ベティ・カンプソン : ウィキペディア(Wikipedia)

ベティ・カンプソンBetty Compson、1897年3月19日 - 1974年4月18日)は、アメリカ合衆国の女優、映画プロデューサー。デビューはサイレント映画期。代表作は『』(1928年)とアカデミー主演女優賞にノミネートされた『』(1928年)。

生涯

1897年3月19日、ユタ州の鉱山キャンプで、鉱山技師・金採掘者・食料雑貨店経営者の父ヴァージル・カンプソンと家事手伝い・ホテルメイドのメアリー・ラウシャーの子として生まれる。出生名はEleanor Luicime Compson。ソルトレイク高校を卒業。若くして父親をなくし、16歳でソルトレイクシティの劇場でバイオリニストとして働き出す。

巡業でヴォードビルの寸劇を演じていたところ、ハリウッドの喜劇プロデューサーのの目に留まり契約。1915年11月公開の『Wanted: A Leading Lady』で映画デビューする 。

1916年には25本の映画に出演。『Almost a Widow』を除いて、すべてアル・クリスティの短編映画だったMuller, Eddie. 2012. San Francisco Silent Film Festival: The Docks of New York Retrieved 28 April 2018. http://www.silentfilm.org/archive/the-docks-of-new-york。クリスティとの契約が終了する1918年半ばまでこのペースで多数の短編映画に出演。1919年、パラマウント映画と5年契約を結び、監督作品『』で長編映画デビュー。

人気を得たことで、プロデュース業にも進出。『』を製作・主演した。

『』(1923年)を完成させたところで、パラマウントに週給2500ドルからの昇給を要求するが会社は拒否。新たにロンドンの映画会社と契約を結び、監督の『Woman to Woman』(1923年)、『』(1924年)に出演する(この2本にはアルフレッド・ヒッチコックが脚本で参加している)。まだまだカンプソンに人気があることを知り、ジェシー・L・ラスキーは最高額でカンプソンをパラマウントに呼び戻す。

ハリウッド復帰作の『』(1924年)の監督 と翌1925年に結婚。(1929年に離婚)。しかし契約はそれ1本きりで、カンプソンはフリーランスの道を選び、低予算のコロンビア ピクチャーズ『』(1926年)やチャドウィック・ピクチャーズ『The Ladybird』(1927年)などに主演。『肉体と悪魔』(1926年)でグレタ・ガルボの代役に検討されたが、結局ガルボがそのまま出演した。

1928年にはのパート・トーキー映画『煩悩』に主演。アカデミー主演女優賞にノミネートされた。同年、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『ニューヨークの波止場』にも出演。

これらの作品でカンプソンの人気は復活、トーキー時代を迎えて、多忙な女優となった。『ミラクルマン』『The Big City』(1928年)でカンプソンと共演したロン・チェイニーは自身初となるトーキー映画『』(1930年)の相手役を依頼したが、忙しすぎて出ることが出来ず友人のを紹介したほどである。

1930年だけで9本の映画に主演。しかし、ゲイリー・クーパー主演『』のヒットを最後に、出演はポヴァティ・ロウの映画ばかりになる。

それでも『風と共に去りぬ』のベル・ワトリング役のスクリーン・テストを受けるが、役は得られず、ヒッチコック監督の『スミス夫妻』(1941年)で小さな役をもらうのがやっとであった。

1948年の『Here Comes Trouble』を最後に女優を引退。その後は化粧品会社の経営や、3番めの夫の事業を手伝った。

1974年4月18日、カリフォルニア州グレンデールの自宅で心臓発作のために死亡。77歳だった。サン・フェルナンド・ミッション・セメタリーに埋葬。結婚は3回したが、子供はいなかった。

映画産業への多大な貢献により、ヴァイン通り1751にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星と名前を刻まれたHollywood Walk of Fame; Retrieved 2017-01-19 。

主な出演作品

  • Wanted: A Leading Lady (1915)
  • (1918)
  • 嘘の上塗り (1919)
  • (1919)
  • (1919)
  • (1921)
  • (1921)
  • (1921)
  • 小牧師 (1922)
  • (1922)
  • (1922)
  • (1922)
  • (1922)
  • (1923)
  • (1923)
  • (1923)
  • Woman to Woman (1923)
  • (1924)
  • (1924)
  • 浮気征伐 (1924)
  • (1925)
  • (1925)
  • (1925)
  • (1926)
  • (1926)
  • (1927)
  • (1927)
  • (1928)
  • (1928)
  • (1928)
  • (1929)
  • (1929)
  • (1929)
  • (1929)
  • (1929)
  • グレイト・ガッボ (1929)
  • (1930)
  • (1930)
  • (1930)
  • (1930)
  • (1930)
  • (1931)
  • (1931)
  • (1933)
  • (1936)
  • (1936)
  • (1938)
  • スミス夫妻 (1941)

出典

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/05/26 10:04 UTC (変更履歴
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