劇場公開日 2022年8月19日

「物語と作家の様式が一致した、ウォンカーワイの到達点」花様年華 moviebuffさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5物語と作家の様式が一致した、ウォンカーワイの到達点

2022年10月12日
PCから投稿

恋する惑星や、天使の涙等、ウォンカーワイの作品はストーリーをリニアに語るのではなく、ある一時期の恋人同士の関係、その時のエピソードを断片的、散文的に、時にはオムニバスで詰め込んだような作品が多い。

彼の映画製作は、恐らく現場では即興芝居を積み上げて、その場で脚本もどんどん変わっていき、編集の段階で切り張りしていくようなイメージだろうか。もちろん、あくまで推測だが、事実Youtubeでは様々な、花様年華の使われなかったダンスシーンや、エンディングなどの映像を見つける事ができる。とにかく、そのような即興的作風を人によっては脚本が弱いとみなすこともあるだろうし、人によっては初期ゴダールの作品のような「軽やかさ」と感じる人もいると思う。

で、花様年華なのだが、この映画が彼の作品の中でも突出して素晴らしいのは、彼のそういった作風がものすごく吉と出ているからだ。なぜなら、この映画は「過去の記憶」だから。その断片的な物語のスタイル、説明のないムードたっぷりの音楽と映像の羅列が、記憶の持つあいまいさのようで、ノスタルジックな物語に非常にマッチしている。

記憶、というのは映画ととても親和性があるテーマである。羅生門、去年マリエンバートで、めまい、81/2、鏡等、様々な映画の中で記憶、夢がテーマとされてきた。前々から多くの人が指摘している事だが、映画館の暗闇に光と影で映し出された映像を見るという行為自体がそもそも記憶や夢に近い体験なのだ。

ウォンカーワイの脚本ではいつも男女は人生のひと時の間だけ重なり合ったり、すれちがう。永遠に同じものなどなく、全ては移り変わっていく。もちろんそれは香港という街の運命も予感させる。(今見ると、恋する惑星でさえ、その予感を感じ取ることができる。)そして、もう二度と戻らないからこそ、この夢のように美しい1960年代の香港がより輝く。

もっと言えば、この香港は歴史的に正しく再現されている必要さえない。(実際、この映画に出てくる街角は実はタイで撮影されている)。なぜなら、これは人々の記憶の中にある夢の香港の姿だから。

大切なのは、私たちがこの場所に永遠に行くことができない、そしてこの映画を見ている時にだけ、暗闇にその夢の世界が立ち現れるということだ。その感覚こそ映画というメディアならではの体験だと思う。

moviebuff