聖地には蜘蛛が巣を張るのレビュー・感想・評価
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殺人を浄化として英雄視する社会にゾッとする
アリ・アッバシ監督作。
前作の「ボーダー 二つの世界」は普通とは異なる人間を描きマイノリティの孤独と悲劇をデフォルメした北欧テイストの傑作だった。
そして今作の舞台はイラン🇮🇷。
2000年代初頭に実在した殺人鬼による娼婦連続殺人事件に着想を得たとのこと。
ボーダーのときは全く意識しなかったけど、アッバシ監督って学生時代にイラン🇮🇷からスウェーデン🇸🇪に移住していたのですね。
そう、ここ🇮🇷には娼婦の殺人を罪と認識しない多くの人々がいた。「殺人」を「浄化」として英雄視する社会があった。法社会として成熟していない国家があった。
その事にゾッとするインパクトの強い作品だった。
そして、自らを危険にさらす女性ジャーナリストを演じたザーラ・アミール・エブラヒミの美貌とインテリジェンスに💕(㊗️カンヌ国際映画祭女優賞)
彼女もまた性的なバッシングによりイラン🇮🇷からフランス🇫🇷に亡命していた。
名声と信頼
どの宗教であろうと、どんな背景であろうと、生きるために必要なお金を様々な手段で稼ぐ。もちろん聖地マシュハドでも同じである。退役軍人の主人公は今の生活に退屈し、俺はもっと違う使命を神から与えられているはずと考えている。彼は夜にマシュハドで立ち、稼ぎを得る娼婦を汚い存在と思い、神の代わりに制裁を下していた。そんな退役軍人と彼を追いかける記者の物語です。
どんなに完璧に最初上手く行っても、いつか上手く行かなかったときやボロが出る。名声が欲しいのは誰でも同じである。最初はスパイダーキラーとも世間から呼ばれていたが、だんだんと興味が去っていき、そのような呼び名もなくなった。
誰を信じればいいのかは最後までわかりません。退役軍人の彼は娼婦から信頼を得る。そして、その信頼を裏切っていく。彼が裁判で判決を下された後、友人に裁判の結果を覆すと約束されたが、最後の最後彼は裏切られてしまった。彼を応援していた人々はあくまでも興味からの行動であり、話したこともありません。
私たちは生きていくうえで、どのように名声を欲しいという自己満足と、他人をどこまで信用していいかと考える戦いをすればいいのかを考えさせられる映画でした。
所変われば…
イスラム教なんだろうか…基本売春は世界的に違法なんだろうが、アングラでは認められているのが一般的なんだろう
流石にあれだけの数の女性を殺してしまうと、世論も支持すると思ったが、そうではなく支持する人々があれだけいるのはカルチャーショック
終わり方も何だかな〰️
なぜこんなに評点が…
異国のことと言い切れない怖さ
恐ろしいことに、実話ベースなんですよね、これ。
イスラム教だからということで他人事に思ってると大間違い。
気に食わないものを排除することを是とする(殺人を犯しても正当化されるべきと主張する)連中が、一定数いることの恐ろしさ。
そして、平然と男女差別をし、ヘイトを繰り返す人々の醜悪さ。
価値観や宗教解釈なんて変わっていくのが常であるのに、自分の行いは正しいと思い込み、法に背きながら堂々と正当性を訴えることが、いかに愚かなことなのか。
こういったことを平然と行える人々は、日本にもいるのですよ。
最近、ヘイトをばらまき扇動する人間は、選挙に出たりしています。
困ったものです。
何が悪か
それぞれの立場で大きく違いますね。聖地としての尊厳を保ちたい者、生活をして行く上で売春をしてクスリに溺れる者、殺人を悪として追求して行く者。サイードが行った殺人は良く無いと思いますが、それを善として崇める環境や家族には怖ささえ感じます。息子はこのまま行くと踏襲しそうですね。
重い
女性から教育取り上げるのも偏った頭した男性たち。
結果娼婦、しないと生活出来ないことをバカにするもの頭の偏った男たち
久々最後の最後まで集中できた作品だった
けど、日本でもこういう偏った頭のおじさんいるよね
と思いながら映画館でた
サスペンスの枠を軽く飛び越す重厚な物語
イランの聖地マシュハドで発生した、娼婦ばかりが狙われる連続殺人事件を追う女性ジャーナリストの物語と聞いてどんなイメージを持つだろうか。犯人を追うサスペンス?犯人の異常な内面を描いたサイコな話?主人公のジャーナリストが受ける女性としての生きづらさを描いた社会派ストーリー?そのどれでもあるのだが、裁判が始まる後半からは少し違う色を見せてくる。
そこで描かれるのはイランにおけるイスラム社会が女性をどう扱っていたのかということ。裁判と支援者と犯人の家族の描き方がエグい。なんならそのありえなさに少し笑ってしまうくらい。そんな考えが普通なの?と。最後も、こんな感じで継承されるのかと怖くなった。
この事件から30年近くたっているが、イランはそこからどれだけ変わったのか。ヒジャブ着用の事件が発生したりしてるから大して変わっていないのかもしれない。とても気になる。
イラン版切り裂きジャック
まず驚いたのは、女性がほっかむりしなければならない国でも売春があること。そして、そうせざるを得ない貧困層がいて、その人たちが案の定というか、守られていない。興味深かったのは、犯人を英雄視していたのはほんの一部で、殆どは極刑を望んでいたというところか。社会の闇は万国共通だな、と思わされた1本だった。
不条理しかない「聖地」の夜
平日に休みとってまでなぜ「こんな映画」を観てるのか。終始、いやぁーな気持ちで観続けた本作ですが、そもそも、観たいものだけ観ていては知らないままの世界があります。
シンプル過ぎて、反ってえげつなく感じる殺人シーンが繰り返されるこの作品は、今から22,3年前のイランで起こっていた連続殺人事件が基に作られています。そのため、作中のシーンで映り込むテレビのニュースでは、01年に起きた「9.11」のニュースが流れていたりします。
被害にあう女性たちの殆どは、恐らく色々な事情で選択肢なく「娼婦」となり、男たちに虐げられるだけでなく、女性たちからも蔑まれています。そんな過酷な状況に加えて「殺人鬼」の恐怖に怯えながら、それでも生きていくために夜な夜な路上に出る彼女たち。強調して言うべきは、途切れなく現れる男たちがいるのです。そして、そこに紛れて彼女たちに「粛清」を続ける殺人鬼。もう不条理しかない「聖地」の夜はヤダ味しか感じません。
そして、真実に立ち向かおうとするジャーナリスト、ラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)。地元警察は頼りにならないばかりか、むしろ捜査しているのかも疑わしく不信感しか感じません。更には「残念ながらも想像通りの言動」でラヒミの気勢を削ごうとします。それでも諦めないラヒミ、自らドンドンと深みにはまってまで真相に迫るのですが、、、
イスラム教シーア派における聖廟都市(聖地)であるマシュハドで起きたこの事件。私にとってイスラム教は「イメージ」以上のものはほぼないため、これを簡単には結び付けて話せないものの、やはり切り離せないのは、完全なる女性への差別。その事情に関係なく、身を売る女性の「戒律違反」を一方的に非難し、買う側の男には全くのお咎めがない。そして、不貞を働く夫を庇ってまで、やはり「戒律違反」する女が悪いと論理をすり替えてまでプライドと家(ファミリー)を守ろうとする女性たち。更に「不条理」に対する理解がないうちに刷り込まれ、洗脳されていく子供たち。そしてまた、娘を殺されても尚、生活に追われ、また体裁を守るための選択をする被害者家族たちなど、もう言葉がありません。
とは言え、一つの作品からもたらされる印象だけで偏見をもってはいけません。だからこそ、知らない世界を知るために、たまにはこんな過酷な映画も観る必要性をしみじみ感じる一本でした。
Trap
カンヌを湧かせたという情報を頼りに鑑賞。あらすじもざっくりとしか知らない素面状態です。
中々にエグいというか胸糞というか…こうやって文章にするのがとても難しい作品でした。モヤモヤは上映が終わった後も続いています。
殺人犯、早い段階で顔が割れるので、ここからどうやって物語を展開していくのだろうと思ったら、少しだけ前の時代背景と差別的感情と殺人犯の中身を深掘りしていくというとても濃いものになっていました。
序盤で記者の女性が1人で泊まることを、正式な予約をしているのにシステムエラーを理由に宿泊拒否するというなんともムカっとする描写から入り、記者ということを明かすと途端にシステムエラーが無かったことにするなど、序盤のこの描写だけで20年前にはこんな差別が当たり前のように行われていたというのをサラッと説明してくれるのが巧いなと思いました。
R指定作品ではありますが、そこまでグロさには身構えないでいいと思います。殺人の描写自体は複数回登場しますが、基本的に首絞めや軽い殴打なので苦手な人は苦手かもしれませんが、耐性がある人は余裕だと思います。
宗教の恐ろしさが後半になってまじまじと伝わってきました。常識という名の洗脳によって、考えがパターン化してしまった結果、殺人に走ってしまう。しかもそれを悪びれたりしないというものに恐怖を覚えました。
日本でも数多の宗教がありますが、過去に大きな事件があった事もあり、他人事ではないのかもなと思いました。基本的には平和であって欲しいものですが、どうにも街中での勧誘には身構えてしまうもので。
ただ、全体的なテンポはかなり悪く、退屈なシーンが多かったのは残念でした。宗教が絡みながらここまで面白くできたのは凄いと思いますし、もう少し見やすさが改善されたら良かったのになとは思いました。
鑑賞日 4/17
鑑賞時間 11:10〜13:15
座席 H-7
前半2/3が殺人、後半1/3が逮捕と公判
予告を見れば前半2/3ぐらいは見終えた感。後半1/3が肝かな。ラストはそっちの方向なんだー。でも、なんかモヤモヤ。
息子のその後が気になる。
邦題は違った方が良かったかも
ボーダーのインパクトが強かったので本作も楽しみにしてました。少し寝不足だったので睡魔が心配でしたが、冒頭から緊張感のある映像が続き犯人と女性ジャーナリスト二人の視点に引き込まれていきました。ホテルのフロントに始まり警察やしまいには裁判、世論、家族の反応などなど、、今の普通の日本社会に生きる自分には衝撃で考えさせられます。
ふざけんな! 泣いてんじゃねーよ、死ね! って、 映画見ていてこん...
ふざけんな!
泣いてんじゃねーよ、死ね!
って、
映画見ていてこんなに怒りが込み上げてきたのって、
きっと初めて
後味悪いけど、
映画作品としてはきっと優れているのだと思う
「正気」の人間の恐ろしさ
つくづく変なオカルトより人間の方がよっぽど怖いなと思わされる。幽霊なんかより、「正しさ」に取り憑かれた人間の方がはるかに恐ろしいのだ。最後に息子が父の殺人の詳細を説明するシーンがあるが、鳥肌が立つおぞましさがそこにはある。
中毒
イランの聖地マシュハドで、娼婦を次々に手にかける「蜘蛛殺し」と呼ばれた殺人鬼と、犯人を追う女性記者の話。
広場にバイクで現れて娼婦を自宅に連れ込んで殺した上に、新聞者に犯行を知らせる電話をする蜘蛛殺しという設定で、犯人や犯行の様子は最初からはっきりみせていて、犯人や記者の心情やそこからどう展開していくかをみる作品という感じだけれど…。
犯行を繰り返す犯人の言い訳とか、記者視点でみせる2000年代初めごろのイランの女性の立場や世情とか、イメージ通りではあるけれどまあ酷いこと。
もう一昔前だったら無罪もあり得たのかも知れないけれど、いくらなんでもこれだけ取り沙汰されたらそりゃあねぇ。
そういう想像力を働かせられているのは妻と弁護士だけというのも途上国であり宗教国家という感じで、そこに恐さを感じた。
あっ、やられた。
日本じゃまずありえなさそうな連続殺人事件
国や宗教によっては売春行為即死刑。そんな女性たちを殺害したが、支援者も多いしこりゃ無罪あるいは執行猶予かと思いきや死刑判決。いやひょっとしたら裏工作あるかも。で、あの結末、やられた!
原題の方がカッコいいよ。
前作「ボーダー」の北欧の静謐な世界観と、全く違う作品で面食らったが、監督がイランのテヘラン出身で実際にあった事件を元にしていると知って納得。
実際の事件犯行のきっかけは犯人の奥さんが街に立つ売春婦に対して漏らした不満だと証言しているそうだ、、、そんなんで16人殺すんかい?、、こわっ。
映画だと動機の部分が弱いのだけど、いやこの国この街ではこの考えが正しく、実はスタンダードなのだと考えるとぞっとする。
きちんとした作り込みと質感へのこだわりは前作同様。
前半の怖さはクライムマーダーだが、後半は違う。
こういう文化宗教に根ざした考えを頭ごなしに否定するのは難しいが、殺人は殺人だ。
彼に対する計らいがあったのか、無かったのか?
わざとあやふやに表現されてる所なんか流石だなと思った。
人権問題は世界的に顕在化され新しい価値観で見直されている。しかし建前と本音、宗教や政治的ダブルスタンダードが当然の国は沢山ある、そして同調圧力。日本でも入管移民問題や男女格差なんかは緊急案件だし、インドのレイプ事件とか想像を絶する記事を時々目にする。
生きている意味とは?
なんて考えてる余裕のある国は、少ないかも知れない。
あーなんか書いてるうちに取りとめもなくなってしまった、、、。
私たち日本人にとって馴染みのない社会や価値観を知り、独善的な判断をしないため、一度は見ておくべき作品
2000年から2001年にかけてイランのマシュハドで娼婦16名が殺害された実際の殺人事件にインスピレーションを得た映画ということで、昨年、BBCのネットニュースでティザーを見てから気になっていたので見に行きました。特に、イマーム・レザー廟を中心に蜘蛛が巣をはっているように映る夜のマシュハドの街の映像はなかなかに印象深いものでした。本作については、事前にイマーム・レザーを冒涜するものではないかと聞いていたのですが、噂とは裏腹に、実際に映画を見た印象としては、イマーム・レザーを冒涜するようなイメージは特に感じませんでした。
この'ankabūt-e moqaddas(聖なる蜘蛛)、または'ankabūt-e qātel(キラー・スパイダー)と呼ばれるサイード・ハナーイーを題材にした映像作品は、知る限り、これで3作目になるかと思います。インパクトのある事件だけに、やはり多くの方が映像化したいと思うものなのでしょうか。
1作目は2001年、つまり事件直後のマーズィヤール・バハーリー監督による「そして蜘蛛がやって来た(va 'ankabūt āmad)」で、こちらはフィクションではなく、実際にサイード・ハナーイー自身やそのご家族、被害者のご家族、裁判官、そして弁護士等に対するインタビュー等を元にしたドキュメンタリーフィルムで、2作目がイランで人気のテレビシリーズpāytakhtでおなじみのモフセン・タナーバンデ氏がハナーイー役を演じた「蜘蛛('ankabūt:邦題はキラー・スパイダー)」、そして本作が3作目という並びになるかと思います(もっとも、本作ではこの殺人鬼の名前が、ハナーイーからアズィーミーへと変更されていて、途中で名前が出た際に驚いてしまいました。ただ、英語至上主義で原音をまるで無視する日本語字幕翻訳では、ハナーイーはハナイとされてしまい、日本人のような名前になってしまうので、名前の変更は有り難いことかもと思いました)。
2作目の「蜘蛛」は既に昨年見ていたので、予習のつもりで、1作目の「そして蜘蛛がやって来た」をネットで視聴してから本作に臨んだのですが、ドキュメンタリーのなかでのハナーイーのご家族のセリフ等が劇中で多く使用されているなど、事実を元に丁寧に作られていることがよく分かりました。
例えば、作品の終わりのほうで、サイードを処罰したところで、新たなサイードが出てくることになるだろうという趣旨のセリフがありますが、これは実際に彼の母親がインタビューのなかで話していることですし、サイードが娼婦を殺害する様子を息子のアリーが得意げにジェスチャーを交えて説明するシーンも、ドキュメンタリーフィルムの中で実際に彼の息子が行っていることです。フィクションではないと知った上で本作を見て、改めて強い衝撃を受けました。もっとも、事件が発生して約20年が経ちますが、新たな聖なる蜘蛛についてのニュースも聞きませんので、彼が父親の後を継いでいないらしいことには、ほっと安堵を覚えます。
映画のストーリーとしては、とても分かりやすい形で作られていると思いました。サイードが街を浄化する目的で娼婦らを殺害し、それを女性ジャーナリストのラヒーミーが追いかけ、最後には彼女が自分を餌にしてサイードを吊り上げると、逮捕されたサイードが裁判で有罪判決を受け、処刑されるという流れは、見ていて非常に分かりやすいのですが、特に大きなどんでん返しがあるわけではないので、人によっては少し退屈に感じるかもと思いました。
サイードについては、非常に信心深い人物として描かれており、聖なる街から退廃した娼婦を取り除くことが彼にとっての信仰上必要な努力、つまり「ジハード」であるとのセリフにも彼の信仰心がよく表れていると思いました。ただ、このセリフを元に、だから宗教は危険なのだと結論付けるのはどうかとも思います。私たち宗教意識をそれほど強く持たない日本人の社会でも、例えばネット上で独善的に他者を叩き、社会的に抹殺しようとする事例などを見かける通り、自分が正しいと思うと、必要以上に相手を責め立てることがあります。ある意味、そのような人たちはサイードと同じようなものなのではないでしょうか。誰もがサイードになりうるのだから、そうならないように気を付けなければならないと感じました。
また、彼がこのように独善的な行動に出た理由として、信仰心や戦時のPTSDについて触れているようなシーンもありましたが、彼の奥さんがタクシー内で娼婦に間違われ、ドライバーから暴行されそうになった(あるいは暴行された?)ことについて触れていなかったのは少し残念な気もしました。
本作を見ていて、聖なる都市とされる場所によくあれだけたくさんの娼婦がいたものだと驚かされましたが、よくよく考えてみると、シングルマザーやワーキングプアに対する支援等が十分になされなければ、体を売らざるを得ない女性が出てくるのはどこの国も変わらないことなのでしょう。そのような意味では社会保障や生存権といった普遍的なテーマを扱っている作品とも言えそうです。そして暴力は常に社会的弱者に向けられるものだということも(なんでも、一説には実際のサイードは最初、客である男達を襲おうとしたけれども、力が及ばないので、抵抗する力のなさそうな娼婦を襲うことにしたのだとか)。
このようにセーフティーネットから零れ落ちた、社会的弱者の娼婦たちですが、劇中で彼女らは女性たちからはもちろんのこと、男たちからも忌み嫌われ、殺されても当然という言い方をされます。性的にイスラム世界よりも緩やかな日本社会でさえ性産業に従事する女性は冷たい目で見られるのですから、いわんやイスラム圏においてはですが、女性が体を売るときには、当然ながら買う男たちがおり、売春が商売として成り立つ以上、娼婦よりも客である男たちのほうが数が多いはずなのに、娼婦に対するこの非常に厳しい態度。男とはなんとも勝手な生き物です。また、劇中、事件担当の刑事がラヒーミーに対して関係を無理強いしようとするシーンを含め、ろくでなしの多いこと。男って本当に……。イラン社会がいまだに男中心の社会であることが本作から良くうかがい知れます。
このような男性中心主義的でマッチョな社会で、サイードは娼婦を16人殺害するわけですが、そこには宗教的な、あるいは法律的な事情もあるので、その点も理解しておくほうが本作をより良く理解できるのではないかと感じました。
例えば、イランで定められているイスラム刑法上の用語のひとつに、mahdūr-ol-dam(مهدور الدم)という概念がありますが、これは「その人の血が無駄なものであり、無効である人」つまり「イスラム法上、その人の血を流すこと、つまりその人を殺害することが許されている人」という意味で、例えば、正当防衛の場合、誰かから襲われた際、自分の身を守るため、襲い掛かってきた人を殺すことは、侵害者が防衛者との関係で、mahdūr-ol-damとなり、殺害することが許されるというイメージになります。そして、サイードは、娼婦はイスラム社会の性道徳に対する侵害をしているので、彼女らは社会との関係ではmahdūr-ol-damとなり、彼女らを殺害することが許されると確信し、このような凶行に及ぶのですが、当然、イラン社会にいおいても、彼女らがmahdūr-ol-damに当たるか否かは裁判官等が解釈・判断することであって、彼が行っていることは完全に独善的な行動になるわけですが、それでもそのような事情を知っていれば、彼の思考の流れは理解できるのではないかと思われます(もっとも、心情的には彼の行為は全くもって、1ミリも理解・賛同できるものではありませんんが)。
また、理解・賛同できないということでは、逮捕されたサイードが収容場から外を眺め、雨が降ってくると、それを満足そうに眺めるシーンがありましたが、これは彼が娼婦らを殺害するまでは日照りが続いていたマシュハドに雨が降ったことで、自らの行為を神に認められたと感じるシーンだと思いますが、これも彼の独善的な考え方を浮き立たせており、心情的にはとても彼には賛同できないなと思いました。
ところで、レビューを書かれている方々の中に、イランでは売春が死刑になる、と当然の前提として書かれている方がいらっしゃるので、この点についても少し考えてみたいと思います。劇中、ラヒーミーが娼婦の一人と会話しているシーンで、「逮捕される度にむち打ちを受けて釈放され、何度も売春を繰り返している」と話すセリフがあったと思います。最初は痛かったけれども、2回目以降は皮が分厚くなり、あまり痛みを感じなくなった、と。
彼女のセリフが示すとおり、イランの刑法上、売春を直接に規制する法律はなかったと思います。娼婦たちは、一般の人たちと同様に、性交があった場合には姦通罪として100回以下のむち打ち、または、キス等の段階にとどまり性交にまでは至っていない不純な関係の場合には99回以下のむち打ちと定められていたと思います。死刑が定められていないにも関わらず、娼婦を、それも16人も殺害し、それ以上の方々を殺害しなければならないとまで考えていたハナーイーの狂気が非常に強く伝わってきます。
このように、本作はクライムサスペンスとしても楽しめますし、私たち日本人には馴染みのないイランというイスラム教圏の社会とその価値観について、幾ばくかでも知ることのできる機会を与えてくれる良質の作品だと思います。
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