川っぺりムコリッタのレビュー・感想・評価
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ご飯と味噌汁と塩辛、美味そうだった
北陸にある塩辛工場で働きはじめた山田(松山ケンイチ)は、安い古アパート、ハイツムコリッタ、で暮らし始めた。人と関わらずひっそりと生きたいと思っていた山田に、隣の部屋に住む島田(ムロツヨシ)が、風呂を貸してほしい、と訪ねてきた。島田は図々しく、山田がご飯を食べてたら茶碗と汁椀とはしを持ち漬物だけ持ってきてご飯やおかずを食べた。そんなことをしながらも山田と島田は、楽しい日々を送り、友情も芽生えてきた。そんな時、山田は前科者で見知らぬこの町にやってきた事がわかり・・・てな話。
ムコリッタ(牟呼栗多)という仏教用語を知れた。時間で48分の事で、ささやかな幸せの意味らしい。
些細な事で幸せを見つけて生きていく、って事をみせたかったのかな
ご飯と味噌汁、漬物に塩辛、うまそうだった。
なんてことない日々の、ささやかな幸せ
松山ケンイチ、ムロツヨシ、満島ひかり、吉岡秀隆
その他やたら演技派の俳優さんが無造作にちょいちょい登場
北陸の片田舎の、築50年の長屋みたいなアパートにたまたま集った隣人が、昨日と同じ今日、今日と同じ明日を過ごす
世の中の誰しもがそうであるように、そこに集うに至っては、一人ひとり、いろんな出来事を通り過ぎてきてる
今日も白米が上手に炊けた、そのささやかな幸せ
っていう、
一体それの何が面白いんだってなりそうな物語だけど、なんせ芸達者のみなさんがそういう一つ一つの個性を繊細に丁寧に抉りだすもんだから、とりたてた起伏はないあるひと夏の日々が、なんかジーンと胸の奥に沁み込んでくる
距離感
137本目。
作品の中身を考えれば、重くなりがちなのかと思うけど、夏の景色だったり、周りの人達でうまい具合に中和されてる。
死と、どう向き合うのではなく、死だったり人だったりの距離感をどう取るのかといった作品なのかな。
ムコリッタ、仏教言語なんだ。
好きな映画かも。小さな小さな出来事の積み重ね、それが人生。登場人物は皆、家族の誰かを失っているし何か人生につまづいている。それでもまだまだ人生は続くし過去は許されると。パターンは大好きなドラマのすいかみたいだけどこれはこれで好き。
本当の豊かさとは何か
どうせ人はいずれ死ぬ
なのであれば
ちょっとやそっとの事で妬んだり
腹を立てたりしている時間は勿体無い
何もなくても
豪華な家に住んでいなくても
ささやかな暮らしの中で
人の温もりや
ご飯のおいしさに気付くだけで
心は満たされる
そういった事を思い出させる作品。
あなたが忘れない限り、その人は確かにこの世に存在し続けているのだ。
登場人物はそれぞれ大切な人との別れを経験してて、どこか喪失感を抱えながら生きている。しかしそれは人生においては必然でもある。「ご安心ください。亡くならない人はいないのですから。」時は積み重ならず、川は絶えず変化しながら流れていくだけ。でもかつて豊かさの象徴だったガラクタは、それを使っていた人の記憶をそこに留めている。自分には生きる価値がないと悩む主人公に対して「その人が居なかったことにしてはいけない」「僕がなくなったら君に淋しいと思ってほしい」というセリフが刺さる。
その人が確かにそこに居たと、少なくとも自分は覚えていたい。色々考えさせられる映画でした。
あと風呂は直ったんだろうか?付帯設備の修理は大家さんの義務、なんだけど多分家賃払ってないから、要求できないんだろうなー(;^_^A
確かに死なない人はいないよね。
予告編からかる〜いコメディを想像してたんだけど、クスクス笑いながらもジワジワ染み込んでくるお話しだった。
松山ケンイチ演じる前科者の山田が富山の塩辛工場に就職。同時に築50年のハイツ ムコリッタに引っ越してくる。
引越し初日から隣に住んでいるムロツヨシ演じる島田がズカズカ接してくる。初対面のお隣さんに、風呂貸してなんて笑える〜!その後も一緒ご飯食べるシーン、楽しかった〜。そのままのコメディかと思っていたら、子供の頃に別れ別れになっていた父親の遺骨を受け取るかどうかの選択に悩む山田。記憶にも無い親の死、自分ならどうする?難しい選択だ。
最初からずっと心を開けない山田のモヤモヤ感、松ケン、凄く良かった。今まで観た中で1番ハマってた気がしました。周囲のみんなも色々背負うものがあって、人生は十人十色、価値観もそれぞれ。結構考えさせられました。
えっ!隣の婆さん、幽霊!?とか、巨大なイカのお化け!?とか、遺骨でエッチ!?とか不思議なシーンだらけで楽しかったですよ。
ピアニカの音色がぴったり
かもめ食堂のように、ただオシャレっぽい映画で終わるのかなと思ったら意外に話が深い。しかしそれぞれの苦悩がやんわりとしか描かれていないので??が多く残りますが、それでも最後みんなが上を向いて前へ進んでいたので良しとします。ときどきくすりと笑えて、私は好きですこの映画!ピアニカの音色が頭から離れません。
出演者、とてもよかったです。
ご飯、美味しそうでした。
すき焼きの肉美味しそう!
今日は、すき焼き食べたいと思います。
ピアニカの音、とてもよかったです。
金魚とイカ
江口のり子さん、どこに出てらっしゃいましたか?
小さな幸せ
幸せの価値観は人それぞれで、生きてていいんだよって思える映画でした。
食べるご飯がほとんど同じなんですが、とても美味しそうに見えました。人は1人では生きていけない、大切な人に連絡もしたくなります。
松山ケンイチさんとムロツヨシさんはとてもハマり役な気がしました。重いテーマだとは思いますがクスッと笑える所があるので終わった後はジワジワくる感じです。
パスカルズの音楽が世界観にぴったり♪
誰もが、それぞれ、人に言えない過去や、近しい人の死や、いずれくる自分の死に対する思いを抱えながら生きている。ムコリッタとは、1/30日とのこと。1日と言わず、目の前の30分、1時間を、穏やかに、ちょっと誰かのことを大切に思いながら、生きていけるといいなぁ、と思いました。
それにしても、労働のあとのお風呂、炊き立てのご飯に塩辛、とれたての野菜、ハレの日のすき焼き^_^ 笑顔が漏れる瞬間はいいですね!
命とか魂とか、大事なものだよね
予備知識ゼロで観賞、松ケンとムロさんのコメディかと思いきや、主要キャストそれぞれが抱える逝ってしまった者たちへの想いがフワリと描かれ、それが不思議なテイストで観る者の心に染み入ってくるようなストーリーだった。これはこれで悪くない。
失った人のことは詳細なディテールが示されないので、なんとなくこんな背景なのだろうと推察しながら、自分に置き換えて考えられる部分もあり。
父と息子を割と近い時期で亡くしている私には共感できるところもいくつかあり、魂よ安らかになどと観終えてから祈ってしまった。
不思議だけれど温かい、そんな作品でした。
なるほど、原始宗教的映画ですね。
うん、なかなかの俳優力、女優力ですね。
満島ひかりさんも、なかなか素晴らしい。こんなオバチャン役もいっちゃいますか。
松山ケンイチもムロツヨシも細かい表情まで演技してますね。さすがです。
ストーリーは、まあ不思議な話ではあるわけですが、ちょっと長く感じるところもあり、満島さんのシーンでそれいらないでしょというシーンもあり、もう少し時間をまとめた方が見やすかったかもしれません。
コメディーとしてのシーンはおもしろいところもあり、シリアスなシーンはよくわからない感じなので、もう少しコメディー方向に振った方が映画としてはおもしろかったかもしれません。
エンドロールで薬師丸ひろ子の名前があったが、どこで出ていたのかわからなかった。集中力が途中で切れてましたかね。
まあ、そんな感じの映画だと思います。
#152
罪と罰と死生観
SF(すこしふしぎ)作品。
案外真面目で少しシュールで何処か懐かしい。
人は一人では生きれない。
罪を憎んで人を憎まず。
人は忘れられた時に二度目の死を迎える。
そんな含みを感じる。悪人も出てこないので、中学校の道徳の授業とかで流すと良い。
以下、つらつらと。
タイトルは響きに味わいが有る。意味はそれほどでも。
仏教思想そんなに出てこないし。
キュウリとトマトとナスが食べたくなる。イカの塩辛と白米も。
個性豊かすぎる登場人物
父の遺骨に怯える前科者。
人の家に上がり込み勝手に飯を喰らう自称ミニマミスト。
墓石を売る家賃滞納父子。
遺骨で✕✕する妊婦を蹴りたい未亡人大家。
UFOを呼ぶ大家の娘。
…なんだこれ。二人目ぬらりひょんじゃん。
いつ頃なのかが微妙にぼやけている。
父親のガラケーが出ているから2000年以降だろうけれど、雰囲気的には昭和と平成の間くらいに見える。
人間関係と世界観に引き込まれた辺りでアッサリ終わるので、チョットもやもやする。
総評:毒にも薬にもならないが、不思議な満足感が有る。
本当にSF。
追記:やっぱり柄本佑は良いなぁ。
生きていてそれが何なのどうなんの?
オリジナルの脚本が一旦頓挫し小説に書き直してからの映画化だそうで時間をかけたが故に成しえたシーケンスの積み重ねがツボにはまる映画ですごく面白かった。ヤギを筆頭に役者がことごとく良い。チラシの最初に江口のりこと記され冒頭の主要な舞台であるイカの塩辛工場で主人公の横に彼女が登場したらこれで何かしらのエピソードが作られるであろうと想像するのだが100%肩すかしをくらう。炊きたてのご飯の逆光で食らうキュウリの風呂上がりの冷たい牛乳の美味そうなことよ食が生きている証を与え命の恵みが自ら生きることに何の意味があるのかを真っ向から描いておりこれはこれまで世の中に無かった傑作映画である
適材適所
観る人によって、気持ち悪い話にもハートウォーミングにもなり得る面白いストーリーでした。
私は泣くまでは行きませんが、ちょっと共感します。
ところどころ、面白い撮影方法の映像が入ったり、とても映画らしい映画です。
ほんわか温かいストーリーかも思っていたら、結構重い内容。
また、松山ケンイチ、ムロツヨシ、満島ひかりと、ハマり役っぽい。
監督も、自分で小説書いて、自分で映画にできるのはとても幸せですね。
ちょっとマナーの悪いおじさんがいて、スナック菓子やビニール袋がうるさくて集中出来ず。
お父さんはどっち向いていたんですかね、、、聴き逃しました。
(T_T)
塩辛
期待していた映画です🎬✨
映画館で観れて良かった
ハイツムコリッタ
一癖も二癖もある住人達のお話
死や
貧困や
孤独や
前科者や
発達障害など
とても絶妙に絡めているストーリーです
主演の松山ケンイチの絶望感、尖った目、孤独感上手く演じていた
ムロさんもコミカルではあるけど、いつものムロツヨシのコミカルさは消えた演技でとっても良かった
この二人のやりとりが、絶妙で本当に良い!
あのすき焼きのシーン好き
なんだかこの住民達を好きになる
そんな映画です
以下ネタバレ
マスク姿でも江口のりこさんだとわかるのが凄いのと、柄本佑君一瞬誰だかわからなかった笑
最後のエンドロールでわかる
あの電話の声は
薬師丸ひろ子さん!
どっかで聞いたことあると思ったら!!
やるなぁ監督☺️
磐石のキャスティングで描かれるファンタジックな法話
決して軽くはないテーマが、のんびりとしてファンタジックな語り口に包まれて暗さや説教くささというえぐみを抜かれ、美味しい味噌汁のように沁みてくる。観終えた後、なんだか心がほぐされたような気分になった。
荻上監督が、NHK「クローズアップ現代」で取り上げられた行き場がなく葬儀をされない遺骨の話に着想を得て紡ぎ出した物語は、どこか死との距離感が近い。
子連れのセールスを方々で嫌がられる墓石屋の溝口。その勧誘方法のせいもあるだろうが、彼を拒絶する人々の態度はどこか、無意識のうちに死という必然の現象を遠ざけて忌む現代の風潮とも重なる。
亡き夫の遺骨をかじっていとおしむハイツムコリッタの大家、南。主人公山田の風変わりな隣人島田は、息子を亡くしているようだ。
山田が食べる塩辛は、ご飯の上に乗せればおいしそうで生きる喜びにも通じるが、工場で処理される様や、彼の父の遺体の話と並べた印象は、どこか屍(しかばね)を連想させ、そこについ不穏さを感じる。食べるためのいかの加工も遺体の話も、人間の生き死ににつながる当たり前のことなのに。
ろくでもない親から生まれた前科者の自分に、ささいな幸せを味わうことさえ許していなかった山田。ろくでもない父親だったと突き放しながら、親を突き放した自分への罪悪感も同時に感じ、そんな自分に彼は罰を課していたのかもしれない。
そんな山田が、図々しい隣人や風変わりなご近所に破られた心の殻の隙間から、彼らの抱える過去を知り、自分に小さな幸せを許し、父の死を自分のこととして受け入れていく様子に、心があたたかくなった。未亡人の南は彼に父親の葬式を勧める。弔いが残された者のためにあることを、経験的に知っているのだろう。
逃れられない苦しみを抱えていたとしても、誰かとの何気ないやり取りや美味しい食べ物の中に刹那の幸せを見いだすことは不可能ではない。
自分が幸せかどうかを、人は置かれた状況から判断しがちだ。そうではなく、空がきれいだとか美味しいものを食べたとか、そういった脈絡のないささいなことの寄せ集めこそが幸福感の正体なのではないだろうか。
何のためか分からなくてもやり続けていれば、10年たって初めて分かることもあると、塩辛工場の社長は言っていた。幸せも実はそんなもので、小さな幸せをこまめに拾い集めていれば、いつの間にかそれなりに幸せな人生になっているのかもしれない。
お坊さんがおだやかな声で語る法話のように、幸せのあり方や命との向き合い方を本作はさりげなく教えてくれる。
配役は磐石の布陣で、安心して見ていられた。
松山ケンイチは山田役のオファーが来たことで田舎への移住を決意したそうだ。ハイツムコリッタの人たちのどこかノスタルジックな距離感には、彼の実生活も反映されているのだろうか。
個人的に普段は癖の強さが苦手なムロツヨシだが、本作では抑えた演技で(監督からそのような演技指導があったらしい)、滲んでくる彼らしさも役柄に合っていた。
主要キャラ以外も柄本佑や緒方直人、ほとんどマスクをしている工場の同僚役の江口のりこ、たまたま南を乗せたタクシー運転手の笹野高史など、隅々までぬかりのないキャスティングが、ファンタジックな描写も多いこの物語に説得力と見応えをもたらしている。
刹那とムコリッタ
〝幸せ〟には持続性はありません。
基本、瞬間的、或いは一定時間に限られたものです。
愛の告白が実った瞬間。
試合に勝った瞬間。
何かの記録を達成した瞬間。
喜ばしいことのピークが幸せな瞬間なのであり、決してピークの状態は持続してくれません。
仏教用語では、瞬間=刹那。
人生の長い時間の中での思い出としてなら、学生時代の数年間とか、子や孫に恵まれた晩年、という年数単位での〝幸せな時間〟は存在しますが、限定的なものです。ムコリッタが、1/30日(48分)…転じてささやかな幸せ、という意味であるならば、そのような時間のことを指すのかもしれません。
あなたの人生は幸せですか(幸せでしたか)?
と聞かれたら、おそらく大半の人は、直近の記憶の印象から回答すると思います。
政治家や企業経営者としてトップに君臨した人が晩年は寝たきりの闘病生活だったり、妻や子どもたちのことで、不運な状態に置かれていたら、たぶん〝幸せな人生だった〟と即答できない。
反対に人生の大半を辛い環境で生きてきた人が、人生最後の何ヶ月かを愛する家族に囲まれて毎日の食卓が満たされたものであったなら、〝幸せな人生だった〟と迷わずに答えるのではないでしょうか。
だからこそ、人生のどんなタイミングであれ、幸せを感じる〝ムコリッタ〟を経験できたなら、それを忘れてはいけないし、永続性がないからこそ、刹那もムコリッタも大切に感じなければならない。
そのことを知っていれば、幸せな瞬間や幸せな時間への感謝の気持ちは今よりも深まるし、そうでない時間に対しても少しは寛容になれるかもしれない。
そんなことをつらつらと考えてしまう(悟りとは程遠いけれど)なかなか珍しい、そして体温に近い温もりのような感覚を味わえる不思議な映画です。
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