許された子どもたちのレビュー・感想・評価
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当事者の立場を実感できる
いじめによる死亡事件に着想を得た異質なドラマですが冒頭からスクリーンに引き込まれて衝撃を受けた。事件当事者の立場を実感できるような内容で胸が締め付けられると共に怖さも感じた。
少年審判で裁かれなかった不良少年グループですが法律は許しても世間は許さない。SNSを中心とした世間のバッシングの恐ろしさも感じることが出来る貴重な作品。
2020-127
誰も救わず、救われない冷酷な世界
公開終了ギリギリに観ることができました。
いじめによって同級生を殺してしまった少年たち。
だが、彼らは裁かれなかった。
事件後の被害者、加害者、共犯者、無関係の偽善者たちを主犯の少年市川絆星の視点で描いていく。
まず、実際の数々の少年事件を基に構想8年で作り上げた甲斐あって、内藤瑛亮監督にしか描けない傑作に仕上がっていました。
そして、とにかくリアルです。
被害者は勿論傷つき、加害者側家族もマスコミやネットで叩かれ、何処へ逃げてもとくていされ、幸せを奪われていく。
登場人物たちの心情や置かれる立場がコロコロ変わるので、展開が読めず、その上なんとなくモヤモヤ感が残るのが素晴らしい作りだと思います。
正義と悪についても考えさせられました。
正義も過剰になると悪となる。
転校した学校でのいじめ、いじめのターゲットの変更及び、ネットでの断罪と称したプライバシーの拡散、特定。
そうやって、いじめは伝染するんだなと感じました。
この物語に絶対の正義は存在しません。
登場人物皆どこかおかしい。
単にいじめの怖さを伝えるわけではなく、二次的災害的な部分にまでスポットを当てているのが印象的でした。
最後に一つ言えるのはいじめやそれに関係した過ちは、決して許されないということ。
ネット社会となった今だから観ておきたい、社会風刺もよく効いた衝撃作でした。
重たくて、重たくて。
なんとも言えない後味だった。映画の題名どおりと言えばそれまでなのだが。モデルとなった2つの事件は、いずれも14歳以下。法改正されてもされてもキリがない、刑事訴訟を免れる年齢。裁判の内容そのものも考えさせられる。被害者の父が訴えにもうなずかされる。裁判とは正義に基づいて裁かれる場ではないのか。このコロナでも話題になった自主警察も大活躍する。その上、母と子の依存関係にいじめの連鎖と続いてくる。トドメの在日への差別?どこを切り取っても重たい題材がこれでもかと押し寄せてくる。当たり前のことだけれど、被害者に家族がいるように、加害者にも家族がいる。後味の悪さは最後の穏やかな親子のシーン。そもそもこの映画は、何が言いたいのだろう。問題提起として捉えていいのだろうか。
「許された」をどう受け取るか
仲間内で悪い事ばかりしていた不良グループのリーダー:絆星(キラ)が手作りボーガンで同級生を殺めてしまう。
法的話にもなり不起訴となるが、社会はその事件を放っておく訳が無い。
観客は加害者側を「ざまぁねぇな」とか「少しやられ過ぎて可哀想」と思ってしてしまう展開だ。しかし、描かれた序盤真実が無ければ首謀者以外は真実を知らない人間達のドラマ。
子供の為なら何しても構わない様なモンスターペアレンス的主人公母親(この少しお金持てばBMWを買って乗ってしまう様な中層家庭には笑える)、真実など気にせず自身の役割をこなそうとする容疑者弁護人、境遇から逃げようとしてもネットで名前が晒される加害者主人公、偽情報にてイジメに遭う少女、自分のイジメを棚に上げる子供達等、かなり現代社会的である。
子供も大人も、誰もが同じ境遇になるかも知れないというサインだと思うし、心に受け止めて置きたい。
面白いのだけれども、映画としてはラストが投げっぱなしジャーマン的なのは頂けない。
「そこまでこのテーマでやっておきながら行き着く先はそこ?」的。ちょっと途中までの盛り上がりからは少子抜け。
「(第三者から観て)やってる事おかしいんではないか?」
それを言えなくなってしまった現代社会の罪と罰。
面白かったですよ✨
観る者も血を浴び、胸えぐられる
こんなに前情報を入れてから観た映画はないんじゃないかと思うくらい、長らく上映を待っていた作品。ようやく、出逢えた。予告動画を数え切れないくらい観て、もしかすると、本篇を観なくてよいのでは…なんていう不届きな思いも、少しだけあった。けれども冒頭数分で、やっぱりスクリーンこその味わい、映画館で観るべき作品!という確信が。そして、あっという間の131分。音を、画を、五感全身で浴びまくった。重低音の不穏な響き、黒ずんだ血に、(そして赤くどろりとした食べ物に、)心地よく打ちのめされた。
予告等の印象では、母親のモンスターぶりが強烈で、身につまされないかと観る前は少し気が重かった。けれども、そんな心配は全く無用。彼女がぐいぐいと突き進む姿は、むしろカッコよく、一生懸命すぎて笑うしかないシーンもあった。ハタから見れば毒親、共依存親子かもしれない。でも、だから何だというのか。失速することなく子と走り抜け、いつしか抜き差しならない共犯関係になっていく過程は、子を大事に育て守ってきた親とすれば、ごく当たり前。だからこそ息苦しく、悲しくなった。親だから、というエネルギーと気迫に裏打ちされた言動に、当事者以外が安易に口出すなど、とてもできない。だからこそ、彼女の孤立が深まってしまう。社会からも、家族の中でも。
母が奮闘するほどに、居場所を失い、窮地に追い込まれる絆星は、解決の糸口が見出せない。そんな中、転校先で出会う桃子の存在が光った。彼女は特別でも何でもなく、周りに合わせない・浮いた存在。かと言って、周りを見下すわけでも、甘んじるわけでもなく、彼女なりの強さで自分を貫いている。絆星とは対極の彼女が、彼と心を通わせる瞬間に、観る者もじんわりと救われた。
どうしようもなくなった二人の道行きは、切ないけれど、かすかに甘い。だからこそ、彼らがたどり着いた果ての絶望が、深い。予告画像では美しさを感じた絆星のシルエットが、これほど悲しみに満ちたものとは、思いもしなかった。呆然としながらも、何も見落とすまいと、必死で目を見開いた。
安易な和解や救いを寄せつけない、不敵な幕切れ。それは一見、絆星や母親が「閉じた」証と取られるかもしれない。けれどもそれは、罪の重みに気づいたから、と私は思いたい。警察官が脅しのように使った少年院でも、子供たちはご飯を食べ、時に笑い、日々の生活を営みながら、それぞれの闇と向き合っているはずなのだから。絆星にも、まずは日常を取り戻すことが必要だ。道は、長い。
もっと先まで描いてほしかった
主人公が成長して、自分の罪と自分の言葉で向き合えるようになるところまで描いてほしかった。自分の内面を表現する言葉を持たない主人公というのは、中学生という設定上自然ではあるが、それだけで終わっているのは映画表現として逃げではないか。
世間からの迫害にしても、風化してはいるものの完全に記憶や記録から消え去っているわけではないという段階の在り方を描いてほしかった。
また、リアルに描かれているところとそうでもないところが混在していて全体として不統一な印象を受けた。特にリアリティを感じたのが、学校でいじめについてのディスカッションをするシーンで、「みんなが夢に向かって努力していればいじめはなくなる」と発言した生徒がいて周りから笑われるところなどは実際にやらせてみないとなかなか出てこないだろう。逆にリアリティを感じなかったのが桃子に対するいじめで、やってることが古典的すぎないかと思った。
そもそも桃子がいじめられているという設定自体必要があったか疑問に思う。桃子が主人公にとって都合のいいキャラクター過ぎて違和感がある。
正義派ぶって迫害する側の人間をもっとまじめに描いてもよかったのではないかとも思った。転校先で主人公の正体をバラす、妙に芝居がかったことを言うが活舌が悪い男子生徒はコミカルで面白いが、そこをコミカルにしてしまっていいのか。主人公の母を殴ったニコ生主にしてもそうである。また、そのニコ生主がそのあとネットで称賛される流れには違和感を感じた。
緑夢という名前は見た瞬間笑ってしまった。スノーボーダーじゃん。匠音というのもダイアモンド☆ユカイの息子の名前だし、どうかと思う。
決して許されない子どもたち
許しの境界線はどこにあるのか。
正義の鉄槌を下すのは誰なのか。
悪意の連鎖の先にあるのは何なのか。
ありったけの胸糞悪さが詰め込まれ、答えの無い苦しみに揉まれる、どうしようもなく虚しい映画。
一つの事象も、見る方向や見る人によってその形は全く変わってくる。
そんなことを改めて実感する映画だった。
もう何が正解かなんて、何が正しいかなんてわからないよ。
人を殺した子供「キラ」に徹底的にスポットが当たり、彼を取り巻く環境や人間関係の変化、彼自身の変化を追うストーリー。
不処分にされたことで起こる私刑とネットリンチの数々を小気味よく「いいぞ!もっとやれ!」くらいに思っていた序盤。(そう思わずにいられた人、いる?)
「やりすぎ」を感じると共に、キラ一家の辿る運命を興味深く観ていた中盤。
今までの時間ってなんだったんだろう、と、唖然とする終盤。
観ているうちに自分の気持ちも変化していき、それがなんとも後ろめたく気持ち悪い。
あの場にいたら、私ならどうしていたか?あの中に自分の家族や友達がいたら、どうするか?全然わからない。
たしかに変わっているはずなのに何も変わっていなくて、人間という生き物のややこしさを叩きつけられる。
結局逃げ回るしかない。
あれだけ晒しあげられたらそうなるのもわかるけど、キラも母親も罪そのものやそれについて深く考えることを放棄して、ただ逃げ続けているだけ。
まあ、わからないでもないけども。
向き合ってしまったら最後だってことも、やっと生まれた罪悪感のやり場の無さも、ショーンとカミュに対するキラの苛立ちも、感覚的にはなんとなくわかるじゃない。
でも理解しようとは思わない。そうした途端に正当化してしまうような気がする。救いようがないのかも。
桃子の存在は不思議だった。
キラに寄り添い、彼に影響を与える面白いキャラクターだった。
ただ、結局彼女もキラの特別感に惹かれて浸っていただけだとも思える。
エゴの強い人間だったような気がしなくもない。
腹立つ人間のまあ多い映画だった。
その中に自分が立たされている感覚になる。いや、現実そうなんだろう。
いつだって加害者になり得る。人を傷つけたことも人に傷つけられたこともある。
所々で入る印象的な演出と多少大袈裟な出来事で、これが「映画」であることを強く感じた。コマ送りもスローモーションも面白かった。映画で良かった。
もしも最初に正直になっていれば、少しは違った未来があったのかしら。
ポスタービジュアル、川面に写る四人の姿にまたズーンと重いものを感じた。
何を許されたのか。
これはかなり衝撃的!!
贖罪とは何か?!みたいな内容と思ってたら全然違った。
何にそんなに怒っているのか。
何がそんなに気にくわないのか。
何故止まらないのか。
何故止められないのか。
感情のままに荒ぶる子どもたち。
そしてそれを真っ向から受け入れられない腐った大人たちが次から次へと登場してこの世の終わりかと思いました。
多彩なカメラワークとSNSも巧みに取り入れ子どもを取り巻く日本社会の闇を描いた作品で、私はかなり良かったです!
彼らは一体何を許されたのか。
裁かれないのは許されたということなのか。
裁かれなかったが故にますます暴走していく子どもたち。
二人だけの世界で生きる母子の真っ暗闇の先にある吐き気がするようなラストシーン。
そして無邪気に歯を見せながら赤ちゃんに手をふる許された子ども。
とにかく釘付けの130分。終わったあと大きく深呼吸しました。なんか、めっちゃ疲れた(笑)
最後に10代の俳優陣の演技が本当に素晴らしかったです!次はどうかあったかい役を演じてくださいね😆お見事でした!
とても良い映画だった?
最後はハッピーエンドだったし、内容自体は良かったと思う。
人間の行動は遺伝を含めた環境の要素によって決まるものであり、自由意志など存在しない。ゆえに自己責任などというものはない。これは、社会科学・認知科学的にも認められている事実である。上記のことからして、本質的にはそもそも人に”責任”を負わせる・償わせるという概念はそれ自体が成立しない。しかし人間が作ったこの社会を健全に動かしていくにあたって、それでは不都合が生じるために、法律が作られ、それに違反したものには懲罰を与える、罪を償わせるというルールが出来た。それが社会における”責任”というものなのだろう。しかし、現実を見てみるとどうだろう、法律を作る側の人間が不正をしていたり(その程度の人間が法律を作っている)、自分たちに有利になるよう法律を改正したり、権力のある弁護士を雇えば好き勝手に法律の解釈を変えることが出来てしまうというようなことが起きている。上級国民案件などは殆どそういった内容である。そんなものに価値はないと思う。法律なんて単にお上の都合のいい社会を形作るために作られたクソみたいなものでしかないのではないかと思う。そもそもその人間自体には”責任”なんてものは最初からないんだから、法律や責任などというゴミみたいなものに縛られて生きるよりも、自分の生きたいように生きる方が良いのではないか。
最後はそういった呪縛から解き放たれたことが感じられるようなセリフとか演出があって、ハッピーエンドに思えた。
生々しい描写にイラッと来ますが、日常的に自分の周りにも起こり得る事の怖さを認識させられます。
前評判からなかなかな重い問題作と噂を聞いて、いろいろと気にはなりながらも凹むのも嫌だしとか思いましたが、やっぱり観ない事には始まらないので観賞しました。
で、感想はと言うと、…重い。やっぱり重い。
個人的には見応えがありましたが、かなりリアルに取り扱っていて、結構な問題作。
でも、いろんな意味で問題定義を投げ掛けてきて、観る側を確実に選ぶ作品ですね。
昨年観賞した「岬の兄妹」並みの衝撃です。
虐めから同級生を殺害してしまい、一旦は罪を認めたが殺害を否定し、無罪となった13歳の少年と家族のそれからを描いていますが、もうこれが"これでもか!これでもか!"と世間の叩きが起こってくる。
2015年に起こった「川崎中1男子殺害事件」をベースにしているのか、かなり類似点も多く、また
「大津市中2いじめ自殺事件」も参考にしているかと思われる所もありますが、この手の陰湿な虐めの事件は正直多々ありすぎて、どれも似ている事や気がつけば日常的に起こっていると思うぐらいに在りすぎて、考えれば考える程ゲンナリしてきます。
また、ネットで過剰に加害者を叩く者も実在の人物をモデルにしていると言うか、そのまんま過ぎて、ちょっと笑えない所まで来ている感じで、リアリティを求め過ぎたきらいは正直あります。
だからこそ、この作品が過剰にリアルすぎるんですよね。
虐めの首謀者の少年、絆星(きら)と言うのも「DEATH NOTE」から引用しているのか、中二病的なキラキラネームっぽいが、他の加害者の三人もなかなかなキラキラネームw
キラキラネーム = DQNではないけど、そんなイメージを連想させます。
絆星と家族に対する世間の非難と私刑は何処か「しょうがないよね」と思う所があったにしてもかなり悲惨。因果応報と言う言葉だけでは片付けられない感じです。
この辺りは名作「時計じかけのオレンジ」で出所後のアレックスに対する壮絶な虐めや仕打ちと良く似ているし、聾唖の少女を虐めていた男の子が一転して加害者から被害者に変わる、これまた名作アニメの「聲の形」とよく似てますが、現代風にネットを通しての叩きが生々しい。
絆星と母親の開き直りとも取れる行動と辟易しますが、母親の行動がまたそれに拍車をかけている。
母親の気持ちを俯瞰で見ると分からなくもない所もあって、「子供の為なら鬼でも夜叉にでもなる母親の気持ち」を体現している訳ですが、罪を認めない事と証拠を隠蔽した事。それがまた絆星を苦しめていきます。
子を思う母親の気持ちは分からなくはないけど、罪を認めて前に進ませないのは自分が男だからか、どうにも理解がし難いです。
気分転換に行くカラオケもなんかムカつくんですよねw
また、言われなき誹謗からクラスで虐めを受けている桃子との交流も絆星を苦しめていき、また事件と向き合う様になっていきます。
引っ越した事と素性を明かないが、ある時身元がバレて、クラスメートが必要以上の叩きを始めるのは生々しくイラッときます。
加害者の絆星がいつの間にか叩かれる側になり、自身の行いを正義の鉄槌とばかりにクラスメートが憎々しく見える逆転現象は目新しくはなくても、不思議な感覚になります。
絆星役の上村侑くんはかなり上手い。特に目力が凄くて、ふてぶてしくも脆く危ない役を見事に演じてます。
目力が強いと言うと個人的に柳楽優弥さんを思い出しますが、そう言えば柳楽優弥さんのデビュー作の「誰も知らない」の時と被る感じですね。
この作品に個人的に思ったのは今のネット社会における過剰なバッシングで誰でも被害者にも加害者にもなるかもしれない、ギリギリのフチを歩いている事。
「悪意なき悪意」「正義を笠に着た過剰なバッシング」は観ていてもかなりイラッときますが、いつ自分がそうなるか分からないし、そうなってるかも知れない。
劇中のホームルームでイジメについての議論なんかは、様々な意見をディスカッションする事自体は良いとしても、力のある者が"虐められる方にも問題がある"と発言すると後は数の理論でイジメを容認する様に他の者を先導する。
一見無意味に思える議論でも実際にそんなディスカッションが学校で行われている事がなんか怖いんですよね。
一転して、加害者である絆星が被害者となり、過剰な自称正義のバッシングは観ていてもかなり胸クソになりますが、暴力が暴力を産む構図はいつの時代でも変わらない事を認識させられ、また誰もが正義の裁きをくだす事の無自覚に怖くなります。
この作品で個人的に良かったのは、事件と向き合うがだからと言って簡単に反省はしないと言う所。
正直13歳にもなろうとする少年少女は大人が考えるよりも子供ではないし、馬鹿でもない。かと言って大人でもない。
だからと言って、大人の杓子定規に当て嵌めてる事も出来ないが、これだけの情報がスマホやパソコンで簡単に手に入る様になれば、決して思っている程の単純ではないが、壊れやすい純粋さを持っていて、難しいんですよね。
タイトルにある「許された子供たち」と言うのは、ある意味かなりの皮肉で、許されたと謳う事で逆に貶めている。
事件を起こした加害者を肯定する事は出来ないが、かと言って、加害者を過剰に叩く事も良しとは思えない。
観て良かったとは思わないけど、過剰に道徳を感じる事もないけど、観た事で考えさせられる作品ではあるかなと思います。
なかなか胃がキューっと痛くなって、きっつい感じではありますが、如何でしょうか?
本作には様々な角度からの胸糞があって、けどそのどれもが今を生きる僕...
本作には様々な角度からの胸糞があって、けどそのどれもが今を生きる僕たちに突きつけられているもの、時に幾分度合いが増していたとしても見覚えのある景色が広がっている。例えば被害者が泣き寝入りするしかないこともしばしば起こる法律、私生活の鬱憤を見ず知らずの人をインターネット上でこき下ろすことでしかストレス発散など自分を保てないネット民・ネット弁慶、誰もがイジメっ子になりえ又人殺しにもなりえる繰り返しの構図。人間性を奪い残酷にしてしまう様々なものを告発・揶揄といった明確な形というより問いかけてくる。粘着質な生活音に、現実に一旦ファンタジーを通過させるような非現実的DQNネーム、物に取り付けられたカメラはじめ自主映画っぽさもある尖った演出。何より参考文献の多さに感銘を受けた、私的経験のみならずそうした勤勉さが本作の繊細かつ曖昧な現実にリアリティーをもたらしているのかと感じた。キラ役上村侑は演技は多分まだまだこれから磨かれていくのだろうけど、若かりし頃の柳楽優弥を彷彿とさせる顔つき目つきで、(演出の良さもあるだろうけど)独特のスクリーン映えする存在感とポテンシャルを感じた。
DQN母子
中学1年13歳の悪ガキが仲間たちと遊ぶ中、虐めていた少年を割り箸ボーガンで撃ち殺したことから巻き起こる話。
警察の誘導により一度は自供するも、付添人の暗躍により供述を覆し、不処分になるという胸クソストーリー。
まあ、警察も酷かったけど、何れにせよ13歳だし。
「この親にして」な思慮の足りない母親と、悪びれることのない主人公には私刑が待っていたという展開。
名前を変え住居を変え、新たな地での出来事は色々考える機会になるべきところだけど、結局は自分のことばかり。
反省か自戒か厚顔か狂乱か、どこへ向かうののか…。
いじめに関する討論に、ネットと私刑、被害者と加害者のその後や感情等々、色々と投げてくるけれど、なんだかどれも投げっぱなし。
胸クソの悪さは非常に良かったんだけどね。
ある意味リアルだけど、映画としては物足りない終わり方だったかな。
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