それでもボクはやってないのレビュー・感想・評価
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痴漢冤罪の怖さたるや。
無罪を勝ち取るために仲間達と証拠を見付けて証明しようと暗中模索します。が、証拠不十分。
真犯人がいるのですが発見する事ができない。
罪を認めて示談で済ますこともできますが、冤罪なのでしたくないと もがく主人公。
痴漢をされた方々の心のダメージを考えると裁判が有罪になりやすいのも納得できますが、冤罪で捕まってしまった人もどうしようもない虚無を抱えたまま生きていくことがこの映画でわかります。
現実世界に潜む闇の一つを覗き見るような映画。
とても悲しいです。
加瀬亮の演技が絶妙。最初に示談を勧められた時の「やってないんだ…」...
加瀬亮の演技が絶妙。最初に示談を勧められた時の「やってないんだ…」は巻き戻してもう一度見た。
淡々と話が進んでいくから観やすい。
つまらなさが面白さ
日本の裁判がいかに長々と時間を費やして行われ、にもかかわらず大した成果も得られないことを、何度も同じような手続きのシーンを観させる事で観客に伝えようとしています。
「観ていてイライラするでしょ?裁判ってこうなんですよ!」的な。
しかし2時間以上僕等にそんな教育させるために観させられるのは、ちょっとしんどかったです。
痴漢冤罪ってこわいなあ…
勇気を出して痴漢を捕まえたとしても、それが果たして正しいのか、無罪の人を貶めることになってしまわないか…。いやはや、怖いですね。
日本の裁判を取り巻く実体や、人間の記憶の脆さなど、リアルで、もどかしくて、腹立たしくて…。
判決までの流れを細かく描写していて長いけど、飽きずに観られました。
真実はどこにあるのか考えさせられる
世の中っていうのは、理不尽なものだ。
自分の利益のため、自分に有利な発言と態度をとる人。
それと対照的に
不器用なまでに、真実は必ず明らかになると信じる人。
法廷のシーンは、何が凄いのか具体的な表現はできないが独特の緊張感がリアルで、加瀬亮さんが最後言葉に詰まりながら文章を読むシーンは圧巻。
法廷とはどういう場所なのか、最後に語られる言葉に気づかされ、
それは今や法廷だけではなく、インターネット、SNSやマスメディア等においても同様の事が言えると思う。
これは決して他人事ではない。
社会がもっと良くなりますように。
あるのは絶望感だけ。
やってないやってないよやってないのに
観終わった後はなんだかとても悔しくて
決していい気持ちにはなれませんでした
暗くて重くて感動も奇跡も無い。
あるのは絶望感だけ。
誰の身にも起こりうる
現代の社会的問題がテーマらしいので
もし冤罪で訴えられたら
参考に観るのがいいんじゃないですか
無罪の証明、その難しさ
有罪の証拠よりも、無罪の証拠を探すほうが難しい。
真実を証明することの難しさや、いかに取り調べと裁判に労力を使うかが、よくわかった。
法廷ドラマは会話劇寄りなので、退屈しがちなイメージだが、むしろ面白くて集中できるものが多い。
この作品もそうで、淡々と進むわりには目が離せなかった。
痴漢と言う犯罪。
実際、男性から「痴漢と間違われないようにこっちのほうが必死だよ」という言葉をとてもよく聞く。
勘違いされても困るし、わざと仕組んで金を巻き上げる女もいるので、男性側のほうが身を守るのに必死だということだ。
特に夏は、肌を露出した女性も増える。
満員電車では手が当たらないように気をつけても、鞄を持つ手は偶然当たってしまったり、体は密着してしまったり。
女性側も、もう少し色々と気をつけるべきだと思う。
もちろん本当に痴漢の場合、痴漢をする人が悪いし、グループで女性を囲んで痴漢するなどの卑劣な犯人らもいるわけだが。
役所のセリフが唯一の救い
主人公の人生、周りの人間までも人生を狂わされる。そんな刑事裁判で免罪は絶対に許されないことだなと改めて思わされる作品でした。恐ろしい世界です。
この映画を観て小日向が嫌いな俳優になりました(笑)
もっと求む法廷系ドラマ
満員電車で急に痴漢の容疑をかけられ、無罪の言い分を貫き続け公判へ持ち込み、最後に判決が出るまでの話。逮捕の際の事情聴取のやり方や法廷でのやりとり、立証判定の仕組みなどを細かく描く。
私は法廷ドラマが大好きで、米国のTVドラマや映画はかなり観ている方だ。なぜなら、裁判というのは哲学的要素を多く含み、人間・社会としての成り方、正義とは何か、公平とは何か、そういうものを深く問う分野だからだ。なのでこの日本のこの映画を観て、驚いた。本当にこんな事が有り得るのか?日本の裁判所は何をやっているのだ?私が観るものはドラマであってフィクションなのは承知だが、多少真実を元に書かれているわけで、もしこれが真実を語るものなら大問題だと思う。
間違えてはならないのは、だから痴漢を摘発する時には気をつけようとか、痴漢に間違えられては大変だとか、その程度の話ではないということ。弁護士が正しい、検事が間違ってるとかそういう話でも決してない。あるのは、劇中でも少し出てきたが「公平とは何か」「『無罪』とは何か」だ。「疑わしきは無罪」だ。アメリカドラマではどこまでも黒い灰色でも、無罪になる悪人の話はよくある。それが人間性を守るが為のシステムなのだ。それでは被害者が浮かばれない、という意見も最もだが、そこで更に突っ込んで考えなければならないもの、人間は常に不安定であるものだとか、真理とは何か、そして裁くという責任の重さを考慮しなくてはならない。
もっともっと日本の裁判もののドラマを観たいし、増えればいいのにと思う。
推定有罪の恐ろしさ。男性は必見。
起訴されれば、99.9%の確率で有罪になる日本。痴漢は、被害者の証言だけで、起訴され、有罪が確定してしまう。
いつ、何時、痴漢冤罪の被害にあうか、男性の方は、ぜひ、見た方が良いだろう。
被告人になったら、最後、99.9%の確率で、犯罪者となり、人生が終わる。身近に、こんな、恐ろしい、落とし穴があることを、知った。
真実は無力だ。それでも、、
真実は時に無力だ。どれだけ真実を叫んでも、「それじゃあ、証拠は?」と聞かれその証拠が不十分ならただそれだけで真実は“嘘”へと変貌を遂げる。それが人間の世界。社会。いや、大人の世界と言うべきか。「とりあえず」によって不条理に唇を噛み締めなければならないこともある。「とりあえず」によって面倒事を回避することができることもある。個々人の心理によっていとも簡単に真実なんて葬られるのが社会。この映画では裁判官の心理に見られたような。
だけど主人公のニートの男はそこに納得が行かずに戦って“しまう”のだ。大人の世界に足を踏み入れてしまった。自分が望んだわけではないのに。
「こんな社会どうなの?」「こんな社会で本当にいいの?」「おかしくないかい?」と周防監督は観客に問う。
と、同時にこう語ってる気がした。
「それでも、それでも、この社会で生きるしかないんだ。」
…
『痴漢の冤罪は99.9%が有罪だ。この99.9%が裁判において結果ではなく前提となってしまうのは極めて危険だ』
やっていない事を証明する難しさ
グングン引き込まれる。
何を言っても聞いてもらえないもどかしさとか、家に痴漢もののAVと高校生が載ってるエロ本が有ったから犯人だろうと決めつけられる理不尽さ、ハラハラしながら見た。
ちょっとしか出てこないけど強烈な印象の管理人。『前からオカシイと思ってたんだよねぇ』
そんなてきとうなこと言っちゃダメ~~
それでもボクは…
監督自らが新聞の記事に眼を止めた事から、痴漢冤罪被害にあった事件の裁判を傍聴し徹底的にリサーチした結果、日本の裁判の矛盾に行き当たった。
その思いは、冤罪被害者本人に事の顛末の出版を監督本人が促した出版物から、多くの矛盾点を作品中に色々とピックアップした脚本の巧さで、誰にも思い当たる怖さに結び付いています。(例えば取り調べ官の態度や収監中での出来事、男なら家にエロ本が有るだけで犯人扱いされてしまう恐怖等々)
更に、起訴されてしまうと日本の司法制度では99%“有罪”が確定してしまう“裁判官”の在り方の矛盾点にまで到達し、“それは何故か?”を観客に知って貰う為にあえて声高には叫ばず、裁判オタクを通して知らせる凄さ。
作品を観た観客には主人公の加瀬亮が無実であるのは解っているので、作品自体は痴漢冤罪を否定した作り方でありながらも、最後に“真の事実”を知っているのは《被告本人である》と言う括り方を示しているのが本当に凄い!
だからこそ、「それでも、ボクはやってない!」のセリフが胸に迫る。
すごくリアルで、ドラマ性もあり、テーマも深くて、とてもいい映画だと思います。しかし、うやむやになっていますが、弁護士が正義の味方という描き方は、おかしいと思います。
すごく現実的で、駅員も、警察も、検事も、裁判官も、その他の人も、被疑者、容疑者のことなど考えておらず、自分の仕事ではない、自分の評価が落ちなければいい、自分のせいにならなければいい、めんどうくさいことにならなければいいと、自分のことしか考えていないのが、よく表現されていました。
ストーリーの構成上、なんとなくこの映画では、弁護士が正義の味方のようになっていますが、違うと思います。
フリーターの金子徹平は、就職の面接に行く途中の車内で、痴漢に間違われる。駅の事務室に連れて行かるが、やっていないと言ってもわかってもらえない。近くにいた女性が、その人はやっていないと言いにきてくれるが、駅員がドアを閉め、追い返してしまう。警察に引き渡され、理不尽な取り調べを受けた金子は、当番弁護士をy呼んでもらうが、その弁護士は、裁判はたいへんだし、勝つ確率はほとんどないので、罪を認め、示談することを勧める。絶対にやっていないと主張する金子は、友人の斎藤達雄に電話をする。達雄は、金子の母親と共に弁護士を探すことになった。先輩の会社の顧問弁護士の紹介で、荒川弁護士に依頼することになった達雄と母親。その後、裁判が始まるのだが・・・?
弁護士が正義の味方のように描かれていますが、実際は、ほとんど最初に出てくる当番弁護士のような人ばかりだと思います。
弁護士は金をもらって依頼されているということと、いやなら受けなくてもよいということ、それから調査的なことは基本しないということが、ぼやかされています。
実際に相談してみればわかりますが、ホームページでは、なんでも安く受けるようなことを書いてありますが、実際には効率よく金になるもの以外、受け付けないという弁護士がほとんどです。
相談したところで、初回無料という人でも、初回だけで解決する事案などほとんどなく、何度も行くことになり、かなりお金がかかります。
最初は土日OKでも、2回目以降は受け付けてくれなくなります。
役に立つアドバイスがもらえればいいのですが、ほとんど話を聞くだけで、役に立たず、あなたがこうしたから悪いと責められ、この資料を持ってきてくれ、この人に協力してもらってくれ、この証拠を持ってきてくれ、ああしてくれ、こうしてくれと、要求するだけで、それができないのなら無理です、と言われます。
それができないから依頼しようとしているのに、まったく無視。
しまいには、どうしてもというのなら受けますが、結果は保障できないし、費用は高いですよ、となります。
結局、自分からなにか積極的にすることはなく、与えられたものだけで判断する、裁判に出てくるだけの裁判官のような人達です。
この映画のようなことをやらせるなら、実際にはとんでもなく金がかかるはずです。
その辺をスルーしているのが、映画の構成上しかたないのかもしれないけど、納得できないです。
この映画の役所広司さんや、瀬戸朝香さんのような人がいるのなら、会ってみたいです。
実際にこんなことになったら、親は助けてくれるかもしれないけど、毎日ブラブラしていて、助けてくれる友人・知人は、普通いないと思う。
自分自身の裁判をかかえながら、他の人も助けてくれる人もいないと思うし、別れた彼女が痴漢裁判を助けてくれるのかな?
現実的には、ほとんど一人で、世の中の全部の人と争うような、とんでもなく厳しくて悲惨なことになりそうです。
もし自分だったら、たぶん最後まで耐えられず、やっていなくても途中で自白してしまうと思うし、冤罪というのはこういうふうに作られるのだろうと思った。
恐怖
日々、通勤ラッシュに巻き込まれ
しかも乗り換えで…痴漢で有名な路線も平日は毎日利用してる。
痴漢で遅延になる光景を目の当たりにしたことがあるし…
この問題を身近に感じていた。
勿論、痴漢をする奴が一番悪い。
でも本当に無実なのに冤罪で社会的に殺されてしまうのは恐怖でしかない。
女性の近くに行きたくないから
自分からは近づかないけれど、満員電車では避けることは無理。
両手は上に。
降りる頃には手から血の気が引き痺れてる。
ポケットに財布や携帯をいれておくと
それが当たった場合、股間を押しあてていると誤解されてしまったりすることも…
なので鞄にしまう。
その鞄も当たると誤解されたりするので
荷台になるべくのせる…。
とても気疲れする。
そんな思いしてまで続けるのは
それだけ痴漢冤罪が怖いからです。
痴漢についての裁判はおかしい。
「疑わしきは罰せず」はどこにいってしまったんだろう…。
どうして被害者の証言だけが通ってしまい
弁明の余地がないんだろう…?
こうした現状をもっと知ってもらうために
この映画を色々な人に観てもらいたいです。
?
とても面白くて、興奮しながらみていました。加瀬さんの表情が手に取るようにわかるくらい正確で、自分も同じ気持ちになりました。セリフをひとつひとつ正確に覚えておきたいくらい勉強になれる映画です。とくに弁護士になりたい人はかなり勉強になると思います。
日本の司法制度の問題点を暴き出している
本編が始まる前に映し出される
「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」
また、本編で何度も引用される
「疑わしきは被告人の利益に」
しかし、捜査・検察側の思惑は
「一人の無辜を罰しても十人の真犯人を逃すなかれ」
「疑わしきは我々の利益に」
これは、やはり
「99.9%の有罪率が裁判の結果ではなく前提となっている」ことの表れでしょうか。
被告人である主人公は、冤罪であるにも関わらず電車で痴漢したとして被害者本人である女子学生に現行犯逮捕される。
その後も主人公は一貫して無罪を主張し続けるが、
刑事・検察からの犯人と決め付けたマニュアル的・拷問的な取り調べを受け続ける。
主人公の担当弁護士、家族、友人などの協力に加え、
最終的に決定的な目撃者が名乗り出てくれるにも関わらず
途中無罪判決を出す公正な裁判官から頭の固そうな裁判官に引き継がれたこともあり
結果はハッピーエンドではなく有罪判決。
法曹三者の視点(検察、裁判官、弁護士)から思ったことを三点ほど。
一点目
捜査はどうあるべきか。
「言いたくないことは黙秘してよい」と
口では形式的・マニュアル的に言いながら
実質は拷問的に吐かせようとしているのはいかがなものか。
最近、司法制度改革の一環で
取り調べの可視化(録音録画)というのが義務づけられるようになるらしいが、
注意していただきたいことは対象となる事件は
殺人、放火などの重大事件(全刑事事件の2%にあたる)に限定されて痴漢は含まれていないということ。
殺人、放火だけに限らず痴漢事件などでも
映画で描写されているような取り調べがあることは
想像に難くないと思うのだが。
そしてもう一点、この取り調べの可視化というのは
限定的にとはいえ捜査・検察側も承認しているものなのだが、
それは無条件的なものではない。
つまり、捜査・検察側はこの承認と交換に
大きな武器を手にしている。
それは大きく二つ、司法取引と通信傍受の拡大です。
簡単に言えば、
司法取引とは、容疑者が他人の犯罪事実を明らかにすれば、見返りとしてその罪が軽くなるという制度。
通信傍受とは、捜査で盗聴を行うこと。
司法取引や通信傍受に関する提案はほぼ捜査側の要求通りとなっているため、追い込まれていたはずの捜査側が、終わってみれば大きな成果を得た形となっています。
二点目。
裁判官とはどうあるべきかということ。
一人目の裁判官は無罪判決をだすのを恐れることなく
「裁判で一番やってはいけないのは無罪の人を罰すること」
だと言っていましたが、結果的に左遷されてしまいました。
質より量?それで良いのでしょうか。
三点目。
弁護士とはどうあるべきかということ。
主人公の弁護士は、誤解を恐れずに
「民事だけを扱う弁護士は、弁護士ではなく代理人である」
と述べていました。
弁護士法1条の通り、
弁護士は社会正義を体現する仕事です。
社会正義の形は様々にあると思いますが、
近年あるエリート=渉外弁護士という風潮には
疑問を感ぜずにはいられません。
もちろん、エンディングはハッピーとはいきませんでしたが、
それもドキュメンタリーならでは。
司法制度の多岐に渡って問題点を炙り出した
良い作品だったと思います。
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