劇場公開日 2022年2月11日

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「イスラム教と聖地と祖国を捨てよ」国境の夜想曲 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5イスラム教と聖地と祖国を捨てよ

2022年2月14日
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鑑賞方法:映画館

 新聞の切り抜きをベタベタと貼り合わせたような映画である。兎に角ダーイッシュ(ISIS=イスラム国)の連中から酷い目に遭ったという話や、町はもはや瓦礫の山で、辺境の住民は女と子供だけが残されて、明日も知れないその日暮らしの貧しい生活をしている話である。悲惨な話やシーンや風景の連続だが、多すぎて徐々に麻痺してくる。だから何?と思ってしまうのだ。
 祖国などという言葉を後生大事にしているようでは、いつまでも被害が続くだろう。逃げ出す勇気が必要なのだ。他所へ行っても安全や生活は保証されないかもしれないが、不幸が約束されているこの場所にしがみつくよりはずっといい。
 宗教には聖地などという馬鹿な幻想がある。エルサレムやメッカといった場所にこだわるから、その場所を巡っての争いが起こる。その場所に権威や名声を認めるからいけない。権威や名誉といったつまらないものにこだわるのは常に男だ。
 イスラム圏はすべて男が支配し、女は望むと望まないとに関わらず、子供を産む。人口は増え続けるが、殺される人口も多い。女たちにとって聖地など糞食らえだろう。イスラムの戒律など女を不幸にするばかりだ。必然的に子供も不幸になる。
 本作品に出てくる不幸な人々は女と子供ばかりである。逃げ出すにもその方法がわからない。実際に逃げ出そうとすれば、銃を持った男たちに殺される。世の中に対してマウンティングをしたいだけのダーイッシュの精神性はジャイアンである。ガキ大将だ。要するにクズである。
 しかし人口から考えて、ダーイッシュばかりがイスラムの男全員ではない。ダーイッシュでない男たちの中には勇気がある者もいる。難民となってもヨーロッパに逃げ出す勇気である。子供を作らない勇気である。この不幸の連鎖を止めるためには、ダーイッシュと戦うか、逃げ出すか、子供を作らないかのどれかまたは全部の方法しかない。
 他国が軍事的に介入しても失敗することは、アメリカの事例を見ても明らかだ。地元の人はダーイッシュと同じくらい他国の軍事介入を憎んでいる。ダーイッシュが根絶しないのは地元民が根絶させないからである。有権者が自分と同じレベルの政治家しか選ばないのと同じである。イスラム教徒がイスラム教と聖地と祖国を捨てない限り、イスラムに平和は訪れない。

耶馬英彦