劇場公開日 2022年5月13日

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「市原隼人氏の吹っ切れ一人芝居に脱帽」劇場版 おいしい給食 卒業 アンディ・ロビンソンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0市原隼人氏の吹っ切れ一人芝居に脱帽

2023年10月16日
PCから投稿

このシリーズはTV版第一シリーズから、ほぼリアルタイムで見続けて来て、劇場版についても新TVシリーズ開始前に配信された時点では鑑賞している。

今作も第三シリーズ放送開始よりも前に鑑賞しており、その際に予想した「北海道編」が予想通り開始される事となり、めでたい限りである。

このドラマはその体裁から“学園ドラマ”と勘違いされそうだが、実際のところは「甘利田幸男」という教師と教え子の一人の「神野ゴウ」間での、給食を通した奇妙な友情、或いは絆や共感を描いたものであり、学校はその舞台設定に過ぎないだろう。

はなから、このドラマをリアルと受け止めて視聴するなどという事はあり得ないと思うが、それほど主人公は教師としてはぶっ飛び過ぎた、最早殆どキチ◯イと言っても過言では無いような人物として設定されている。

こうした設定と近い例を挙げるとすれば、『こち亀』辺りかなと。
あれを見て”警察官の物語”だと思ったり、「警察官のくせにけしからんっ!」と、ばかりに腹立てたり、非難をするヒトはまず居ないでしょう。
というか、もしもそのように思える方だとしたなら、その前に"その様な類のモノとは始めから関わらない”のが無難ということに尽きますが.....

そしてまた、その甘利田に対する生徒の(給)食に対する偏執狂ぶりもまた、半端ではない。
要するに、極度に度を越して脱線した二人の間のバトル・コメディであり、それに周囲の人物たちが巻き込まれたり、翻弄されたりして展開してゆくというのが毎回の基本路線。

しかし、こと給食の内容となるときっちりとリアリティを持って描かれており、そうしたギャップが独特の世界観を作り出す事に成功していると思う。

そしてこの“給食(異常)愛教師”甘利田の独断場とも言える、市原隼人氏のぶっ飛んだ、吹っ切り切った「一人芝居」とその内心の声の「独白」により構成される給食パフォーマンスが最大の見せ場と言えよう。
正直、最初にこれを見た時には、この方の余りの入れ込み振りの凄さに驚きと感動を隠せなかった。
この芝居に役者魂を賭けるようなその姿に脱帽だった。
それに加えて(今どきの方が分かるかどうかだけど?)、モロに”ポール・モーリア”調のあの伴奏が余りにもマッチしすぎているということも、それらを更に増幅している重要要素と思えた。

そしてその後は、生徒側のパフォーマンスの番である。
自信満々で完食を遂げた後に、それを凌駕するような食の知恵比べを見せ付けられ、またしても悶絶するその姿に(毎度の事ながら)笑わせられた。

しかし、二人にとっての共通の喜び、生き甲斐である給食の危機においては、周囲の事も目に入らずが如き行動と言動で頼もしさを発揮し、如何にも熱血教師たらん姿を示して見せる事となる。

当然、こうした甘利田の人物像を表すストーリー展開の部分に於いて、学園を舞台にしている意味合いが出てきて、そこで他の生徒達や教師たち、周囲の人物たちとの関わりの部分は(単なる学園ドラマとは違った意味で)うまく生かされていると思う。
なぜなら、「甘利田 」と「神野ゴウ」程ではないにせよ、このドラマの登場人物は皆、どこかが変というか、浮世離れしている感であり、給食前の学園全員での校歌斉唱のシーンは不気味というか異様にさえ映るのである......(笑)

「甘利田幸男」は、とんでもなく偏った人物であり、教育者にあるまじき、現実離れした人物ではあるが、人としては何処か憎めない、根は善人の好人物であろう事が、エピソードの端々に描かれている。

そして、今作において「甘利田幸男」という教師と教え子である「神野ゴウ」の2人の物語は、甘利田の転勤と神野ゴウが卒業を迎えたことで、ついに終焉の時となり、これまでの2人のことを思い起こすと感無量でもあった。

しかしそれはまた、「甘利田幸男」にとっての、次の新境地へと繋がる新たなステップでもあったのだった。(シーズン3へと続く布石にもなっている。)

この作品を楽しめるかどうかは、ある種のファンタジー世界と理解して入り込めるか否かに掛かっていると思うのと、市原隼人という俳優の魅力を感じ得て、それを観る事の喜びを楽しむことができるかどうか、という事に尽きると思う。

アンディ・ロビンソン