聖なる犯罪者のレビュー・感想・評価
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あとからどんどん考えさせられる
見終わったときはなんだかな~と思っていたのに、どんどん考えさせられる事柄が出てきて、レビューや評価・監督インタビューなどみて、さらにモヤモヤするモヤモヤ映画
ラストがインパクト強かった。
ラストについてネタバレと疑問
主人は再入所ごの食事の時に祈りをしなかったのは、もう信仰心をすてたのだと思うのですが、ラストの血塗れでのアップがその印象を引き立てていたと思います。
家を追い出された女の子を家に泊まらせたと共に彼女を受け入れたのは自分の欲求よりもあの時は女の子が求めていたのを施したように思えました。
いろんなことに神父として真剣に取り組んでいたのに信仰がなくなってしまったのはなぜなのかすごく疑問でした。
赦しとは?
少年院を仮出院したダニエルは、ふとしたきっかけで偽の司祭となる
しかし彼の話す言葉には、何か表面的ではない真実が感じられた
素朴な村の人々にもそれは伝わっていたように思えます。
人は人を赦せるのか? キリスト教が一般的である欧米では一般的な
テーマであるのかもしれません。
人を赦すように、諭すのは簡単でも、自身が他人を赦すのは並大抵では
できないのではないでしょうか?
そして自分は何時、誰に赦してもらうのでしょうか?
ダニエルの心に平安は訪れるのでしょうか?
信仰を持たない自分は鑑賞後にこんな事を考えています。
18禁だから
これって学校で映せるくらい真面目な映画ですわ。
ラブシーンだけで決めちゃうのはどうですか?
赦す赦さないって、其処に行くまでの背景が少し説明書不足かな。
実話ベースということでそちらに寄せたか。全体的にモヤモヤが残りました。
(゚ω゚)偽物は
少年院に服役し仮釈放間近の青年ダニエル。少年院の礼拝に携わり聖職に興味があるが社会では犯罪者はそれにつくことはできないことがわかり意気消沈する日々。仮出所しひょんな事から片田舎の牧師をまかされる。騙し騙しであるが住人の様々な悩みを解決して、村の分断の象徴である村民同士の事故も荒療治であるが解決して信任を得ていくのだがお決まりのごとく彼が偽物の牧師であることがバレる。
偽物はどこまでも偽物なのだが、その偽物に住人は徐々に救われていた。
本当の神じゃなくても人の心は救われるものでキリスト、マホメッド、ダビデがあまり好きではない小生にとっては気持ちがいい映画です。
本物の牧師が彼を見つけて見逃してくれるのかと期待しましたが、さにあらず彼は少年院へ逆戻り。ここがチョット中途半端か?それとラストシーン少年院での決闘シーン勝って血だらけになってその場を立ち去るがアレの意味がよくわからなかったか?
良い映画ですが、消化不良です。
素晴らしいシーンが多く、とても楽しめました。登場人物達も魅力的で素晴らしかったです。その魅力的な登場人物達を演じる役者の皆さんもまた素晴らしかったです。
それだけにラストシーンは少し残念に感じました。もう少し答えと説明があれば、ググッと刺さると思うのですが…(しかしそうしたらしたで押し付けがましいとかいうかもしれませんね、観客とは贅沢なものなので)。ポーランドのユースカルチャーの面でもとても楽しめました。ヤンキーの直視に耐えないみっともなさと哀れさ、社会についていけない前科者の苦悩を感じます。そういった人たちを救うのが宗教、特にキリスト教だと思っていますが、(マルコ福音書 2:17 イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。 )残念ながら現代カトリックの組織としての方針は異なっているようです。本当に前科者が聖職者になれないというのはおかしな話ですね…
僕には説明の足りない映画でした
この作品をどう評価したら良いのか、正直よく分かりません。
ポーランドという国や社会のことも分からないですし、キリスト教のこともよく知りません。キリスト教の司祭になるということがどういうことなのかピンとこないです。
日本人で無宗教の僕からしたら、司祭になりたいと思う若者がいるものか、と思ってしまうんですよね。なので何で司祭になりたいと思うようになったのか、そこを描いてくれないと何も言えません。説明不足と評価せざるを得ないです。
この映画を観て、前科があっても司祭になれるようにすべきだとか、人は見た目や過去のおこないで判断してはならないといった感想を持つ人は多いと思います。でも僕はその感想には何となく乗れません。何だかふに落ちないんですよね。色々欠落している気がします。
例えばポーランドの片田舎の住民たちの信仰心とか規律の重さとかって無視してはいけないと思うんです。もしかするとこれまでの経歴を隠して司祭になりすますことって、信者にとっては殺人より罪深いことかもしれないじゃないですか。
それにダニエルが司祭になりたいと思った動機って実は不純かもしれないんですよね。尊敬されたいとか、人の上に立ちたいとか、お金を稼ぎたいとか。で、ダニエルって『自分なんかが司祭をやっても良いのか』っていう葛藤がないんですよ。そんなことに悩んでる司祭なんてほとんどいないよと反論されるかもしれませんが、ダニエルにはその葛藤があって然るべきなんですよね。だって普通の司祭なら当然持っているはずの資格を彼は持ってないんだもの。ダニエルが敬虔なキリスト教徒で、純粋で、正義に篤い人間ならば、そうであればあるほど、なければならない葛藤だと思います。
そういった葛藤と闘った上でなお「それでもダニエルのような人間に聖職者になる道を作るべきだ」ならまだ評価ができるのですが、残念ながらその葛藤は描かれていません。
やっぱり説明不足というか、必要な情報が提示されていない。説明不足に思えて仕方ないです。
とはいえポーランドやキリスト教圏の人にはそんな説明要らないんだろうなとも思えます。日本人の僕には刺さりませんでした。
この題名は誰のこと?人間?
とっても見たかった作品。楽しみにしていた甲斐がありました。
製作した国が近いからでしょうか?最近観た「異端の鳥」と似たような雰囲気があるんです。
テーマも、似たような「人間って・・・」って感じですし。
「異端の鳥」のようなモノクロ映像ではないですが、どんよりした薄暗い空の下でカラー作品を観ているかのような、まぁ、色が色をなしてない感じの映像が似ているなぁって感じました。
その雰囲気は人間っていう得体の知れない生き物の内面そのものなのかも知れません。
ちなみに、暴力描写ハンパないです。オープニングの工場のいじめシーン、めちゃくちゃ痛そうです。(よくもまぁこんな痛ぶり方を思いつくもんだと)苦手な方はご注意を。
本作は神父の仕事に憧れた罪を犯した男の出所後を描いてるものですが、
「犯罪者が聖職者の真似事をした」という単純な話ではないと思います。
事実、神父になりすまし村の信用を得た男はいたみたいですが(それが基になってるんですね)それを描くことでその裏にあるテーマを掘り下げているのではないでしょうか?
善悪とは何で決まるのか?決められるのか?
目に見えることが真実なのか?もしかしてそれに惑わされていないか?
多数派が生み出す静かなる暴力。
加害と被害は表裏一体。
結局人間は許せる(赦せる)のか?
などなどの人間という複雑怪奇な生き物をニセ神父のエピソードで浮き彫りにしていきます。
そもそも、人を欺いていながらも、小教区の村の司祭となる主人公ダニエルの存在自体が矛盾でありかつ、複雑な人間そのものです。また彼を取り巻く村自体が人間社会そのものとして描かれている点が非常に興味深いです。
ただの「ニセ神父によるエピソード」に終わらせることなく、村の中にあるタブーを通して人間の闇(前述のテーマですね)を描いていきます。その物語の作り方は見事でした。
また、ダニエルの心情の変化も丁寧に描かれていると思います。逃げるための手立てではなく、自身が神父としての存在意義を見出す瞬間があります。そこが見事です、セリフも含め。あぁ、彼は何かを見つけたなって思わせます。
犯罪者であり、刑期の中で触れた(であろう)キリスト教に魅せられたダニエルの言葉は、現実的でありかつ純粋なのでしょう。キリストの教えは泥水をすするように酷い刑務所生活の中での一筋の光だったのかも?生きた言葉ゆえにシンプルで本質をついています。彼の言葉は村人に届き、そして救いをもたらしたのかも知れません。
なんとなくですが、村全体に明かりが灯るかのようにクライマックスの映像は明るく、未来を予見できるような感じでした。(あくまで村のですが)
さて、そんなダニエルはどう裁かれるのか?どのような未来を迎えるのか?
ラストは、ラストに至るプロセスは・・・これまた本作のテーマに沿ったもので、かつ(考えすぎでしょうが)キリスト教の教えそのものと人間社会の現実って違うんだって痛烈に訴えている気がしました。戦争がなくならないのはなぜ?戦いがなくならないのはなぜ?教えはいったい何を教えてくれるんだ?現実ってこうですよ!って。
ひっくるめて現実の人間社会なんですよね。悲しいけど。
なお原題は「Boże Ciało」直訳で「神の体」日本語では「聖体」だそうです。
またネットで調べただけですが、原題は「聖体の祝日もしくは聖体節と呼ばれるカトリックの祝日」とも言われてます。この日は各地でprocesja(プロツェシア)とよばれる行列があるそうです。
村でのエピソードのクライマックスのシーンはこれを想像させます。
だからこの題名なのかなぁ?
キリスト教に詳しければさらに興味深い作品かもしれません。
ポーランド映画、初めてみましたが素晴らしかったです。
難を言えば、ダニエルがキリスト教に魅せられていく過程を詳しく知りたかったなぁ。
沈黙は祈りか犯罪か。
冒頭で司祭になりすました主人公が、「沈黙も祈りである。」という。
この沈黙の意味が、これほど深く響くことになるなんてまず思わない。
彼の正体がいつバレてしまうかの危うさと裏腹に、着実に住民たちの
心を拓き繋げていくその行動を、善悪で片付けられないところで唸り、
悲しい事故の真相を、事故で亡くなった家族の醜態を、黙して語らぬ
こともまた祈りであることを、まさかの人物に教えられるという衝撃。
罪人は死ぬまで罪人なのか
ポーランドとフランスの合作、所謂少年刑務所な所で信仰に目覚め、出所してひょんな間違いから、村の神父に成り変わり、自身の視点で村人を救おうと罪人の事を隠し、神父を続けて充実をした毎日を送って、そこの村の事件を解決などしたり、人を救ったりしてるが、身分を知る少年が現れ、そこから…
とてもシリアスで切ない話です、私には信仰がないので共感は出来ないですが、頑なに悪者を決めつけ排除しようとする村人、そっちの方が罪人ではないか。
何重にも面白い
少年院出の男の子が神父になりすますというとんがった設定がなくても、自分の信じたいことだけを信じ、匿名で他人を批判する現代っぽさを危なげありすぎな不器用な手で解決しようとするストーリーだけでも十分面白かったと思う。そこにそのとんがったベースを描いても邪魔にならず、融合もちょうどいい具合で、うまい映画としか言いようがない。感動とか、現代社会をえぐる問題作とか、そんな評価どうでもいいと思う。この映画は面白い。
人は容易に変われない。
気が付けば、映画に引き込まれていました。
主人公が嘘をついてでも司祭になりたかったのは、過去をなかったことにして、新しい自分に生まれ変わりたかったのかなと思いました。
司祭になった主人公は、人の痛みに寄り添い、権力に屈しない。
自分の言葉でキリスト教の本質を伝えようとする。
半面、酒に溺れ、セックスをする。
人間は、理性ではなく、本能と感情で生きているから。
追い詰められた主人公は、変わろうとしていた全てを置いて、元の衝動的で暴力的な状態になります。
人はなかなか変われない。
でも、変わろうと努力することは大切なのかもしれないと思いました。
聖職者とは…?
終始、暗いトーンの作品。
ハッピーエンドが好きな人にはおすすめできない。
この世に生まれてから、一度も間違いを犯したことはないと
胸を張って言える人が果たしているのだろうか。
過ちの大小は誰が決めるのか。
殺人が許されざる罪だと、いつ誰が決めたのだろうか。
こんなにも、人の心に響く言葉を連ねることができる人間を、
どうして、このような扱いにしなければならないのか。
社会では、やはり「許されざる行為」というものは、一般的に存在すると言えるが
それは、何を持ってしても、どの側面からみてもそうなのだろうか。
自分が感じている世界、自分の感情が全て、自分以外の全ての人にとって正しいとも間違っているとも限らないと考えさせられ、
人は多面的な生き物であるからこそ、あらゆる問題も、幸福も不幸も生まれるだろうか、
と考えさせられる作品だった。
片時も目を離すことができなかった
カトリックの神父は身分証が必要らしい。しかし本作品を観て思った。・・・2000年前のイエス・キリストは、身分証を持っていたのか。時代からして身分証はないにしても、何らかの権威の裏付けがあったのか。それとも権力の後ろ盾があったのか。当然ながらそんなものは何もなかった。むしろ権威のある者から迫害され、権力から弾圧されていた存在であった。
本作品には多くのテーマが盛り込まれているが、大別すると二つに分かれる。即ち、人はどこまで人を赦さないのか、あるいは赦すのかというテーマがひとつ。そしてもうひとつのテーマは、カトリック教会という権威は人を救うことができないのではないかということである。印象的なセリフがふたつある。「赦すとは愛することだ」と「権力はあなたにあるが、正しいのは私だ」である。
前者は聖書の言葉「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイによる福音書第5章)そのままである。主人公トマシュ神父ことダニエルは、ユニークな説教で村人たちの心を掴みつつあった。そこで彼はさらに進んで、村人たちに彼らが憎んでいる男を赦し愛せるか、その覚悟を迫っていく。
その裏でダニエルは自分の正体を見破られはしないかという不安に怯えつつ、村人たちとの触れ合いの中で、次第に聖職者としての自信を持つようになる。同時に権威や権力を疑うようになる。教会や教皇庁の権威さえ例外ではない。少年院で聖書を教わり、村に来てからは一層熱が入って聖書を読むようになったダニエルは、真の信仰は権威や権力とは無縁であることに気づいたのだ。そこで出たのが後者の言葉である。
ダニエルにミサを託した神父は「自分は告解では救われなかった」と告白する。それを聞いたダニエルは、教会の中には権威だけがあって信仰も救いもないことを悟ったに違いない。託されたミサの説教の場面でダニエルは言う「神は教会の外にいる」。
一方で若い肉体は背徳の欲望を抑えきれない。村人に信仰を説くその陰では酒を飲みタバコを吸い薬をやる。ロックを聞きながら踊り女を抱く。ダニエルに限らず人間は矛盾に満ちていて、はかないものだ。それは信仰のはかなさに直接的に結びつく。本作品は信仰を表現しているのではない。人間を描いているのだ。イエスは人の弱さを嘆き、信仰の薄さを嘆いた。しかしもしイエスが現れたら、愛されるのは教会か、ダニエルか。答えは言うまでもないだろう。
ストーリーは一本道で必然的である。救われようとしていたダニエルの魂は権威と権力によって脆くも壊れてしまう。彼は何を赦し、何を赦さなかったのか。そして何が彼を赦すのか。ダニエルによってもう少しで救われようとしていた村人たちの魂も、やはり権威と権力によって押し潰されてしまった。しかしもしかしたらダニエルによって救われた魂もあったかもしれない。静かに進む作品だが、片時も目を離すことができなかった。
なりすまし
ポーランドで起きた実話に基づく。アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた。
内容は少年院で聖職者に憧れを持った主人公が出所後に向かった村で新任の神父と勘違いされたことから身分を偽り再出発を果たすが、ムショ仲間の出現で窮地に追い込まれていくというヒューマンミステリー。
カトリック信者の多い同国では、偽司祭の話は珍しくないという。聖職者とは何かを考えさせるとともに、人間の業を浮かび上がらせる作品であった。
罪を犯した者の存在の浄化、猜疑心の深さを示す作品です。
刺激的な感じで興味があって観賞しました。
コロナ禍で映画館もレイトショーは中止。なかなか厳しい状況ですが観賞した「ヒューマントラストシネマ有楽町」は結構な客入りです。
で感想はと言うと、まあまあw
R18+で刺激的なタイトル。ポスタービジュアルも何処かミステリアスで内容もゾクゾクする感じのバイオレンス&ミステリアスな感じで考えてましたが、思ったほどバイオレンスでは無かったかな。
主人公のダニエルは司祭になる事を夢見ているが前科持ちは聖職に就けない為、少年院仮釈放後は製材所で働くがどうにも司祭への夢が諦めきれない。
ふと立ち寄った教会で自身を司祭と偽った事から、代理司祭を頼まれ、村で過去に起こった事件を掘り返す事で様々な事が動き始める…と言うのが大まかな流れ。
簡単には言うと成り済ましですが、そこにいろんな事件と苦悩が描かれてます。
前科持ちであっても聖職を希望すると言うのは別に悪い事でもないし、あってもおかしくないがなんかその違和感と言うか、ギャップが面白い。
「二代目はクリスチャン」「親分はイエス様」と言う暴力と宗教の組み合わせの作品もありますし、織田信長時代の比叡山延暦寺の僧侶はかなりの悪行をやっていたと聞きますが、どちらにしても宗教に暴力の組み合わせはなにかが起こりそうな異質感がありますよね。
ダニエルは改心したと言うよりは本心は変わらずとも、神に支えたいと言う気持ちで聖職者を希望し、また偽って司祭を名乗るが気持ちの偽りは無い。
ただ、司祭として振舞う村が色々とある感じ。
でもドス黒いかと言えば、そこまででは無い。割と田舎にありがちの臭い物に蓋をしたがる事件なので普遍的と言えば普遍的な村。
良い点は必要以上に脚色をしていない所ではあるけど、作品として難点があるとすると割と普通と言えば普通な村で普通な人達。何処か排他的なのは多分村社会では結構普通w
ダニエルも犯罪を犯しているが、少しハミ出し気味と言うぐらい。
その辺りがエンタメ色が薄い感じがしなくも無いかな。
また、この作品のラストが少し難しい。
少年院の同僚でダニエルの過去を知る男の出現により、司祭の夢を諦めたダニエルが少年院に再収監され、決闘し、勝利した所でエンド。
人は神に支えても変わらないとも取れるし、罪は輪廻するとも取れるだけに割とバッドエンドな感じ。
また、勝利した後にダニエルが出た扉の先が外の様な感じなので、現実か想像なのかが曖昧でこの辺りが個人的には分かり難くて、作品の感想が難しいんですよね。
全てを明らかにしなければいけない訳ではないんですが、犯罪者が聖職につくと言う時点で割と現実感が薄くて、何処か霧が掛かった様に曖昧な雰囲気が無きにしも非ずなイメージなので、実は全てダニエルの思い描いた幻想でした。みたいであってもなんか納得する様にも感じられる。
いろんな解釈をしても良いにしても、ちょっとこの辺りで評価が分かれる感じですかね。
ダニエルの苦悩も感じ取れるが、ダニエルが少年院に収監される容疑と言うか、どんな罪を犯したのかが分かるともう少し共感出来たかなと思います。
個人的に面白かったのは「トップガン」の挿入歌の「愛は吐息のように (Take My Breath Away)」が劇中に流れた所。
別に流れてもおかしくないんですが、ポーランド・フランスの作品でアメリカの80年代の映画の挿入歌が流れているのがなんかニヤッと来ます。
罪を犯した者を赦す事が神に支える者ではあるが、罪を犯した者を支える事は赦せない。
近くに置く事は寛容出来ない建前と本音に人の条理と不条理。猜疑心の緩やかに濃く描いています。
第92回アカデミー賞国際長編映画賞にもノミネートされた実力派の作品で骨太な感じではありますが、面白かったと言うよりかは、ズッシリとした作品を観たって感じです。
正月明けの上映作品では本命に近い作品なので、ご興味があれば如何でしょうか。
ハードな環境が善き人であることを困難にする
これは傑作。1月のマンスリーベストになりそう。
少年院に服役中のダニエルは神父の影響を受け熱心な信者となった。自ら神父になることを望んだが、前科者は聖職に就けないと告げられた。
仮釈放されたダニエルは立ち寄った教会で新任の司祭と間違われ、病気の司祭の代役を頼まれた。ダニエルはトマシュと名乗り司祭となった。
素性を偽り聖職者となるのは犯罪なのだが。
トマシュは教会に通う者たちに私利私欲なく善を施した。権力者に迎合することなく行いを戒めた。聖職者として成すべきことをした。
善と悪は対岸に在るものではなかった。一人の人間の中に共存した。それはダニエルに限らず、誰の中にも在った。皆迷っていた。罪を背負っていた。
ハードな環境が善き人であることを困難にする。この作品の根底にある悲劇は普遍的なものだった。
実話をもとに
信仰心が強く本当は真にやり直しが出来たのだろうが、犯罪者は聖職につけないという事に対して諦めきれない彼の行動。。彼なりに真摯に向き合い問題解決していく聖なる面とどうしても抜け出せない罪なる面やり直しのきく人生を信じたいものだが、、作品として良かったです。
聖人とは
赦しの必要を、日常に溺れた人には理解できない。
クリスチャンでありながら、赦しなんて考えもしない。
罪を犯したことのある人の方が、むしろキリストの言葉や神の必要や赦しの意味が分かるのだ。
それは宗教でありながら、宗教でない何かだろう。
彼は神父ではないが、彼の言葉は人を導けるのだ。
主役の俳優の風貌が絶妙。
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