君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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最初の映像はすばらしい!
タイトル通り、最初、母親が入院している病院が火事になるが、そこまでの人の動き、背景はすばらしいがそれだけ!
最近のアニメ(映画に限る)はそれなりに映像はいいので、後半はそれほど良いとは感じなかった。
この映画の問題点は、キャラクターに魅力が無いのと話がつまらないこと!
後半の異世界(大叔父の作った世界)は伏線回収していなかったり、意味の解らない画面切り替えが有ったりと雑に作って有るが、話が面白ければまだ”異世界とはそういう所”と割り切れるかもしれないが、この映画はそうはならない。
たとえば、ヒミは過去に迷い込んだ眞人の母なのになぜ”火”を操れるのだろう?とか、大叔父との会話の場面から画面が飛んでオウムに捕まっているとか・・・気になってしょうがない。
普通に義理母や父とのわだかまりを丁寧な描写で解消していくだけでいいのに、異世界要素と跡継ぎ問題を絡めるから”訳が分からいない!”となる。
後、内容も不明な本を読むことだけで義理母とのわだかまりが解消するってのも乱暴!
(販促映画ですか?)
平日の鑑賞で客は20人ほどで、友人同士やカップルが多かったが,鑑賞後、みんな無口でスクリーンを後にしたのが印象的でした。
昔の宮崎アニメと比べるのは
昔の宮崎アニメと比べるのは、しょうがないが、新境地を描く巨匠の卓越ぶりを
楽しんで欲しい。深いテーマやメッセージは、むしろ無いに等しい。
主人公は亡き母と義理の母の奪還を
行動原理にして
世界階層を巡り生命の構造を知る。
亡き母は過去の若い姿で会う
BTFの要素も有るけど、
既に指摘されてるジョンコナリー
「失われたものたちの本」
との共通点が、
吉野源三郎「君たちはどう生きるか」
より原作モデルであろうと推察される。
本作はディズニーの
「不思議の国のアリス」と
立ち位置と賛否が良く似ており
異端にして功績者、
破壊と喧騒から残るもの。
そのサムシングが
老若男女を魅了するアニメーションの
テーマだったと言えよう。
十分、子供向きとさえ思う。
志村けんのスイカ早食いコントに対して
何故スイカなのだ?
何故早く食べるのか?と
真面目に考えてどうする?
宮崎アニメを暗号課題か何かのつもりで居た人が意外に多くて驚く。
アニメーション映画は
見た目を楽しくするのが表現だろう。
それはナウシカやカリオストロから
すっと続いて有った筈。
そうゆう意味では
今回の「君たちはどう生きるか」も
全く変わっていない。
変わらずに変わるのだ。
この「君たちはどう生きるか」と言う
タイトルも「こうゆう新作、作ったよ。これ観て君たちはどうする」
くらいのノリで
使いたかった題なのだろう。
あえて浅読みした方が
見えてくる場合もある。
これは巨匠入魂の快作です。
ちなみに夢判断的に青鷺は
自由と平和の中で自分自身を解放し
内なる平和を見つける成長を
現している。
詐欺師のサギじゃないよ。
「君たちはどう生きるのか」という題名に?
なぜ「君たちはどう生きるのか」という題名に?宮崎駿監督は見る人たちに、直球勝負で投げかけたテーマに感じた。
その答えは、主人公の冒険譚を通して、自分たちが、もがきあがき、自分たちの頭で考え見つけていくべきだ、という思いを感じた。
そして、初めに戦争を描いた。かつ母親の死と義母の登場。
主人公の少年は、義母に対して、お父さんが愛した人だから、と拒否するが、最後はお母さん!と叫んで助けようとする。そして、母親として受け入れた。映画の終わりでは、戦争は終結し、平和が訪れ、家族仲良く暮らす。
この意味することは何であろう?
戦争は悲劇だ、その悲劇を避けるには?
その答えの提示があるように思えてならない。
母は少年にとって最も大切な人だ。そして戦争で奪われた。そこに全く知らない赤の他人が母と名乗る。最も大切な人であった母の代わりに、他人を母として受けいられるのか?その葛藤の末、受け入れた、ことに答えは収斂しているのではないか?
他人を母として受け入れたのなら、世界に戦争はあり得るのだろうか?家族として受け入れたのなら戦争はあり得るのだろうか?
このように、さまざまな想いを巡らせることができるこの映画は特別な映画だ。
贅沢の限りを尽くした映像美も感嘆した。
宮崎氏のルーツとイマジネーションの歴史
まずはじめに感じたのは、これは基本的に宮崎駿監督の自叙伝だろうと思った。
戦時下の日本、空襲で母を亡くし、父は義理の妹と再婚し新しい命=弟を授かる...
そして駿少年たる主人公は唐突な継母との新生活や疎開先の田舎に馴染めず同級生と喧嘩...
現代で考えても相当ヘビーなトラウマを植え付けられ「自分は何も悪くないのに、次々と周りの大人たちのせいで大いに傷つけられた」と嘆いていただろう。
だからワザと石を頭にぶつけ喧嘩の傷を広げ周りの大人を心配させ自己憐憫にふける。
そこで思ったのは、人の喜怒哀楽を拡大・誇張する「デフォルメの才能」が幼少から在ったようだ。まあ石のくだりが事実かは不明だが、何となく映画の前半は「幼い自分が時代や大人たちから受けた理不尽さ」の説明に費やされてた印象。
そして後半は、そんな田舎暮らしの駿少年が自己憐憫にふけりつつ毎日妄想してた「オリジナルのおとぎ話」を、現代のスーパーアニメーターたちを総動員して映像化したものだと思った。いわば「宮崎駿はじめてのオリジナルファンタジー案」の完全映像化だ。
なぜそんなもの作ったか?まずは単純に「クリエイターとして最後に創りたいモノは?」と考えたら、宮崎氏にとってはコレだったんだろう。
いわばアオサギは当時の自分のアタマの中にいた妄想上の親友で、当時の駿少年は、そいつとの冒険譚が鬱屈した疎開時代を生き抜けることができた生命維持装置みたいなものだったし、ひいてはクリエイティブな才能をじっくり醸造できた時期でもあったんだと思う。
勝手な持論ですが「リア充は第一級のクリエイターにはなれない」と思ってる。女にもてずクラスの人気者になれない日陰モノは、妄想という名のクリエイテビティを良くも悪くもコジらせ肥大化させることで、リアル世界に現出しないファンタジーを創造することができる。リア充は結局そこまで頑張らないし定時になると帰りたがるので驚きを生まない。
だから今作を見てて「アオサギは何だったのか?大叔父の存在とは?インコは何の隠喩なのか?」と考えてても、正直「たいした意味はない」のでしょう。教室で授業も聞かず妄想に耽ってた駿少年の妄想ベストシーンをもとにストーリー性を設けて再現しただけと思う。らインコとか、疎開先のお屋敷で沢山飼ってた?の程度の事だと思う。いやまあ「それもアナタの妄想でしょ?」と言われればそうですが、そう考えるのが一番合点いった私の感想です。。でも、それでいいんですよ。それこそ宮崎駿氏にしかできない遺作の在り方です。
長年アニメクリエイターとして生きてきた宮崎氏が最後に語る「自分はこういうモノで出来てる人間で、こうやって生きてきた。キミたちも自分で考えながら生きてみれば?」と晩年になって書き残してみたくなった…という映画なんだろうって。なので、鈴木プロデューサーが「あえて宣伝しなかった」と公開間近になって宣伝?しはじめたのも、そういう目でみると合点がいく。そりゃあ、宣伝できませんよね。。だって「大いなる自分語り映画」なんだから。だから宣伝「しなかった」でなく「出来なかった」が正確と思いました。
でも、エンドロール見てて思ったのは、結局その鈴木Pは、言葉は悪いがコモノだったなあと思った。日本のウォルトディズニーにはなれなかった。だからジブリは、このまま消滅するんだろうって。錚々たる名アニメーターが参加してたのは感動したが、と同時に、みな個々にスタジオを設けてて、ジブリを預かる後輩がいない。しかも上映開始前に流れたポノックの予告を見てて「なんでヨネさんがポノック名義で新作だすのさ?」って思った。鈴木Pは宮崎氏と若手クリエイターのカスガイになってなかった。。。
改めて日本アニメ界の旧態依然を見せつけられた気持ちになった。
追記のタイトルは「こじつけ」
元々のレビューのタイトルは「意味わからん」だった。
故にクソつまらないが第一声。
何かが何かを担っているのだろうけど、どおにも良くわからない。
ずっとタイトルの意味を考えてた。
「君たちはどう生きるか」
人生は選択の連続で、選択していく事が生き方の轍なのだとは思うのだけど、どうやらこの作品を受け止める感性が俺にはないらしい。
寝てた。
諦めたと言ってもいい。
インコもペリカンも鷺もキモいし…宮崎版「不思議の国のアリス」と思えなくもない。
戦時中の舞台設定は、なんとなく腑に落ちはするのだけれど、異空間になってからはもううんざりだ。
ただ一つ印象的なのは少年の目だった。
彼は明確な意思をずっとその眼差しに宿してた。
何が起ころうと、何に向かいあっても怯む事はなかったように思う。
コレこそが、メッセージなのだろうか?
なのだが。
一体、お前は何者なのだ?
その切り替えの速さは何に由来してんだ?
コイツは人っていう括りに分類していいんだろうか。
時間は前にしか進まない。
故に、後ずさる選択など無いのだと。
…原作が一時期ブームにもなってたからどんなもんかと思っていたのだけれど、どうやら個人の脳内で展開され咀嚼されていくメッセージと、見せられるモノとは別物らしい。
▪️追記
「コレは宮崎駿の自伝だ」とのレビューを数本見かける。なるほど、面白い視点だと思われる。
なんか、そんな裏知識を踏まえて作品を見るとなかなかに噛み応えも出てくるかもとフと考える。
遺書とか遺言とのレビューも興味深い。
普段はそんな視点では見ないのだけど、誰かの感想に乗っかって見てみるのも面白いかと思った。
▪️追記
主人公=宮崎駿とし、この作品が「自伝」だとして…こじつけ考察レビューをしたためようと思う。
冒頭、戦時中から作品は始まる。
ここは紛れもない現実なのであろう。ここでは彼が「物言わぬ思考する若者」だとの印象を受ける。
環境と大人達に流されるも、どこか強い意思を有する人物。それはやはり目に現れてるように思う。
全編通して「鳥」が多用される。
鳥には自由や奔放などの意味を付与するとして…最初に登場するのは「青鷺」だ。
嘘つきだと称されるが後に友達とされる。
コイツは異質なのである。
主人公の目の前で変態していき、人と鳥のキメラの如き形態を保持する。悍ましい容姿なのだ。
ではコレは誰なのか?
宮崎駿を業界に引き込んだ人物にも捉えられる。
人に非るもの…に見えたのかもしれない。
青鷺を同伴者として異空間に場面は変わる。
この異空間こそが「アニメ業界」もしくは「宮崎駿の脳内」なのかもしれない。
では、その前に紹介された義母はなんなのか。
コレは目的や目標なのではないかと思われる。
義母を探しに、森林に足を踏み入れる。
探し当てた義母は、手にした瞬間溶けていく。
そこに青鷺の台詞
「よく出来た方だと思ったんだけど、もたなかったね」とか何とか。
ゴールは到達した瞬間からスタート地点へと変貌する。
足下から飲み込まれていく主人公。
その表情から戸惑いは読み取れない。
何かの覚悟をしてるように思え…文字通り、泥沼の如き床に沈み込んでいく。
「ペリカン」は観客なのかと思う。
生まれる命とは、創作物の命とも言うべき「アイデア」なのではないかと。
産んでも産んでも、片っ端から平らげられていく。ペリカンの大きな口…無慈悲な欲望の具現化かもしれず、習性としては貪欲で節操がない。
突如現れる墓所は「アーカイブ」かもしれない。
先日達の魂が眠る場所…ココで主人公は言う。
何故墓所の扉を開けたのか?
「開けたんじゃない。ペリカンに押し切られたんだ」
物語の骨格とも呼べるものは、最早出尽くしていて、細部の変更はあるものの基幹は変わらないとの意見もある。クリエイティブである監督や脚本家は、なんとか既存の物語からの脱却を模索するのが常である。
先人達と同じ轍を踏む。
やりたくない。でも、時代のニーズに押し切られた。という意味合いなのかもしれない。
インコで思い浮かぶのは籠だ。
限定された空間の中で、忙しなく動き喧しい。
インコは製作陣や制作環境を指すのかもしれない。
インコの王が鈴木敏夫Pっていうレビューからインスパイアされた訳だけども、なるほど権力も金もあり、至極正論で、かつ横暴でもある。
途中主人公が必死の形相で階段を駆け上がっていく。
その階段は制作過程だとして、ソレを断ち切るのはインコの王だ。ご丁寧に2回も切って足掛かりさえなくなる。台詞をあてるなら「監督、もう金がないんだよ」…死刑宣告にも等しい。
実母とミサは同一人物ではあるものの、担ってるものが違うように思う。
ミサは鳥達に対し、唯一有効な攻撃手段で、守ってくれる存在だったように思う。この辺は寝てた。
コレは監督にとってはなんなのだろうか?
母…母か。
であるなら、命を産み出す者としての制作意欲なのだろうか?攻撃方法は炎。
情熱とかよりは、傲慢とかなのかもしれない。
大オジは、自分を俯瞰する自分なのかもしれない。
客観的視点なのだろうか?
主人公に連なる血脈であり、歳を経た人物。
本を読みすぎて頭がおかしくなった人。
思考の迷宮に囚われる監督本人なのかもしれない。
この異世界は、本人にとっては現実なのだが、それ以外の人には認知も認識も出来ないという優れた舞台装置でもある。
主人公だけが体感する現実なのだ。
そして、万人が共有する現実に戻る。
プロローグは一瞬だ。
だが、終戦があり2年の月日が流れている。
とてつもなくアッサリ描かれている。
ただそこに経過や経緯だけがあるかのように。
タイトルは「君たちはどう生きるか」
問いかけのようにも聞こえる。
この作品を「自伝」と仮定するなら宮崎駿の生き様を見てきた事になる。魑魅魍魎と相対し様々な決断を下してきた半生を。
主人公が対峙する魑魅魍魎は様々なものに置き換える事もできるのだろう。なればこそ「君たちは君たちの生き方において、何を選択していくのだ」という事にもなるのかもしれない。
物語としては、解釈が多岐に渡ってしまうからこそ、無形に類似するかもしれず…タチが悪い。
ひょっとして、宮崎駿を熟知する旧知の友や、スタジオジブリの関係者達には盛大なコメディにも思え、爆笑に次ぐ爆笑の本作なのかもしれない。
権威を持て囃すことしか出来ない不毛さ
宮崎駿流自己満足のオンパレード。
説明を省くのは構わない。しかし、辻褄の合わないシーンが頻繁に出てきて、非常に雑な作りとしか言いようがない。
例えば、曾祖父の世界は、重要な死者の安息の地なのかと思いきや、単に現実世界からの避難場所でしかなく、そこの説明も皆無。
登場する種族の役割も、その世界の仕組みもよく分からない。矛盾がどんどん出てくるけど、放置して物語が進み大団円。
いきなりワープするし。「あれ?じいさんに会いに行って、なんで戻るの?」みたいな。
これぞ宮崎ワールドと満足する人を否定しません。楽しんだのなら、それはそれでも良いでしょう。しかし、娯楽作品としてろくに成立しないものをそのまま出すのがジブリなのだとしたら、無責任と言わざるを得ないです。結構な値段取るんだから。
ま、私の批判は「監督の夢の世界の話に突っ込みいれんなや、野暮よのお!」ってことでしょうかね。
とにかく酷い映画でした。
夏に味わうこのクラクラ感こそジブリ。
空襲(?)をきっかけに母を失い、父親の再婚者のもとへ疎開した主人公。
家柄による転校先での葛藤や、再婚母への嫌悪感に苛まれる主人公は、実母が遺してくれた本により解放される。
パワーアップした主人公が、「母親に会わせてやる」とそそのかす青サギを追い、謎の塔の不思議世界に迷い込むお話。
▼他人の夢を体験するクラクラ感がすごい。
・ばか暑い夏でクラクラしてる中、謎世界に迷い込まされて、再び現実世界に戻され、なんだったんだあれは・・・とさらにクラクラする感じが、まさに夏公開のジブリの真骨頂。
・トトロや千と千尋よろしく、夏の空気のなかでそのクラクラ感を味わわせてくれただけで有難い。
(以下ネタバレ気味)
▼人間に生まれるために舞い上がった、キュートな命の精霊たちに感動した瞬間、
パックマンスタイルで次々とペリカンに喰われていった不条理の衝撃が忘れられない
▼主人公が異世界へ出発する前にすでに成長してる
・異世界に迷い込んだ主人公が、冒険や出会いを通じて、人間的に成長を遂げるというパターンが多い気がするけど、
本を通して、冒険前に主人公はすでに成長していて、なんでもこいや状態で、異世界ダンジョンを淡々とこなす感じがなんかおもしろい。
▼ファンタジーといってもキラキラしてるだけじゃなく、エグみが容赦ない
・世代的に劇場でのジブリ鑑賞デビューのキッズたちもいるだろうに、ガマガエル大量発生シーンや、大魚かっさばき臓器シーンといった、シュバンクマイエルばりの強烈シーンでトラウマになる子もいるんだろうなぁ。。
▼視聴者が普段大事だと思っていることが、この抽象度の高い作品を通して強化されるところがあるかも
・かろうじて映画のメッセージ性が保たれているのは、大叔父に託された「より良い世界を作るために、混沌の現実世界に戻ること」を主人公が決意するところにある気がする
・主人公が宮﨑駿監督をモデルにしてるっぽいところをみると、だからアニメを一生かけて頑張ってきたのかという見方もできるし、何かに普段打ち込んでいる観客は鼓舞されるところあるかも。
・フィクションとノンフィクションがないまぜになっていて、さらに抽象度が高いので、観客は映画を観ていても、実は自分自身を勝手に発見することになり、結果的に作品タイトルのような作用が働くという構造がおもしろい。
・それを踏まえていろんな人の感想を見ると、それぞれが大事にしていることが垣間見えて、それもまたおもしろい。
人の心に様々な捉え方をさせる映画
「人間は綺麗なものではないけれど、それでも醜さも許しながら生きていく」ということが伝えたいことなのかなと思った。人間は私利私欲で醜く、不自然に他者を傷つける。ラピュタやトトロのようなファンタジーとは違って、現実的でドロドロした部分を描いてるなと思いました。何も考えずに素直に感じるまま見たら、きっと冒険的で楽しいと思います。死生観について頭で考えてしまう私にとっては、映画の伝えたいことが少し複雑に遠回りしているように感じられ、かつ、物語の熱量に少しだけ疲れるかもです。映画を見た人の感想が十人十色で面白いので、人の心に様々な捉え方をさせるという意味で希少な映画だと思います。
ジブリを見てきた人こそ見てほしい。
君たちはどう生きるかと言うタイトルだが、これは明らかに宮崎駿はどう生きて生きたかっという感じがする。様々な場面に過去の作品のオマージュがあり、あ、これあの作品のココのシーン。あのキャラってあの作品のキャラだよね。など一緒に観に行った人と後の座談会に花が咲きました。逆に、ジブリ作品をあまり見ていない人にとっては退屈な作品だったかも。
一つの作品の中でこれだけ駿の中身が見れたのも少ないのではないかなぁ。なんかこれが遺作になるのかなっとも思いましたね。まだ1度しか観ていませんがもう一度じっくり見直したい作品です。ここまで秘密にしなくても良かったのに。中身を説明しなくても、何かしらの宣伝方法はあったと思うのですが、どうなんだろうか。
駿の頭の中を観た感じでとても私は良い作品だと思いました。
劇場版にする作品なのか?
基本星3つ以下はレビューすら書かないが
これはいただけない!
宮崎駿82歳
ま、しゃーないねんけどさ笑
やっぱ最後の作品は小さい子供から大人まで、みんなが楽しめるジブリを作ってほしかった。
個人的なポエムは一部の場所で限定公開したほうがよかったように思う
駿さんは"風立ちぬ"で終わるべきやったね。
あなたは何故生きるのか
君たちはどう生きるか
裏庭の異世界は、単純な原風景の描写(書き写し)ではなく、作中の人々がその中で自分の時間、空間を持ちながら世界を生きるための礎に見える
生き急がなくてはいけない時代が来て、自分の中に培ったものを手にして時代と向き合う。積み重ねたものが崩れ去ったときにも、ありきたりでも、お互いを思う気持ちがあり、眼は未来を見ている
生を励まされるような映画
自分の手で自分の世界も誰かの世界もいくらでもどうにかすることが出来た。それでも、清いものを前に自覚する「これは自分の悪意だ」。罪を償うように、己を律するように、生きやすい世界を自ら手放し、火の海の苦しい世界で生きていくことを決める。そんな眞人の真の強さに、心の底から震え上がるような勇気を貰った。己の黒い部分を受け止めることはきっと何よりも難しいことだと思う。実際私自身も無意識に幾度も自分を裏切って生きてきたのではないか「これは私が◯◯のためにやったことであって」自分の心を守っていたのだ。それでもやったことは消えない。言い訳をするということは罪悪感が後ろにあったのは確かで、かさぶたで覆っているだけ、中は腐っているのをどこか分かっていた。だから憧れるのだ。エンドロールが終わり画面に広がる「君たちはどう生きるか」の文字に、まるで雑踏に1人放り出された子供のように、突き放された気分になった。ここで映画全体が一つの問いかけだったことに気付く。眞人は指針だ。指針を隣に、さあ、君たちはどう生きるか?彼のように、黒も白も強さも弱さも己の全てを受け止められる人になりたい。それはきっと何年かでできるようなことじゃないから、一生の課題である。どうか強かに生きていきたい。
宮崎駿の世界観と、少年の繊細な感性に涙
素晴らしい映画。
素直な感想を言うと、すごいものが観られたけど監督の本意は理解できてない気がする。
美しく繊細な宮崎駿の世界観と、どことなく不思議だけど現実感がちゃんとある風景。
母を無くした少年の深く傷つき、新しい母(しかも母の妹…)を受け入れられない心。
でも父の愛した人だと複雑な気持ちながらも受け入れ、異世界に彼女を探しに行く優しさが切ない。
異世界では死別した母の子供として生きていて、何度も彼を助けてくれる。
幼くして母を無くした彼にとって、この経験がどれだけのちに心の支えになることか…!
また、黒い影のような者たちが生活しており、生きたフリをした死人だという。
彼らは魚を食べるが、殺めることはできない。
桐子が捌いた魚を買い求めるだけ。
まるで都会に住む、夢も希望も持たず、ただ空腹を満たすためだけにスーパーで加工されたものを買う人たちのようだと思った。
君たちはどう生きるか、というタイトルの通り日々の選択や志を見つめることが、本当に生きることなんだと思う。
そんなに難しいのか
子供が不思議な世界に迷い込み、家族と一緒に帰ってくる話。千と千尋とだいたい同じ。世間的には難解で考察しがいのある映画のようであるが、ちょっと分からない。
登場人物
眞人(主人公)
環境の変化に馴染めず、自作自演の被害者ムーブかまして、ひきこもり生活を実現したと思いきや、母の遺した贈り物(君たちはどう生きるか)と出会い、黄金の精神に目覚め、異世界への冒険に旅立つ。
大おじ(黒幕)
謎の塔の中で、すごいマインクラフトを見つけ現実世界を捨て、創造主となる道を選んだが、出来上がった世界は理想とかけはなれたクソ世界であった。
タイムオーバーを感じ、自分と同じ(ひきこもり)気質をもった主人公にコンティニューさせようとするが断られる。ならばNewGameでもかまわないと譲歩するが、それも断られる。そして死ぬ。
主人公の弟も自分の後継候補と考えていたが、さすがに時間が足りなかったようだ。
アオサギ(相棒)
時空の旅人。一宿一飯の恩義だろうか、塔の主(大おじ)の頼みを受け、主人公たちを異世界へといざなう。
インコ.ペリカン.キリコ.母.母妹.
大おじにアブダクションされた生命体。
少年が大人になっていく
早くに母親を亡くした少年が、戦争で父親の工場のある田舎に引っ越すことになる。そこには父親と良い仲になり子供までできた母親の妹がいた。そんな状況を突然突きつけられ彼は戸惑いある意味グレて閉じこもる。
そんな彼が導かれる生と死の間の世界。そこで彼は逃げずに立ち向かう。そして青年へと成長していくのだ。
産まれる前の子供達を象徴するようなワラワラ、これが超絶可愛い。ジブリのこの手のキャラが大好き。まっくろくろすけやススワタリ、コダマなどなど。
監督がこの話を通して伝えたかったことは沢山ある。でも伝わる中身は人によって違うし,それがジブリらしさだなって思ったりした。
人類は時間をかけた自決を選択した
宮崎駿は、風の谷のナウシカ(原作)や、もののけ姫で示したように、人類が自決の道を選択したことをこの映画で再び示した。
我々人類は、「環境破壊や戦争のある世界」、すなわち、「時間をかけた人類の自決」を選択したのである。
異世界の鳥たちは、地上の人類であり、その世界を支配している。
インコ大王は、鳥の「今の生活」を維持するため、環境破壊や戦争で既に崩壊寸前のバランス(積み木)を崩さざるを得ない。
「インコ大王による積み木の破壊」は、「ナウシカによる墓所の破壊」、「エボシによるシシ神殺し」であり、それらは「人類が時間をかけた人類の自決の決意」である。
人類は、人類が現在の生活スタイルを続ける限り、地球のバランス(あるいはそれを復活させるための術(墓所))を壊さざるを得ない。しかしそれは、時間稼ぎでしかなく、人類(と地球環境)を破滅へ導くものである。
門に書かれた「ワレヲ学ブ者ハ死ス」は、南京政府高官の自宅にある扁額(門)に書かれた言葉のようである。
彼は、南京政府が脆弱で先が長くないことを分かっていながら、その地位を謳歌し、最後は毒薬で自決したとある。
人類存続のための我々の行為、環境破壊や戦争(積み木の破壊)が、人類存続の一時の時間稼ぎであることを知った(学んだ)者は、それが時間をかけた人類の自決(死)であることを理解し、人類として死ぬのである。
過去作品で描き切れなかった問いの再演
タイトルからもっと哲学的な教訓を押し付けるような作品かと思っていましたが、全く普通に観られる少し不思議なファンタジーでした。
アニメ描写は流石のジブリにしか出せない迫力があり、キャラクターもそれぞれ良い味を出しているので誰でも普通に楽しめるかと思います。細かいところを気にしなければ。(身内は難しいと言っていましたが。)
私が全体を通して感じたのは、ああー…映画ナウシカでは時間的に描き切れなかった最後の問を再度映画で描きたかったのかな、と思いました。ナウシカの漫画を読むと、今回の映画のラストの大叔父さんからの問いと、ほぼ同様の問いかけがあります。
主人公は2作とも同様に、戦争の最中にあって、人の愚かさを知っていながら、その問いに答える。
きっと映画ナウシカでは描き切れなかった、主人公の自分の未来に向き合うこと、今作タイトルのどう生きていくかの決意を描きたかったのかなと感じました。
自分はジブリ作品の中ではラピュタが最も好みで、次点でナウシカです。今作、見ている最中はどうオチがつくのかと楽しみましたが、ラピュタ・ナウシカのガツンと響くほどの衝撃はやはりなかったです。でもコンパクトにまとまっていながらも先に希望を残すファンタジーでした。
私はすごく好きな映画だった。
見終わってすぐ友達に言った言葉は「1度夢で見たことがある気がする」でした。
それを宮崎駿監督が伝えたかったのかは分からないけど、私個人はそんな感じがしました。
今まで見た夢の中で1度は見たことがある内容。その夢は覚えてはないけど、大叔父がいた部屋(明るくて、広い空間に机とつみきがある感じ)や、その部屋に行く前の三角の明るくて狭い通路、最後石の世界が崩れていく感じなど、既視感まではいかないけどこんな雰囲気を知っているという感情が心の片隅にありました。
ほんとに不思議な映画でした。
友達に「夢で見たことある気がする」の後に私は続けて「覚えてはないけど……」と言いました。
その瞬間に私は最後アオサギが言ってた「お前よく覚えてるな」というセリフを思い出しました。
すこし鳥肌がたちました。
まひとはその世界の物を持ち出したから覚えていれるけど、持ってきてない人はその世界のことを忘れる。
もしかして私も忘れてるだけなんじゃ……などと変に色々と考えてしまいました。
自分でも何が言いたいのか分からなくなってきました……まあ、見たことがない人には1度見てほしい作品です。その後その人がどう感じるかは分からないですけどね。
宮崎駿の遺言
宮崎駿の遺言ですね。塔は自身が作り上げたスタジオジブリだし、主の大叔父は宮崎駿そのものです。自身が人生を掛けて作り上げたスタジオジブリも滅びに向かっている、理想的なものを作るためのスタジオはいつの間にかぎゅうぎゅうになり、きわどいバランスの上にいる。積木はこれまでの作品でしょう。これを引き継いでほしい、血の繋がっている誰かに継いでほしい。でも、それは叶わなかった、でもそれでいいんだ、でも哀しい。
主人公は宮崎駿の少年時代の眞人くんでしたが、本当の主人公は宮崎駿そのものの大叔父でした。
宮崎駿の人生の決算だったのでしょう。ジブリ映画のオマージュと思わしき場面もありました。紅の豚のジーナの待つ場所、ハウルの流星、ナウシカの金色の野。
ジブリ映画的なものを求めた人には不評なのも納得できます。この映画は宮崎駿の遺言、宮崎駿の映画なのです。
私には一人の男の映画としてとても響きました。
属人的な組織の次世代への問い
ジブリやジャニーズのような属人的な組織は、次世代へどう経営を繋いでいくかに、課題があります。
そこへの問いを感じました。
宮崎駿が一つ一つのシーンにどのような思いを込めたのか、今の年齢で監督として作った作品だからこそ、考えてみていました。
過去の作品のオマージュや、ラストの大叔父のセリフなどにも宮崎駿のジブリと未来への思いが多く詰まった作品だったと思います。
そのような部分が、ジブリの作画でジブリっぽいファンタジー溢れる形で描かれていたので、ジブリファンとしては納得しました。
予告なしでの上映ということで、当初は風立ちぬのような戦後の現実を直視するような話かと思いましたが、実在は千と千尋やハウルのような非現実的なファンタジーな世界での話でありました。
映画に出てきた、積み木こそが次世代を担う我々であり、
積み木上手くハマらないと全てが崩れる。そういった部分は、国や組織そのものだと思いました。
宮崎駿は次の世代へジブリという積み木をしっかりと積み上げて欲しい気持ちがあるかもしれません。ですが、それはエゴです。
新しく次世代が古い考えにとらわれず、進化を遂げていくことこそが大切なんじゃないかなと思いました。
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