プロミシング・ヤング・ウーマンのレビュー・感想・評価
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軽快に
こういったテーマでは重くなったり説教じみた作品になりがちなところを
軽快にポップに仕上げていて新鮮でした。
ただ、主人公の一貫性のなさから本題のテーマが全然響かない。
当事者たちへ復讐しようと思い立つ動機も弱すぎるし、
本人の問題を親友の不幸を言い訳にしてすり替えているだけに見える。
そんなに親友を想っていたなら30になるまでだらだらと関係のないバカ男に八つ当たりしてないで、さっさと張本人達とやり合えばいいのに。
主人公の大人になっても自分を大切にしてくれる人への敬意もない子供っぽい態度に、何だかなぁ...という気持ちになり、いちいち気が散ってしまいました。。。
画や配色などは可愛く素敵だなと思うところもたくさんありましたが、
全体的にもやもやする作品でした。
ポップながら…
グサリとエグる、成敗劇。ラストは後味悪いというか、死んでからの大成敗。大学時代の親友が慰み者にされ、そのせいで医師を目指していた彼女は医大をやめ、死んでしまう。自分も親友と共に夢を諦め中退し、30歳になっても自立せず、彼氏や友人もいない生活を送る。夜な夜なバーでわざと酔ったフリをして、下心を出してきた男たちを成敗することを生きがいにしている。そんな中、慰み者にした、そしてその様子を助けなかった人達を見つけ出し、復讐していく。もう少し、親友ニーナとの仲の良かった想い出などを描いてほしかった。深い感情移入をあえて求めないポップさが逆に切なかった。
『プロミシング (showing signs of future success)・ヤング・ウーマン』には2つの暗喩があると思う。1つは世間的なサクセス、もうひとつはキャシーの復讐にとってのサクセス…
①Juice Newtonの『Angel of the Morning』を劇中歌で使用した映画はこれで2本目(もう一本は『デッドプール』)。この歌の爽やかさが映画の内容の過激さを中和する意図があるのかな?それとも皮肉さを狙っているのか?キャシーが朝帰りの途中で工事現場の男達に下卑た言葉で冷やかされるシーンの背景に『It's raining men』が流れていたのも中々皮肉。②一回観ただけでは面白さが分からないかも知れない。二回、三回と観た方が良いかも。アメリカ映画はブロックバスターとは別に時たまこういうオフビートな映画を作るから面白い(劇中でもキャシーの両親がTVで観ていたのは『狩人の夜』というカルト映画だったし)。アカデミー賞脚本賞を取ったからどうだ、というのではなく脚本が巧い(私の中では、ヴェネチア国際映画祭>ベルリン国際映画祭)>カンヌ国際映画祭>ゴールデングローブ賞>ニューヨーク批評家協会賞>全米批評家協会賞>ボストン批評家協会賞>アカデミー賞、くらいの格付けですから(あとロンドン国際映画祭やモントリオール国際映画祭、サンダンス映画祭等もありますわね。)④キャリーは精神的に不安定だったという台詞(便利な台詞だね)が出てくるけれども、いくら幼なじみで親友の為とはいえ、命までかけるだろうか?やはり、少なくともキャシーの方はニーナに対して恋愛感情はあったと思う。逆はなかったとしても。合わさると「キャシー/ニーナ」になるペンダント(『うる星やつら』ご参照)をずっと持っていたし最後の大芝居の小道具として使ったし。「ニーナは崩れてしまった。アルしか頭になくなってしまった」という台詞があるが、それでニーナが暴行されたパーティーにキャシーが参加しなかった訳もわかるし、アルへの復讐にはニーナに対してやったかこと➕嫉妬もあったのではないだろうか。⑤毎週如何にも酔っ払った股の緩い女の振りをして必ずそういう女をベッドに誘おうとする男を脅す芝居を続けているのもレズビアンでないと出来ないのではないかな。ストレートなら芝居中に感じることも有るだろうし偶々タイプの男だったらどうする?⑦これはスリラー映画というカテゴリーに入れられているようだが、少しもスリリングではなかった。むしろ知的な面白さに満ちた映画のように思う。情報は台詞などで伝えずあくまで設定したシチュエーション・映像で伝える。説明的でないので分からん人は分からんで良いよというスタンスで映画はズンズン進んでいく。⑧劇中でキャシーが大学では如何に優秀な学生だったかという台詞が繰り返し出てくる。本人の夢も医師になることだった。ところが、愛する人が暴行され告訴しても真面目な取り合って貰えず、挙げ句に退学して自殺。そんな大学に居たくはなかったという気持ちは良く分かる。そのpromising young womanが大学の同級生との付き合いもせず友達も作らずしがないカフェの女給となっている。あの時点で彼女は自分の夢とした人生を棄てたのであろう。あとは毎週女の下半身にしか興味のない男にサイコ女の振りをして裁きを下す日々を繰り返していた。⑨70年代に、妹の担任教師にレイプされて勇気を出して裁判に持ち込んだのに過去の男性遍歴等を持ち出されて同意によるSEXという判決で相手の男は無罪となったが、男の魔手が今度は妹に及んだのを知ってライフルを持ち出して(ヘミングウェイの孫娘だけあってライフルを構えた格好が良く似合っていた)男は穴だらけにして(股関も撃ち抜くという徹底ぶり)仕留めるという結末で本作よりも更にすっとする(裁判の結果無罪となるというラストのオマケつき、さすがにこれは映画的な脚色で現実はそういう訳にはいかないでしょう)という『リップスティック』というややキワモノ的映画がありました。ハリウッド映画界に続いて最近では日本映画界でも性的強要の告発がやっと起こり始めましたが(これは女性側にとってとても勇気がいることだ)、本当に「下半身に人格はない」と言うけれど男というものは少しも変わっていませんね。日本のサラリーマンでもお持ち帰りは有りますし(国内では偉いさんだけでしょうが、海外では平社員でもあります)。⑩復讐のターゲットであるアル・モンローはロンドンに居てるしでそういう毎日を過ごしていたキャシーの前に偶々大学の同窓生のライアンが現れ、問わず語りに同窓生の近況を聞くうちにアルがアメリカに帰国していること、近々結婚することを知りムクムクと復讐心が沸き起こる。元々優秀でクレバーなキャシーのことだけに、綿密で周到な復讐計画を立てるのだ(どれだけ周到かはラストでわかる)。⑪と言っても、最終目的はアルであるとはいえ、その前に落とし前を着けなければならない相手が先にいる。どうも男に対する復讐が全面に出ているような見方をされているが、復讐の矛先は同性(女性)にも向けられる。⑫先ずは、同じ女性が暴行(輪姦ではないでしょう)を受けていたにも関わらず援護するのではなくその動画を観て笑っていたという、双子が出来た同窓生へ。泥酔させられた上に暴行されたことによる痛み・苦しみに同性なのに鈍感なこの女性に、泥酔したうえホテルの部屋で目覚めた時に知らない男性がいたことによって引き起こされる不安・恐怖・苦みを味わせて復讐その1完了。⑬続いて大学内の暴行を受けたという被害告訴問題を十把一絡げで処理していたこれも女性の教授へ。他人ではなく自分の娘が同じ目に遭う時に感じる恐怖・苦しみを味わわせて復讐その2完了。⑭次は原告側(暴行を働いた男側)の元弁護士。同じ様な事件で原告の無罪を勝ち取って来た。しかし今はそういう自分の過去の所業を悔いて仕事から身を引いている。キャシーはそんな彼を許す。しかし、自分の復讐計画の仕上げできっちり彼を利用している。⑮ライアンも一丁噛んでいたと知り、好意を持ち始めていただけに少しは悩んだようだが、動き出した復讐作戦はもう止められません。しかし、誰も彼も「若かったんだ!ガキだったんだ!」』という同じステレオタイプの言い訳しか出来ないのに辟易。若い男であればそれで許されると思っているのかしら。男なら許してもらえるかも、という男性社会の持つ意識の歪み。被害者の痛み・苦しみには想い及ばないのか、高学歴者であるのに。頭の良さと人間としての賢さとは全く関係が無いことが丸わかり。⑯そして最後の真打ち(?)アル・モンローへの復讐(間接的にはジョーへ、そしてライアンにも)。キャシーは死んでも良いという覚悟で臨んでいる。片方の手錠を力を入れれば簡単に外せるように繋いでおいたり枕の下で暴れたり(おとなしくしてしまえばアルも力を抜いてしまうだろうから)。ニーナが暴行されているところを撮影した動画や、キャシーの死顔を観客に見せず観客の想像に任せるのは良い選択。観るのもおぞましいという想像を膨らませてくれる。⑰啓発的な部分は確かにあるが、懲罰的な意味合いな映画ではないと思う。男性(特に若い)の性欲には蓋はたてられないし、酒や麻薬でラリった場合は理性など吹っ飛んでしまうし、何より未だに社会には男性有利が色濃く残っている(残念ながら我が日本でも)。従い、残念ながらこの類いの暴行事件は減りこそすれ無くなりはしないと思う。いらゆるジェンダー問題提起やフェミニスト問題提起が効果を示すとは思えず、なにより肝要なのは男性側の自制心の強化・自分の行動が相手に及ぼす心的外傷への理解の進歩を期待するしかないが、男って馬鹿だからね、同性だから良く分かる。社会制度や会社に守って貰わないと弱い動物ですから。⑱キャシーの死体は焼かれ(人の死体を焼く時は発火促進材をまかないと良く焼けないし、実際ひどい臭いがするそうだから、それにしては二人の反応がもひとつだったのが不自然)さて、これで犯罪を隠匿し予定通り結婚式を挙げている最中を見計らかって最後の復讐の花火を打ち上げる。そこで流れるのが①で述べた『Angel mf tke Morning』…🎵Just call me angel of the morning, baby, don't touch my cheers before you leave me…baby, then slowly turn away from me, I won't bother you to stay with me…B・A・B・Y!…Just me call me angel of the morning, angel, then slowly turn away fiom me, D・A・R・L・I・N・G❗🎵…
この歌を背景にアルは結婚式の最中にキャシー殺害の容疑で逮捕され社会的地位も信頼も無くしてしまった(あの動画か証拠にあるので今度は申し開きは多分出来ないでしょう。ジョーやブライアンも含めて)。若気の至りのせいで気の毒になどという同情は全く無用だ、これにてキャシーの復讐計画は時分の命と引き換えに無事完了に完了。”you think this is the end, didn't you ? It is now. Enjoy the wedding! LOVE, Caccie&Nina”
⑲問題意識ガチガチで観るではなく、一本の奇妙に面白い映画として楽しむのが、この映画に対峙する一番良い観方だと思う、キャシーが命を賭けて戦おうとした何か、守ろうとした何かを忘れなければ……⑳キャリー・マリガンはアップになると老け(化粧負け?)が目立つが、女優としては一皮剥けたと思う。お母さん役をはじめ知らない役者さんばかりだったがお父さん役はクランシー・ブラウンだったんですね。すっかり良い爺さんになっちゃて、懐かし。
鑑賞動機:あらすじ5割、評判5割。嫌よ嫌よも
好きのうち…な訳あるかい! いやっつってんだろうがっ、あ゛あんっ💢!?
勧善懲悪痛快復讐譚だったらもっと心穏やかに観終われたかもしれない。こちらの想像を次々超えてくる展開で、いいように鼻面引き回されてしまう。途中のあれこれもギリギリのラインで絶妙にコントロールされて…あ、ガラス破壊…いや『アオラレ』の主人公と同じで、あんなひどい悪態ついてたら自業自得なのだろうか(個人的にはそう思わないけど)。揺れ動く主人公にハラハラし通しで、喜怒哀楽ごちゃ混ぜの感情が湧き上がるエンディングまで、いいように弄ばれた感でいっぱいである。
個人的には生きててこそと思うのだが、捨て身(だからこそ)の反撃に正直スカッとしたのも事実。そして私がスカッとしてていいのか、という気もするしで思考がグルグル無限ループする。
直後に観たせいか何かパティソンバットマンと同じ匂いがする気が。自分から奪われた物はすでに取り戻せないのに、その空いた穴を埋めるために、自分のことは二の次で執着しているところとか。劇場で見逃していたのがつくづく悔やまれる。
キャリーマリガンに首ったけ!
キャリーマリガンは、本当に魅力的な女優ですね!
観ていて魅了されます。場面ごとに衣装、メイクが目まぐるしく変わり、彼女のかなりイメージが変わる七変化は観ていて楽しめました。これだけでも観る価値はあると思います。
演技も、可愛らしさ、狂気、悲しさ、怒り、いろいろ感情を上手く演技しています。
重たいテーマですがポップな音楽がBGMに使われているのと、展開のテンポがよいので、とても観やすかったです。
内容で気になったのは、世直しで魔男達に何をしていたのか?謎ですね。お仕置き的な物は、毎度論破して精神的に追い込んでいただけ?冒頭の魔男の時は、朝帰りして返り血を浴びて殺したのかと思わせていて、実はホットドッグのケチャップが垂れていただけてしたし…。お仕置きカウントからすると相当な魔男をお仕置きしていたようですが、何をしていたのか?気になりました。
途中、キャリーがバッドマンのジョーカーに見えてきました。特に最後の看護師コスプレはダークナイトを彷彿とさせるシーンでした。
エンディングは衝撃的でスッキリする反面、殺されてしまっているので悲しくもあり、不思議な感情でした。
女性監督ならではのは視点の映画、なかなか面白かったです。
オシャレ復讐映画
子供部屋に暮らすアラサー女性の主人公。そこのところが、すごくホラー。新築を買っても壁紙は子供用のものを貼ったらダメだなぁと思った。
順番に復讐をしていくのだが、コレがスプラッターでもなくサスペンスでもなく、オシャレ路線。わざとなんだろうけど、リアルなようでファンタジー。
そして漫画のようなカッコイイ復讐の仕方。
最後の最後で
失敗しちゃうのかよ、ってところが唯一の驚き。
でも題材は重い。
学校で起こった事件の後、復讐までに10年経過してるってことでしょ。
オチはお決まりの展開でスカッと爽快。
でも同罪に見えるライアンは許すんだ。おんなのこだ
新しいジャンルの映画
よくある復讐ものの映画だと、
普通ならただ復讐心のままに相手をおとしめるような悲しい物語であるが、この映画は違った、、
キャシーは優しい心の持ち主で、復習したいがしきれていない。自暴自棄になっているが、どこか相手を正そうとしているようにも思えた。
彼氏もできて、このままハッピーエンドもあるのかと思いきや、最後にまさかの展開が待ち構えていた。
・彼氏のライアンが事件に関わっていた
・最後に殺される
・結婚式で逮捕される
この展開は予想できなかった。
見終わった後、後味の悪さはなく、何故だか爽快な気分だった。
何のジャンルかはわからないが、新しいジャンルの映画だと思う。
パーティに向かうシーンでブリトニー・スピアーズのTOXICをアレンジしてよりスリリングなシーンにしていたのにはめちゃくちゃセンスを感じた。
なんか色々とエッジが効いてた。
印象に残る映画だった。
ラスト30分
この作品は星をつけるのが難しい。満点にすると復讐してもオッケーって言ってるみたいになるし、だからって低い点にすると星の評価で観ない人が出るのも困るような。複雑なんです。
それだけ、メッセージ性が強いのでしょうね。
構成としては、終盤までありきたりな展開でラスト30分で真価が別れるところなのだけれど、安易に被害者を晒してないのに憤りや怒りと悲しみを表現してるというところが、私としては良かった。男性につくれない作品かな。
演技、構成、色彩、音楽的な面で星4です。
もう少し周りの人間が己の身勝手さを顧みる要素が出てたらなぁと。
どうせなら、スカッと復讐て欲しかったかな。そういう非現実的になり過ぎないように配慮されてたのも、本来の問題提起なのかもしれない。
誰かを陵辱、屈辱してのうのうの生きていられると思う方がサイコですよ。ってね。
プロミシング・ヤング・ウーマンから復讐(LOVE)を込めて
映画は最初のシーンで決まるとよく言うが、本作もまさにそう。
クラブで男たちが酒を飲みながら、女の事を話のつまみに。
ふと目をやると、泥酔した女が。ケラケラ笑う男たち。いかにもすぐヤレそう。
一人が女を誘い、ホテルへ。
女は嫌がりつつも、酔っている為、抵抗する事すら出来ない。
男にとって、これ以上ないご馳走。頂きま~す!
すると突然、女がシラフになって豹変。
「聞いてんだよ。何やってんだよ?」
監督が実際に目撃した現場が本作製作のきっかけ。
クラブで泥酔した若い女性を、男たちが嘲笑い。監督は女性を家に送りに…。
この時、もし男たちが女性が本当は酔っていなかったと知ったら…? どんな事が起こり、どんな結末になるか…?
…と、想像を膨らませたという。
誰もが気付きもしないような一コマ。特に男にとっては。
しかし、女性にとっては酷ければ心の傷になる。女性ならではの鋭く、シビアな視点。
それをパンチの効いたOPシーンとして描いたセンスと痛烈な風刺。
ここに、本作を作った意味合いが集約されている気がした。
でも、まだまだ! とにかく本作、色んな意味でブッ飛び!
女優や脚本家としても活躍し、本作で長編映画監督デビュー。才ある新たな女性監督がまた一人!
まさしく、“プロミシング・エメラルド・フェネル”!
カフェで働く30歳の平凡な女性、キャシー。
夜になるとバーに繰り出しては酔ったフリをして、自分をレイプしようとする男たちに制裁を与えていた。
…と言っても、殺しや暴力は一切ナシ。それも何だか本作の一つのメッセージのような気がした。
それでも不穏なスリラー・ムード充分。
OPタイトル・バック、クールな楽曲が流れる中の朝帰り、小バカにしてくる男どもへ一瞥を投げ掛ける彼女の姿が堪らなくカッコいい。
だけどやっぱり彼女はサイコ女…?
両親と実家暮らし。
両親は穏やかで優しい。娘を愛している。
部屋や普段着る服も、とても夜に毒女になるとは思えないほどキュート。ひょっとして、イタイ女…?
彼女も両親を愛しているけど、何処か窮屈そう…。
職場では、もはや仕事していると言うより暇を潰している感じ。
同僚のマディソンとは何でも言い合える仲。二人のやり取りがユーモラス。
そんなある日、医大時代の同級生ライアンと再会。徐々に惹かれ合って…。
スリラーから一転、コメディ、三十路女の恋物語。
しかし再び夜になると、スリラーへ。
ジャンル分け不能。
かと言って支離滅裂バラバラに全くなっておらず、見事な面白さの異色ヒロイン物語に。
この大胆不敵さ、オスカー脚本賞も納得。
そしてそれを体現したキャリー・マリガン。
『17歳の肖像』『華麗なるキャツビー』などで可憐なヒロインのイメージがあるキャリー。
大胆イメチェン!
覇気が無いような、ノーメイクのような三十路女。
“夜の顔”はケバく、恐ろしく!
その堂々たる凄み!
単なるクレイジー・ウーマンに留まらず、喜怒哀楽を巧みに。全ての感情が際立つ大熱演。
残念ながらオスカー主演女優賞は『ノマドランド』のフランシス・マクドーマンドに敗れたが、やっと本作を見て、個人的には彼女推し!
フェネルの才能とキャリーの怪演。
ポップでカラフルなファッション、明暗メリハリくっきりの映像。
作品を彩る楽曲の数々。
だけど一番はやはり、先読み出来ないストーリーの面白さ!
そもそも、何故キャシーはこんな恐ろしい事を…?
徐々に徐々にその秘密が明かされ、グイグイ引き込まれてもいく。
ライアンと再会した時、大学時代、医大生だった事が分かったキャシー。
将来は有望でもあった彼女…。
自室には、一枚の写真。自分と、もう一人の女性の姿が…。
ライアンとの会話から、特定の同級生の現在を聞き出す。
一人一人に接近。同級生ではなく、学長や弁護士にも。
その目的とは…
かつてキャシーには親友がいた。
ニーナ。
優秀で、地味なアタシと違って魅力溢れる存在。
でも二人で、“プロミシング・ヤング・ウーマンズ(前途有望な若い女性たち)”。
そんなある日…
酔った彼女を男どもが食い物に…。
告発したけど、大学は無き事に。
今、学長を問い詰めたら、“プロミシング・ヤング・マン”を擁護。学長も同じ女である筈なのに…。
弱く、日陰の女二人の事など誰も味方してくれない。学長は覚えてさえもいない。
そうだ。教えてあげる。ニーナは自殺したんだよ。
“プロミシング・ヤング・ウーマン”だった彼女が。
どうでもいいの? 彼女の事は。
酔って男にレイプされたのは彼女自身のせいなの?
男どもに罪はないの…?
絶対に許せない!
キャシーが夜な夜なバーに繰り出しては男に制裁を与えるのは、親友を自殺に追いやった“男たち”への復讐。
核心たる人物らに近付き、そして本当の復讐劇へと発展していくのだが…。
ニーナの母親から悲劇の事は忘れるよう忠告される。
亡き友やその家族を今も尚思う事は胸打たれるけど、時にそれは遺族や自分自身の時を止め、苦しめる。
両親からの心配。
ライアンとの出会い。
今が人生を変える時かもしれない…。
…しかし!
知ってしまった。
ニーナのレイプにまつわる衝撃的な真実。
思わぬ人物が関わり…。
この人物に関しては言うまでもないので、言う必要ないだろう。
平凡な幸せを手にしようとしていたけれど、その手は復讐に。
哀しい話かもしれないが、皮肉な事に、作品的にはその方がずっと面白い。
結ばれる筈だった“思わぬ人物”を脅迫し、“主犯”の現在の居所を聞き出す。
そいつは結婚を控え、プライベートや仕事共々恵まれたこれから。友人らと森林のハウスでバチェラー・パーティー。
医大生であったキャシー。ナース姿に身を包む。まるでそれは、亡き親友の無念も込めた戦闘装束のようだ。
怒りと悲しみを表した派手なヘアメイク。さながら、女ジョーカー。
遂に、この時。復讐。
関係ないバカ男どもはデリヘルナース嬢が来たと大ハッスル。
睡眠薬で眠らせ、ターゲットのアルを2階の部屋へ。
意外と紳士的でフィアンセ一途なアル。だからと言って許すつもりは微塵も無い。
どうせ忘れてる筈だからアルの方から思い出して貰うわ。
ニーナの名で名乗る。すると案の定、ビビり始める。
ニーナが自殺した事も知っていた。
じゃあ、彼女の無念は…?
アルが暴言を吐き出す。自分たちのような将来有望視されている男たちの前に於いて、女たちの告発は邪魔。
これで決定的に決定した。このクソ男に制裁を!
頭脳と言葉巧みに、沸き出す怒りを抑えつつも代わりにネチネチと追い詰めていく様は、痛快!…いや、怖い?
ハリウッドの男尊女卑。
セクハラ/パワハラ事件から始まった“#MeToo運動”。
今でこそ声を上げ、闘う女性たちが続く。
ほんのひと昔前までは、映画の中ではヒロインは悲鳴を上げ男の助けを待ち、ハリウッド社会では女性は隅に追いやられ、酷い場合は劇中のニーナのような立場にも…。
徐々にハリウッドに於ける女性の地位向上が尊重され、それは映画にも。
男社会と闘う女性の社会派ドラマは古くからあるが、アクション物…特にアメコミ物でヒロイン・アクションが盛んとなり、女性が監督が務めるまでに。
そんな中現れた本作は、これまでにない斬新さと、メッセージ性を含みつつ、エンタメ性も抜群。
パワフル・ウーマン・ムービー!
復讐を果たす時が!…と思いきや、
まさかの展開。
嘘でしょ…。
だけど、どんな理由であれ“復讐鬼”の哀しき末路。
救いようがない男の愚かさ。
一体、どんなオチに…?
最後の最後まで予測が付かない。
最終幕。
それぞれにとって、幸せとモヤモヤ凝りの結婚式。
復讐もあの時で…。
否! 終わっていなかった!
最後の最後に用意していた逆転リベンジ!
女性は怖い。
女性は強か。
女性は美しく。
女性は愛おしく。
世界中のプロミシング・ウーマンズへ。
復讐からの愛を込めて。
女だから笑え?
冒頭の股間ショットの気色悪いねちっこさからの、次々に素面で問い詰められる男たちの慌てる様がほんとに痛快!
ポップで「カワイイ」画面から滲み出る毒は、キャシーの復讐劇だけではない。
男たちから、親から投げかけられる言葉、行動の毒々しさ、それによってすり減らされる女。こんな構造には中指を突き立てて、バールでめった打ちだ!
ともいかないのがこの作品の本当の毒。
見せない演出が最後まで超絶うまい。
失うものが多すぎる
エンタメとして、大変痛快な作品でしたが、
その上、
中退して、
将来棒に振って、
彼女まで失わなくては、
正しさ、を認めさせられないのか、
という、絶望や憤りも感じました。
後味の悪さが残る怪作
すごい評判の本作、やっと劇場で鑑賞できました。
結論から言うと、ストーリー自体もオチもよくあるサスペンスですが、演出と演技が一つ上のランクへ押し上げてます。
実際には女性一人でこんな危ない事を何度もやれるとも思えないし、怒りの持続も容易でない。しかし、中盤一度前に進もうとした時は、幸せの中にも何か物足りなさを感じてる風でした。彼女がナンシーにそこまで固執する理由が見えなく、サイコの片鱗を感じそこまで物語に入り込めない部分もありました。
にしても、なんともやりきれない問題で、こういうクズが許されてしまう世の中はどうしようもないのか?オリンピック小山田的なエスタブリッシュ問題もあるよなぁ。
自分が死んでも制裁を下すというのは納得出来なかった。彼女の両親や、ナンシーの母親はどう思うのか?なんとも後味が悪いラスト、彼女のあまりにも孤独な人生が哀れに思える。
スタッフはなかなか興味深い人達で固められていた。特に彼氏役の人はなかなかの才人ですね。クリストファー•ミンツ•プラッセが見れたのも嬉しかった。
将来有望な若者、本懐を遂げる
辛い内容でも、映画は見に行くようにしている。直視するのが厳しい時も痛みを忘れてはならないと思うからだ。
だから映画冒頭から正直主人公のキャシーに辛いことが起きるんじゃないかと悪い意味でドキドキしながら見た。あの流れで、キャッシーが殴るけるをされたりレイプされても驚かないからだ。
そのうちそれが何回か続くと、この主人公は自殺願望があるのか?と思うようになった。主人公の行動は騙す喜びより、殺されに行っているように思えた。彼女は死にたいし、できれば殺人罪を着せたい相手に殺されたい。だから親たちは「忘れて」「生きて」と彼女にいうのだ。
復讐?そうだろうか。前回も弁護士に守られた。なぜ今回は違うと思えるのか。彼女の死は事故ではなく、当初から彼女の成し遂げたかったことだ。彼女は殺人者をランダムに選ぶのではなく、確実に殺しそうな相手に照準を合わせて成し遂げた。
生きることに希望を見出せない将来有望な若い女性は、死に向かって疾走する。はっきりしているのはそのことだけだ。なんの希望もなくて本当に辛くなった。
バランス
忘れている、「子供だったから」と言い訳する当事者
「優秀な(加害者である)若者の未来」を優先した大人
罪を贖いたい関係者
全てのバランスが良く、「あの時私が」と悔い続ける主人公が全身全霊で復讐を成し遂げる113分。
一瞬でも、
美人だから、隙を見せたからなんじゃないの?
と考えた自分を恥じ入りました。
ちょっと非の打ち所がない
自分の行いを反省して悔い改めるという当たり前のことができる男性が、啓示を受けたという精神病の弁護士だけ。
理由は分からないけどなんか不快、もしくは自分が攻撃されているように感じるとき、動画を見せられたときのあの彼氏のように逆ギレしてしまったりするものです。
映画が終わったあと、「所々無理矢理感があった。ホテルの部屋で目覚めたからってあんなに取り乱すなんてない、学長だってすぐに警備員を呼べば良かった」と強い口調で劇場で話している(盗み聞き失礼)男性がいましたが、なんとなく心情を察し、不快になるなというのが難しいにしても、皮肉を感じました。
女性は付き合う男性と一緒にこの映画を観てどんな反応を示すか試してみるのはその人を知る一つのリトマス紙になるかもしれませんね。
主人公の取った行動は現実世界ではありえない
でも映画を通して観ると、作品世界内においては腹落ちできる選択として、しっかり感情移入できます。
良くできた復讐モノであり、ラブコメであり、ミステリーでもあると。
つまり、これぞ王道フィクションだし、娯楽映画なのです。
プラスして作品内で語られるテーマ•主張を私なりに要約すると、
「夫婦•恋人•友人だろうが性的同意のラインを超えたら、普通にレイプだろ。」
「特に社会的地位があり、一見すると誠実そうに装っているが、酔い潰れた人間を介抱するフリをして近づいてくる奴!お前らが1番タチが悪いよな。」
「周りの奴もさ、『スキがあった被害者にも落ち度がある。』『こんな事件で将来有望な加害者の人生を狂わせるなんて逆に可哀想』なんて言ってるけど、じゃあ被害者の将来はどうなるわけ?」
「自分や、自分の身内が同じ目に遭っても、同じこと言えるの?」
少なくとも私は、この主張は正しいと感じますし、
誰でも加害者になり得ると言う点、今まではたして傍観者的な意味も含めて加害的な行動を取ったことがないと言い切れるだろうか、という反省も込めて、真摯に受け止めざるを得ないです。
いわゆる「極悪非道なレイプ犯」みたいな奴とか、今どき存在いるのかってくらいステレオタイプな「女性差別主義者」をでっち上げて糾弾するみたいな、そういう次元では話をしないよ、と言ったポリシーにも同意です。
つまり、「恐らく正しいテーマ•主張」を「よく出来た娯楽映画」に乗っけて、「どちらも余すことなく、きっちりと語りきっている」点が最高なんです。
秀逸なのは、キャシーのしたこと、してきたことが「良いこと•正しいこと」とは描かれていない、でも彼女がそうせざるを得ないという作品内リアリティはきっちり担保しているというところですね。
当初は意図的にぼやかされていた動機を徐々に明らかにしていく中での、「ニーナの件」の加害者サイドへの復讐。当事者たちの視点を反転させることで文字通り「わからせる」というリベンジ物王道の展開も良し。
途中で恋愛描写もあるのですが、この中の挫折と別れも、きちんと復讐行為とリンクしていて、お話の推進力を弱めずに主人公の人となりのコントラストを際立たせるナイスな寄り道。
クライマックスの加害者本人との対峙、これこそが映像的に観せたかったシーンでしょう。
ここまで意図的に、
①「主人公が最強」と観客に誤認させてきた
②「主人公が振るうものも含めた対人暴力」シーン省いてきた
この2つの下準備により、「男性の力に屈服する女性」をキャシー自身が(因果応報的な側面も込みで)観客に実演するという、大変ショッキングなシーンに仕上がっています。
ラストのオチは、クライマックスの後味の悪さを払拭してくれるだけでなく、観客をカタルシスの洪水に溺れさせてくれる、正直どうかと思うくらい良く出来たエンディングです。
思うに感動って、安っちい邦画でありがちな感動的なBGMを流し、人物が涙を流しながら、話のテーマ的な良いセリフを叫ぶみたいな「お涙頂戴」演出では生まれ得ないと思うんです。
この映画のオチのように、「喜び•悲しみ•怒り•驚き他」みたいに複数の相反する感情を揺さぶられることで、脳内がぐちゃぐちゃになり、故に涙を搾り取られる=感動なのではないでしょうか。
まさに、後々に映画館で観たことを自慢したくなるような大傑作です。
全99件中、21~40件目を表示