ベネデッタのレビュー・感想・評価
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ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』
ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』やピーテル・ブリューゲルの『バベルの塔』をリスペクトしている。
神聖でありながら、人間的。それを贖罪って言うのだと思う。
ベネデッタは答える
『愛とは孤独にならない事です。ここが温かくなることです』
元院長にベネデッタは言います。
『あなたは生涯神を信じなかった。死を前に神は慰めと救いになるのに、独りで恐怖と戦っている』
元院長は答える
『私には神の声が聞こえなかった』
すると、ベネデッタは
『今、語りかけている。苦しみとして』
しかし、元院長は
『随分と雄弁ね。あなたには神はなんと言ってるの?』
ベネデッタは元院長に耳打ちするが。
『、、、、』
たぶん『死はあなた達の中にいる』って事。だって、死は免れない。
傑作だ。
シン・ジーザス
早稲田松竹の「ダークグラス」「アラビアンナイト」そして「ベネデッタ」という、ベテラン監督の最新作まとめて一気に鑑賞特集へ。
告白①
無神論者バーホーヴェンが実在の修道女をベースに作った問題作(じゃないことがあるのか?)とくればさぞかし俗悪、いちいち教会をおちょくるような内容なんだろうなぁ。長いしピンと来なそうだけどとりあえず観ておくか。
告白②
高橋ヨシキ「悪魔が憐む歌」かその続編に、バーホーヴェン本人へのインタビューがあり、一時イエスの実像に迫る研究会に参加しており、イエスの映画はライフワークだという話が出ていました。
最初は①のつもりで普通にいつものバーホーヴェン映画として(マリア像の使い方にウケたりして)たのしく見ていたのですが、後半になるにつれ、なんかこの話、知ってる…?となり、思い出したのは②、これがイエス・キリストの軌跡を辿るストーリーなのでは、と思い至りました。
私は昔、学校(プロテスタント)で聖書の福音書を読まされました。
私の思うイエスは基本的にパンクな反逆者です。神の声に従い、既存の宗教(ユダヤ教)の硬直化した権威を否定し、数々の奇跡を起こしじょじょに人々の支持を集めるが、最終的に権力者の手で処刑され、その後復活する。
誰さんにそっくりじゃあないですか。。
礼拝で聖書を読んでいた頃、果たして今の時代にイエスが現れたら、信者の人はイエスに反発したパリサイ人のようにではなく、素直に彼を神の子と認めることができるんだろうか?などと不遜なことを思っていました。
皆、日々のことに精一杯で、理不尽に目をつぶって暮らしているのに、それをいきなり神の名のもとに正論でNOを突きつければ、いつの時代でも疎まれたり頭がおかしいと排除されるに決まってます。
でも、聖書の中のイエスはまさにそんなキャラクター。
だからこの映画は、バーホーヴェンなりのナザレのイエスの研究成果なんではないでしょうか?
神の声を聴いたり、数々の奇跡を起こすヒロインの信仰が本気なのか、方便なのかは判然としませんが、もし方便だとしても、非常にクレバーで傑出したカリスマであることは間違いありません。
たぶんバーホーヴェンはキリストをそのような人物だったと結論づけ、実際に劇映画として提示して見せたのではないかと思うわけです。
だとすれば、バーホーヴェン作品の中では比較的まとまった、理解しやすい部類に入るのではないでしょうか。
ただ、そうはいってもクライマックスの展開はあまりに胸熱で、どストレートな映画的感動を味わうことができました。
画面も脚本も、80代の監督であることを微塵も感じさせない充実ぶりで、さらにパンデミックの記憶も生々しい時期というタイミングの妙が、劇中の伝染病エピソードをより鮮明に感じさせます。
そんな中、神を信じていなかったあの人の最後にとった行動は、ハリウッド伝統のキリスト的振る舞いでありながら、現代人である観客にとっても、たいへん共感できる合理的態度だったのではないでしょうか。
すごいやバーホーヴェン。
追記。
映画ブラックホールのベネデッタ回を見たら、柳下毅一郎さんがバーホーヴェンが上梓した「ナザレのイエス」に言及されていました。
その内容は、まずは処女懐胎から疑ってかかり、キリスト教社会のタブーにど正面から挑んでいるようす。きっと大きなインパクトを及ぼしたことでしょう。みたかったなぁ。
センセーショナルな題材を突き付けて、ヴァーホーヴェンは常に問う
現在世界で最も刺激的な映画監督、ポール・ヴァーホーヴェン。
『ロボコップ』のバイオレンス描写、『トータル・リコール』のインパクト近未来描写、『氷の微笑』のエロス描写、『スターシップ・トゥルーパーズ』の戦争揶揄…。ハリウッド大作でも自分のスタンスを貫く。
『ショーガール』『インビジブル』がコケ、母国オランダへ。戻ってからは益々才気を爆発。
『ブラックブック』『エル/ELLE』…。本作も期待通りのセンセーショナル。
17世紀のイタリアに実在した修道女、ベネデッタ・カルリーニ。
史上初めてレズビアンとして裁判に。
起こした奇跡の数々は本当か、狂言か。
数奇に満ちたベネデッタの運命と、翻弄された周囲の人間関係…。
トレードマークのバイオレンスとエロスは勿論、宗教や人間の姿を赤裸々なまでに突き付ける。
起こしたという奇跡は真に信じ難い。
幼少時に聖母マリアと対話。
修道女になってからはイエスの幻影を見る。
やがて彼女の身体に聖痕が…。
私はイエスの花嫁になった。
奇行か妄言かと思う。実際、真意を疑う者も。
が、彼女の奇跡を目の当たりにしたほとんどが信じる。
嘘か真か。マリアとの対話やイエスの幻影など幾らでも盛れる。
聖痕だって…。ある疑惑も…。
疑わしきはあるが、その真意を暴く作品ではない。
ベネデッタが幻影の中でイエスと対するシーンからもそう。
彼女の信仰心は真なのだ。
ある時修道院に、父親から虐待を受ける少女バルトロメアがやって来る。
奔放で小悪魔的な魅力のバルトロメア。
突然、キスをする。
行為を見せたのはバルトロメア。戸惑うベネデッタ。が、拒否したりはせず。
何がきっかけだったのか。何に惹かれたのか。理由などを超えた何かか。
聖痕で安静のベネデッタを看病するバルトロメア。愛撫が艶かしい。
欲情が爆発。身体を重ね、求め合う。
時にはイエス像を“道具”にして。
インモラルな秘密の関係。
数々の奇跡や聖痕で権力を握るベネデッタ。
が、この時代は圧倒的な男上位社会。宗教絡んだ権力握った女性は邪魔な存在でしかない。排しようとする。
同性愛の疑い。まずバルトロメアを拷問。口を割らせ、ベネデッタを裁く。ほとんど一方的に。火あぶりの刑。
横暴振るう教皇。こんな時代だから…いや、今と同じだ。同性愛や性差別を助長する老害権力者そのものだ。
激しい濡れ場と熱演見せたヴィルジニー・エフィラとダフネ・パタキア。エフィラは凄みを効かせたシーンに圧倒された。
シャーロット・ランプリングの存在感も光る。
母国に戻ってから本領発揮し続けるヴァーホーヴェンには驚きだ。
エロスもバイオレンスも一切妥協する事なく。
題材が題材だけに物議は必至。その筋からは抗議され、上映禁止の国も。
過激ではあるが、その中に深淵なテーマを問う。
宗教への疑念と信仰。
彗星におののき、教皇が持ち込んだあるものに人々はパニックに。
何かにすがる。何かを忌み嫌う。人は弱いのか、愚かなのか、哀れなのか。
それでも人に救いの手を。
何を信じるか。宗教か、愛か、自分か。
とてもとてもハリウッドで『ショーガール』や『インビジブル』を撮った監督とは思えない。
ただの変態監督ではなく、ヴァーホーヴェンは非常に真摯な監督なのかもしれない。
ベネデッタ最強
ベネデッタの秘密がバレるかどうかみたいなサスペンスを見ている気分になった。バレてからもベネデッタは策謀で戦うし強い。バルトロメアは最初はベネデッタに悪戯をしていたが、最後にはベネデッタにバルトロメアが振り回されていた。
これは凄い作品。特にベネデッタ。100点
岡田斗司夫さんの動画にてベネデッタは凄い!監督が変態!って言ってたのでこれは見なきゃということでDVD借りてきた。
予想通り以上にすごい映画。
内容はキリスト教と難しいですが、とにかく演じている女優がスゴすぎる。
CGとか無くても凄い映画が作れるんだなぁと。ほとんど(4割)のシーン全裸だった気が…笑
18世紀でもそういう事があったんだなぁと驚きしかない。
実際の話なのかは別としてとにかく凄い映画だった。が万人受けしないので他の人には進めない事にします。
無駄にR18+
伝記ものです。興味深い物語ではあり。イエスキリストの花嫁になったとみなされて権力を握っていく様などは見ごたえもあるのですが。今一つ乗り切れませんでした。
エロ要素、そこまでリアルにしなくてよくないことないですか?
って思いました。
信じる者は馬鹿を見る?
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純粋無垢に育ったベネデッタに
りんごを食べさせたら欲の塊に
なっちゃった。って感じ?(笑)
(実際には🍎は食べていませんw)
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バルトロメア=悪の化身
ベネデッタ=聖女
かと思っていましたが
バルトロメアの妖しい魅力に
虜となるベネデッタ。
いままで抑え込まれていた?
欲望が一気に噴き出してからは
手段を択ばない様が
異常ではあるものの
本能のまま煩悩のままに
行動する彼女の生き方は
見ていてある意味清々しい(笑)
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「あなたはまだ子供ね」とバルトロメアに吐き
牢獄での生活が余儀なくされるとわかっていても
バルトロメアとの逃亡生活を捨て
修道院に戻っていくベネデッタの後ろ姿
もはや本当にイエスに導かれているように見えてくる🤣
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ベネデッタの聖痕は嘘か真実か
これはもう信仰心と同じで、
信じたい人は信じるし
疑念の塊の人であれば、
如何なる証拠をもってしても否定する。
そんなもんですよ、所詮人間なんて✋
そして一番まともな人間が馬鹿を見る。
(あれは何とも悲しい事件だった)
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ベネデッタ役 #ビルジニーエフィラ #virgnieefira
バルトロメア役 #ダフネパタキア #daphnepatakia
まさに文字通り「身体を張った」演技に拍手👏
美しい2人の裸体
17世紀、イタリア・ペシアで聖母マリアと対話し奇蹟を起こすとされる少女ベネデッタは、6歳で出家して修道院に入った。女性だけの世界で純粋無垢なまま成人した彼女は、父親に虐待され修道院に逃げ込んできた若い女性バルトロメアを助け、彼女から求められるがままレズ関係となった。そんな時、ベネデッタは聖痕を受けてイエスが磔になった時と同様に手足から血を流していたため、イエスの花嫁になったとみなされ、新たな修道院長に就任した。民衆から聖女と崇められ権力を手にするが、前修道院長が当時はタブーとされたベネデッタとバルトロメアのレズをカトリック教会の上層部へ告げ口し、ベネデッタは火炙りの刑となり・・・という史実に基づく話。
女性だけの修道院で男性を知らずに成人したら、経験豊富な外から来た女性からすればイチコロだろうな、って思った。
当時はもちろんLGBTの人権なんて風潮は無かったし、愛するのは男女でなくてはいけなかったのだろうが、レズで処刑って酷い話だなぁ、って思ったし、宗教って何なんだ・・・なんて思いながら観てた。
R+18だけあって、2人のレズシーンはなかなかエロかった。
美しい2人のヘアヌードも見所。
民衆蜂起とシャーロットランプリング
ベネデッタの火刑,パンデミック、広場に集まる人々は、拷問に耐えかねベネデッタを裏切り裏切りによりボロを着せられ修道院を追い出されたバルトロメアを嘲笑う。その人々は教皇大使に反発してベネデッタを救えと叫ぶ。
火刑までのクライマックスには、ベネデッタの存在や奇跡を信じるも疑うも、権力者協会関係者には利害関係,保身、損得勘定のみによる判断。
民衆は実存的にベネデッタを信じる。
ベネデッタはおそらく生まれてから修道院に助けらレルまで収奪歯科されてこなかったバルトロメアに数字を教えようとする。大事なシーン。シャーロットランプリング演じる元の修道院長はおそらく努力と忍耐の人だが高い教育を受けていないのか、ベネデッタに経理の作業を依頼している。この構造。
火刑やバンデミック、ベストを持ち込んだ者たち、権力と暴圧,抑圧者に対して声を上げ蜂起する。
広場の民衆蜂起と、最後、サラリーマン的に修道女として身を立て母としてはおそらく子を制度の中でのみ守ろうとし、生きてきた,生きていくつもりだった元修道院長を演じるシャーロットランプリングがペストに罹患した美しい痘痕姿でベネデッタが炙られるはずだった焔の中へたしかな足取りで迷いなく進んでいく、これが映画のクライマックス。
これは美しいベネデッタの物語ではない、奇跡か否かもどうでも良くて、民衆蜂起と社会組織人として生きて最期の時に真実を求めて立ち上がり民衆を煽るシャーロットランプリングの物語である。
ベネデッタは、愛と妄想に生きる。刹那を求めるが結果を求めない。バルトロメアは生まれてこの方搾取され続け愛と生きる糧のみを求める。
シャーロットランプリングが身体を投げ打ち全霊で演じたシスターフェリシアは生き抜く力,知恵そして最後は真実を求めた。
広場でペストの死神として登場したシャーロットランプリング、静かに力強く焔の中に歩むシャーロットランプリングに映画館で嗚咽し,大声で泣き叫びそうだった。映画史上最高の場面の一つ。
表テーマと裏テーマ
17世紀のイタリアであった修道院での奇跡と同性愛裁判を元に、ロボコップや氷の微笑のポール・バーホーベンが監督。
表のテーマとしては、男性が絶対優位なキリスト教会の世界で、神を信じない前修道院長と、神の啓示を受けた若い修道院長が対立しつつも最後は協力して街をペストから守った「事実を元にした」LGBTな🏳️🌈作品。
まあ、それでも良いのでしょうが、、、、少し捻くれた見方をすると、、、、
修道院でLGBT的なネタって、エクスプロイテーション映画というジャンルに一派で、70年代にめっちゃ流行った。日本で言えば日活ロマン系ですね。
ポール・バーホーベンはオランダ出身ですから違いますが、彼の年代のマーティン・スコセッシやフランシス・フォード・コッポラでもこうしたB級映画で監督経験を積んできたモノです。
エロやグロがあれば、何でもokだったので才能ある若手がこのジャンルを足がかりに自分の表現を行ったのですね。
だから、当時と同じく今の時代なら「LGBT」「真実の話」「分断と家族」といったB級テーマでポリコレがあれば、セックスだろうが暴力だろうが(本作ではイエスが大暴れでした)拷問だろうが(苦悩の梨は初めて見たわ)、何でも出せるぜい!って、バーホーベン監督ぐらいなら、思ってそうですがね〜。
逞しい主人公 宗教世界とは
主人公の幼い頃、祈っていたキリスト像が突然倒れてきて、それでも何故か怪我しないなどの不思議な現象が淡々とあって、まわりの修道女もこの人何か違う(本物なのかな)という目で見ている。ジャンヌダルクの修道女版というところか。最後は劇的。逞しい。
彼女ははたして本当のことをいっているのか...?
ピーター・ウェラー主演のサイボーグ警官のロボコップやアーノルド・シュワルツェネッガー主演のSFアクション映画トータル・リコール(2012年にコリン・ファレル主演でリメイク)、シャロン・ストーン主演の妖艶な女性が主人公のミステリー映画氷の微笑の監督ポール・ヴァーホーベンが17世紀に実在したベネデッタ・カルリーニという同性愛の罪で裁判にかけられた修道⼥がビジョン、狂言、創造性で男性が支配する時代に権力をつかんでゆくという物語。
最初ベネデッタが幼少期の頃に修道院に向かう途中、母親のネックレスを盗賊に奪われるシーンがあるのですが盗賊に「聖母の罰がくだるわ」と発するところがあって本当に天罰が降りかかるという奇蹟かのような出来事が起きます。
その後、修道院に入って大人になったベネデッタは逃げ込んできた見知らぬ若い女性バルトロメアを助け、彼女と仲良くなり恋愛関係に発展していきます。
その頃から幼少期からずっとみえていたキリストのビジョンと嘘か本当かわからない狂言を使ってさも本当のことであるかのように民衆を信じ込ませ、修道院長の座に駆け上がっていきます。
最後にベネデッタのその後の詳細が書かれて、彼女は70歳まで生きて生涯を修道院内の施設で過ごしたことがわかります。
幼少期は純粋だったのかもしれないが大人になるにつれて色んな欲が出てきて、すべてを欲したベネデッタは息を吐くように"虚言"を繰り返し大衆の心を操り最終的には修道院長にまでのし上がったのをみて、私はただ単に嘘をつき続けるのは通常の感覚だったら罪悪感で途中で断念してしまうと思っていて、自分優先に物事を考える自分勝手なベネデッタは一貫して嘘をつくことに微塵の躊躇もなくできてしまう通常じゃ考えられない感覚の持ち主で現代で人が集まってくるカリスマ性があった人物に感じました。
修道女のイメージがいい意味でぶち壊された
・全体を通して
修道院内の閉鎖的な環境で物語が進行し、終始陰鬱な雰囲気を感じさせる映画だった。
鑑賞前は、修道女(シスター)達に対して、ベネディクト会の「清貧・純潔・服従」の戒律に見られるような禁欲的な生活をしているイメージを抱いていた。しかし、この映画に登場するベネデッタとバルトロメアは、互いに体を求め合い、削った聖母像を性玩具代わりにして性行為しており、自分が抱いていた修道女像とはかけ離れた人物たちだった。特に気に入ったのは性行為のシーンで、普段修道女として姿とのギャップもあり、本能的で動物的に体を求める2人がとても良かった。禁欲的なイメージのあった修道女も、自分達となんら変わらない存在にも思えた(戒律を遵守する敬虔な修道女もいるとは思うが)。
聖痕を自身でつけたのかというバルトロメアの問いに、ベネデッタがわからないと返答したのは、嘘だと認めたくなかったのか、自分自身でも記憶が曖昧になっていたのかどっちだったのかわからなかった。
どこまでが史実でどこからが創作なのかははっきりさせておきたいので、ネットで今作について調べてみようと思った。
・各場面を通して
「痛み」が必要ということを神父から聞いた後、バルトロメアに熱湯の中の糸を拾わせた動機がちょっとよく分からなかった。バルトロメアのために痛みを経験させようとした?
同性愛については悪いとは思わないが、修道女として生活している身でありながら聖母像を性玩具として扱うのは、頭ぶっとんでるなと思った。
今作で、苦悩の梨という拷問器具が存在することを初めて知った。バルトロメアの絶叫が修道院内に延々と響き渡るシーンは見ていて辛かった。だが、その後書物の中に隠した聖母像を見せる場面では、普通に歩いている様に見えたので、さっきあれだけ悲鳴を上げていたわりには普通に歩けるのかなと疑問に思った。
ベネデッタが火刑に処される直前、教皇大使がベネデッタに今告白すれば絞首刑に変えてやると説明するシーンがあった。これは『ジャンヌ・ダルク』(1999)の終盤のシーンに似ているなと思った。火刑の直前に減刑と引き換えに告解を促すのはよくあることだったのかな。
ベネデッタの「私の心に悪が侵入した」という発言は、バルトロメアのことを示唆していたように感じた。
ベネデッタが火刑を免れて、教皇大使が殺される展開は予想していなかった。そのまま火刑に処されて終わりだと思っていた。
日記(余談)
本作と関係ないけれど、映画を観に行ったとき館内には自分1人しかいなかった。R18指定の映画だからかホラー映画の予告が多く、1人きりの暗い館内でそれを延々と流されたのはきつかった。今後、R18映画を見るときは上映してすぐの人の多い時間帯にしようと思った。
奇跡なのか狂気なのか野心なのか
修道院を舞台におよそ修道女や教会の要職者しか登場しませんが、人間の生々しさを強く感じる作品です。
幼い頃からキリストの幻視をみるベネデッタは、6歳から修道院に入り、世俗を知らないまま成長します。
修道院に逃げ込んできた女性・バルトロメアと出会ったことから、ベネデッタの心にいままでなかった感情が生まれ、ベネデッタの幻視や言動は大きく変化していきます。
ベネデッタの幻視は、観る人に疑心を与えるように描かれています。
少女ベネデッタがみる幻視は、キリストとの恋愛を夢見るような現実味のない幻想のようです。
大人になると、キリストの心臓や聖痕を与えられたりと、キリストに成り代わりたい願望が見せる夢のようでもあります。
物語の後半では幻視の描写はなくなり、ベネデッタの言葉は幻視からのお告げなのか彼女の欲望なのか曖昧になっていきます。
ベネデッタがバルトロメアと情交を深める様子は、肉欲に溺れるようでもあり、エクスタシーによってある種の法悦に近づこうとしているようにも感じられます。
バルトロメアは奔放にベネデッタを深みに誘いながら、関係が明らかにされることを恐れ怯える様子があります。
対してベネデッタは、当初バルトロメアに近づくことをためらっていましたが、関係をもった後は恐れがなくなります。教会に認められないことだと理解する一方で、ベネデッタ自身の信仰においては悪いことではないと確信しているようでもあります。
公式サイトの監督メッセージに「完全に男が支配するこの時代に、(略)、本物の権力を手にした女性がいた」とあります。
ベネデッタは物語の終盤ではもはや町の人々の心を掌握し、教皇大使の権力をも超える力を得ています。
立場や役職によってではなく、信仰心で人の行動を操ることこそ確かに本物の権力なのかもしれません。
ベネデッタをそうさせるのは奇跡なのか狂気なのか野心なのか、観る人の信じたいものによって真実は変わるでしょう。
けっこうよかった
面白かったのだけど、結局のところ宗教や修道院に関心が薄いため、あまり心に響かなくて長いしちょっと眠くなる。うんこやゲロ、おならといった下ネタがちょいちょい出る。景気よく女性の裸も見られる。コロナ渦っぽい展開もある。『ロボコップ』以来バーホーベン監督のファンなので劇場で見れて気が済んだ。
思考停止を許さない
幻視や奇跡がほんとにあったのかどうか、ベネデッタは最後まで明かさない。本人にとっての事実と、客観的な事実とは違う。映画内での描かれ方としては、ベネデッタの自作だったという風に見える。起こり得ないような「奇跡」を、起こったのだ、と決めてしまうとそこで思考停止が起こる。監督は、カトリックに対して批判的だ。これは監督の個人的な体験とも結びついているそうだ。平山夢明さんのトーク付きで、面白かった!ベネデッタは全然いい人とは描かれてないけど、女性が虐げられる社会の中で、戦っていて、痛快だ。パールバーホーベン節、というような感じで平山さんは言っていた、露悪的なケレン味もモリモリだけど、実はちゃんとしたことを描いている。
17世紀イタリア。 6歳のベネデッタは、両親に連れられ修道院に出家...
17世紀イタリア。
6歳のベネデッタは、両親に連れられ修道院に出家することになる。
道中、山賊に出遭い、母親の首飾りが奪われそうになったとき、ベネデッタは奪った山賊に罰が与えられることを神に祈った。
図らずも、山賊の頭上から鳥が糞を垂れ、山賊仲間は爆笑。
首飾りはベネデッタの母親のもとに返され、一行は事なきを得た・・・
といったところからはじまる物語で、その後、修道院に到着したベネデッタ一行。
父と修道院長(シャーロット・ランプリング)との間で持参金の金高についてのやり取りが始まる。
修道院に出家した初日、院内の等身大以上の聖母像に夜間人知れず祈るベネデッタは、聖母像の下敷きになるものの無傷。
彼女の聖女伝説のはじまりだった・・・
ふふーん、確信的ベネデッタの物語と、世俗と金にまみれた宗教界のふたつの軸があるのね、と早々に気が付きます。
18年経ち、長じたベネデッタ(ヴィルジニー・エフィラ。女優さんのファーストネームは聖処女の意だ、ビックリ)。
ある日、修道院に逃げ込んできて蠱惑的な娘バルトロメア(ダフネ・パタキア)を助け、下働きとして修道院で生活させることにする。
(このとき費用問題が持ち上がり、偶々訪れていたベネデッタの父母が費用を出すことになるあたりも脚本がいい)
その日の夜、バルトロメアの指導修道女となったベネデッタは、バルトロメアが父兄から侵されていたことを告白され、自分の魅力が性的魅力が生きていくよすがだと認識しているバルトロメアからそれとない誘惑を受ける・・・
と展開するにあたって、いやはやもう、この映画の背徳的というかなんというかポール・ヴァーホーベン監督作品の妖しい魅力の虜になってしまいました。
なので、ここから先は、どんな展開であっても、もう抑制が効かないわけで、ひたすら面白い、興味深い。
リアリティある美術、格調も感じられる撮影にも関わらず、展開される物語は汚辱にまみれた物語。
であるけれども、ベネデッタ彼女の行動は、作為がなく、意図しての行為、とはみえないように淡々と撮っています。
(淡々じゃあないけれど)
ベネデッタ彼女の行為は、本来の意味での確信的な(信仰に基づく、確固たる信念による)もので、そこには一点の曇りがない。
傍が、作為的、虚偽的とみなそうが、彼女が行っていたとしても、それはもう、確信的幻視幻想幻影の中での行為であって、彼女自身にとっては、真実・事実にほかならない。
ヴァーホーベン監督は、そう撮っている。
現実世界でのバルトロメアとの背徳行為が背徳であったとしても、それは背徳ではない。
彼女が信じるキリストとの愛の関係には無関係なのだ。
この潔さが心地よい。
それ故に、ラスト、キリストとの関係を貫こうとしたベネデッタが、追われた修道院に全裸で戻るシーンが清々しいのだろう。
ポール・ヴァーホーベン監督の確信的傑作といっていいでしょう。
久しぶりのヴァーフォベン作品
17世紀の話 宗教やペスト、同性愛と現代と変わらない。偉いさんは、言う事聞かないのは排除したいんだな。ベネデッタは香里奈みたいな雰囲気だ。
自分をムチ打っても悪魔は出ないな。
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