今村純二 : ウィキペディア(Wikipedia)

今村 純二(いまむら じゅんじ、1938年 - 2021年8月12日)は、日本の実業家。元北海道日本ハムファイターズ会長・社長。球団の北海道移転と道民ファンの獲得に尽力した。

経歴

長崎県出身。長崎県立長崎東高等学校を経て『長崎県立長崎東高等学校同窓会名簿』(長崎県立長崎東高等学校同窓会、1961年)、同志社大学商学部を卒業後、1961年に徳島ハム(現在の日本ハム)入社。同社では営業畑を歩み、1977年量販部長、1988年九州販売部長、営業本部参与を経て、1997年常勤監査役。2002年に監査役を辞任し、同年10月日本ハムファイターズ球団社長に就任した「日本ハム球団社長が辞任」『朝日新聞』2002年10月19日付朝刊、スポーツ面。。同年6月に日本ハムファイターズの北海道移転がパ・リーグ理事会で承認されており、移転に向けた準備を進めた。2003年1月に新球団名を「北海道日本ハムファイターズ」にすると発表「「北海道日本ハム」に名称変更 本拠地、札幌に移転後」『朝日新聞』2003年1月22日付朝刊、スポーツ面。。同年8月には新会社・北海道日本ハムファイターズの設立に伴い、同社の社長に就任した。翌シーズンに向け、新庄剛志の獲得を指示して球団への注目度を高めたほか「戦力補強(発進 北海道日本ハム:上)」『朝日新聞』2004年3月23日付朝刊、北海道面。、巨人ファンが多かったとされる北海道内を奔走してファン集めに努めた「「道民球団」尽力に感謝 日本ハムファン、退任の前社長らに花束」『朝日新聞』2010年3月23日付朝刊、北海道面。。2004年1月、本拠地が札幌市に移転されたことを受けて、スポーツを通じた地域活性化を実現させるとともに、2・3年内に日本一を目指したいと抱負を述べた「仕事始め「一年の計」期待と不安と」『朝日新聞』2004年1月5日付夕刊、社会面。。

球団の成績は、移転初年度の2004年にレギュラーシーズン3位となりプレーオフ進出を果たすも、2005年は5位に終わった。しかし、トレイ・ヒルマン監督(当時)の人格と闘志を評価し続投を決めた「プロ野球の日ハム、監督続投 「徹底して鍛え直す」」『朝日新聞』2005年10月1日付朝刊、北海道面。。2006年3月、球団会長に就任「日ハム社長に藤井純一氏」『朝日新聞』2006年3月18日付朝刊、スポーツ面。。同年、日本ハムはレギュラーシーズン1位で迎えたプレーオフを勝ち抜きパ・リーグ優勝を果たした。さらに日本シリーズで中日ドラゴンズを破り、プロ野球史上初めて北海道に本拠地を置く球団の日本一を決めた。2008年3月に球団会長を退任し、相談役となった「日ハム黒字9億円」『朝日新聞』2008年3月20日付朝刊、スポーツ面。。

2021年8月12日、胆管がんのため、福岡県春日市の自宅で死去。83歳没。

出典

参考文献

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/07 14:01 UTC (変更履歴
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