「「故に我あり」が・・・。」ポゼッサー equinoxさんの映画レビュー(感想・評価)
「故に我あり」が・・・。
自分が自分を形成して来た過程であるはずの
「記憶」という記録装置を動かすためには、
それぞれの記録装置に、やはり「自分」の「記憶」を
管理する機能が必要になる、はずである。
「主観」である。
勿論、「記憶」が殊更曖昧であれば、
他者からの情報が必要になる。
「自分」が、「自分」の「記憶」を信用する為には
やはり他者によって補完される事が必要になる。
この映画の場合、「主観」の「記憶」が
より直接的に、干渉される描写があるが
手段こそ違え、我々は確実に操作されている。
どうやら「我思う、故に我あり」は
吹っ飛んでしまったようである。
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