内容であること。無茶苦茶なスパルタ式民主主義を現代風に誇り高く謳うシーンにはズレたものを感じる。これじゃあ思って無くても政治的意図だと深読みさせてしまっても仕方ない。
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