劇場公開日 2021年8月20日

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「差別と偏見に対するアンチテーゼ」祈り 幻に長崎を想う刻(とき) 多摩地区の高齢者さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0差別と偏見に対するアンチテーゼ

2021年8月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 この映画では「原爆の後遺症に苦しむ者」と「キリスト教徒」といった当事者が周囲の人間からの偏見に耐え時には戦わなければならない姿が映し出されていた。差別を恐れ医者に行かない被爆者も誰かに頼りたい心情は隠せない事を描きつつ、それとは別に傷痍軍人、売春婦といった当時の社会的弱者達もまた周囲からの偏見と差別を避けるように懸命に生きる姿が描かれていた。

 生きる為には売春婦もヤクザもお互いを利用し合っていたし、左翼の人間が原爆被害者を自らの影響下に置こうとするのも自然な成り行きであった時代。こういった微妙なバランスは崩れ易くヤクザの間では抗争を生み、被害者の信仰が影響力行使に邪魔になればキリスト教への偏見を利用して弾圧に転じる左翼の姿は現代にも通じる人間集団が起こす宿痾の様に感じさせられた。

 実際、日本社会では「原爆症」と「キリスト教」は戦争に負けた傷跡と弾圧の過去というある種「見たくないモノ」と定義つけられているような気がする。この映画は自分とは異なる者への差別と偏見が社会のいたるところに潜んでいることを示唆している。

 原作を知る人達からは物足りないとのネット上の評価はあるものの、おそらく切り捨てられたフィルムを繋ぎ合わせればもう一つの映画が出来そうなボリュームの内容を110分という尺の中で表現する難しさを感じさせられた気がします。

 松村克弥監督の前作「ある町の高い煙突」では井出麻渡と渡辺大の役割分担を今回の「祈り」では黒谷友香と高島礼子に演じさせ、「尖った部分」を「まろやかな部分」が抱えるように場面を回す手法が取られていた。前作は事実の積み重ねを理路整然と構成されていたのに対して今回は信仰という大変微妙なテーマを後半部分でギアを上げてファンタジー風に描いていたのは、松村監督に引き出しの多さが感じられました。

多摩地区の高齢者