ヤジと民主主義 劇場拡大版のレビュー・感想・評価
全4件を表示
無謬性に囚われる
いつもの映画館①で
②の方は今年3月で閉館だと
東口の単館系がなくなるのはさみしい
で映画
今日で終わりなので駆け込み
ちょうど休暇だったので
14:55開始でも問題なし
最近街を歩いていて
原発 軍拡 消費税 差別などに異を唱える人たちに会うと
感謝する気持ちになる
オラたちの代わりに声を上げてくれていると
似たような言葉がこの映画の最後の方で出てきた
自分は図らずもこのような立場になって
どうしようもなく巻き込まれたが
公共のためにやるしかないと
ホントこういう口うるさい人たち
ABEが負けるわけにいかないと言ったこんな人たち
おとなしくしていたらいいようにされる
ABE的なもの
・議論を嫌う
・強がる
・徒党を組む
・めんどくさいことを嫌う
・近道を好む
・単純化したがる
・Yes or No
・そのくせ自分へのNoを嫌う
ABEの演説にヤジを飛ばして排除されたひとが
一旦裁判に勝つも
ABEが演説中に殺されて
ん やっぱりヤジは危ないかもと判決をひっくり返される
うまく表現できないが
後に起きたトラブルを過去の出来事に遡って当てはめようとする
違和感
ヤジを排除した警察官は滞りなく終わらせたかっただけ
その場を何とかやり過ごしたい
それに抵抗する異物 取り除く
言いくるめようとするが手強い
手痛いしっぺがえしを喰らう
無謬性に囚われる
つじつまを合わせるために頑張る
あぁ嫌だ
最高裁に行きたくないですかと
気分を上げて快哉を放つ彼女を応援する
反対側の視点は?
映画だし一方側視点の構成でも面白いのだが、道警側というか反対側の視点も見てみたかった。この映画だけ観るとあの二審の裁判所が政治?の圧力に屈していて、法治国家が完全に崩壊している。ほんとにそうなの?そこまで日本でダメな国なの?世界で1番成功した社会主義な国とは聞くけど。
銃撃みたいなことがないように警察を動きやすくしておかないとみたいな意見もわからないでもないが、やはり話が違う。
何かしら原告側にも排除される理由があるのかな?
とりあえず、一審の判決のシーンは涙が出ました。
私自身はとても勇気がない
やじと言えば、議会議場で、党派勢力をバックにした争いの一環という印象があるけれども、本作では、特に安倍元首相が街頭演説をしている最中に、賛同側ではなく反対側に立って、独りで叫ぶなんて、警察から排除されなくても恥ずかしくて私には到底勇気を出すことはできない。一人は、湯浅誠氏の著書を愛読するソーシャルワーカーで、それだけ信念が強いことがわかるし、デモ行進の組織化も、まさにソーシャルアクションの一環であろう。もう一人は当時大学生の女性で、現在でこそ労働組合職員となり、職務上、演説の機会も増えているであろうけれども、警官による説得の様子をみても、子ども扱いされ、親に通報されて説得されることも予想され、とても覚束なさそうである。ところが、青い芝の会の運動に共鳴した芯の強さももち合わせていた。
一審は全面勝訴ながら、二審は二人の首相への襲撃事件の影響もあって、一部勝訴という結果に終わった。三審はあまり期待できないかもしれないけれど、頑張ってほしい。
私自身はとても勇気がないからやじは飛ばさないだろうし、やったとしても、簡単に説得を受けて止めてしまうだろうし、自分の伝えたいことが伝わるような最善の方法を考える方が建設的だと思っている。
法手続きへの等閑
与党総裁の街頭演説の場でヤジを叫んで警察に排除され、司法に訴えた(刑事は不起訴、民事は裁判継続中)2人の青年に焦点をあてるドキュメンタリー。
「リアリティ」の直後に観たので(レビュー参照)、ことさらに道警のアンプロフェッショナルさが際立って感じられ、とても残念だった。
警察は、声援や応援プラカードの主はそのままに、ヤジの発声者や政策批判的なプラカードを掲げる者だけを強制的に移動させる。その法的根拠を問われても警官たちは答えない(根拠がないからはぐらかそうとしているように見えた)。それでいて、その行動は多くの市民やメディアのカメラの前で公然と行われており(その映像のおかげで裁判やこの映画が成り立っている)、警察がそれを問題だと思っていなかったのは明らかだろう。
そこからは、法に基づく表現や行動の自由といった国民の権利を擁護しながら職務を執行しなければならないという考え方の欠如、逆に職務遂行に必要な範囲で法を都合よく解釈・運用する姿勢が強くうかがえる。それで法治国家といえるのだろうか。
作中でも述べられているが、原告の2人が裁判に訴えた理由の本質は、自分の意見が聞き入れられないことへの不満ではなく、公権力が恣意的に意見表明の機会を奪えることへの異議申し立てである。自由で民主的な社会のために、社会の構成員たる私たちを代表して闘ってくれている(あるいは、その役割を背負わされている)のだといえる。ヤジの内容に共感するかとは関係なく、そのことに深く感謝したい。
映画の立ち位置は明確に原告寄り。制作者のHBC(北海道放送)は地元の主要マスコミとして、言論の自由(と権力による抑圧)の観点を重視しつつ、原告の2人がそれぞれ社会的セーフティネットに関わっていることから、生活の現場と中央政治とのギャップにも光を当てている。
いつもはドキュメンタリーの意図とバイアスを気にしているが、本作においては実際の記録映像があまりにもアレで(ついつい「はぁ?」とか口に出ていた)、どう頑張っても警察側を擁護はできなかった。
付記:道警本部長が現場の判断だと言い続ける一方で、同様の排除事案が他県警管下でも起こっていたことから、中央(警察庁)からの警備指示について情報公開請求されたが、開示結果は全て黒塗りだった。元首相秘書官が警察庁長官となり、政権批判を遠ざけるような警備指示を出していたのではないかという劇中での仮説は証明されていない。
全4件を表示