ザ・ホエールのレビュー・感想・評価
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弱い人間たちの保身の生贄
元が舞台劇とのことで、舞台劇らしいつくりでした。
チャーリーの娘に対する親バカっぷりが切ない。
8歳から会っていなければ仕方ないかもだが、元妻に娘の実態を知らされても直視しない。
チャーリーは現実から逃避する。辛い現実を突きつけられると過食に逃げて身を守る。酷い言い方かもしれないけれど、恋人の死の現実から逃避して過食に走りあの巨体になったのだ。
宗教の嫌な部分の一つは、教義に外れると罪だの罰だのと信者を脅すところだ。「教え」は洗脳に近いと思う。
キリスト教は同性愛者にとっては救いどころか害だ。
本人たちに酷い罪悪感を押し付けるだけでなく同じ信仰を持つ人々を、彼らに対して白い目を向け迫害するよう仕向ける。チャーリーの恋人も信心深かったが故に罪悪感に苦しみ、さらに家族やコミュニティーから孤立した孤独感から、ああいうことになってしまったんだろう。チャーリーがそうならなかったのは、過食に逃げこんだから。(結果的にそれが緩慢な自死になってしまったが。)「救い」ってなんだろう。
チャーリーにキリスト教の、特にニューライフの「救い」は不要というのにしつこい宣教師トーマスは、真面目な青年だからこそ信念の押し付けになるんだろうが、チャーリーのためといいながら自分のためにしていることで、思いやりが欠如しているのは育てられ方のせいだろうと思う。
どんなに問題のある家族でも、そこから一人反旗を翻して離脱するのは大変なことだ。
「家族」全員、さらには親戚一同、コミュニティ全体から敵視されたら、肚をくくった心の強い人でも孤独感や寂寞感は半端ないだろうし、そこまでの決心のない人ならなおさら、人によっては罪悪感にも苦しむかもしれない。だから意を決して離れたものの、戻ってしまうことも多かろうと思う。トーマスが家族やコミュニティーに許されたとわかったときの晴れ晴れとした表情がそれを物語っている。毒家族から逃げられない真理はそういうものだと思う。
甲斐甲斐しくチャーリーの世話をするリズはあからさまなイネーブラーで、彼女も家族から孤立、唯一の仲間の兄に逝かれてチャーリーを自分に縛り付けて孤独から身を守っていたのだろう。
登場人物の、チャーリーの娘も含むほぼ全員(チャーリーの元妻は除けるかも)が弱い人間で、精神的に自立できない彼らがそれぞれ自分を守り正当化する行動をする。多分自覚はないのだろうがそのためにチャーリーを犠牲にしている。チャーリーはそれを一身に受けた吹き溜まりだった。おそらく彼はそれを知っていた。でも、孤独な彼には利用されつつも拒めない弱さがある。精神的な面だけでなく、身動きできない身体を持った物理的な不自由さからも。
自分の死期が見えてこれ以上他人に頼らなくていいとなったときに、ようやく周囲の思惑を振り切って自分の意思のみに従うことができたんだと思う。
生贄が去った後、遺された登場人物たちはどう生きて行くのだろうか。
理解はできても共感できず
フレイザーの演技は圧巻で、アカデミー賞主演男優賞も納得。
メイクだけでなく、自らの人生(結婚生活の破綻、母の死、セクハラ被害の告発をして団体側から干されたことによる重度の鬱)のダメージを、ことごとく役に昇華していたように感じました。
そんなフレイザーと、彼に負けないほど思春期の拗れまくった厄介な娘役のセイディ・シンク、この二人の演技合戦を味わう方向で楽しみました。
考えるより感じろ系な、A24の作品ですしね。
元が舞台劇らしく、基本は主人公の部屋の中の会話劇ゆえ、進展しないもどかしさに苛立つ部分も大きく。
おそらく主人公の後悔と贖罪が主題だったのだろうと感じました。
娘への愛とともに、自分の選択で失った娘との絆を取り戻してから死にたいという願いは理解できました。
タイトルも、執着によって妻と娘を置き去りにしたエイハブと、また死にいく無様で醜悪な肉体をモビィ・ディックとにかけた比喩としてつけられているのもわかる。
ただ、理解はできても共感や感動はまた別。
自分の感情の引き出しを開ける鍵は、実際の体験・経験や、歴史や宗教など文化的な肌感覚での理解、過去読んだり観たりした創作物から得た感覚といった、自分自身の中にある「なにか」の刺激ですから。
その点、本作は『白鯨』に対する教養、ゲイに対する家族の目のありよう、アメリカのキリスト教(系カルト宗教)に関する知識と感覚の共有などが求められるため、本当に楽しめるかと言われたら私には基礎知識が不足していてかなり微妙ではありました。
何しろアメリカで生まれ育ってないですからね。
同じA24でも、エブエブよりこっちだな
こっちの方が心を揺さぶられた。映画らしい作品。
あのアジア人も最高だった。メニューの人か!
納得!
シーンが少ないから舞台でも見たい。
と思ったら舞台が元なのか、どうりで。
暗い部屋の限りない光
死期の近い主人公と、彼を取り巻く(と言うよりも、そこに集まってしまったと言った方が良いだろうか)何人かの人たちによる物語り。
舞台は主人公の暮らすアパートの一室。
そこを出ようとせず、命に危険があるほど肥満しても病院にも行こうとしない(「病院には行きたくない」という台詞が何度出てきたことか!)彼のもとを訪れるのは、介護を担う女性看護師、生き別れていた高校生の娘、若い宣教師、ピザの配達人ら。
皆どこかで彼の役に立ちたいとは思っている。だけど、それぞれの事情を抱え、人生が行き止まるのをなんとか食い止めようとしている彼らには、他人を救う余裕などあるわけはない。だれもが人生の「へり」にいるのだ。
そんな登場人物たちの切羽詰まった、だけど真正直なコミュニケーションが胸にきた。
戯曲がベースになっているようだ。芝居だけですべてを表現していく俳優の緊張感とそれをきちんと映像化したスキルはとんでもない。他の要素に頼らず、脚本と芝居、そこに寄り添う舞台装置を信じ切った演出だった。
登場人物のだれもが、失敗と後悔と懺悔の気持ちを持ち、あわよくばそれを他人のせいにして楽になろうと機会を伺っている。ぼくらの人生は少なからず、そんなものかもしれない。
決して聖人にはなれない人たち。弱くて小さな人たち。そんな人たちだからこそ持つことのできる、精いっぱいの優しさが、薄暗い部屋に溢れる。光を拒んだこの部屋は、実は人間の持ちうる最大限のあたたかさに満ちていた。
涙を誘う映画ではない。だけど、泣けて泣けて仕方なかった。胸に手を当てなくても、思い当たるフシがある。これは紛れもなく「ぼくの映画」だ。
思い出したのは、カサヴェテス映画がぼくたちに教えてくれた、人間の矜持。愛するという不毛で美しいこと。そしてポール・トーマス・アンダーソンが『マグノリア』で描こうとした人それぞれの愛の役割りについて。
そしてあの『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』とも遠くないところに、その主題はあると感じた。我々はなんとか歩み寄らざるを得ないほど、断絶されているということ。
引用されるメルヴィルやホイットマンの向こうみずな前進性がダークな色調にビビッドな涼を運ぶ。
今年観るべき最重要の一本だ。
どう生きたいか
残り時間を何に使うのか?
自身の残り時間を知った時、誰しも何かをしたいと考えるんじゃないかと思わせてくれる。それが親ならば尚のこと。
彼が起こす行動は長い時間を掛けることが出来ない状況の中、劇薬となるとしりつつ渾身の力を使い注力するその姿がとても惹きつけられる。
その相対として他人の目の怖さがとても残酷で心が引き裂かれる思いを目の当たりにする。
誰しも前向きに進めない時がある様に、彼もまたその姿になりたくてなったわけではないのだから。人の生きた道程を知らず見た目で疎外することの怖さも同時に思い知らされる。
自分で納得する人向き
決して面白い映画ではないので、人に薦めることはできません。
よくある「何言いたいんだかよくわからない」作品です。「いや私はこう感じた、深い」的な人にはウケるが、「何言いたいんだ、これ?」っていう方が正常な反応です。
話は単純で、要するに屈折した家族愛が主題ですが、各人の行動や考え方の根拠に共感できない、てかサッパリわからないので終始他人事として傍観せざるを得ません。
映画技術的には一軒の家の居間に限定された空間に、気弱でオドオドしたお父さんと入れ代わり立ち代わり登場するヒステリーな女性たちのコントラストを、照明を落とした暗い画面に重苦しく演出した、ということろです。まあ、ひとことで言えば「くらーい映画」
確かにお父さんは畢生の大熱演ですね。
Be honest!
あ〜この人見たことあるな〜誰だっけ〜?ああ、そうそう、ハムナプトラだ。すごいな〜役作りなのかなぁ〜?え〜?あぁ、特殊メイクか〜。いや、なんかそれもすごいな〜。ホエール???鯨だっけ???いや気になるよな〜これ。
ってな感じで、とくに前知識もなく、レビューも読まず鑑賞。
テレビのドキュメンタリーだったりバラエティー番組とかでたまに見るような、ソファーから立ちあがるのも歩くのも困難な巨体の男の人。なかなかリアルでその生活は見るほどに苦しく、切なく、辛くなるほど。
チャーリーは本来とても前向きだし、何とも穏やかで素晴らしい知性の持ち主である。だがしかし、そんな彼が"おぞましい"姿になってしまったきっかけは愛する人を亡くした喪失感からという。どんなにも強い悲しみだったのか。
その愛する人のために捨てられた妻、8歳の娘。死期を覚悟したチャーリーは高校生になった娘に会うが、娘の心は嫌悪に満ちていて邪悪なゆえチャーリーを受け入れることができない。しかしあの、人を不愉快にさせる饒舌っぷりは、まさしくチャーリーの知性を受け継いだものであろう。彼女は邪悪と言うより、実はとても冷静で正直者なのだ。
何よりもリズ。リズがすごい。亡くなった兄が愛したチャーリーを献身的に支える姿に心が震えた。リズにありがとうと言いたいし、私の中でリズは助演女優賞獲得である。
最後に、チャーリーが娘にとって正しいと思えることが伝わったと感じることができて、やっとホッとできた。
巨体だからホエールなのかと鑑賞前は思ってしまったが、そうか、娘のエッセイのことだったのか。泣かすな〜。
鑑賞が終わってシートから立ち上がる時、私はすっかりチャーリーになっていて、すごい決意を持って立ち上がったような気がした。
おぞましい:接する状態に恐怖・嫌悪を覚え、そこから逃れたい、いやな思いだ。
翻訳の松浦さんは、チャーリーが自分の姿をとらえた人に問いかけた言葉に"おぞましい"を表現した。すごくそこに深みを感じた。
依存症の怖いところは心が奪われてしまうことです。
他の事への興味が薄れてしまう、最終的には生きることへの意欲も。何故なら嬉しいとき悲しいとき淋しいとき退屈なとき、いついかなる時も食べ物のことが頭から離れない。食べないことにはどうにもこうにも不安でやってられない。きっと最初はパートナーの死という大義名分があったのでしょうが今はもう何故食べているのか自分でもわけがわからなくなっています。そもそも依存症を理性で抑えることはできません。
人生でたった一つ正しいことというのなら、病院で治療して生きなおす姿を娘に見せることだと思います。大金を残すことではなくお金の稼ぎ方を教えること、もしくはお金なんか無くても幸せに暮らせることを示すことだと思います。自分がもう生きたくない、楽になりたいから緩慢な自死を選んだのであって娘にお金を残すためというのは後付けの理由です。
厳しい言い方をするなら卑怯ですし、娘も死ぬ理由にされていい迷惑です。母親も情緒不安定でアル中ですし、娘も薬物中毒にならないか心配です。そう考えるとやはり依存症から脱却する姿をみせるべきでしょう。あとリズ、看護師なんだから食い物渡しちゃだめでしょ(笑)
人生で一度正しいことをした
凄い映画を観ました。序盤から中盤まで、退屈な映画だなと思っていましたが、ラストの衝撃が心を揺さぶるほど凄かったです。
人は容姿ではなく、心が大切なんだと痛感させられました。
これほどの衝撃のある映画は、そうないのではないでしょうか。名作と言っても過言ではないと思います。
クジラがモチーフ
この映画が『ザ・ホエール』というタイトルになっているのは、クジラがモチーフになっているからである。クジラに例えられているのは主人公の体重272キロの巨漢チャーリー、そのモデルになるクジラはアメリカの作家メルヴィルが著した長編小説『白鯨』に登場する白いマッコウクジラである。8歳の時捨てられたチャーリーの娘エリーは10代半ばで『白鯨』を読んでエッセイを書いた。このエッセイをチャーリーは何度も読み返すほど心の拠り所にしていて正直な気持ちを吐露した文章だといって激賞している。
『白鯨』というのは、次のような内容のものである。語り手のイシュメイルが捕鯨船に乗りたくて港町にやってきて、黒人の銛打ちクィークェグと出会い、一緒に捕鯨船ピークォド号へ乗り込む。船長であるエイバブは、かつて白鯨に片足を食いちぎられた過去を持ち、義足を装着していて、その復讐に執念を燃やしている。数年にわたる捜索の末、白鯨と対峙するが、船は沈没させられ、イシュメルだけが生還する。
一方、それに対するエリーのエッセイというのは、次のような内容のものである。クジラには感情がなく、船長エイバブがどれだけ復讐心を燃やそうとそれが伝わらない悲しさがある。エイバブはクジラを殺せば人生が良くなると思っているが、実際はなんの意味もない。クジラだけの描写の章はあまりにつまらなくて悲しくなった。作者(メルヴィル)は自身の悲しい物語を通して少しだけ読者を救おうとしている。『白鯨』を読んで、自分の人生について考えさせられ、良かったと思えるようになった。
大学のオンラインエッセイ教室の講師であるチャーリーは、娘には書く力があり、その文章に娘の持つ知性と誠実さを読み取った。
偶然にも今月からカルチャーセンターのエッセイ教室に通うことになった。正直に書くことがなにより大切ということを肝に銘じたい。
これを映画的と言わずしてなんと言う
恋人に先立たれた主人公は、その喪失感を埋めるために、暴食に走る。
夫に捨てられた元妻は、シングルマザーの重圧と世間の目を紛らわすために、酒に溺れる。
父に裏切られた娘は、二度と傷つかないために、人間をロクデナシと切り捨て世界を攻撃する。
兄を失った妹は、兄の恋人の面倒を見ることで、兄に何もしてやれなかった自分をなんとか保つ。
間違いを犯した若者は、神による救いを授けることで、自分の行動を正当化しようとする。
みなそれぞれ、単純化された行為によって自身が救われると思い込んでいる。鯨を殺せば人生がよくなると思い込んでいるエイハブ船長と同じように。
だが、そうはならない。なぜならそこには感情がないからだ。
この世で救いを得る方法はただ一つ。感情を持った相手に正直な気持ちを表明し、本心で対話すること。
それが成されたクライマックス。今までネガティブだった様々な事柄、その全てが一気にポジティブな方向へ動き出す。
説明セリフもなく、映像のみで表現されたこのラストシーンこそ、映画的と言わずなんと言うべきか。
こういう瞬間に出会うために映画を見続けていると再確認させられた。現状今年ベスト
リアルな体型かつ感動の物語
とにかくリアルな体型で驚き特殊メイクされている俳優さんが大変!本当に太ってしまうと生活になってしまうんだなぁとリアルすぎです。
勿論、子供との関係に涙です。
ただ最後は、、、ハッキリしたい方はなんだかなぁと思いますが、私はこういう結末もアリだなと思いました。
見応えのある作品
今年見た作品の中でも非常に見応えがあり、ブレンダンがオスカー受賞に相応しい作品でした。A24なのでちょっと不安だったのですが、分かりやす過ぎるほど分かりやすいストーリーでした。ちょっと説明し過ぎと思いましたが原作がそうなのかな?
キャスティングも良かった。けど、エリー役の行動、演技だけが最初から最後まで変わらずなんかイライラしました。ダーレン作品としても割と見やすい作りでした。
とにかくブレンダンが見事な演技で復活できてとても嬉しいです。アカデミー受賞式でのスピーチも感動的でしたね。
来日舞台挨拶
主演ブレンダン・フレイザー来日舞台挨拶で鑑賞。
主演男優賞おめでとう&ありがとうの気持ちを込めて精一杯拍手してブレンダンのお迎え。生ブレンダンは落ち着いて丁寧に話してくれたので、映画で同じ人が演じているのか...と目を疑うほどの渾身の芝居に圧倒されっぱなし!主演に注目されがちだが、脇を固める俳優陣も素晴らしい...
謝罪する男と怒れる人々の話
この映画
一つの部屋で話が完結しますが
主人公以外
みんな怒ってます
主人公だけが
ずっと怒られっぱなしで
あとはみな
主人公に怒りをぶつけます
映画を見終えたあと
この怒りが全てストンと
腑に落ちる感じがして
もう一度
改めて最初から見直したい
そう思わせる映画でした
一つの部屋のみで
映画を完結できる演出が秀逸で
アカデミー賞主演男優賞を受賞した
ブレインダン・ブレイザー
の演技にも引き込まれ
一見の価値ありの映画です
私はもう一回鑑賞します^_^
私の体調のせいなのか、
全く感動出来ないし、観ているのがきつかったです。チャーリーが過食で醜く太っているからではありません。彼がホエールなら私だってホエー豚みたいなもんです。
人物が入れ替わり立ち代わり登場してはセリフを言って退場するのはいかにも舞台劇ですが、有無を言わさずああだこうだ我儘を言うチャーリーや、突然現れてマシンガンのようにまくし立てるエリーには違和感があったし、頭が疲れて途中ちょっと寝てしまいました。
看護師のリズは、彼氏の妹とはいえ、生きようとする意志が無い男によくあそこまで寄り添えるなと現実味を感じません。医療従事者は患者を生かすのが使命ですが、チャーリーは彼女にゆるやかな自殺の立ち合いをさせようとしていて、まともな人なら断ると思うからです。リズは見捨てませんでしたが、チャーリーは彼女の優しさに甘え過ぎだし、治療を必要としないのだから、別の介護士とハウスキーパーを雇うべきでした。元妻のキャラクターだけは理解できます。
「白鯨」を読んでいないので、本作が描く『鯨』が悪なのか、それとも誇り高い生き物なのか分からないのですが、テーマが魂の解放のようなので、周りに左右されずに強い意志で生き抜く、ということかもしれません。ただ、チャーリーの場合、自分を抑圧して生きてきたわけではなく、身勝手な行動の結果なので、最後にありのままの自分を認める事が出来たからって、それは良かったねと思うだけです。ちゃんと観なかったから、私の理解が足りないんでしょう。
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