劇場公開日 2020年12月18日

私をくいとめて : インタビュー

2020年12月17日更新

のん橋本愛、“親友役”として交わした7年ぶりの視線「一緒に演技ができるということが嬉しくて…」

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10月20日、大九明子監督の新作「私をくいとめて」に関する情報解禁に、日本中が沸いた。のん橋本愛が、NHK連続テレビ小説以来7年ぶりの共演を果たす――同日披露されたメイキング写真には、充実の表情を浮かべた2人の姿が写し出されていた。SNSに溢れたのは、歓喜と感涙のコメント。これほど“待望の再共演”という言葉がふさわしい2人はいない。直接の対面となるまで、何を思い、そして、芝居を通じて何を感じとっていたのだろうか。(取材・文/編集部、写真/間庭裕基)

本作は、芥川賞作家・綿矢りさ氏の小説を実写映画化した“崖っぷちロマンス”。おひとりさまライフを満喫する31歳のみつ子(のん)が、脳内の相談役「A」とともに年下男子・多田くん(林遣都)との恋に挑むさまが描かれる。大九監督にとって、綿矢作品の映像化は「勝手にふるえてろ」に続き、2度目のこと。第33回東京国際映画祭では観客賞に輝いている。

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のんが物語の魅力として注目したのは、脳内の相談役“A”の存在だ。「SiriやAIと通じる面があると思うんですが、“A”が異なるのは、それがみつ子自身であるということ。だからこそ、自分のことを一番理解してくれる、安心感のある存在です。言ってしまえば、2人のやり取りは全てひとり言。“自問自答”を描いているというのが面白い部分だと思いました」と話す。“自問自答”し続ける主人公――描き方次第ではヘビーにも成り得る要素だが、ここに大九監督の演出手腕が発揮される。みつ子を含め、全キャラクターがチャーミングで、非常に愛おしく思えてしまうのだ。橋本は「大九監督は登場人物を本当に愛らしく描く方。見ていて『可愛らしい』と思えるという点だけでも、とても魅力的な作品」と語ってくれた。

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そんな橋本は、イタリアに嫁いだみつ子の親友・皐月役として参加。映画オリジナルの設定として、妊婦という設定が加わっているキャラクターだ。“おひとりさま”という言葉を対して「私にとって“ひとり”というのは、可哀想なことでも、不幸なことでもないんです。むしろ、楽しいことだと思っています」と持論を明かす。「ただ、人は人と関わらないとストレスを感じてしまう生き物。“ひとり”は楽しいんですが、それと相反して、寂しさと悲しさ、焦りという負の感情を呼び起こしてしまうことがあります。『私をくいとめて』は、誰もが抱えている孤独を、ぐっと眉間にしわを寄せて見つめるというより、楽しく、可愛く表現されているんです。でも、要所要所でとてもイタイところを突かれる。ポップなテイストだからこそ、余計に衝撃が強くなるんです」と分析した。

“再共演”という本題に入る前、久々の対面を果たすまでの心境を尋ねてみた。7年という長い歳月のなか、2人は互いをどう意識し合っていたのだろうか。

のん「愛ちゃんは、自分とは対照的な存在。憧れを抱いていて、常に意識してました。『愛ちゃん、今は何しているんだろう?』『こんな作品に出てるんだ』とか思うことも。出演作は、楽しく見ていました」

橋本「会社を立ち上げたり、女優業以外にも絵を描いたり、音楽を作ったり――創作のために生まれてきた人。創作のために神様が才能を授けた特別な存在だと思っていました。私もものすごく憧れています。パワーが凄くて、どこを探してもいない人。特別で、格別で……私もずっと見ていました。今は『どんな思いなのかな』という部分は、とても気にしていたので、玲奈ちゃんの言葉に触れられるものがあったら、見たり、読んだりしていました」

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出演情報の解禁時には「昔の私は相当やりづらかっただろうなという、懺悔の気持ちを常に持っていました(笑)」とコメントを寄せていた橋本。撮影現場に赴く前は「申し訳なかったという気持ちでいっぱいでした(笑)。あれから時間を重ねて『私もまともな人間になったよ』と伝えにいくという感覚で会いに行ったんです」と告白。すると、のんは「そりゃ、まともな人間じゃないと思ってましたよ」と笑いつつ「確かにやりづらいって部分なんとなく分かりますけど…(笑)。そこが面白かったんです。まともじゃないという部分を隠している今の愛ちゃんも、奥深くて素敵だなって思いました」と言葉を投げかける。時に微笑み合う2人の姿に、劇中さながら“親友”の絆が垣間見えた。

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やがて、みつ子&皐月として向き合うことになった2人。のんは、当時の記憶を手繰り寄せ、「めちゃくちゃ楽しかったんです。一緒に演技ができるということが嬉しくて…」と口火を切った。

のん「また親友役を演じられるという点が嬉しかったですし、何より、私は愛ちゃんとがっつり演じた“コンビ”が気に入っているんです。とても好きな2人でした。今回の芝居は、自分のなかに愛ちゃんと演技をしている状態が次第に馴染んでいく、体がだんだんと受け入れていくという感覚がありました。緊張感はもちろんあったんですが、単純に楽しい、面白いという気持ちが強くて、ワクワクしながら演じていました」

橋本「実は、以前に共演していた時の記憶がほとんどないんです。玲奈ちゃんの表情を全然覚えていなかったからこそ、かなり新鮮な気持ちでお芝居ができました。この7年間、私は色々演技のやり方を変えてきて、今はだんだん良くなってきているのかなという段階。玲奈ちゃんと視線を交わしてお芝居をしている時、心での会話、キャッチボールができたんです。セリフだけではない、膨大な感情と言葉をやりとりしているという感覚。その時は『お芝居って、これが一番楽しいんだ』と感じられて、電気が走るような快感があったほど。本当に楽しかったです」

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原作のみつ子は33歳、劇中では31歳に年齢を変更。大九監督は「これは30歳を超えていないと成立しない映画」という意図を持ち、現在27歳となったのんにみつ子という役柄を託している。橋本は、現在24歳。2人は、やがて迎える“30代”をどう見据えているのか。

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のん「『27歳=かなりの大人』だと思っていたんですが、自分自身はあまり変わっていないですね。気持ちの面は、子どもの頃から変わっていないかも……(笑)。でも、10代から20代に移り変わった頃よりも、年齢を重ねているという感覚はあるんです。時を経た分だけ、自分のなかの“資料”やできる事も増えていく。きちんと自分で振り返って『こんなことをしていたんだ』『こんなこともあった』と認識すると、年齢を重ねているという実感がわいてきたんです。大九監督が仰っていたんですが、みつ子は30代を迎えることで焦っていたんですが、いざ超えてみると『なんてこない』。ぬるま湯の境地を楽しんでいる人なんです。私は、20歳になるということが“めちゃくちゃ大きな出来事”だと思っていました。『10代でなくなってしまうことがもったいない』『時間が足りない』という感じです。でも、20代になってみると、10代の気持ちのままで『何も変わってない』。その経験が、みつ子が30歳を超えた時の思いの基になるんじゃないかって考えていました」

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橋本「私の周りには『30代=楽しい』と言っている人がたくさんいるんです。今は結婚や出産に関する欲がないんですが、30歳前後になった時、それらが自分のなかに芽生えてくるのかどうかというのが見ものというか……。自分は焦るタイプなのか、それとも我が道を進んでいくタイプなのか。今は仕事が一番楽しいですし、そのまま変わらず進んでいくのかも。今は『一体、自分はどっちなんだろう』と観察しながら生きている感じです。ただ、みつ子と皐月の関係のように、親友が先に結婚してしまい、子どもができて、家庭を築いている――その光景がまぶしく見えてしまうという心理は、想像することができました。だからこそ、私は海外に嫁いだ皐月の恐怖や不安に寄り添いながらも、みつ子の視点で物事を考えていたんです」

のんには、オファーを受けるうえで、大きなポイントとなったシーンがある。それが温泉施設でのひと幕だった。同施設を訪れたみつ子は、宴会場でお笑いライブを楽しむことに。女性芸人が爆笑をかっさらうのだが、あたたまった場の雰囲気に水を差す出来事が起きてしまう。その光景を目の当たりしながらも、何もすることができないみつ子。彼女の“感情の爆発”が肝となってくる場面だ。

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なぜこのシーンに着目したのか。この着眼点に、のんの願いが重なっていく。東京国際映画祭、先行上映イベントにおいて、のんは本作を「世の中の“みつ子さん”」だけでなく「“みつ夫さん”」にも捧げたいという趣旨の発言を繰り返していた。のんはその理由を打ち明け、橋本は同シーンを通じて、過去の実体験に思いを馳せた。

のん「目の前で絶対に許せないことが起きていても、表面上はそつなくやり過ごさなければいけない状況って、世の中にいっぱいあると思うんです。そういう時は、出来事が過ぎ去っていっても、心の中ではなんとなく引っかかっている。(劇中のように)自分にふりかかったことじゃないけど、すぐ傍で誰かが不快な目に遭っている。そういう場面に出くわした時、自分の嫌な記憶が引きずりだされてしまう――ここに共感しました。女性だけではなく、男性にもそういう感覚があると思います。自分のことであれば、自分で内に押し込められる。でも、他人のことだとそれができない。不快だということを、自分がきちんと知っているはずだからです。全国の“みつ子さん”と“みつ夫さん”に共感してもらえるシーンだと思います」

橋本「道端で号泣しているおかあさんがいたのに、声をかけられなかった――その出来事を引きずっていたことがあります。劇中でのみつ子の取り乱しようが、その時の自分と重なりましたし、“A”の諭すような言葉にとても救われました。出来なかったことって、あとは信じるしかないんです。『絶対に大丈夫だ』と信じることしかできない。でも、信じる力はとても強くて、願ってる通りになっていると思うんです。目視することはできないけど、絶対に良い状況になっていると信じる。泣いていたおかあさん、劇中の女芸人さんのような方とすれ違いながら、結局声をかけることができなかった人も、きっとそう願っている。そう信じることで心が軽くなったり、救われたりするんです」

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“A”は決してみつ子のことを見捨てず、彼女のことを支え続ける。それは言うまでもなく「みつ子=“A”」だからだ。みつ子にとって“A”の存在は、ある種「自分を守るための手段」でもある。のんと橋本には、最後にこんな質問を投げかけてみた。「自分を傷つけるもの、辛いことに直面した時、どのような方法で、自分を守っていますか?」。しばし思いを巡らせた2人は、それぞれの答えを導き出してくれた。

のん「人と話すことで発散することもありますが、絵を描いたり、曲をつくったり――“物を作る”という行為にぶつけているのかもしれません。怒り、辛い出来事、悲しい気持ちをガソリンにするんです。『踏み台にしてやるぞ!』という気持ちで、(創作物を)放出している気がします」

橋本「音楽を聴くことが多いと思います。救われる音楽には、自分の気持ちが書いてあったり、自分の心に寄り添ったメロディがあったりするんです。“A”はみつ子自身が作り出したものなんですが、みつ子は『自分を他者とすること』で救われています。一方で、私は『他者を自分だと思う』ことで救われている。逆説的になってしまいますが、音楽には『自分のことを歌ってくれている』と感じることが多いんです」

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