第85回アカデミー賞(2013年) 全部門ノミネート・監督賞

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第85回アカデミー賞の全部門ノミネート

監督賞

ミヒャエル・ハネケ 愛、アムール

ミヒャエル・ハネケ

俳優で映画監督の父と女優の母のもとドイツ・ミュンヘンに生まれ、オーストリア・ウィーン近郊で育つ。ウィーン大学卒業後、映画評論家や舞台演出家を経て、67年からTV局で脚本家として働く。70年からフリーランスでTVドラマを監督、89年「セブンス・コンチネント」(日本劇場未公開)で長編映画監督デビューを果たす。「ファニーゲーム」(97)をはじめ多くの作品がカンヌ国際映画祭に出品され、「ピアニスト」(01)で審査員特別グランプリ、「隠された記憶」(05)で監督賞、「白いリボン」(09)と「愛、アムール」(12)で最高賞パルムドールを受賞している。「愛、アムール」は第85回アカデミー賞で作品賞と外国語映画賞にノミネートされ、ハネケも監督賞の候補に挙がる。08年には「ファニーゲーム」を「ファニーゲームU.S.A.」としてアメリカでセルフリメイクした。

ベン・ザイトリン ハッシュパピー バスタブ島の少女

ベン・ザイトリン

米ニューヨーク出身。6歳から映画を撮り始め、ウェズリアン大学で映画を専攻する。大学卒業後は、チェコのプラハでアニメ作家として活動。アメリカに帰国し、04年にインディペンデント映画の制作集団「Court 13」を立ち上げる。活動の拠点をニューヨークからニューオーリンズへ移し、短編「Glory at Sea(原題)」のメガホンをとる。長編監督デビュー作「ハッシュパピー バスタブ島の少女」(13)は、サンダンス映画祭で審査員賞、カンヌ国際映画祭でカメラドール(新人賞)を受賞、アカデミー作品賞・監督賞にノミネートされるなど高い評価を得る。

アン・リー ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日

アン・リー

75年、台湾の国立芸術学校を卒業後にアメリカに渡り、イリノイ大学とニューヨーク大学で映画制作を学ぶ。在学中に製作した作品が数々の賞を受賞、輝かしい成績を収める。監督デビューは91年、台湾・アメリカ合作の「推手」。その後も続けて秀作を発表、00年の「グリーン・デスティニー」でアカデミー外国語映画賞など4部門を受賞、一躍ハリウッドでも大きな注目を集める。03年のハリウッドデビュー作「ハルク」では全米で1億ドルを超えるヒットを記録した。05年の「ブロークバック・マウンテン」でアジア人初のアカデミー監督賞を受賞する。ブッカー賞受賞作を映画化した「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」(12)で再びオスカー候補に挙がる。

スティーブン・スピルバーグ リンカーン

スティーブン・スピルバーグ

カリフォルニア州立大学ロングビーチ校で映画を学び、ユニバーサルと契約。72年、TV映画「激突!」で注目され、以後「ジョーズ」(75)、「未知との遭遇」(77)、「レイダース 失われたアーク」(81)、「E.T.」(82)など発表する作品が次々と記録破りの大ヒットとなり、ハリウッド随一のヒットメーカーとなる。93年には「ジュラシック・パーク」が自身最高の世界興行収入を記録し、さらに「シンドラーのリスト」で念願のアカデミー作品賞と監督賞を受賞。名実ともにハリウッドのトップに立つ。以降も94年に映画スタジオ、ドリームワークスSKGを設立するなど映画業界をリード。「プライベート・ライアン」(98)では2度目のアカデミー監督賞を受賞した。監督業だけでなく、「メン・イン・ブラック」シリーズ(97~12)や「トランスフォーマー」シリーズ(07~)など人気ヒット作の製作総指揮も数多く務める。「ミュンヘン」(05)、「リンカーン」(12)でもアカデミー監督賞にノミネートされた。

デビッド・O・ラッセル 世界にひとつのプレイブック

デビッド・O・ラッセル

デビュー作「Spanking the Monkey」(94)がサンダンス映画祭でプレミア上映され、観客賞を受賞、インディペンデント・スピリット・アワードでも新人監督賞と新人脚本賞を受賞する。続く「アメリカの災難」(96)も評価され、異色の戦争映画「スリー・キングス」(99)には、ジョージ・クルーニーやマーク・ウォールバーグらビッグネームが参加した。ウォールバーグを主演に迎え、実在したアイルランド系ボクサーを題材にした「ザ・ファイター」(10)では、アカデミー監督賞に初ノミネートされた。続く「世界にひとつのプレイブック」(12)は、第85回アカデミー賞で作品賞はじめ、監督賞や脚本賞など8部門にノミネートされた。

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Photo:Getty Images/アフロ