山口百恵 : ウィキペディア(Wikipedia)

山口 百恵(やまぐち ももえ、1959年〈昭和34年〉1月17日 - )は、日本の元歌手、元女優。活動時の所属事務所はホリプロで、レコード会社はCBSソニーに所属していた。

本名:三浦 百恵(みうら ももえ、旧姓:山口)。現役時代にはペンネームの「横須賀恵」で自曲の作詞を行い、芸能界引退後には本名の三浦百恵名義で他の歌手への作詞を行っている。夫は俳優の三浦友和、長男はシンガーソングライター・俳優の三浦祐太朗、次男は俳優の三浦貴大。長男の妻は声優・歌手の牧野由依

以下、氏名の表記は特記を除き「百恵」で統一する。

略歴

生い立ち

東京都渋谷区東京都立広尾病院で生まれた。横須賀市立鶴久保小学校卒業。横須賀市立不入斗中学校時代に、スター誕生!に出場。日出女子学園高等学校卒業。

父親には別の家庭があり、子供もいた。戸籍には「認知」の2文字が置かれていた。百恵がこの事実を知ったのは、高校へ入学してすぐだった。既に芸能界入りしており、週刊誌が戸籍謄本を「出生の秘密」と題して掲載した。百恵は父について「私には、父はいない。一つの肉体としてのあの人が地球上に存在していたとしても、私はあの人の存在そのものを否定する。」(『蒼い時』)と記している。幼少時を神奈川県横浜市瀬谷区、4歳のときから中学生でデビューするまで横須賀市で過ごした。世帯数4世帯の木造アパートの2階が住居で風呂は共同風呂であった。父が来るときは、常に大きな黒い鞄を持ってやってきて滞在した。父は異常なまでに百恵を可愛がり、欲しいものは何でも買い与え、何処でも行きたい場所に連れて行った。しかし、金銭を浪費し、母が何度も裏切られる場面を目にし、母が内職で生活をを支えた。母は、高校の入学金の工面を父に相談したが、受け入れられなかったことから、子供を差別した理由で父との別離を決心した。中学校の入学直前の春には、父が目の前に立ちはだかり、「中学に入ったからといって、ボーイフレンドとか何とか言って、男と腕でも組んで歩いたりしたらぶっ殺すからな」と言われる。この時の、娘を娘としてでなく自分の所有する女を見る動物的かつ不潔な視線が百恵を父から隔絶した。

芸能界デビュー

1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝山口百恵『蒼い時』集英社、1981年20社から指名を受ける。百恵はこのとき「発表を聞く前に、私は歌手になれることをはっきり確信していた」。同番組への応募のきっかけは、同い年の森昌子がテレビで活躍しているのを見て「自分も森昌子さんのようになりたい」と思ったことだった。この決戦大会出場時の映像は現存していない。のちに「花の中三トリオ」を組むことになる桜田淳子も、同年に同じ『スター誕生!』で牧葉ユミの曲「見知らぬ世界」を歌って合格していた。

1973年4月14日、映画『としごろ』に出演し、5月21日に同名の曲でアイドル歌手としてもデビュー。森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。デビューのキャッチコピーは「大きなソニー、大きな新人」。1973年5月20日、デビュー曲の発売される前日にさいか屋横須賀店の屋上にあるステージで、地元でのお披露目として「としごろ」を歌う。デビュー曲の「としごろ」は、スタッフの期待以下のセールスに止まったため、第2弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取った。それは1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなった。これは「青い性路線」(「性典ソング」)と呼ばれ、年端のいかない少女が性行為を連想させる際どい内容を歌う、この「青い性」路線で百恵は絶大な人気を獲得することになる。

「ひと夏の経験」を歌っていた時期のインタビューでは「女の子の一番大切なものって何だと思いますか」とたいてい質問されたが、百恵は全て「まごころ」で通していた。歌詞の内容は際どかったが、辺見マリ夏木マリ、あるいは1970年代に復活した山本リンダなどのセクシー路線の歌手と違い、百恵は年齢が低くビジュアル面では純朴な少女のイメージだった。歌とビジュアルのギャップ、それに伴うある種の背徳感が、百恵の人気を独特なものにしていったと言われる。これは百恵の芸能人としての資質によるだけではなく、所属事務所やレコード会社による周到なイメージ戦略の賜物でもあった。CBSソニーのプロデューサー・酒井政利は「青い果実」をリリースする際、作詞家の千家和也に対して「より過激な表現」を求めつつ、「中学生にこんな歌詞を歌わせていいのか」と自問したものの、「ストレートに表現することも一つの行き方だ」と思い直した。その後、千家・都倉コンビが作った楽曲は45曲に及ぶ。

小西良太郎は「大人たちに言わせれば、いたいけな中学生が、口にするだけでもドキドキしそうな歌を歌う。けしからん!もってのほかだが、少々うすぐったい。天地真理アグネス・チャンらの、そぞろ恋を恋する季節の歌が、年相応に明るくて、健康的で、ほほえましかった。ところが、そんな優等生型ニコニコポーズに飽きがきたところで、見回したら、百恵の青いセクシーさが、急に説得力を持ってきた」などと評した。

同曲が大ヒットした1974年には文芸作品の名作『伊豆の踊子』に主演し、演技でも評価を得る。この映画で共演した相手役の三浦友和とはグリコプリッツのCMでこの年の夏に共演済であった。『伊豆の踊子』は一般公募で相手役を募集したが、このグリコCMを観た『伊豆の踊子』の監督・西河克己が最終選考の中に三浦の書類を入れたと言われている。三浦とはその後もテレビドラマやCMでも共演して共に絶大な人気を博し、2人は「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。

百恵の映画初出演はレコードデビュー前にホリプロが制作した『としごろ』(和田アキ子、森昌子主演)で、新人の顔見せとしての出演だったが、『伊豆の踊子』以降、映画13作で主演。そのうち12作は三浦との共演である。「映画に関するかぎり製作者は彼女をリメイク女優以上に認識していなかった。にもかかわらず西河は『霧の旗』で、驚異的なまでのファム・ファタールぶりを彼女に演じさせた」四方田犬彦『日本映画史110年』(集英社新書 2014年p.199)。。1978年にはファンからの声の大きかった初のオリジナル作品『ふりむけば愛』がコンビ出演のグリコCMを撮り続けていた大林宣彦監督の演出で製作され、1979年にコンビ主演10作品記念としてオリジナル作品『ホワイト・ラブ』が小谷承靖監督で製作された。これらの映画は東宝配給ながらすべて日活撮影所で製作され、監督やカメラマンも西河ら日活出身者が大部分を占めることもあり、往年の日活青春映画、文芸映画の後継的な意味合いも持っている。東宝の監督である小谷や河崎義祐が担当した場合も、最後の引退記念作品『古都』も日活製作で、東宝からカメラマンの長谷川清ら数名のスタッフを連れて20年ぶり(発足の最初期に短期間在籍)に日活撮影所へ乗り込んだ市川崑監督は、馴染みの薄いスタッフを粘りに粘って叱咤し引退作を撮影した。市川は以前に何度か自分の作品に百恵の出演を依頼していたが、ホリプロサイドから断られており、この最後の作品で監督を務める喜びを制作記者会見で語っている。

テレビドラマでの初レギュラー出演は1973年10月スタート、大映テレビ制作TBS系の「顔で笑って」。この作品で宇津井健との親子役が始まり、以降宇津井健を公私共に「お父さん」と慕った。1974年10月からはTBSのテレビドラマ『赤いシリーズ』(いわゆる大映ドラマ)に主演し、『赤い疑惑』『赤い衝撃』では三浦友和と共演。高い人気を集め、シリーズは6年にも及び、百恵のレギュラー出演作品は『赤い絆』引退記念作品の『赤い死線』まで6作品にもなった人気ドラマとなる。

1976年リリースのシングル『横須賀ストーリー』から阿木燿子宇崎竜童夫妻の作品を歌って新境地を開いた。実際はそれ以前にも、『横須賀ストーリー』の2か月前に発売されたオリジナル・アルバム『17才のテーマ』に収録の「木洩れ日」「碧色の瞳」「幸福の実感」の3曲で宇崎夫妻の提供曲を歌っている。その後、宇崎夫妻の提供曲はシングル、アルバムを合わせると69曲に及んだ。宇崎夫妻が手掛けた作品は大ヒットの連続で、百恵の世界を決定的に形作った。この2人を作家として指名したのは周囲のスタッフではなく百恵本人だった。

1977年に日本武道館で行われた第6回東京音楽祭で外国人アーティストが多数出演・受賞する中、日本人歌手として楽曲「夢先案内人」で銅賞を受賞した。

1978年の『第29回NHK紅白歌合戦』で紅組トリを務める。白組の沢田研二と共にポップス歌手のトリは番組初のことで、10代の歌手が紅白のトリとなったのも百恵が初で、最年少記録は破られていない。ホリプロが東京都目黒区に建てた自社ビルは、百恵の成功によるところが大きいことから「百恵ビル」と呼ばれることもある。

1979年には、評論家の平岡正明が『山口百恵は菩薩である』を著すなど、多くの文化人に「現代を象徴するスター」として語られた。写真家の篠山紀信は百恵のデビュー当時から被写体として何万枚も撮り続けたが、たびたび印象的な写真を発表して注目を集めた。1970年代に篠山が最も多く撮影した女性は百恵であるが、篠山は「それは時代が山口百恵を必要としていたから」として、百恵を「時代と寝た女」と評した。

年代別プロマイド(ブロマイド)売上では、1974年 - 1980年のベスト10にランクインし、特に1976年は女性1位となった。

人気作詞家だった阿久悠は『スター誕生!』の審査委員長を務めていたが、同番組出身である百恵のソロ楽曲には作品を一切提供していなかった。その理由のひとつとして「当時は桜田淳子に(詞を)書いていたから、同系統の歌手には書かないことにしていた」と阿久自身は述べている「独占公開! 山口百恵 ピンク・レディーの真実“スター誕生”物語」日本テレビ『スーパーテレビ情報最前線』、2000年11月20日放送。2008年に日本テレビ系で放送されたドラマ『ヒットメーカー 阿久悠物語』では、『スター誕生!』のテレビ予選で百恵に対して阿久が「青春ドラマの妹役のようなものならいいけれど、歌は諦めた方がいいかもしれない」と評したことで、「そのことに傷ついた百恵は作品の提供を阿久に求めなかった」と脚色されているが、あくまでもドラマ上での脚色で、阿久自身は著書『夢を食った男たち』で、前述のオーディションでのエピソードについて記した上で、自身も百恵のファンであることと、百恵の魅力についても倉本聰との対談を差し挟んで語っている。

婚約、芸能活動を完全に引退 

1979年10月20日に大阪厚生年金会館のリサイタルで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と、三浦との恋人宣言を突如発表する。その後三浦も記者会見で「結婚を前提にして付き合っています」と語った。

1980年3月7日に三浦との婚約発表と同時に、「我儘な…生き方を私は選びました。(中略)お仕事は全面的に引退させて頂きます」と芸能界引退を公表する。その一方で、迫り来る引退を視野に入れた形でのレコードのリリースや公演の予定を発表。1975年のザ・ピーナッツで始まり、1978年に解散のキャンディーズで定着した引退記念興行が大々的に展開されることになった。

引退直前の同年9月に刊行された自叙伝『蒼い時』は、複雑な生い立ち、芸能人としての生活の裏面に加え、恋愛や三浦との初体験についても赤裸々につづられており、発売から1か月で100万部を超え、12月までに200万部を超える大ベストセラーになった。巻末のあとがきには百恵自身の万年筆による手書き原稿が印刷されている。同書の仕掛け人である出版プロデューサーの残間里江子にも注目が集まった。写真撮影は立木義浩。引退後の1981年に文庫化されている。

1980年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートは、当日にTBSで生放送され、案内役は『ザ・ベストテン』の司会者である久米宏が担当した。会場に殺到したファンに対して「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」とメッセージを言い残し、最後の歌唱曲となった「さよならの向う側」で堪えきれずに、涙の絶唱となり、涙がこぼれても拭わずにあごから涙をぽたぽた落としながら歌った。歌唱終了後、ファンに深々と一礼をした百恵は、マイクをステージの中央に置き、静かに舞台裏へと歩んで立ち去った。この「最後にマイクを置く」演出は振付担当の西条満の考案で、今では伝説的なアクションとして語り継がれ、さまざまな番組などで真似されている。

ファイナルコンサート翌日の10月6日に、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)で引退特集番組が放送された。司会者の芳村真理井上順のほか、百恵と同じホリプロ所属の先輩だった和田アキ子、中三トリオの桜田淳子と森昌子、女性歌手仲間として仲が良かったアン・ルイス岩崎宏美・太田裕美・小柳ルミ子・高田みづえ・ピンク・レディー、男性歌手では五木ひろし・沢田研二をはじめ「新御三家」の郷ひろみ西城秀樹野口五郎などが、百恵の最後の雄姿を見守った。そのほかにも、番組のフィナーレ前には五木ひろし研ナオコ沢田研二ら歌手仲間が登場、特にジュディ・オングから花束を受け取る際に百恵は感極まって涙を見せた。漫才コンビの青空球児・好児、プロデューサーの酒井政利やディレクターの川瀬泰雄ら仕事仲間の大勢も駆け付けた。この放送は後に『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』として2010年6月30日にDVDが発売されている。百恵と親しい間柄でもあった芳村はこの回の放送について、「いつもはスタッフ達の怒声も飛び交い、賑やかなスタジオであるはずが、この時はとても静かで、感動的だった」「番組の放送が終わった後も、皆去るのが辛く、VTRも回しっぱなしでお別れ会が続いた」と放送時のスタジオの様子を語っている。

現役歌手として最後のテレビ生番組出演は、10月13日放送の『山口百恵スペシャル ザ・ラスト・ソング』である。日本テレビ『NTV紅白歌のベストテン』の特別番組として放映された。

正式な芸能活動の完全引退は、10月15日のホリプロ20周年記念式典で、その時に歌った曲は「いい日旅立ち」である。式典の後同ホテル内において午後8時半過ぎに引退記者会見が開かれたが、記者の多さから開始直後に、前列にいた100名近いスチール用カメラマンと後方のビデオカメラマンとの間で揉める場面もあり、中断しかねない状態となった。この会見はこの当日放送された『水曜スペシャル特番 山口百恵 今夜 旅立ち!』(テレビ朝日)で番組の終わりに一部生放送され、これが芸能人として事実上最後のテレビ生出演となった。

引退時は21歳(22歳の誕生日の約3か月前)で、芸能人としての活動はわずか7年半ほどだった。引退までにシングルは31作の累計で1,142万枚、1970年代に最もレコードを売り上げた歌手であった紙面復刻: 1995年7月13日 (この道 500人の証言185・山口百恵その1)、nikkansports.com、2010年3月30日6時54分。

オリコンシングルチャートにおいて、1973年6月4日付でデビューシングルの「としごろ」が75位に初登場してから1981年3月2日付で32枚目のシングルの「一恵」が96位にランクインするまで、405週連続で100位以内にチャートインし続けたオリコン・ウィークリー編『小池聡行のオリコンデータ私書箱』オリジナルコンフィデンス、1991年、124-125頁。ISBN 4871310272。オリコンアルバムチャート(レコードのみ)において、引退後の1989年時点でアーティスト別セールス13位(251万枚)、TOP10総登場週数16位、TOP100総登場週数11位、と70年代アイドル歌手(男女共に)では最も上位にランキングされている『オリコン チャートブックLP編 昭和45年 - 平成1年』オリジナルコンフィデンス発行、1990年、356-360頁。ISBN 4871310256。

現役時代にはホリプロとの確執があり、『蒼い時』でも意見の相違により社長の堀威夫と衝突があったと振り返っている。当時の制作部長であった小田信吾とともに独立するつもりであったが、ホリプロ側が小田を説得して独立を阻んだため引退を決意したとの見解もある。もし独立が成功していれば三浦との結婚がなかったかもしれず、女優としてその後も活躍していた可能性があったとの見方もある別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.94.。

結婚

結婚式は1980年11月19日に、東京都港区赤坂の日本基督教団霊南坂教会にて飯清が牧師を務め、披露宴は東京プリンスホテル・鳳凰の間で招待客1,800人が出席して行われた。仲人は宇津井健夫妻で、友和側の主賓は東宝社長の松岡功(息子は松岡修造)、百恵側の主賓はCBSソニー会長の大賀典雄がそれぞれ務め、百恵の父親代わりはホリプロの堀社長が務めた。披露宴の司会はメインが岡田真澄、サブが徳光和夫(当時日本テレビアナウンサー)であった。

引退後

引退後もマスコミやファンから関心が高いが、一貫して芸能界と距離を取り原則としてマスメディアに出演しない。長男出産後の記者会見に三浦とともに出席したほか、『3時のあなた』(フジテレビ)から取材を受け、その模様が同番組で放映されたことがある。作詞家として作品を提供したことがあり、1982年にアン・ルイスに提供した「ラ・セゾン」がヒットしている。

引退直後の1980年の『第31回NHK紅白歌合戦』では「人気アンケート」で4位だったため番組側は出演交渉を行ったが、本人からは「既に引退しましたので辞退します」との回答があり出場はなかった合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』。2000年の『第51回NHK紅白歌合戦』、2005年の『第56回NHK紅白歌合戦』でも番組側は出演交渉を行ったが出演しなかった。

家庭に入ってからは2人の息子をもうけた。2人が小学校に在学中だった1994年、テレビドラマ『スウィート・ホーム』(TBS)について「内容が事実と異なり、保護者に対する誤解を与えるため、内容の訂正と『お受験』という言葉の使用中止を求める」趣旨の嘆願書が、小学校受験を行った保護者たちからTBSに送られた際には署名者の1人となっている『女性セブン』1994年3月1日号。それまでほとんど使われなかった「お受験」の語は、このドラマがきっかけで流行語になった。(小学校受験#批判も参照)。

1987年頃から独学でキルト製作を始め、のちにキルト作家の鷲沢玲子に師事して作品を作り続けている鷲沢玲子 三浦百惠さんにキルトを教えて32年。針と糸が縁をつないだ 婦人公論、2019年11月20日。作品が「東京国際キルトフェスティバル」等の展示会に出品されることもあり、2019年には日本ヴォーグ社から三浦百恵名義でキルト作品集『時間の花束』を出版し、39年ぶりの著書となった。

自宅に不審者が押し入る事件も発生したが、大事もなく解決している。夫の三浦によれば、プライバシーが脅かされる生活に対し、百恵は「私は、これ以上芸能界にいたことを後悔したくない」と漏らした。長男の通園に備えて自動車教習所に通い始めた頃には、教習所の周りを百恵を狙ったカメラマンが囲んだため苦悩した。夫が人権擁護局に対応を求めた翌日は、同局の注意喚起によりカメラマンは一人も来なくなった。しかし長男の入園式に際して援護局に対応を要請した際は担当者に断られ、マスコミが自宅や幼稚園を取り囲む取材攻勢の中で強行突破を強いられ三浦友和『被写体』、車内の子供が強引にレンズを向けられて怯える騒ぎとなった。あまりの横暴に百恵は激怒し、車を降りてカメラマンを平手打ちした。この出来事は翌週の週刊誌各紙に掲載された。

節目ごとに多くのベスト・アルバムが発売されている。デビュー30周年にあたる2003年には未発表曲1曲を含む24枚組CD-BOX『MOMOE PREMIUM』が発売され、このヒットによりブームが再燃した。

1980年のシングル『謝肉祭』は、歌詞の中で連呼する「ジプシー」は差別用語として、1990年代後半以降はレコード会社が発売を自粛した。このためベスト盤CDやファイナルコンサートのDVD『伝説から神話へ -BUDOKAN…AT LAST-』も不完全な形で発売された。しかし2005年5月25日発売の『コンプリート百恵回帰』(全曲新アレンジで構成)に収録されたのをきっかけに、2006年1月18日発売のライブCD-BOX『MOMOE LIVE PREMIUM』に納められたファイナルコンサートのCD及びDVDは「謝肉祭」を含むノーカット版が収録された。当時のシングル・バージョンも2007年7月20日発売の廉価版CD『山口百恵ベスト・コレクション VOL.2』に収録され、9月30日に『MOMOE PREMIUM』の改訂盤として通信販売限定で発売された『Complete MOMOE PREMIUM』および『MOMOE PREMIUM update』にも収録され完全復活を果たした。

引退25年・ホリプロ創立45年にあたる2005年、百恵の楽曲を使用したトリビュート・ミュージカル『プレイバックPart2〜屋上の天使』が上演された。

2020年6月、『女子SPA!』は同ウェブサイト上で、「去り際(引退)がいさぎよかった女性5選」の1人として百恵を選出して掲載した。

ストリーミング配信

引退から40年を迎えた2020年5月29日、音楽サブスクリプションサービス上で、600曲以上の楽曲のストリーミング配信を開始した。

エピソード

  • 郷ひろみは「アイドル時代にマネージャーや周囲の目を盗み、山口百恵に電話番号を渡したが相手にされなかった」と語っている。
  • 同じ横須賀市出身のシンガーソングライター・渡辺真知子と親交があり、百恵の結婚式に渡辺真知子も出席している。
  • 新婚当時は友人をよく自宅に招いた。招待されたのは桜田淳子岩崎宏美アン・ルイス桑名正博夫妻、江藤潤夫妻など。
  • お笑い番組が大好きで、新婚当時も『THE MANZAI』や『お笑いスター誕生!!』などをビデオで録画し、夫婦で何度も見ていた。百恵の引退と漫才ブームの勃興は同時期に当たるが、漫才ブーム時はB&Bの大ファンで、引退前はB&Bの名誉会員だった。これを知ったB&Bの島田洋七が「百恵さんに歌ってもらいたい」と作詞をし、本人に歌唱を頼むつもりでいたが百恵が引退してしまい、商魂逞しいトリオレコードがこれに目を付け、作詞を洋七、作曲を森田公一に頼み、百恵に似た声を持つ歌手を探して歌入れし、1982年1月に歌・MOMOE名義でレコード「恋愛専科」をリリースした。レコードチラシには「数々のヒット曲を世に残して去って行ったモモエ、遂に彼女の未発表曲が発見された!!あの懐かしい歌声が再び甦る!」などと書かれた引っ掛け商法で、声もそっくりで百恵と信じて買った人もいたといわれる。夫の友和とともにダウンタウンのファンであることを、長男・祐太朗がPeaky SALTとして2009年8月31日に放送されたダウンタウンが司会を務める『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ)に出演した際に述べている百恵の大ファンと公言している松本人志は、自身の街ブラ番組「松本家の休日」で、番組中のOP・ED曲含め、BGMはほとんどが百恵の曲である。。
  • 長男・祐太朗の妻である牧野由依とはLINE友達である。2022年3月に息子夫婦に子供(百恵にとって初孫)が生まれた。
  • 映画監督の市川崑は、役者としての山口百恵を高く評価しており、山口が引退した後の書籍取材の中で「役柄が幅広く、それでいて奥行き深く、女優さんとして大成するんじゃないかと思っていました」「一緒に仕事をしてみると僕の想像以上でしたね。作品に対する姿勢もキチンとしていたし、表現力も完璧で、100点満点でした」と述べている『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P316。

音楽

※最高位はオリコン調べ
※アルバム項目の*印欄はカセット未発売

シングル

発売日 タイトル 最高順位売上枚数 規格品番 収録アルバム
1 1973年5月21日としごろ 376.7万枚 SOLB-29 としごろ
2 1973年9月1日 青い果実 919.6万枚 SOLB-68 青い果実/禁じられた遊び
3 1973年11月21日 禁じられた遊び 1217.6万枚 SOLB-89
41974年3月1日 春風のいたずら 1116.1万枚 SOLB-116 15歳のテーマ 百恵の季節
51974年6月1日 ひと夏の経験 344.6万枚 SOLB-144 15歳のテーマ ひと夏の経験
61974年9月1日 ちっぽけな感傷 343.2万枚SOLB-172 15才
71974年12月10日 冬の色 152.9万枚SOLB-19716才のテーマ
81975年3月21日 湖の決心 524.9万枚SOLB-229
91975年6月10日 夏ひらく青春 432.9万枚SOLB-280ささやかな欲望
101975年9月21日 ささやかな欲望 532.6万枚SOLB-319
111975年12月21日 白い約束 235万枚 SOLB-353 17才のテーマ
121976年3月21日 愛に走って 246.5万枚 SOLB-401
131976年6月21日 横須賀ストーリー 166万枚06SH-15 横須賀ストーリー
141976年9月21日 パールカラーにゆれて 147万枚 06SH-62 パールカラーにゆれて
151976年11月21日 赤い衝撃 350.4万枚 06SH-90
161977年1月21日 初恋草紙 424.1万枚06SH-108 山口百恵
171977年4月1日 夢先案内人 146.8万枚06SH-140 山口百恵
181977年7月1日 イミテイション・ゴールド 248.4万枚06SH-182 GOLDEN FLIGHT
191977年10月1日 秋桜 346万枚 06SH-218 花ざかり
201977年12月21日 赤い絆 521.5万枚06SH-250 THE BEST プレイバック
211978年2月1日 乙女座 宮 431.4万枚06SH-257COSMOS(宇宙)
221978年5月1日 プレイバックPart2 250.8万枚06SH-331ドラマチック
23 1978年8月21日 絶体絶命 337.6万枚06SH-370
241978年11月21日 いい日旅立ち 353.6万枚 06SH-418 曼珠沙華
251979年3月1日 美・サイレント 432.9万枚06SH-467 A Face in a Vision
261979年6月1日 愛の嵐 532.8万枚06SH-529 春告鳥
271979年9月1日 しなやかに歌って 827.1万枚06SH-579
281979年12月21日 愛染橋 1022.1万枚06SH-682
291980年3月21日 謝肉祭 428.6万枚06SH-730 Star Legend 百恵伝説
301980年5月21日 ロックンロール・ウィドウ 333.6万枚06SH-772 メビウス・ゲーム
311980年8月21日 さよならの向う側 437.9万枚06SH-834 不死鳥フェニックス伝説
321980年11月19日 一恵 227.7万枚06SH-894
33 1994年4月21日惜春通り 343.1万枚 SRDL-3839 惜春 譜

オリジナル・アルバム

タイトル 発売日 最高位 売上枚数 規格品番
1としごろ1973年8月21日551.2万枚SOLJ-80
2青い果実/禁じられた遊び1973年12月21日264.1万枚SOLL-57
315歳のテーマ 百恵の季節1974年4月21日75.3万枚SOLL-65
415歳のテーマ ひと夏の経験1974年8月1日37.8万枚SOLL-75
515才1974年12月10日85.6万枚SOLL-114
616才のテーマ1975年5月1日36.7万枚SOLL-141(LP)SZLH-36(8トラック)SKLB-47(CT)
7ささやかな欲望1975年12月5日154.7万枚SOLL-195
817才のテーマ1976年4月21日27.7万枚SOLL-213
9横須賀ストーリー1976年8月1日37.3万枚25AH-48(LP)28YH-33(8トラック)24KH-33(CT)
10パールカラーにゆれて1976年12月5日65.4万枚25AH-124(LP)28YH-87(8トラック)24KH-87(CT)
11百恵白書1977年5月21日36.4万枚25AH-199(LP)28YH-137(8トラック)25KH-137(CT)
12GOLDEN FLIGHT1977年8月21日35.6万枚25AH-250(LP)28YH-179(8トラック)25KH-179(CT)
13花ざかり1977年12月5日75.6万枚25AH-371(LP)28YH-234(8トラック)25KH-234(CT)
14COSMOS(宇宙)1978年5月1日84.3万枚25AH-424(LP)25KH-295(CT)
15ドラマチック1978年9月1日610.3万枚25AH-550(LP)25KH-390(CT)
16曼珠沙華マンジューシャカ1978年12月21日713.4万枚25AH-662(LP)25KH-460(CT)
17A Face in a Vision1979年4月1日38万枚25AH-673(LP)25KH-477(CT)
18L.A. Blue1979年7月21日28.7万枚25AH-769(LP)25KH-573(CT)
19春告鳥1980年2月1日59.4万枚25AH-928(LP)25KH-711(CT)
20メビウス・ゲーム1980年5月21日58万枚25AH-974(LP)25KH-749(CT)
21不死鳥フェニックス伝説1980年8月21日69.2万枚38AH-1039/40(LP)38KH-846(CT)
22This is my trial1980年10月21日48.6万枚27AH-1112(LP)27KH-860(CT)

テープのみの企画盤

タイトル 発売日 最高位 規格品番 備考
1青い果実・禁じられた遊び1973年12月5日 SZLF-35(8トラック)SKLD-10(CT)「としごろ」と表題シングルのA面・B面6曲に、LP『としごろ』より6曲の全12曲
2春風のいたずら1974年3月21日 SZLH-6(8トラック)SKLB-10(CT)表題シングルのA面・B面、LP『青い果実/禁じられた遊び』より9曲、LP『としごろ』より1曲の全12曲
3ちっぽけな感傷・ひと夏の経験1974年9月1日13SZLH-14(8トラック)SKLB-17(CT)表題シングルのA面・B面、LP『15歳のテーマ ひと夏の経験』より8曲の全12曲
4CT 『ささやかな欲望/白い約束』1975年12月21日9SZLH-49(8トラック)SKLB-76(CT)LP『ささやかな欲望』に「白い約束」を加え、「ありがとう あなた」をカット

ベスト・アルバム

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1山口百恵ヒット全曲集 -1974年版-1974年11月1日6SOLL-107
2DELUXE SERIES 山口百恵デラックス1975年6月1日21SOLI-56/7
3Best Hits 山口百恵ヒット全曲集1975年11月1日10SOLL-170
4Best of Best 山口百恵のすべて1976年6月1日2638AH-9/10
5Best Hits 山口百恵ヒット全曲集1976年11月1日725AH-81
6山口百恵1977年6月21日1538AH-217/8
7THE BEST 山口百恵 -百恵物語-1977年11月1日1225AH-301
8THE BEST プレイバック1978年6月21日325AH-521
9THE BEST 山口百恵1978年11月1日938AH-591/2
10ザ・ベスト 山口百恵1979年6月21日825AH-744
11THE BEST 山口百恵1979年11月1日2240AH-831/2
12Star Legend 百恵伝説1980年7月21日300AH-1021/5
13歌い継がれてゆく歌のように '73〜'77 1980年12月21日6040AH-1167/8
13歌い継がれてゆく歌のように '78〜'804440AH-1169/70
14THE BEST Again 百恵1981年11月1日 -28AH-1342
15Again 百恵 あなたへの子守唄1982年7月1日1328AH-143530AH-1222
16PLAYBACK MOMOE 1973-19821982年11月21日 -60AH-1486/8
1733 SINGLES MOMOE1983年11月21日 -60DH-51
183650 Momoe 百惠十年1983年12月21日 -60AH-1683/5
19山口百恵ベスト・コレクション1985年4月21日 -
20百恵復活1992年2月21日12SRCL-2311/2
21百恵回帰1992年11月21日49SRCL-2512
22歌い継がれてゆく歌のように -百恵回帰II-1993年1月21日82SRCL-2558
23百恵・アクトレス伝説1993年10月1日 -SRCL-2742
24惜春 譜1994年7月21日60SRCL-2955
25百恵クライマックス1994年12月1日 -SRCL-3110/1
26山口百惠ベスト・コレクション〜横須賀ストーリー〜1995年2月1日 -
27百惠辞典1995年8月2日73SRCL-3281/3
28山口百惠ベスト・コレクションII 〜いい日旅立ち〜1995年9月1日 -
29ベスト・セレクション Vol.1 1997年7月21日 -SRCL-3989
30ベスト・セレクション Vol.2 -SRCL-3990
31GOLDEN J-POP/THE BEST 山口百惠1997年11月21日243SRCL-4117/8
322000 BEST 山口百恵 ベスト・コレクション2000年6月21日202SRCL-4827
33GOLDEN☆BEST 山口百恵 PLAYBACK MOMOE part22002年6月19日114MHCL-109/10
34コンプリート百恵回帰2005年5月25日161MHCL-10078/9
35赤いシリーズ シングル・コレクション2005年10月19日237MHCL-638
36山口百恵ベスト・コレクション VOL.1 2007年7月20日 -
37山口百恵ベスト・コレクション VOL.2 -
38MOMOE PREMIUM update2007年9月30日 -DQCL-1385/6
39GOLDEN☆BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション2009年8月19日60MHCL-20053/4(完全生産限定盤)MHCL-1569/70
GOLDEN☆BEST orikara 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション2011年1月26日 -MHCL-1845/6
40GOLDEN☆BEST 山口百恵 アルバム・セレクション2013年5月22日116MHCL-2270/1
41ゴールデン☆アイドル 山口百恵2015年2月11日38MHCL-30295/8
42GOLDEN☆BEST 山口百恵 日本の四季を歌う2017年5月24日129MHCL-30456/7
43GOLDEN☆BEST MOMOE DISCO & SOUL2023年11月8日 -MHCL-30920

テープのみの企画盤

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1山口百恵ベスト・ヒット1974年12月10日3SZLK-27(8トラック)SKLI-26(CT)
2山口百恵のすべて1975年7月1日4SZLK-42(8トラック)SKLI-42(CT)
3山口百恵全曲集1976年4月1日3SZLK-59(8トラック)SKLI-59(CT)
4山口百恵全曲集1976年11月1日236YH-60(8トラック)34KH-60(CT)
5山口百恵 テレビ・映画主題歌集1976年12月5日 -24KH-93
6山口百恵ベスト・ヒット1977年4月1日128YH-108(8トラック)25KH-108(CT)
7山口百恵全曲集1977年11月1日336YH-207(8トラック)34KH-207(CT)
8PLAY CASSETTE SPECIAL1978年3月1日2710KH-271
9プレイバック 山口百恵ベスト・ヒット1978年6月21日 -28YH-300(8トラック)25KH-300(CT)
10山口百恵ヒット全曲集1978年11月1日336YH-401(8トラック)34KH-401(CT)
11 THE BEST 山口百恵 1979年6月21日 -28YH-551(8トラック)25KH-551(CT)
12山口百恵全曲集1979年11月1日438YH-601(8トラック)35KH-601(CT)
13百恵・純愛 -映画TV主題歌・名場面集-1980年9月21日4232KH-856
14山口百恵全曲集1980年11月1日338KH-871
15山口百恵オリジナル・カラオケ 1980年11月21日 - 20KH-898
16山口百恵全曲集1981年11月1日2738KH-1053
14オリジナル・カラオケ全曲集1 1981年12月21日 - 15YH-1118
15オリジナル・カラオケ全曲集2 - 15YH-1119
16百恵メモリアル VOL.1 1982年5月2日 -25KH-1141
17百恵メモリアル VOL.27425KH-1142
18百恵メモリアル VOL.34625KH-1143
19オリジナル・カラオケ全曲集 山口百惠VOL.1 1982年8月25日 - 15KH-1197
20オリジナル・カラオケ全曲集 山口百惠VOL.2 - 15KH-1198
21オリジナル・カラオケ全曲集 山口百惠VOL.3 - 15YH-1197
22オリジナル・カラオケ全曲集 山口百惠VOL.4 - 115YH-1198
23山口百恵全曲集1982年11月21日3138KH-1242
24百恵メモリアル VOL.4 THE MOVIE -映画・TV主題歌:名場面集- 1983年5月21日8225KH-1314
25百恵メモリアル VOL.5 THE FINAL -武道館ファイナル・コンサート名唱篇- -25KH-1315
26BEST SELECTION1983年11月1日 -38KH-1382
27オリジナル・カラオケ全曲集1984年6月21日 - 15KY-8027
28百恵メモリアル VOL.6 BACK-SIDE STORY1984年7月1日 -25KH-1512
29BEST SELECTION1984年11月1日 -38KH-1601
30BEST SELECTION1985年11月21日 -38KH-1783
31山口百恵ベスト・セレクション1986年11月1日7338KH-1982

ボックス・セット

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1REBIRTH/百恵全集1984年5月21日 -00DH-84/7
2山口百惠全曲集1993年11月25日 -
3百惠神話 ONE AND ONLY 1973-19801996年8月21日 -SRCL-3631
4百恵伝説II -STAR LEGEND II-1999年2月27日95SRCL-4431/5
5山口百惠 女優伝説2000年10月18日 -SRCL-4891/9
6MOMOE PREMIUM2003年6月4日8MHCL-251/74
Complete MOMOE PREMIUM2007年9月30日 -DQCL-1361/84
7山口百恵 22 Original Albums Collection2005年11月1日 -DYCS-1072
8MOMOE LIVE PREMIUM2006年1月18日36MHCL-731/51
9コンプリート百恵伝説2008年12月11日 -DQCL-1471

ライブ・アルバム

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1百恵ライブ -百恵ちゃん祭りより-1975年10月1日10SOLI-70/1
2MOMOE ON STAGE1976年10月21日2238AH-116/7
3MOMOE IN KOMA1977年11月1日2938AH-299/300(LP)40YH-230(8トラック)38KH-230(CT)
4百恵ちゃんまつり'781978年10月21日2738AH-639/40(LP)38KH-436(CT)
5山口百恵リサイタル -愛が詩にかわる時-1979年11月21日4240AH-907/8(LP)40KH-629(CT)
6伝説から神話へ -BUDOKAN…AT LAST-1980年11月19日370AH-1141/3(LP)70KH-918/9(CT)

サウンドトラック

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1オリジナル・サウンドトラック 伊豆の踊子1975年2月21日23SOLL-120
2オリジナル・サウンドトラック 潮騒1975年7月21日24SOLL-150
3オリジナル・サウンドトラック 絶唱1976年2月25日11SOLL-208
4赤い疑惑 -テレビ・ドラマ名場面集-1976年4月21日7SOLL-218
5オリジナル・サウンドトラック 春琴抄1977年4月21日3525AH-191(LP)25KH-118(CT)
6オリジナル・サウンドトラック 泥だらけの純情1977年9月21日2925AH-296(LP)25KH-184(CT)
7オリジナル・サウンドトラックホワイト・ラブ1979年9月1日3125AH-790(LP)25KH-653(CT)
8オリジナル・サウンドトラック 古都1980年12月21日 -27AH-1173(LP)27KH-946(CT)

映像作品

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1山口百恵 激写/篠山紀信1980年7月FVLA2(VHS)FXLA2(βII)
2伝説から神話 -BUDOKAN…AT LAST-1980年11月19日FVLA9(VHS)FXLA9(βII)
3山口百恵主演映画大全集1994年3月22日BVLL-507(LD)BVS-603(VHS)
4ザ・ベストテン 山口百恵 完全保存版 DVD BOX2009年12月16日7TCED-689
5山口百恵 in 夜のヒットスタジオ2010年6月30日3AVBD-91791/6

トリビュート・アルバム

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1山口百恵トリビュート Thank You For…2004年5月19日3MHCL-614
2山口百恵トリビュート Thank You For…part22005年5月25日6MHCL-538

他の歌手への提供曲の作詞

曲名 発売 歌手 収録アルバム 名義
Let me be lonely1980年三浦友和『喜・怒・愛(Ki・Do・I)』横須賀恵
A・N・TA
ラ・セゾン1982年アン・ルイス『LA SAISON D'AMOUR』三浦百恵
I LOVE YOUより愛してる1983年『I LOVE YOUより愛してる』
通りすぎた風1978年に百恵自身の歌唱で発表しており、厳密には楽曲提供のみ行ったわけではない。1983年高田みづえ横須賀恵
シンデレラ・リバティ1987年鈴木聖美 with Rats&Star『WOMAN』三浦百恵

コンサート

  • 百恵ちゃん祭り
    • 第1回(1975年)
    • 第2回(1976年)
    • 第3回(1977年 - 1978年)
    • 第4回(1978年)
    • 第5回(1979年)
    • 第6回(1980年)
  • 山口百恵リサイタル 愛が詩にかわる時。(1979年)
  • 山口百恵ファイナル(1980年)

出演

映画

タイトル 公開年月日 監督 共演者 原作 備考
としごろ1973年04月14日 市村泰一森昌子 和田アキ子石川さゆり等が出演百恵は助演
伊豆の踊子1974年12月28日  西河克己三浦友和川端康成配給収入:8億2800万円配給順位:1975年第3位初主演
潮騒1975年04月26日  三島由紀夫配給収入:5億200万円配給順位:1975年第6位
お姐ちゃんお手やわらかに!坪島孝和田アキ子 『潮騒』の併映作、ワンカットのみ出演
花の高2トリオ 初恋時代1975年08月02日  森永健次郎森昌子桜田淳子
絶唱1975年12月20日  西河克己三浦友和大江賢次配給収入:9億1800万円配給順位:1976年第5位
エデンの海1976年04月24日  南條豊若杉慧配給収入:配給順位:
風立ちぬ1976年07月31日  若杉光夫三浦友和堀辰雄配給収入:7億9200万円配給順位:1976年第6位
春琴抄1976年12月25日  西河克己谷崎潤一郎配給収入:8億8400万円配給順位:1977年第8位
泥だらけの純情1977年07月30日  富本壮吉藤原審爾配給収入:9億8500万円配給順位:1977年第7位
昌子・淳子・百恵 涙の卒業式〜出発〜1977年11月19日  根本順善森昌子桜田淳子花の高3トリオ卒業コンサートライブ・ドキュメント
霧の旗1977年12月17日  西河克己三浦友和松本清張配給収入:8億8900万円配給順位:1978年第8位
ふりむけば愛1978年07月22日  大林宣彦ジェームス三木(原案)配給収入:8億6100万円配給順位:1978年第9位サンフランシスコ・ロケ
炎の舞1978年12月16日多くのデータベースで「11月23日公開」と記されているが全くの誤りである。河崎義祐加茂菖子『執炎』配給収入:9億2000万円配給順位:1979年第8位
ホワイト・ラブ1979年08月04日  小谷承靖中川美知子(原案)配給収入:8億6000万円配給順位:1979年第10位スペイン・ロケ
天使を誘惑1979年12月22日  藤田敏八高橋三千綱配給収入:配給順位:
古都1980年12月06日有楽座にて特別先行上映。全国公開は12月20日から。市川崑川端康成配給収入:10億5000万円配給順位:1981年第10位引退記念作品、百恵一人二役

テレビドラマ(※ゲスト出演は含む)

タイトル 放送局 放映期間共演者 備考
顔で笑ってTBS1973年10月05日 - 1974年03月29日宇津井健水谷豊
銀河テレビ小説灯のうるむ頃NHK1974年07月08日 - 07月22日
赤い迷路TBS1974年10月04日 - 1975年03月27日宇津井健松田優作宇津井健>中野良子平均視聴率:18.9%最高視聴率:22.7%赤いシリーズ第1作目
赤い疑惑1975年10月03日 - 1976年04月16日宇津井健三浦友和平均視聴率:23.4%最高視聴率:30.9%
赤い運命1976年04月23日 - 10月29日宇津井健平均視聴率:23.6%最高視聴率:27.7%
赤い衝撃1976年11月05日 - 1977年05月27日三浦友和平均視聴率:27.0%最高視聴率:32.6%赤いシリーズで初の単独主演
赤い激流1977年06月03日 - 11月25日|平均視聴率:25.5%最高視聴率:37.2%大沢紀子役(第1話ゲスト・特別出演)
土曜ワイド劇場野菊の墓テレビ朝日1977年07月09日
東芝日曜劇場美しい橋TBS1977年10月02日 石井ふく子プロデュース
赤い絆1977年12月02日 - 1978年06月09日国広富之平均視聴率:29.5%最高視聴率:32.4%
風が燃えた1978年03月06日三浦友和日立スペシャル
人はそれをスキャンダルという1978年11月21日 - 1979年04月17日永島敏行
日本のおんなシリーズI北国から来た女フジテレビ1979年04月25日 脚本: 平岩弓枝
ご近所の星 1979年10月13日 - 1980年03月08日三浦友和 ゲスト主演:川本千恵(第10話)毎朝新聞の婦人記者で、三浦友和の後輩
土曜ナナハン学園危機一髪もうさみしくなんかないぞ1980年05月03日
花王名人劇場さらわれたスーパースター1980年10月19日
赤い死線TBS1980年11月07、14日三浦友和山口百恵引退記念スペシャルドラマ

NHK紅白歌合戦出場歴

年度放送回曲目出演順対戦相手備考
1974年第25回ひと夏の経験01/25西城秀樹紅組トップバッター
1975年第26回2夏ひらく青春14/24三橋美智也
1976年第27回3横須賀ストーリー01/24野口五郎紅組トップバッター(2)
1977年第28回4イミテイション・ゴールド13/24加山雄三
1978年第29回5プレイバックPart224/24沢田研二紅組トリ
1979年第30回6しなやかに歌って14/23沢田研二(2)

ラジオ(※放送局はすべてニッポン放送)

タイトル 放送期間
山口百恵のモモモモ30分1974年04月 - 1975年10月
山口百恵のラブリータイム1975年11月 - 1976年03月
ねらえ!サウンドライフ 山口百恵と大石悟郎のフォーエバー・フォーク1976年10月 - 1977年03月
フレッシュ・サウンド大進撃 山口百恵のスーパー・ライブ・カンパニー1977年10月 - 1978年03月
激突!サウンド・フィーバー 山口百恵のカラフル・ポップコーン1978年10月 - 1979年03月
独占!サウンドヒーロー 山口百恵と宇崎竜童のトヨタ・ローリングタウンNo.11979年10月 - 1980年03月
山口百恵 夢のあとさき1980年04月 - 1980年10月

CM

  • 江崎グリコ
    • アーモンドチョコレート&セシルチョコレート(三浦友和と共演)
    • プリッツ(三浦友和と共演)
    • ポッキー(三浦友和と共演)
    • アイスクリーム(三浦友和と共演)
    • コロン、他商品
  • 富士ヨット学生服
  • 旺文社 中一時代、参考書
  • 富士フイルム
  • 花王 カオーフェザークリームシャンプー、リンス
  • トヨタ自動車 コルサ、ターセル(1979年)
  • CASIO デジタル時計

書籍

著書

  • 『蒼い時』集英社、1980年9月25日初版/ISBN 978-4087510560、プロデューサー:残間里江子
  • 三浦百惠『時間ときの花束 Bouquet du temps』日本ヴォーグ社、2019年7月26日初版/ISBN 978-4529059015

関連書籍

注釈

出典

関連項目

  • 花の中三トリオ
  • スター誕生!
  • 三浦友和 - 夫
  • 篠塚建次郎
  • 高倉健
  • 中条静夫
  • アン・ルイス
  • さくらももこ - ファンの一人。自身の作品である「ちびまる子ちゃん」に「山口百恵」を登場させている。その他、手塚治虫の作品「ブラック・ジャック」などにも「山口百恵」の固有名詞が登場する。
  • GO!ヒロミ44' - 一時期「山口百恵」を名乗った

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/04/15 22:22 UTC (変更履歴
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