映画 窓ぎわのトットちゃんのレビュー・感想・評価
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時代の不安感にマッチ
戦前の暮らしを中心とした物語で、ラストの方にて戦争が始まる。
黒柳徹子さんの幼い頃の物語で、
泰輔ちゃんとの交流がメインに進む。
小林先生のような先生が、当時いたのだ、という事や
黒柳さんと泰輔ちゃんの交流などが胸を打つ。
序盤に泰輔ちゃんの口から出た「テレビジョンは世界を平和にする魔法の箱」という言葉に祈りみたいな気配を感じて、この作品が好きになった。
そうであって欲しい。
泰輔ちゃんとの別れは突然で、
悲しくて涙が出た。
大好きな人との別れは悲しい。
いつかずっと大人になった時に何処かで会えるんでしょう。と、思いたい。
戦争が始まって、トモエ学園の友達とも離れ離れになる日に、
どんなに遠い場所へ行ってしまっても、
いつかまた会える
そう言うトットちゃんが眩しくて、胸が締め付けられて、涙が出た。
映画「窓ぎわのトットちゃん」は、友情の物語で、別れの物語でもあったように思った。
信じ合える人達との心の交流があったから、
トットちゃんで描かれた「別れ」は、悲しさと一緒に、あたたかさも感じさせてくれる。
きっとまた会える
それは
「心の中にあなたがいるよ」ということじゃないかと思った。
教育とは、子どもを守るとは、戦争の始まりとは、
そういった事も考えさせてくれる物語だったと思う。
暮らしが悪くなっていくと、人も荒れる。
トットちゃんのように、心の豊かさ、友情を大切に出来る人間でいたいと思った。
トットちゃんは小林先生との出会いがあって羽ばたくことができました。自分も誰かの生きる力や支えに少しでもなれるなら良いのですが。
有名すぎて手が出なかった本がいくつもあります。
何度か手を伸ばしてみては、そのつど "今更かなぁ…" と
読む機会を持たなかったタイトルのひとつ。
それがこの「窓ぎわのトットちゃん」 です。
いわさきちひろの表紙イラスト絵も有名です。
今回のアニメ化がいいきっかけでしょ? と自分に
言いきかせ、劇場アニメを観に行ってきました。
(原作本はまだ読んでいません)
◇
鑑賞終了。
この作品を観る上で大事なことがあるかなぁ と。
#色々な場面で心に浮かんだ気持ちが大事。
#浮かんだ気持ちは心に留めておかないと。
#自分の周りにもトットちゃんはいたのかも。
#自分はトモエ学園の側に居たのだろうか…。
観終わって、そんなことを思っています。・_・ハイ
この作品、少しだけ人と違った女の子のお話。
フツーの小学校で持て余されてしまい、ここならばと
訪ねた学校が「トモエ学園」でした。
この学校は鉄道の車両を教室にしているのです。
そこには、トットちゃんにとって大切な人達との
出会いがありました。
・優しく迎え入れた小林先生。
・小児麻痺で右足と左手が不自由な子
・実験の好きな子 etc
家にはバイオリン弾きの父と優しい母もいます。
好奇心旺盛でやや落ち着きの無かった女の子が
自分を認めてくれる人達の中で成長していきます。
と、このようなお話なのですが、時は昭和15年ころ。
日本は戦争へと進んで行きます。
こどもの生活にも次第に陰が落ち始めます…。
◇
主人公トットちゃんこと黒柳徹子さんは今も元気で
ご活躍中なわけですが、現在の、そしてこれまでの色々な
番組司会等で目にしてきた徹子さんに、こんな過去が
あったのかと驚くと同時に、戦争の愚かさを追体験できる
内容となっています。
鑑賞後、やはり原作を読みたくなりまして
ネットで注文をかけました。
届いたら読んでみようと思います。
続編も出ていたのに驚きつつ、こちらも購入。
(今年10月の出版でした。新刊です ・_・)
◇あれこれ(印象に残った場面)
■校庭で水遊び
なにかこう、すごいインパクトのある場面でした ・-・。
気持ち良さそうではありますが、今の時代に同じことを
やったらきっとエライ事になるだろうなぁ… ・_・;
■♪トモエ学園 良い学園♪
いじめっこの暴力に立ち向かったトモエ学園の子たち。
相手が口にする悪口の歌を、逆の良い歌詞にして返すのです。
とても力強く逞しい団結力。痛快な場面でした。
■ひよこ
縁日で売っているヒヨコ。
ひよひよ ととても可愛いです。ですが
あっと言う間に大きくなり、朝から♪コケコッコになるからダメ
…かと思ったら、弱くて育たないから でした。
■15粒の大豆
成長期の小学生にとって、おやつにもなりません…。
食料難というのがやはり戦争の悲惨さの一つです。
仙豆なら一粒で良かったのに…。
◇最後に
この作品の他にも、戦争の時を生きた子供を描いた話はあります。
・この世界の片隅に とか
・火垂るの墓 とか
・裸足のゲン とか
いずれも戦争に翻弄されながら生きる人の話です。
そういった作品の中でこの「トットちゃん」は、現在もご活躍
されている実在の方が主人公ということで、
この子の生きた先は未来繋がっているということを感じながら
読むことが出来るかなぁ などと
そんな事を考えながら本のが届くのを待っております。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
普通に佳い映画
あまり大それた期待はせずに鑑賞。
普通に楽しめました。
役所広司は凄すぎる。
雨に唄えば、のオマージュシーンも楽しい。
最も意見が出るだろうプールのシーンも逃げずに誤魔化してもいない。
飽くまでも子供の視点で描かれているから暗さも辛さも説教臭くもない。
この世界の片隅にを思い浮かべる戦中の風俗もとても丁寧。
ただ、幾つものエピソードが尻切れ蜻蛉というか描写が不足している印象。あえて、なのかもしれませんが。尾骶骨とか突然死とか小林先生のその後とか。
良い部分もたくさんあるけれど、色々と不満もある感じ。
でも映画館で観て損したとは感じないからやっぱり佳かった。
やすあきちゃんとの交流が心に残った。
やすあきちゃんは小児麻痺で不自由な体だ。
そのため、いろんな事を我慢してきたんだと思う。夏のプール授業で魚のように泳いだ瞬間、トットちゃんと泥だらけになって、登った木の上で、初めてきれいな景色を観た瞬間。やすあきちゃんは凄く嬉しかったんだと思う。
小林先生は、トットちゃんに君はホントは良い子なんだよと言った。それは彼女に前の学校を退学になったという事実を伏せ、劣等感を持たせず自分に自信を持たせるためだったと思う。
疎開先に向かう列車でトットちゃんは疲れ切った母親から弟の赤ちゃんを抱き受け、君は良い子とささやく。たくましくも優しい女の子に育っていると思った。
観た人も含め、作品に携わった全ての人たちにとって愛おしいもの
観終わった後は、自分の心の中にある毒が浮き出てくるような感覚になりました。
まず、何というか、全てにおいてすごく丁寧に作られている印象を受けました。
絵本のような描写、子供や大人の表情、汗の浮き出るシャツ、指の末端の色の違い、小児麻痺の子の足の色の違いや動き、汲み取り式便所のシーン、オーケストラの演奏、駅員さん、お葬式の後にトットちゃんが走っていく中でのすれ違う景色との対比、チンドン屋の音が聞こえた瞬間の赤ちゃんの表情、タバコ等々…
そういった細かな作りからだけでも、作品全編を通して、原作や黒柳徹子さんへのリスペクトや愛情を感じられました。
過去にゲームやアニメの実写化で、監督が原作を知らずに作られたものがいくつかありましたが、この映画は制作が決まった直後に、制作に関わる全てのスタッフに「原作をまず読むこと!」とお達しがあったのではと思うほどでした。
また、子供の喜怒哀楽なんかは、本物の子供とジブリのいいところを随分と参考にしたのではとも思いました。(特に泣くシーン)
映画本編では、小児麻痺の子供が出てきますが、どこかの1日テレビのような「障害」で無理矢理感動を作ろうとしているところがないのもよかったです。
あくまで主人公は「トットちゃん」で、そこがまったくブレていなかった。(トットちゃんは見た目では見えにくい障害)
そんな風に、原作を大切にしつつイチから丁寧に愛情を持って作られているので、制作スタッフにとってこの作品はとても愛おしく、我が子のようなものになったのではないでしょうか。
そして、観た側にとっても愛おしくなるものでした。
個人的には、やっぱり校長先生の人間味がすごく良かったです。
黒柳徹子さんにとって、とても大切な人をとても大切に描いていたのではないでしょうか。
校長先生役の役所広司さんもピッタリで、校長先生は「となりのトトロ」のサツキとメイのお父さんに通ずるものがありました。
校長先生は、子供たちが大切にしているものは何か、常に思っているような人でした。
よく「人を大切に」「親を大切に」「友達を大切に」「自分を大切に」と大人は言うけど、実は「いい大人」に見られる為の綺麗な言葉として投げっぱなしになりがちです。(大切にする方法は???)
でも校長先生は投げっぱなしにならず、子供が大切にしているものを大切にされていました。
「人を大切にする」ということは、「人が大切にしているものを大切にすることなんだよ」と、全編を通して見せてくれました。
そして、それをメッセージ性として観た側に押し付けるようなことはまったく感じられなかったことも心地良かったです。
長くなりましたが、この映画は是非とも多くの人に観てもらいたいです。
基本的に、上映期間中に2回以上同じ映画を観に行くことはありませんが、この映画は最低でもあと2回は観に行きたいと思いました。
オススメです!
いのち
ちょうど小学生の時に原作を読みました。私は公立の小学校に通学していたので、トモエ学園の電車の教室に憧れていました。また、「海のもの」「山のもの」も原作で知りました。しかし、この歳になってみれば、トモエ学園の自由な校風が一番魅力的ですね。トットちゃんは今だったら、ADHDの診断がされたり、集団から排除されますから。
子供の時はそれなりに楽しかった学校ですが、今になって思えば、優秀な労働者を作る場所でもあったのかな?と思います。誰とでも仲良く、時間を守って、模範回答を暗記する。
とっとちゃんのお父さんも食料よりも自らの精神性を選んで、軍歌は弾きませんでしたよね。会社で鬱っぽくなっている人は、安定した給料より自分の気持ちに正直になった方がいいと思った瞬間です。
原作を読んだのが小学生の時なので覚えていないのですが、こんなに命を尊んだ作品だったのかと、大変驚きました。ラストに向かって、やすあきちゃんの亡くなった命と戦地に行かされる兵隊のこれから亡くなる命が重なりました。兵隊もトモエ学園に象徴される子供達も、全ての国民はこの戦争で死んではいけなかった。やすあきちゃんの様に病気で早く亡くなる子供がいる一方で、300万人の国民がこの戦争で死にました。戦争がなければ死ななくて済んだ子供達や若者達もです。
劇中に出てくる桜も樹々も街の風景も子供達も生命力に溢れてきらきらと輝いていました。だからこそ、勇ましく流れていた軍艦マーチや死を美化していた当時の国家に怒りを覚えずにはいられませんでした。やはり、国家権力は無責任ではないかと。子供や若者を死に追いやる戦争は、過去の日本だけに限らず、世界中で今現在も起こっています。
残る名作になるポテンシャルはあった
本作はトットちゃんの可愛さを表現する事に関してはぬかりないものの、ビジュアル、物語の進行、演出のどれもが一貫性を欠いているように見えます
序盤部分。ADHD型の困難児童であるトットちゃんの豊かな発想力と突飛な言動、そして校長先生の温かな心遣いは原作に忠実です。トットちゃんは一見ではわかり辛い困難を抱えた児童であり、悪意のない振る舞いでも周囲から咎められてしまいやすい。だからこそ校長先生は鋭い洞察によって「君は本当はいい子なんだよ」と微笑みかける。この言葉は生涯を通じてトットちゃんの心の支えになります。このパートは本当に素晴らしい
しかし中盤に入り、泰明君との交流と反戦描写がメインになるにつれ、紋切り型のストーリー展開と演出が目立つようになります。泰明君のケア描写にせよ、トモエ学園を差別する軍国主義児童に反撃するシーンにせよ、テンプレート性が強いためにトットちゃんが善なる少女という「ストーリー上のステロタイプ」を演じているように見えてしまう。泰明君の死に関しても、障害児の死を利用しているという批判が刺さるまであと一歩のレベルです。感動を誘うための過度の強調、そして直接関係がないにも関わらず戦争と死を接続しようとする演出、どちらも如何なものかと思います
後半。反戦描写は更に作為的になります。教養のあるトットちゃんの周囲の大人=反戦思想、対比される一般国民=軍国主義者の差別主義者、という構図に偏っているのもバランスが悪い。「軍国主義に染まる日本が怖い」という感想に誘導するために、顔を描かない等の手法で後者を非人間化しているのは趣味のいい演出と言えません。トットちゃんの周囲の大人達と一般人の間にある格差に自覚的なら、敵対的と受け取られかねない演出プランは採用しない筈です
描写の一貫性という意味では、泰明君~軍国主義日本のパートは過剰に演出される一方で、トットちゃんの家族のその後等は「明確には語らないが察してください」方式になっています。この辺のバランスも不統一に感じました
(一応フォローすると、中盤以降でも駅員さんの顛末や「尻尾」の話の配置等、優れた部分は結構ある)
画作りについて。背景美術は大変素晴らしいです。キャラデザについても、戦中~戦後の児童漫画のような赤い唇は結構好きなセンスです(ただし子供の顔が歪むシーンだけリアル調になるのはやり過ぎ。デフォルメ絵に口紅を入れたからと言ってリアル調と地続きにはならないと思う)。また幻想演出の画風がシーンごとに変わるのですが、オムニバス的で一貫したものを感じられませんでした。幻想演出を入れたいというプランありきで唐突に感じる場面もままあったと思います
【まとめ】
原作がエッセイであることを考慮すると、作品にストーリー性を与える為の試行錯誤として泰明君の準主役化と軍国主義日本の演出がターゲットにされたのはわかります。しかしその調理があまり上手ではなかった・・・というか実話ベースのエピソードの持つ強度と含蓄に比べて、脚色が浅いんですよ。特に反戦描写は原作から逸脱し、児童視点の中立性を損ねてしまっている点で残念です
もっとトットちゃんの個性と視点を大事にしてほしかったな
ヒヨコと腕相撲の心理描写に涙
原作未読。ヒヨコが出てくる辺りから感動の連続でした。
トットちゃんは、ヒヨコとの突然の別れで生き物の尊さを学びました。実はこれが物語の大きな伏線だったのです。
トットちゃんと小児麻痺の泰明ちゃんが腕相撲する場面があります。トットちゃんは、泰明ちゃんの小児麻痺による踏ん張れない足を見て、わざと負けます。
泰明ちゃんは「ズルするな」と憤り、この場面でも感動しました。皆と遊ばず読書にふけっていた泰明ちゃんの本心が表れた瞬間でした。
泰明ちゃんは、トットちゃんとの特訓の結果、不可能だった木登りができるようになり、障がい者ではなく、他の小学生と同じように対等な立場でトットちゃん達に接してもらいたかったのだと思います。登場人物の心理描写が巧みでした。
一点だけ気になったのが、米英の攻撃のニュースが入る辺りから敵性語である英語は禁止になるのですが、雨降りの中でトットちゃんと泰明ちゃんを怒鳴ったおじさんが「カレーライス」等と書かれた食堂に入っていった場面です。ライスは英語だよなと思ったのですが、公に禁止になったわけではないので、敵性語は使わない風潮があったという解釈にとどめました。
アニメーションや黒柳徹子さんのナレーションも素晴らしい感動作です。
窓ぎわのトットちゃん
昨今話題の戦争を扱った年末映画4連発。太平洋戦争開戦前夜〜戦中を描いたアニメ映画『窓ぎわのトットちゃん』、戦中末期を描いた実写映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』、戦後を描いた実写映画『ゴジラ-1.0』とアニメ映画『鬼太郎誕生ゲゲゲの謎』。やっと全て観ました。
トットちゃん原作小説は昔から知ってはいましたが未読。こんな話だったのか…と色々びっくりしました。
とっても元気で個性的な女の子トットちゃんが見る世界は、とてもキラキラしていてカラフル。楽しみと喜びに溢れた世界が、じわじわとにじり寄ってくる戦争の気配により静かに彩度を失っていく。戦争ものの映画はどれもそういう色合いですが、太平洋戦争が本格化するまでの日本の街(都会)はこんなにもカラフルで活気に溢れていたのかと。昭和前半の日本というと薄暗いイメージしかなかったけど、たしかにあの華やかな明治を経ているんだからずっと灰色なわけじゃないんですよね。
そんなことを思わされつつ観ていました。子どもの目で見た開戦前夜と戦中。子どもたちに二度とこんな思いをさせてはいけない。と同時に、今海の向こうでまさにこのような中で生きている子どもたちを思わずにはいられない。
トモエ学園いい学校!入ってみてもいい学校!
トモエ学園いい学校!入ってみてもいい学校!
暴力を使わず因縁つけてくる奴らを追い払ったトモエ学園のみんなの言葉は本心だろ。
こんな学校が実在したということに感動を覚えた。
小林校長はあたたかいまなざし、ひとりひとりの子どもをちゃんと見ている。時に失言した教師に厳しく指導する姿もリアリティがあってよかった。
夜に電車を搬入するのを見たがっている子どもたちに、ダメだと言わず寝巻きと肌掛けを持ってこいと言える大人がどのくらいいることだろう。
あの戦前戦後の時代に、時間割もなく自由な課題をさせて、物事を探究させるモンテッソーリの学校があったなんて素晴らしすぎる!
小児麻痺のやすあきちゃんを木に登らせる手伝いをするトットちゃん。
木の上からの景色はやすあきちゃんにとって宝物になったと思う。
やがてやすあきちゃんの死と直面する時は縁日のひよこのシーンが重なることでよりトットちゃんの気持ちに近づけた。
父親がヴァイオリンで軍歌を弾きたくないと決意した時の家族の表情も良かった。
建物疎開で素敵な赤い屋根のお家も崩壊。建物疎開などというものがあったということはこの映画で初めて知ることが出来た。
エンドロールの最後にパンダが出てきたのがまた微笑ましいではないか。
黒柳徹子さんのその後の人生にも思いををはせることができた。
映画的な時間の飛ばし表現が良かった
シーンのテンションが上がった決定的な瞬間に、何かを想像させるインサートを使い物語の時間を飛ばすのはとても映画的でこの物語を語るには効果的だと思った。
主人公のキャラクター造形もとても可愛らしく、色彩に溢れてまた、洋服や家具など当時の主人公の社会的な状況をさりげなく色々な状況を説明しているのがとても秀逸だと思った。まぁ、実際に黒柳さんがそういう生活をしていたということでもあるが。
物語の語りとして、黒味を入れることでどうしてもエピソードの羅列感が出てしまい、全体としての物語的強度が落ちていた。
エピソードにすれば、わかりやすいし、感動もするし、自伝的側面もあるのでそうしたことはある種の語り方だとは思うが各エピソードが全体として機能的だったかというとそうではない気がする。徐々に戦争に巻き込まれいく空気感もいいんだけどね。
でも、なんか見たことによる新しい何かはなかった。
隣のおじさんは凄く号泣してたので、私の心の問題かもしれないけど。
トットちゃんと校長先生
トットちゃんの豊かな感受性と優しさ、素敵ですね。
そしてトモエ学園の校長先生の心の大きさに感動。こんな人になりたいと憧れてしまいます。
後半は、子供 の個性を尊重するそんな素敵なトモエ学園も空襲で燃えてしまう。これは強烈な反戦のメッセージではないでしょうか。
元気をもらう映画
黒柳徹子さんの幼少時代を描いたアニメ。舞台は東京。戦争直前の1941年(昭和16年)ごろってまだ裕福な感じだったんですね。主人公のトットちゃんも洋風の一軒屋に住んで裕福層だったのかもしれないし、小児麻痺を患っていたヤスアキちゃんも田園調布の大きなお家に住んでいて、都会の裕福層だったような印象です。
元気はつらつで健康優良、繊細でかつ大胆な女の子。利発で悪気がない行動は周囲の大人も同級生も巻き込むエネルギーに満ち溢れている。迷惑がられていた感じだったのが、転校してきた学校の校長先生から君はほんとにいい子と言われる場面は感動しました。
一方、ヤスアキちゃんは小児麻痺で歩くのも大変だけど、トットちゃんとの交流で少しずつ外向きな元気になっていく。それだけにヤスアキちゃんの突然の死は悲しかった。
戦争はいよいよ激しさを増してとうとう、昭和20年になればトットちゃんも母親と兄弟姉妹の赤ちゃんと一緒に青森へ疎開することになる。通っていた学校も空襲で焼け、住んでいた一軒家も取り壊されてしまう。青森へ行く汽車でエンディング。トットちゃんに元気をもらえる映画でした。
PS.
小学生の子も親子連れでちらほら居て、小学生となればもうじっと静かに2時間近く座って観ていられるんだなと思い、騒がしくなるんではといったのは杞憂に終わりました。ちょうど隣に小学生低学年らしい女の子が座っていたけど、ずっと大人しくしてました。もうこの歳になるとちゃんと2時間映画が観ることができるんですね。
沸き上がる感情 コンタクト乾く間もなし
評判が良いので観に行ったが、まさかこんなに泣かされるとは。
最初はどうしても今の徹子さんイメージが目に浮かんで雑念チラホラしていたのだが、アニメの中の少女の姿にも慣れてからは没入。
トットちゃんはじめ、両親、愛犬、トモエ学園の校長先生、お友達、みんな魅力的。当時の東京ではかなり上流の生活?
こんなに子どもたちの自主性を重んじてくれる学園があったのか。教育内容を色々見られて興味深い。お財布を落としたエピソード、校長先生の対応にびっくり。見つけられなくても忘れられない体験になっただろう。
後半、戦争の影が忍び寄ってきてから起こる出来事に心揺れ動かされまくりでほぼ全泣状態。
戦争物苦手な自分には非常にきつかった。ダイレクトな描写はないが、すべてが統制され地味で質素で我慢を強いられる社会に否応なく変貌を遂げていく。いつのまにか愛犬の姿はなく、外来語も芸術も許されず、人々からは笑顔が消え、食うや食わずの毎日に。そんな中、泰明ちゃんとの雨のシーンの美しかったこと。
トットちゃんとの沢山のキラキラした時間を過ごしていただけに、その後に訪れた泰明ちゃんとの別れの辛さはぐっと迫りくるものがあった。
いよいよ戦況が悪くなってトットちゃんが疎開するところで映画は終わったが、これ以上辛い場面を観ていられなかったので正直助かった。
ストーリーもさることながら、音楽も演出も素晴らしかった。特に表現方法として様々なアニメーションの手法?が取り入れられていて、時に塗り絵っぽかったり、水彩画ぽかったり、良質の絵本をめくっているような気分になった。
鑑賞後は人に優しくありたいとなんとなく思わせるような作品なので、先入観なしに是非あらゆる年齢の人に観てほしい。
素晴らしかった
戦中の東京の生活ぶりをスケッチしていくような、淡々とした物語でフックが弱いはずなのに一つ一つのエピソードに引きこまれる。ともえ学園と小林先生が素晴らしくてずっと目がうるみっぱなしだ。燃え盛る校舎を前にして希望を捨てない小林先生がかっこいい。「ともえがくえん、いいがっこう」と意地悪な子に生徒たちが言い返す場面でボロ泣きした。
しかしトットちゃんは小児まひの子に良かれと思って木登りさせたり、プールに無理やり入れたり、まあ結果オーライなのだけど、無理強いがひどい。ハラスメントのレベルだ。こんなのは今は完全にNGだけど、それによって広がる世界もあるため、今後世界が狭いままの人が増えていくことだろう。どっちがいいのかはなんとも言えない。お母さんも服が汚れているのを見て泣いていて、そこでも涙がこぼれた。
尻尾があると先生にからかわれた高橋くんはもしかしたら小人症か何かだったような匂わせがある。
しかし、ともえ学園にうちの子が行くとなったらあんまり勉強しなくなりそうでちょっと困るな。
表現がとても豊かで、クオリティがめちゃくちゃ高い。素晴らしいものに触れた。
あのトースター欲しい
反戦映画でもあると思うのですが、
可愛らしくほんわかする映画で
黒柳徹子の幼少期を追体験する、そんな映画です。
あの独特な雰囲気を醸し出している徹子さんは
やはり裕福な家庭でお育ちになられたのですねぇ。
大戦突入前とはいえ、きらびやかな洋装、
立派な洋館、パパは音楽家🎻(ヴァイオリニスト)
驚いた事に、冷蔵庫やトースターまで‼️
当たり前のように朝食は喫茶店の洋食モーニング
食卓には綺麗な花がいけてありました🌷
(あのトースター欲しくなる🍞)
昨今の時代背景を考慮されたであろう
プールのシーンは違和感しかなく、
好き嫌い分かれるかもしれません。
プールのシーンを入れ込むのであれば
(無くても問題ないと思う)
あのような「妖精」たちを描くのではなく
ちゃんと描くべきだったのでは?と思って観ていました。
個人的には好きではありませんね💦
パパの声 小栗旬
ママの声 杏
小林先生 役所広司
パパ・ママに至っては、それほどセリフが
多いわけではないけれど
「親」の立場であるふたりだからこその深みある声で
小林先生の優しさにも痺れますねえ…。
名優たちは声だけの演技も素晴らしい👏
あえて言うなら、日常モノ
この映画を、「日常モノ」と括った人は凄い。劇的な展開や壮大な物語があるわけではなく、ただトットちゃんの数年を描いた日常モノである。
この作品は、見ながら、そして見終わったあとには色々考えさせられる。
色々考えさせられるが、作品はまるで一つも「ここを考えてね」と言ってこない。こんなに何も押し付けてこない作品も珍しい。これをみて?考えさせられるでしょ?と訴えてこない。考えさせられるどころか、考え方や果てには結論すら押し付けてくる作品が世に溢れる中で、本当にこの作品自体は何も押し付けてこない。
だから日常モノと感じる。
子供から見た日々は、ただそこにある。
開戦の報がラジオから流れた日、トットちゃんは今日いつも聞いてる天気予報のコーナーが無い、と報告した。両親は開戦を理解しているから困惑と重苦しい空気を纏いながらも、それでもトットちゃんにパパママは英語だから今日から使わないでお父様お母様と言うようね、と伝える。もちろんすぐに切り替えられるものでは無い。言い間違えしてしまったら瓶に一銭を入れていこう、と母親は遊戯にして子供へ伝えた。トットちゃんは瓶にお金を自分が入れたい、とはしゃぐ。
これが日常でなく、何なのだろうか。
色んな日常を丁寧に織り込んで作られているため、何に着目し何にハッとさせられるかすら、見る人に委ねられている。
皆に見て欲しいテーマ。皆に受け取って欲しいメッセージ。
そういうものをまるで嗅がせてこないっぷりが、本当にすごい。
それでもなお、見た人が受け取るエネルギーの様なものがある。
プラスとマイナス、生と死、陰陽どちらも混ぜ込んだようなエネルギーに感じた。
絶望に向かう訳ではなく、希望に生きるわけでもない。
日常とはそれだけで前に向かって生きていることであり、死や終わりと共にあることなのだと実感した。
新たな戦前を迎えつつあるこの国で
日本の学校教育は一人の教師が大勢の生徒を受け持つ一斉授業で行われるため、平均的でおとなしい生徒が好まれる。画一的な教育を目指すものなので均等な能力の育成に効果はあっても、個性や才能を伸ばすことには不向きだ。例えばギフテッドの子供や逆に平均より能力の劣る子供はその枠内からはみ出してしまうデメリットがある。
人並外れて好奇心が旺盛で授業中でも気になることが頭から離れないトットちゃん。彼女の描くお日様の絵が画用紙からはみ出るように枠内に収まろうとしない彼女は教師からさじを投げられ、転校することになる。
彼女が通うこととなったトモエ学園は大正デモクラシーの流れで自由教育を標榜する考えのもと生まれた学園であり、少人数制で個々の子供たちへの気配りが行き届いた学園だった。校長の小林先生は初めて訪れたトットちゃんの話に延々と耳を傾ける。子供の気持ちを理解することが第一だというのはまさに児童中心主義の姿勢そのものだ。
原作者の黒柳さんは小林先生に言われた「君は本当はいい子なんだよ」という言葉がなかったら今の自分はないとまでおっしゃっている。
幼いころのこういった教師との出会いがその後の人生にどれだけ大きな影響を及ぼすかこの先生はよく知っている。だからこそ、悪気なく尻尾がついてるかもと発育不良の小柄な生徒をからかった教師に対しては厳しくしかりつけていた。
優しくもあり厳しくもあるそんな小林先生の下で子供たちはのびのびと学園生活を謳歌する。そしてトットちゃんにとってその後の人生に影響を与えたであろう出会いが。それは小児まひの泰明ちゃんとの出会い。トットちゃんは手足が不自由で遠慮がちな彼をプールや木登りに誘い、分け隔てなく彼と接する。そんなトットちゃんに次第に心を開いてゆく泰明ちゃん。服を汚して帰ってきた彼の服を見て涙ぐむお母さんは、洗濯が大変だから泣いたのではないだろう。
いらぬ気遣いから腕相撲でわざと負け、彼を傷つけることもあったが二人のきずなは強くなっていった。そんなトモエ学園での楽しい日々が過ぎてゆく中、戦争の足音が静かに忍び寄ってくる。
銃後の守り、お国が大変な時期だということで食糧配給は次第に滞り、育ち盛りの子供たちは質素な食事を強いられる。元気でのびのびと子供たちをはぐくむトモエ学園の教育方針とは真逆の方向へ向かおうとする国の姿勢がそこには映し出される。
お腹が空いてせめて歌を歌って紛らわそうとするトットちゃんたちに意地汚い歌を歌うなと怒鳴りつける大人の姿。本来大人は子供にひもじい思いをさせたくないと思うものだが、この時代は国こそが第一であり、そんな子供の気持ちさえないがしろにされた。
子供たちの気持ちを尊重するトモエ学園とは対照的に個人の意思を封じ、ただ国に従う人間を望む国の姿がここでは描かれている。
そしてやがて悲しい別れが唐突にやってくる。縁日で買ったひよこの死が予感させた通りトットちゃんは泰明ちゃんの死を目の当たりにすることになる。身近な人の死を体験するには幼すぎるともいえるこの体験が黒柳さんの現在のユニセフの活動につながったんだろうか。
泰明ちゃんの葬儀から飛び出して街中に出ると出征を見送る大勢の人々が、そして戦争ごっこをする子供たちの姿。国は第二次大戦へと本格的に突入しようとしていた。トットちゃんが生きる時代は大きなうねりに飲み込まれてゆく。
やがてトットちゃんには弟ができて、お姉さんに。トモエ学園を卒業して東京から疎開することになる。
その後トモエ学園は空襲で校舎を焼かれ、小林先生も亡くなり廃校になってしまう。トットちゃんは泰明ちゃんに本を返す約束を果たせず、トモエ学園の先生になる約束も果たせなくなる。
もし、トモエ学園が現存していたなら私たちはあの玉葱頭をテレビで見ることはなかったんだろう。
同日に鑑賞した「ゲゲゲの謎」の水木しげる氏ほど強烈ではないけど、明らかに幼少の頃黒柳さんが体験した戦争に対する思いが本作に込められていたように思う。
ガキ大将たちがトモエ学園をからかいに来た時、生徒たちはけんかではなく歌を歌ってガキ大将たちを追っ払った。それを見て背中を震わせていた小林先生。力ではなく歌で相手を負かしたこのシーンは本作で一番印象的だったし、これが本作で一番訴えたいことなんだろうと思った。
いまの日本は防衛費倍増で世界第三位の軍事力保有を目指そうとしており、新たなる戦前を迎えつつある。戦前に生まれ第二次大戦を体験した人の数は年々減っていて、ご存命でもかなりの高齢だ。そんな人たちが経験した話をこれからも引き継いでいかなければならない。もしこのバトンを渡すことが途切れてしまえばまた過去の同じような悲劇がこの国を襲うことになる。
トットちゃんのように子供たちには争うことよりも歌い、学び、遊び、伸び伸びと育っていってほしい。子供が国の未来の担い手、子供が幸せでない国に繫栄はない。
力ではなく歌で立ち向かったトモエ学園の生徒たちのように国はいかに戦争を起こさないよう知恵を働かせ対話を重ねることが大切かを学ぶべきだろう。戦争を知らない子供たちが引き起こす戦争によってこの国が二度と戦渦に巻き込まれることがあってはならない。
正直、こんなに直球で戦争を描いたものだとは思ってなかったので驚いた。年端もいかない子供に銃後の守りとか言って怒鳴りつける大人の姿には正直、反吐が出た。その後、いかにも自分は立派な国民だといわんばかりにトットちゃんたちを教え諭すような口調になるその姿にも。
子供たちの何気ない日常がやがて戦争に侵食されてゆくさまを見事に描いた。可愛らしい絵柄からは想像もできない戦争の不穏さを。その絵柄とのギャップがより効果的だった。ぜひとも子連れで観に行ってほしい作品。
ハンカチ持って映画館へGO!
・・号泣しました。ハンカチ持っていった方がいいです。
大昔、とっとちゃんの本を読んで、ストーリーを知ってたつもりでしたが、ちょっと印象が違いました。
この映画は、
戦争の時代を生きるとっとちゃんが、
愛に溢れる人々に守られ、
でもその隙間に、社会で生きることの厳しさに、時に傷つき、傷つけながら、
生命と愛の尊さ、儚さを知っていく、
ストーリーでした。
・・ああ、なんと凡庸で稚拙な表現か_| ̄|○
私の筆力では書ききれないので、みてみて下さい。
こんな、人生のエッセンスを、普通の子供は多分知らない、知る機会もない、少なくとも私の子供時代はなかったです。
でも感受性豊かなとっとちゃんと、豊かな個性のともえ学園の生徒たちは、その深みに触れながら、生き生きと成長していきます。
人生の豊かさと厳しさ、日々起こりくる神からの恩恵と試練を受け止め、自ら超えていく心の力を育てていきます。
子供の純粋さ、エネルギーを持ったまま、成長していく様は圧巻です。
ともえ学園のプールでは、水着も着ずに、皆が生まれたままの姿で泳ぎます。小児麻痺のやすあき君は、初めてプールに入ります。「体が軽い!」と感激し、地上では味わえない体の自由さを存分に味わいます。
皆が水中で輪になって泳ぐイメージシーンは、まるでマチスの「ダンス」の絵のよう。人間礼賛!
でもある日、彼の命の炎は突然消えてしまいます。やすあき君の葬儀で、哀しさが溢れて、教会から駆け出してしまうとっとちゃん。街中を走り抜ける途中、
様々な生と死の場面に出逢います。
出征する兵士を万歳で見送る群衆、その裏道で、銃を持ち殺し合う兵士の真似をして遊ぶ子供たち、足を切断した帰還兵、骨壷を抱き嘆き悲しむ女性・・・
そしてとっとちゃんは知るのです。
この受け止めきれない深い悲しみが、この殺戮の世の先にあることを。
一つの命の尊さと、
失う痛みが
星のように無数に折り重なり、踏みつけられていくことを。
校長の小林先生は、トットちゃんとの初対面で、衝動的でとりとめなく話を続ける彼女に、「きみは本当はいい子なんだよ」と言ってくれます。
助詞の「は」の意味なんか、とっとちゃんは気にもしません。
でも、数年経って、戦争で閉校を余儀なくされ、悔しさに嘆く小林校長に、とっとちゃんは言うのです。「将来、ともえ学園の先生になってあげる!」と。
とっとちゃんの優しさに触れ、小林先生は心からいいます。
「君は本当にいい子だね」
「本当は」が、「本当に」に変わった成長は、まさにともえ学園での日々のおかげです。奇跡の軌跡です。
黒柳さんは、いつもエネルギーに溢れ、素直で正直、そして愛に溢れている。
その個性はこうして育まれ、愛の結晶となって、世の中を照らしてるんだなと感じました。
その光はきっと彼女がいなくなってもきっと消えることはない、
くらい強烈です(笑)
戦争はこの映画の間中、ずっと低音で鳴り響きます。戦争が、人々の生活も心も支配していこうとします。
食糧難でお弁当も作れない日々、軍事工場で、軍歌を演奏すれば食糧が支給されるという、ヴァイオリニストの父へのオファーに、家族は大喜びします。
翌朝、黒柳家には父の美しいヴァイオリン、タイスの瞑想曲が響き渡ります。心が震える美しい音色です。
弾き終わった時、父は静かに言います。「私のヴァイオリンで軍歌は弾けない」と。
美しい音を奏で、愛でることは、人間の美しさを礼賛する事、それは人殺しに加担する事とは真逆のことだと。
魂の演奏、魂の一言。
さすが、とっとちゃんのお父さん。あのご時世に、お腹を空かせた家族を前にこんな決断、普通できない。でも父の真意を妻と娘はすぐに理解し賛同します。
戦争に飲み込まれていく人々、
愛をもってそれに抗う人々、
それらが対照的に描かれています。
そしてもう一つの対照、
〜生と死は裏腹で、だから大切に一生懸命生きよう、どの命も〜
ともえ学園の玄関の上に、中国の陰陽太極図みたいなマークがかかってたのが、そんなメッセージにもみえました。
見終わった後、大袈裟に言うと、
生きてることが輝いて見えました・・
映画ってすごい、と思った作品です。
大作です。
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