バービーのレビュー・感想・評価
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みんな違ってそれでいい、の裏と表。
監督としてのグレタ・ガーウィグがこれだけのバジェットの大作映画の準備が整っていたかは、正直微妙だったかもと思う。美術や衣装のクオリティに比べて映像が充分にハネてないように感じてしまったからだ。作品から感じた面白みは、映像よりもコンセプトだったり多層に織り込まれた皮肉やユーモア混じりの問題提起だったりのほうが勝っていて、終盤になるほどセリフに頼りすぎではないかとも思う。
しかし間違いなく刺激的で、いろいろ考えさせられる作品ではあり、しかもこの映画について語られている言説がぞれぞれ微妙にベクトルが違っていて、観る側の価値観や先入観をあぶり出すような仕掛けになっている。この映画のどこに感じ入ったり、ひっかかったり、わがことのように感じたりするのか、結局は自分と向き合うハメになるのは、劇中のバービーやケンともシンクロする。
素晴らしいと思ったのは、クソバカ集団であるケンたちの代表としてライアン・ゴズリングとシム・リウが対決するバカげたミュージカルシーンで、戦ってるうちに通じ合ってしまうまでがわずか一曲の中で表現されていたこと。あの場面が古典ミュージカル『オクラホマ!』の「ドリームバレエ」の引用であることはグレタ・ガーウィグも明かしているが、「ドリームバレエ」のシーンは心の迷いからひとりの人間のアイデンティティが分裂する様を描いていて、いわばこの映画のケンたちも同じアイデンティティから生まれたバリエーションにすぎないと言える。
それはバービーたちも一緒で、マーゴット・ロビーの定番バービーだけが、バリエーションのひとつであることを捨てて有限の命を持つ人間になろうと決意する。正直、人間ってそんなにいいものか?と思ってしまうし、誰もが違っていてそれでいいというメッセージ性に100%ポジティブに共鳴できるわけでもないのだが、人生の次の段階に進むためにアイデンティティの根底から揺らぐような変化を受け入れなくてはならない局面が訪れるというのは心底その通りだと思うし、この映画の表向きの明るさとは裏腹に、選択には常に伴う辛さと哀しみを作品から感じられたことが自分にとっての一番の魅力だった。
同じように感じた人がどれだけいるかも知らないし、それが自分ひとりだったところで構わない。そういうことを伝えている映画でもあると思っている。
「私はもう美しくない。」 「とても綺麗よ」 「定番レベルの美しさじ...
「私はもう美しくない。」
「とても綺麗よ」
「定番レベルの美しさじゃない」
すると、天の声が「マーゴット・ロビーが言うと説得力なし♥」
「神は最初に自分達を模して人間を作られた」と聖書の創世記に記載されている。
この映画を鑑賞していて、最初にその言葉が思い立った。
つまり、実存哲学そのもの。しかし、宗教的な観念は一切含んでいない。なぜなら、ルース・ハンドラーさんはユダヤ系ポーランド人の移民の方。
マーゴット・ロビーさんの化粧もかなり薄くして、ソバカスをギリギリ隠す程度に抑えている。そこが彼女の美しさだと僕は思う。
映画館で観なくて……ほっ
なんじゃこれは
特に前半は滑りまくる芸人を見せつけられてる感じしかしなかった
一応ノミネートはされてたけど、歌曲賞以外は全てアカデミー賞は授与しなかったことで、Academy側が崖っぷちで権威を保った気がする
こんな物を映画館で観てたら(金返せ、時間返せ)と言いながら席を立つかも
世界中にファンを持つ日本のアニメに危機感でも持ったの?再びバービー関連グッズを売り出すための巨大CMなの?
ストーリーも表現も不思議な腹筋も伝えたい内容も全てOUT
人間て…
そんなに良いかしら。人生七転び八起き。自分で人生を切り開けるし、自分一人で何ともならないこともある。それが楽しいのかもだが、バービーランドの方が毎日楽しいと思ってしまう。ケンはつまらないだろうが。マーゴット・ロビーはリアルバービーだった。
途中までは良かったけど、、、
最後全然よくわからんかった。
途中までは笑えたし、おもろかったけど、なんとなく最後は、自分らしく!感じでいくんだろうなーって思ったけど、自分らしくの感じがイマイチ共感できず。尻すぼみな感じ。
女、男、ちょっと言い過ぎなんかな?
結局、性別意識してる感じがジェンダーレスじゃないよねってなるわ。
後、ウィルフェレルにもっとおもろいことさせて欲しかったなー。
ゴズリングのアホな演技は最高!
マーゴットロビーはもうちょっと破天荒な役のほうが好きかな。
奇想天外摩訶不思議
マーゴット・ロビーの完璧と言えるほどのバービー感、どんな格好していても可愛い♥️
ドール役だからなのか露出のあるドレスでも
色気を感じない。あれ、元からか🫢
ライアン・ゴズリングはよくこのぶっ飛んだ役を
受けたなぁ🤣振り切った感はさすが👏
そもそもドール遊び(日本ならリカちゃん人形)も
あまりしなかったタイプなので世界観も
キャピキャピ感も苦手🤣劇場鑑賞しなくてよかったぁ😫
色んなBarbie(多様性)
男社会にジェンダー論
色々ぶっ込んだ奇想天外なお話し👱♀️👱♂️
〈私〉至上主義ではバービーの鬱は治らない
本作をみてジェンダー不平等の現実を感知して、エンパワーメントされた経験は何にも代え難い。これほど多くの人々に観賞された事実も大きな意義があると思う。
しかし本作をみて、現代の問題が的確に描写されて、万事解決とされるならそれは困る。少なくとも私は本作をフェミニズム映画とは言えない。そうしてしまったらアニエス・ヴァルダやケリー・ライカートの仕事を、そして今も闘っている人々を無視することになってしまうから。
「バービーが女性の地位を向上させた」
私はバービーランドをオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』のようにすばらしいディストピア世界とみたから、上述のセリフも大いなる皮肉だと思っている。もちろんそうであって、女性の地位を向上させたのはバービーといった「人形」ではなく、現実に闘った「人」である。
フェミニズムの「運動」が洗われている。バービーランドでは定型のバービーと同等にアフリカン系やアジア系、肥満体型や車いすのバービーが存在している。もちろん彼女らが同等に存在していることはすばらしいことだ。しかし浅はかな多様性とも思ってしまう。まさか自明に存在していたとでも言うのだろうか。バービーを産み出したマテル社の企業努力とも?そして彼女らの間には同じ「女性」だから何も問題がないとでも?
そんなわけがない。定型以外のバービーが存在できるようになったのは、アフリカン系のフェミニストの運動の成果だし、障害者運動やボディー・ポジティブの運動も起こったからだ。そして現在は同じ「女性」でも人種や階級、宗教、世代、障害などの差異の尊重と連帯が問題になっている。それは「インターセクショナリティ」という概念で記述され、今なお議論されていることである。
もうひとつバービーランドがディストピア世界と思うことがある。
それはケンが現実世界でホモ・ソーシャルを学び、「Kengdam」という王国をつくるが、バービーらが闘って元の世界を取り戻したとき、ケンのアイデンティティーを回復するためにバービーが放つ言葉である。
「ケンはケン」「自分でいることが幸せ」
〈私〉は〈私〉であって、〈私〉であることは幸せ。グロテクスだと思う。〈私〉であることの根拠が〈私〉でしかないことに。この自己参照。関係するのは〈私〉だけ。それは男といった他者や母といった役割、仕事によるアイデンティティー獲得からの解放にも思えるが、とても残酷だ。〈私〉を構成するのは何なの?もし〈私〉に何もなければ、または根拠を摩耗したら何を参照することになるの?
バービーの鬱は治らない。バービーランドを取り戻したとしても、この「〈私〉至上主義」からは解放されない。むしろその果てで〈私〉が死ぬ。バービーのプライベート空間であるハウスは、別のバービーに開かれていてー悪く言えば相互監視だー、バービーである〈私〉とバービーである〈あなた〉の境界はなくなる。みんな名前がバービーなのだから。
〈私〉はバービーであって、〈あなた〉もバービーである。〈私〉であることは〈あなた〉であることであって、それは幸せ。
私は気が狂うと思う。
気を狂わせないためには「ダブルシンク」をしなくてはいけない。グロリアのスピーチで語られた現在の女性の状況のように。ジョージ・オーウェルの『1984年』のように。でも「ダブルシンク」は鬱を治さない。
スピーチ=言論が洗脳を解くためには重要だ。けれどもうケンとの闘い方で「バカなふり」とかやめてほしい。いつの時代の誰のフェミニズムの闘い方ですか。そしてバービーが仕事でアイデンティティーを獲得するふりをして、産婦人科に行く結末も。もっと闘いは切実だ。それこそ法の逸脱が必要だし、死と触れあっている。だからケンたちの「ごっこ遊び」の闘いで終わらせてはいけないんです。
私たちはバービーランドをみて、ジェンダー不平等の現況を感知しなくてはいけない。と同時にバービーランドではない別の仕方の世界を創造/想像しなくてはいけない。その「ダブルシンク」が求められている。そしてそれを現実に反映させる運動が。そこまでの射程があるなら本作はアカデミー賞の作品賞に相応しいし、グレタ・ガーウィグが監督賞にノミネートされていないことは抗議してしかるべきだ。
ただ私はそもそもファーストシーンで人形を宙に投げることからアヴァンクレジットに繋げる仕方があまりにもダサいと思っているから、複雑な心境にいる。
オッペンハイマーとの共通点
オッペンハイマーを見た後に追加記入。
オッペンハイマーでは法廷の話や国のために原爆作ったわけじゃないんだよという感じで政治的な話でバービーでも政治的な話だしとっても明るいし見てて楽しい雰囲気だけど世の中からの見え方と自分で思っている世界との違いをバービーがみてショックを受けたことやケビンがみて憧れを抱いてしまうところでのバービーの世界が崩壊していったところで世の中を風刺しているのだと感じました。
また、バービーで世の中の変化や男女差別などの世界を表現していて少し重くも感じたし、ケビンとの対決でのハチャメチャな部分はとてもおかしかった
DVD鑑賞でのレビュー
バービーやアメリカのキラキラした世界観が好きで昨年話題になっており、アメリカで賞も受賞。演者も気になっており見たかったので自宅にて鑑賞。
(sns公式の対応を除いて映画に罪はないと思うので)
ピンクの可愛い世界観や前半部分は見ていてわくわくした。
バービーの足が爪先立ちじゃなくなったりセルライトができたり、、、といった描写は悲しかったですがこれが現実。という描写なんだなと思いました。
冒頭の人間世界に迷い込んでいろいろやらかす。という描写はもっとあっても楽しめたかもしれません。
見る前は、バービーが人間界でいろいろやらかすことが中心の映画だと思っていました。ディズニーの魔法にかけられてに近いかな?
個人的にはリアルワールドが男社会すぎてびっくりしました。ケンの暴走の部分と暴走を食い止める後半の部分は少しマンネリしました。ライアンじゃなかったら、見るのやめてたかもしれません。
母親の女性の生きづらさの面は共感しました。
最後、産婦人科病院にかかるという描写が少し謎でした。何か仕事の面接に行くのか?と思ったので。
それが人間なら病院にかかることもある。といった人間になった。という描写だったので、難しいというか、わかりづらいなと感じました。
バービーが女性の社会的地位向上に関する働きをロサンゼルスでする。という話の結末だったら綺麗だったかな。でも何がしたいかわからない。といっていたから、難しいかな。見れてよかったけど、心に残る映画だったか?といわれたら微妙です。そして、シングルマザーで子育てしている母子という設定もわかりづらく、あの男性は誰?恋人?インターン?なのか謎でした。私の読解力が弱いせいかもわかりません。よくわからない人物ということは、登場させなくても良かったかもしれません。あの男性の影が薄かったなと思います。
アメリカでは、自分らしくいていいというメッセージ性があったのでよかった。とありましたが、私はあんまりそういうことは感じなかったです。
例えば、人形好きな男の子が学校でいて、男の子だって人形遊びしていいじゃない。とか、
例えばサーシャが学校で男子と敵対していたりして、バービーが味方をして、男子と対決?というか最終的には和解。バービーありがとう的なストーリーのほうが簡単ですがわかりやすかったかもしれません。
サーシャのバービーヘイトな立ち位置なのに、最終的にはバービーの世界にはまっている。みたいな描写もちょっと雑かな。
全アメリカ人女性に捧ぐ、普通のバービ-(女性自身)になる事への自由解放!
まぁ、歳甲斐もなく 観ちまった~ 映画「バ-ビ-」っすわ。
ファンの「オッペンハイマ-」のキノコ雲写真コラボですっかりゴタゴタ感が初っ端から出ちゃったけども。
かつ、どっかの政治的?背景の連中レビュ-で 公開前なのに150本程度も★1投稿されてすっかり 悪意ある評価を受けた様だ。よって現在点数が低いのはこのセイ。現時点での この評価点情報はニセモノと思って良いでしょう。
今作は 全く 原爆関係とは一切無関係である。関係シーンなど微塵も出て来ないよ。安心して日本人は見て欲しいね。
そして予想外だったのは 案外シッカリしたアメリカ人女性像をテーマに語られていた事だな。
見た目はハチャメチャで爆笑もしたけど、現代の女性が抱えている悩みをこのバービ-人形を通して上手く表現している点である。
これは秀逸さを感じたわ。アメリカで大ヒットするハズである。
残念だが日本人DNAにはこの類は少ないので共感は低いかも知れないかも。劇場に外人で男女ピンクの洒落たコーディネイト服の来場者が数名いたわ。凄い人気なんだと思った。
---mc----
バービー(主):マーゴット・ロビーさん
ケン(主の彼):ライアン・ゴズリングさん
グロリア(人間界持ち主母):アメリカ・フェレーラさん
サーシャ(人間界持ち主娘):アリアナ・グリーンブラットさん
ルース・ハンドラー:リー・パールマンさん
ナレーター?(老人):ヘレン・ミレンさん
特筆すべき点は、街で見かける老人役(ナレ-タ)でヘレンミレンが観れたことかな。
そこは おおおお~っとなった。流石大御所女優・・・いい味ですナ。
バービー人形の生みの親、ルース・ハンドラー。
彼女は2002年(85歳)に亡くなった。バービー人形を開発した彼女はかつてマテル社の社長だったが、粉飾決算で告訴され、有罪判決を受けている。彼女の娘 ”バーバラ”が 人形の”バービー”名となったのである。この辺りの説明をさらりとやってる所がニクイ~。
兎に角、共感して良かった点は、
大人になってから娘のバービ-で人形遊びをしたグロリアの マシンガントーク。 今のアメリカ女性大半が抱えて感じているその思いを一気に語る所である。ここは凄く良かったし分かりやすかった。
ある意味幼少時は憧れの人形(職業・スタイル・イメ-ジ)だったが、実際大人になって、自身の娘も大きくなった時、今とかつての自分を見つめ直した時に コノ現実との乖離をバービ-に求める・・・普通のバービ-を売って欲しい願い!!!
かつての憧れ そしてスタイル。今の自分にも当てはまるスタイルを人形にもあっても良いじゃない~の発想だ。
何処かに現代の女性が抱える悩みがあるとしたら それを自由解放して欲しい望みをバービ-に託しているのだと感じた。
ラストは、バービ-は自分らしく生きる憧れの夢を抱いて人形の世界から人間界に人に成ってやってくる。
そして人間界の人々の助け応援が有って、病院(産婦人科)へ。
ナ・ン・デ ??
そう 人形 ⇒ 人間の女性。女性である証(生殖器)を認めてもらう為である。
日本版:”リカちゃん” もやってくれ。デミ・ム-アなら出てくれそう!
リカちゃんキャッスルは 福島県にあるしね、使えそう。
興味ある方は 是非劇場へ。
出だしで
少しホラーだった笑
女の子達が遊んでた赤ちゃん人形を
壊していく様は怖かった💧
バービー達は可愛くて
ドリームハウスも可愛すぎて
子供の頃遊んでた記憶を燻られた♪
バービー達女の子が活躍する
女の子だけの特別な世界
ケン達がホント可哀想って思うぐらい
でもバービー達が活き活きしてる世界
現実世界とのギャップが際立っていたけれど
とにかく可愛かったww
現実世界との繋がりがあったり
バービー界を認識して管理する制作会社があったり
破茶滅茶だなって思ったけど
いろんな人たちの苦悩や夢が垣間見れて
世界観を受け入れれば、楽しく観れたよ
現実世界に繋がったことで
バービー界で起こった事が現実世界にも影響されて
ケンのムキムキムンムン?ハウスが
制作、爆売れしてたりwww
鬱バービーがいたりww
ほんと誰得🤣
ケン達の暴走はイラッときたけれど
バービー達も大概な事はしてたw
最後はバービー達に一泡喰わされたケン達だけど
お互いの苦悩も知れて最後はハッピーエンド?笑
ケンは馬にこだわりすぎ笑笑
たまにはこんな映画もいいなって思った。
バービーは現実世界と関わった事で(親子と関わった事で?)
自分の変化を受け入れて、どうしたいのかを選択
親子にがんばれって見送られながらどこ行くんかなって思ったらまさかの産婦人科で
現実世界では親子と一緒に暮らしてるんかとか、お相手が気になりすぎた。
妊婦さんになりたかったってこと?
バービーが人間になりたいって思った理由が少し曖昧
現実世界に関わった事で素敵な出会いがあったとか、そんなシーンがあったら良かったのにな〜と最後の最後で思った^^
全体的にはツッコミどころ満載だし
よく分からないけど
バービーの可愛い世界と
ケン同士の喧嘩のシーンが面白かったよ笑
ホントよく分からないけど。笑
これはひどい
映画の外で起きたことは無視して、映画だけの感想を述べますが、あまりにも薄っぺらい内容でビックリしました。たくさんのバービーが住んでいて、バービー以外は脇役扱いのバービーワールド(正確な名前は忘れました)から、バービーとケンが現実社会にやって来ます。そこでケンが自我に目覚めて、バービーワールドに帰ると、マッチョケンワールドにしてしまいます。マッチョなケンに洗脳されて、バービーたちはケンたちに従うように。そこへバービーが帰ってきて、バービーたちの洗脳を解いて、もとのバービーワールドに戻します。はい、おしまい。これのなにがおもしろいの? 男が、女がってやたら主張してたけど、もうそういう時代は終わったんじゃないのかな。おもしろい場面とかもなくて、ひたすら退屈でした。
バービーというポップなキャラでコーティングされたグロテスクな映画
女性をエンパワメントする映画だと見て視聴しましたが、疑問が残る映画でした。
男性が優勢の今までの社会vs女性が優勢のバービーの社会の対立を際立たせたいのだとは思うのですが、
最終的に双方が尊重する社会が出来るわけではなく女性優勢の社会が勝利して終わります。
私は女性ですが、これでは男性優勢の社会の裏返しで何の解決にもなってないように感じました。
最後kenが自分らしいアイデンティティー見つけて終了、と言うのもかなりお粗末に感じました。
色彩やファッションはとても綺麗ですし原作者との関係なども謎な部分はありましたが好きな展開でしたが、
それ以上にストーリーが気になりました。
バービーと言うポップでキャッチーなもので加工されたグロテスクな映画だったと思います。
全てを笑い飛ばす!
映像・演出・演技(20)
『反転の演出』。これこそが『バービー』において最も特筆すべき点であろう。もちろんバービー役のマーゴット・ロビーはまさに女性の理想たるバービーの実写にぴったりであったし、ケン役のライアン・ゴズリングも然りだ。しかし、現代の男女の社会的性差を性別を逆転させて表現したり、ヴィランとなったケンを言動があらゆる活動家の過激派に見せたりと、反転させることにより現実に潜む事象を浮き彫りにする手法は単純だが力があるといえるだろう。俳優のコメディー調の演技も結構楽しめた。映像は標準的。
16点
世界観(20)
『バービーの世界』はとことん作り物の世界を再現しており、この世界が『(誰かの)理想』であることがわかりやすく表現されている。一方現実は『男性中心の社会』の属性を皮肉って描いており、とてもわかりやすい構造となっている。そして、理想の世界の変容という作中の出来事はもはや『バービーの世界の理想は理想たり得ない』という現実の様相を反映しているのかもしれない。なんにせよ子供にもわかりやすい喜劇的世界観は高評価。
15点
脚本(20)
この映画を一行で表すのなら『バービーが己を知るために、楽園を出ていく。』となるのではないか?コメディー描写や皮肉描写、メッセージ性を強調させたぶん、脚本は可は多少あり、不可はなしといった印象。
12点
キャラクター造形もしくは心理描写(20)
キャスティングのうまさも相まってコメディー作品としてのキャラクターは全員立っていた。個人的に好みなのは、マテル社のCEOだ。コミカルさの中に権力欲が透けて見えるなかなかにいい性格をしているのだが、俳優の喜劇的な演技のおかげで愛すべきキャラとして成立している。
キャラクター造形優先評価で17点
メッセージ性(20)
本作の目玉である。男性社会の批判がかなり前面に押し出されており、注目が行きがちだが、本作のメッセージは終盤と老婆との邂逅シーンに凝縮されていると考えた。
本作は男性社会のみを批判しているように見えてバービーが世界の秩序を取り戻すシーンで女性中心の理想の社会さえもケン達の態度を見せることで批判しているように見える。もはや女性達の理想が理想として成立しないことを悟ったからこそバービーは現実の人間として生を全うすることを決めたのかもしれない。
もう一つのメインとなるシーンはバス停での老婆との邂逅シーンである。
『美しいわ。』と伝えるバービーに老婆は
『知ってる。』と満面の笑みを見せ返事を返したのである。
(ここ結構感動しました。)
『美の根源は他者の目にあらず。己にあり。』
このメッセージこそがこの映画の中核をなる思想であろう。
20点
総評
問題の当事者たる男性の一人としてモヤモヤしたシーンが完全になかったといえば嘘になるし他者との関係や評価を完全に無視した自己評価はあり得ないと確信している。しかし、マジョリティーとなっているからこそ気づかないこと、そしてこれからの理想像を多少強引にそして愉快に浮き彫りしたこの映画の功績を評価したい。全てを笑い飛ばしたような皮肉なコメディー映画としても結構楽しむことができた。
80点
Born this way,this is MY WAY!
観ようかどうしようか、迷っているなら観るべき。そして誰にも邪魔されず、自分の感じたことを大切にするべき。簡単に言うと、「バービー」はそういう映画。
夏休みでもあり山の日でもあり、ほぼ満員の客席には何かしらピンクを身に着けた女性客もかなり多くて、みんな思い思いに「バービーを楽しもう!」としてるんだな、とウキウキした。
映画は誰かのために観るものじゃない。もしも誰かの悪意でその意図が歪められているのなら、それも自分の眼で確かめるしかない。この映画が伝えたがっているものは一体何なのかを。
まず、大事なことだから初めに書いておくと、「バービー」めちゃめちゃ面白かった!テンポが良くてコミカルなくせにシリアス。バービーランドと現実世界の落差も良い。
世界中のピンクを独占したバービーランドのファンシーでファビュラスな世界(ビーチの砂すらもピンク!)から見たら、現実世界はなんて無機質なグレーなんだろうと(笑)。人間世界のほうが見慣れてるはずなのに、なんて味気ない世界なんだろうと。
思った以上にミュージカルなノリなのも良いし、所々に遊び心が滲み出てるのも良い。
「ラ・ラ・ランド」でピアニスト役だったライアン・ゴズリングにキーボード弾かせてたり、「マトリックス」でネオ(アンダーソン君)が働いてたみたいなオフィスで追いかけっこしたり、そもそもハイヒールとサンダルを選択させるくだりも「マトリックス」だろうなぁ。
映画好きをクスリと笑わせるセンス(「ザック・スナイダー版のジャスティス・リーグ」や「マーゴット・ロビーが言っても説得力がない」などのメタ発言)もありつつ、女性たちの実感のこもったセリフの数々や「男って本当アホやな」というシーンの毒気と優しさも見どころ。男ってアホやな、と書いたけど馬が走ってるだけの映像が延々と流れてること(そしてそれが「男らしさだ!」っていうノリ)に気づいたら、笑うなっていう方が無理だと思う。
そうは言っても、ケンの視点からバービーランドと人間界を比べて見たら、バービーランドはピンクな現実世界でもある。言い方が難しいけど、色味が違うだけで二つの世界の構造は一緒だ。人間界は男が社会を牛耳り、バービーランドはバービーだけが全てを手にしているという点で二つの世界は同じ世界なのだ。
この二つの世界で、支配される側の存在は同じ惨めさを味わって生きている。それは自分の存在意義を実感できない辛さだ。「女なら誰でもいい」役割しか与えられないことと、「ビーチの人」としか見られないことはイコールなのである。
家父長制、有害な男らしさ、マンスプレイニング、ハラスメントなどなど、抽象的な言葉でこの映画を語ることは無限に出来ると思うけど、私の心に突き刺さったのは「考えなくて良いってことが、スゴく楽ちん」という物理学者バービーのセリフ。
それなんだよね、結局のところ。生きている中で一番心が折れる瞬間は。
考えようと思えば考えられるはずなんだよ、本当のことを言えばね。でも「お前は考えなくていいよ」って言われちゃったらやる気は削がれるし、自分が無能になった気がするし、それに何も考えなくて良いのは楽チンなのも事実。
だが私は嫌なのだ。
それを「良し」とする人がいても全然構わないけど、それを世界の半分だと決めてかかられることは御免被りたいのだ。でも「良し」派の人を否定するつもりは無いのだ。だから難しい。
世界はピンク1色でもなく、グレー1色でもなく、色んな人がいて色んな色で出来ている。この沢山の色に満ちた世界で、どう生きるのかは「自分のしたいようにする」以外にはない。
思えばグレタ・ガーウィグ監督は「レディ・バード」から一貫して「自分の生きる道は、自分のしたいようにする」だよ、と伝えている気がする。巧妙に世界との関わりを織り交ぜながら、それでも結局最後は自分の気持ちに正直に行動するしかないし、それは誰かに許可してもらうことでもない。
「なりたい自分になるのに許可はいらない」、バービーの産みの親であるルースがバービーに伝えたように、誰の許可も求めず、自分の選択に責任と誇りを持って、そうやって生きていくのが一番自分にとって悔いが残らない生き方だから。
女性が観て共感出来ることは太鼓判を押すけど、男性にももちろん観てもらいたいと思う。ケンの視点にちょっと触れたけど、「バービー」はケンや男性のことも、彼らの抱える悩みや辛さもちゃんと描いてるし。
中々本音を言ってくれない彼女や妻や娘の気持ちがわかるかもしれないし。
むしろ「そんなところ見てたの?!」とか「そんな風に思ってたの?!」とかに気がついてちょっと恥ずかしい気持ちになるのかもしれないけどさ。
あと、なんか勘違いしてる人がいるみたいだから、一応言っておくと、ラストシーンでバービーが婦人科に行ったのは「人間」になりに行ったんだよ?妊娠したわけじゃないから。
女として生きていくことが苦しくて、死を意識したバービーを産み出したグロリアが、女性性を押しつけられることを辛辣に批判したサーシャが、人間の女になろうと婦人科を訪れるバービーに「応援してる!」って言えるようになったんだ。
こんなに素敵なことってないよね。
ちょっと残念なのは、カメオ出演の企画もあったシアーシャ・ローナンとティモシー・シャラメのバービー&ケンが実現しなかったこと。
あの2人のバービー&ケンだったら、どんな感じだったのか…。時代がかった衣装も似合いそうだし、伝説のバービー&ケンとかでバービーランドに飾られてたりしてね。
バービー人形をメタファーにして描くフェミニズム
ピンク満載の「バービーランド」
脚長スタイル抜群のマーゴット・ロビー。
オマケのケン(ライアン・ゴズリング)は終始
間抜け顔(ライアン、私の理想の男性なのに!!)
やたら女性の権利とか、男が牛耳る現実世界とか、
女性の側からみたらありがたいような、くすぐったいような・・・
気分でしたね。
そもそもバービーランドって架空のユートピア。
そんなものオモチャの世界だけの話で、
女性大統領、女性の最高裁判事とか、今だって各国で居ますし、
だいたい一晩中踊り狂う「バービーナイト?!?」
(バービー人形は歳を取らないし、疲れ知らず・・・)
トイストーリーならご主人から見向きもされなくなった玩具の悲哀とか
胸に迫ってきますが、バービーは軽い!!
この映画では
「バービー」はある人間の女性の憂鬱が乗り移りブルーになったりして
「変てこバービー」の勧めで人間界に行き、憂鬱の種を見つけに行く。
そんな、
バービーが人間になったことから起こる大騒動と、バービー&ケンの、
“おまけのケン“がマッチョ宣言して大変なことになる。
ドタバタ・コメディ要素強め!!
バービー人形が誕生したのは1959年3月9日生まれ、
(今年で誕生64歳なのですが、人形は歳をとりませんので、)
アメリカのマテル社も全面協力とかで実名登場です。
バービー人形への八頭身。
そりゃあ羨ましいですよ。
ルッキズムが根強いこと、無くならないことは自明のこと。
そして着せ替えの楽しさは鏡の前で私も経験済みだけど、
ピンク塗れにお砂糖をたっぷりかけた「バービーランド」に
特に思い入れもなく、バービーの悩み・・・
死の不安や劣化にも、ウーン、特に共感も持てず・・・。
人間界に行けば完璧な「男社会」で、女はメイドやサポート役。
おまけに「オマケのケン」が「ケンランド」を作って威張り出す。
女性優位の「バービーランド」・・・Barbieちゃんの世界こそ、
空想つまり「仮想現実」だったんですものね。
女性の権利云々とか言われても、
パーティー三昧で、洋服山ほどのBarbieの、浮かれた日常。
スカしてムキムキ・ナイスバディで歌って踊るゴズリング。
そんな映画より、権利なんて主張せずに、
例えば、ホテルで黙々とベッドメイキングして
トイレ掃除している女の子(外見もいけてない)の、
報われない労働と日常を描いた映画の方が好きだな。
でもBarbieも生きることの意味に目覚めて、
人間として出発するんだけど、
現状を打破する程の破壊力は、この映画に感じなかったのね。
ユーモアたっぷり
キラキラで可愛くて、女性パワー全開!女性って素晴らしい!みたいな映画かなと思っていたら何とも皮肉感たっぷりのとんでもない作品でした笑
フェミニズムやら多様性やら現代の様々な課題を悪意とユーモアをもって提起しつつ、
作中では特に何も解決しないという、悪意ある破茶滅茶さがとても面白かったです。
舞台となるバービーランドは一昔前の現実世界の男女逆転版という感じで、全てが女性中心に回っており、一方、ケン達男性陣はバービーに認められることでしか自己価値を見出せない世界。
面白いのはバービーの世界でもやはり大統領だとか科学者だとか、現実世界で偉いとされる職業に就いているバービーが尊敬されていて、しっかり現実の価値観が反映されている点。
また、後半のケンダムでグロリアがバービーの洗脳を解くシーンは現代のフェミニズムに感化される人々を見ているようでとても興味深かったです。バービー達はグロリアが主張する女性ならではの理不尽な仕打ち・肩身の狭い思いなんて受けたこともないはずなのに、あたかも自身が経験したかのように「そうだわ!」と共感してしまうのです。
男達(ケン達)からの洗脳を解く代わりに、別の洗脳に切り替わっただけという皮肉。
色々な思想から学ぶことは大事ですが、結局全ては自分自身の考え方で生きていくことが大事なのかなと思いました。
ラストはケンはケンのままで素晴らしい、定番型バービーは何でもないからこそ何にでもなれると気付き、皆ありのままで良いのだという事で終わります。
作中、人間界もバービーランドも社会的な課題自体は何も解決しませんが、一人一人がこんな考え方になっていけば、少しずつ世の中の課題は自然に解決していくのだろうなと思いました。
想像を絶する凄さ…3回も観に行っちゃった
観るつもりなかったんです…まーた白人ブロンドの主人公か〜と思ってパスしようとしたところ、SNSでG◯NTZの作者含めマンスプ男達がこの映画に対して凄く不満を抱いていたので気になって観に行ったら素晴らしい映画だった。マンスプ男達が怒るのも納得。
最初の2001年宇宙の旅パロディやインシンクなどの懐かしい小ネタが盛りだくさんで世代的にも色々楽しめた。
バービーの衣装やバービーハウスの中もリアルに忠実で「あ、これ持ってた!これも持ってた!」てノスタルジーの嵐。
ルースレス ルースが出てくるシーンも鳥肌立ったし、サーシャとお母さんの関係性も凄く良かったなぁ。エブエブと違って娘の反抗期に寄り添う感じがちょっと切なくて心地良い。
音楽もキャスティングもストーリーもとにかく最高。みんなに観て欲しいのでネタバレ控えますが、強いて言うならアジア人バービーもうちょっといても良かったんじゃないかなって。
同じ映画を3回も映画館に観に行ったのは初で、今後バービーを超える映画はないと思ってる。
炎上騒動は抜きにして、作品のメッセージに共感できない
本作は、本国で同時期に公開された『オッペンハイマー』で扱われている“原爆”に悪乗りしたプロモーションが、日本ではとりわけ問題となったわけであるが、それを抜きにしてもこの映画が何を伝えたかったのかよくわからなかった。
映画は、バービーと彼女たちのボーイフレンドの“つもりである”ケンたちが暮らす「バービーランド」で、ある日、己の人生に疑問を抱いたマーゴット・ロビー演じるバービーが、人間の住む世界へと旅立つところから始まる。物語の舞台が実は“虚構の世界”だったというオチは、有名どころだと『トゥルーマン・ショー』が思い浮かぶが、それよりむしろ『LEGOムービー』に近いものを感じた。別の映画の話をするのはご法度かもしれないが、LEGOムービーはレゴブロックの本質を明確に描いた(レゴは説明書どおりに組み立てても自由な発想でも組み立てても構わないが、飾っておくよりも誰か(ここ重要)と共有して遊ぶことに意義がある)傑作である。
ただし、本作『バービー』については、LEGOムービーほど響くものがなく、悪くいえばフェミニストの自己満足にしか感じられなかった。
たとえば、ライアン・ゴズリング演じるケンは、マーゴット・ロビー演じるバービーが大好きで大好きでしょうがない。その想いが報われずに拗れた結果、彼はヴィランへと成り果て「バービーランド」を人間界で得た“家父長制”の知識で洗脳し、「ケンランド」へと作り変えようとする。しかし、そこはあくまでもケン。彼が元々、おバカさんであることが幸いし、洗脳が解けたバービーたちにあっさりと反旗を翻されてしまう。結局、この場面は支配構図がケンからバービーへと戻ったにすぎず、自分のアイデンティティに悩むケンへのフォローもお座なりだったように感じる。単にケンはバービーに自分を受け入れてもらいたかっただけなのに、意中のバービーには最後まで拒絶されてしまうのだ。しかも、ケンたちには住む家もない。バービーには彼女たち専用の家があり、そこで暮らしてパーティー三昧にもかかわらず、それに関するフォローも最後までお粗末なのである。これなら『トイ・ストーリー3』のバービーとケンの恋路のほうが、よほど気持ちよく鑑賞することができた。
人間界パートについても同様にお座なりだったように感じる。旅のきっかけである母娘についても、バービーの生みの親であるマテル社についても、それぞれの問題は本質的には何も解決していないはずのに、何か良い話風にまとめられているだけに見えるのだ。
揚げ句は、主人公のバービーである。彼女は自らを“ステレオ”タイプのバービーだと認めている。実際、あらゆる肩書きのバービーがいる中で、彼女は役職に就いている描写がない。それでも旅を通して自分が何者であるか、ある程度の自己発見をするのがお決まりの流れではあるが、その彼女の選択がなんと“人間”になることである。別にいつまでも“お人形さん”である必要はないかもしれないが、少しばかり人間界にいただけで、その結論に達するのはいささか唐突に感じられた。確かに人間界での出会いはあったが、それは彼女に人間になるのを決意させるほどの影響を与えたようには思えなかったからだ。そのように描くならば、人間界での描写を増やし、バービーが人間であることに感動する場面を挿入すべきだったように思う。それゆえ、彼女の決断がただの“わがまま”にしか映らなかったのが残念だ。
結局、本作は男性主権の世の中に対するカウンターカルチャー以上のメッセージが感じられず、登場するどのキャラクターにも感情移入することができずに終わってしまう映画であった。
夢の終わり、夢の始まり。
かつてバービー人形で遊んだ女の子たち、色とりどりの衣装に着せ替え、様々な職業に就くのも思いのまま、夢は膨らむ。常にハッピーなバービーランドでの暮らしのように夢中で遊んだ女の子たちもやがては成長し、物心がついて死におびえて眠れない夜を過ごし、社会の現実を知る。
黒人の女性大統領、女性宇宙飛行士なんて現実にはそうそうなれるもんじゃない。多様性を売りにしながら重役たちがすべて男性で占められているマテル社のように現実社会は女性にはまだまだ厳しい。
お前たちは我々が与えた夢の世界にいればいいんだ、社会は我々男たちが裏で回しているんだからと言わんばかりだ。
与えられたバービーの世界は結局は企業が商品を売るために作られたもの。ならばそんな与えられた夢から醒めて自分自身の人生の夢に向かって一歩を踏み出すしかない。
男性CEOが女の子たちに与えたものは偽りの夢だったが、バービーの生みの親であるルーシーが与えた夢は無限の可能性だった。彼女が自分の娘に託したようにバービーには何者にでもなれるんだという夢を託した。
バービーランドで同じ日々を暮らしていたバービーがある時気づく。何の職業にもついていない自分は何者なのかと。自分はただのバービー、何者でもない存在なのだと。
同じく添え物でしかなかったケンが自己実現のために反乱を起こした姿を見て彼女は彼に言葉をかける。
ケンはケン、そのままでいいんだと。男だからどう生きなければならないという考えに縛られる必要はないのだと。
いまや現代社会においては性別や人種に縛られず自分が自分としてどう生きてどう自分を磨いてゆくのかが問われる。男性だから、白人だからという理由で特権が与えられた時代は終わりが近いのだから。
そうケンに話したバービーはその言葉が自身にも当てはまることに気づく。何者でもない自分は何者にでもなれるんだと気づいた彼女は人形という存在に縛られず人間になる夢を実現するために一歩を踏み出す。
それはかつてバービー人形で遊んだ女の子たちが成長して現実社会で自分の夢を実現するために一歩を踏み出す姿を投影するかのように。
「レディバード」のグレタ・ガーウィック監督作品だけに期待大で鑑賞、その期待をはるかに上回る作品だった。これだけ高い娯楽性と深いメッセージ性を兼ね備えた作品はそうそうお目にかかれない。
人種問題、ジェンダー問題、そして人生について実に深く考察された傑作。
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