シン・ウルトラマンのレビュー・感想・評価
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なかなかさすがの庵野作品
シン・ゴジラ同様、やっぱり一貫してヱヴァでした。
人類へのアンチテーゼと愛とリアリズムとナンセンスを融合。
それと、キャスティングが素晴らしいのは勿論だけど、ウルトラマンやザラブ星人、メフィラス星人、ゾーフィ(今までゾフィーだと思ってたキャラとは違う)、ネロンガにガボラ、そして最恐のゼットン、それぞれに新たな解釈とキャラクターを設定し、僕らの記憶するウルトラシリーズとは異なる大人向けの素晴らしい作品でした。
また、あの頃の懐かしい映像をパーツにしてふんだんに利用する策。参りました。
庵野作品の真骨頂そのままに、シン・ウルトラセブンを観たい。設定的に、セブンの方が更に真骨頂が深められると思う。
怪獣&特撮そしてヒーロー!!
私には「ウルトラマン」の記憶が殆どない。
考えてみると私はその頃「仮面ライダー」を毎週姉と見ていた。
昔っからイケ面好きだったらしく戦隊ヒーロー物は良く見ていた。
「仮面ライダータロウ」の、
…………ウルトラの父がいた、ウルトラの母がいた、
…………そしてタロウがそこにいる・・・とか、
…………セブンセブンセブンを16回連呼して、
…………遥かな宇宙(そら)へ進め銀河の果てまでも・・・と歌う
「ウルトラセブン」の唄は記憶にある。
Amazon primeビデオで配信になったので早速観ました。
(新鮮に感じて血が沸った!!)
映画館のIMAXでご覧の多くの方々の興奮と感動とは
比べものにならないが、今スマホ画面で観てる人も多く人々が
いるだろうから、まず自分への備忘録としてど素人の感想を
書いてみます。
primeビデオは(日本語字幕まで付いている)
親切です。
まず《空想特撮映画》とあります。
コンセプトは、
空想と浪漫。
そして、友情。
企画・脚本・総監修に庵野秀明。
監督は樋口真嗣。
主人公の「ウルトラマンの男」に斎藤工。
日本は巨大不明生物「禍威獣(かいじゅう)」に占拠され壊滅的被害に
苦しんでいる。
日本政府は禍威獣特設対策室=略して「禍特対(カトクタイ)」を設けて
彼らが対策に当たっていた。
前半は華々しい禍威獣vs自衛隊ミサイル攻撃のバトル。
ネロンガとガボラの猛々しさ強さは圧倒的でこちらの気持ちも
非常に高揚した。
禍威獣ネロンガが電気を食べ尽くして、変電施設を破壊して、
放電する様は怖いを通り越して人知を超えている。
地中を掘削して進むガボラの顔は巨大なドリルのようで
掘削後は地表が剥がされトンネルのように掘れている。
禍特対の神永(斎藤工)は危険地帯に取り残された子供を助けに行き
無傷で帰還する。
しかしこの時「光の国」から来たウルトラマンは神永の犠牲的行為に
感動する。
そして神永と一体化して、共存し、
(ここから神永はウルトラマン)
ウルトラマンスーツに身を包み、変身ポーズを決めて、
60メートルの身長、2900トンの重さのウルトラマンとなる。
禍威獣ガボラvsウルトラマンの一騎打ち。
ウルトラマンはガボラを倒してガボラの死体を天空高く持ち去るのだった。
宇宙から来た「救世主ウルトラマン」に浮かれていると、
突然、外星人が現れる。
(ここでは宇宙人のことを外星人と呼ぶのだ)
ネットを遮断する全能の外星人・ザブラは強烈に強い。
なんとウルトラマンの偽物に化けて破壊行為をして、
ウルトラマンを地球人の敵に貶める。
さらに神永(ウルトラマン)を拉致して監禁してしまう。
神永のバディでカトクタイの一員・浅見弘子(長澤まさみ)は神永の親友の
手助けもあり神永を救出する。
この過程で浅見弘子が巨大化する。
人間が危険な生物兵器に特化することが判明するのだ。
(この映画で長澤まさみは非常な魅力を発揮する。
(ウルトラマンより格好良い位だし、地上のバディはキーパーソンでもある)
ザブラがウルトラマンによって倒されたと思ったら腰の低い名言好きの
外星人・メフィラス(山本耕史)が現れる。
日本政府を懐柔して都合の良い条約を締結する。
(政府は安易に条約を結び過ぎる)
ウルトラマンとも提携をしようとするが、メフィラスの真の目的は
地球のホモ・サピエンスを自由に操ること。
メフィラス語録が楽しい。
☆河岸(かし)を変えよう。
☆ウルトラマン、割り勘でいいか?
《好きな言葉》
☆郷にいれば郷に従え
☆善は急げ
☆備えあれば憂なし
☆呉越道州
《嫌いな言葉》
★捲土重来、
★目的のためには手段を選ばない
(メフィラス=山本耕史は印象的な仕事をした)
兎も角、台詞が速くて膨大です。
西島秀俊
有岡大貴
早見あかり
長澤まさみ
話は難しい専門用語が多い上に普通の1・5倍速で喋ります。
字幕が付いていても難解。
そして政府の対応を皮肉る台詞の数々は「シン・ゴジラ」同様に、
アメリカなど覇権国家に弱く、政治家の本性を現す台詞は面白かった。
利権に聡くて節操がないやら、直ぐに前言を翻し
風見鶏のように直ぐに変わる。
世界中が注目している、とか世界中が人間の生物兵器化を危ぶんでる、などなど
世界という言葉がやたら出る割に、世界がちっとも見えないのもご愛嬌です。
日替わりで外星人が現れるなんてことは映画以外であり得ないけど、
ラストに《ゼットン》という最強の外星人が現れて、
ホモ・サピエンスを滅ぼす、
地球ごと焼き尽くす・・・と威嚇する。
1テラケルビンという名の1兆度の熱球で地球を焼き尽くし
滅亡させるチカラがあるのだ。
《ウルトラマンvsザットン》
ウルトラマン(神永)危篤、しかしUSBメモリーには、
ザットンを倒す可能性が示されていた。
世界中の頭脳が集結して、ザットンを倒す計算をする。
その答え=秘策は?
ウルトラマンが1ミリ秒の隙間にザットンを殴り飛ばすのだ。
「光の国の使徒ゾーフィが現れて、
(彼はウルトラマンの上司のようなものか?)
ウルトラマンに問う!!
「君はそれほど人間が好きなのか?」と。
ウルトラマンは自分が消滅しても寿命の短い「人間=神永」を
選ぶのだった。
神永と浅見のアイコンタクトで2人の間に生まれた感情・・・
そこを掘り下げないのは多少物足りないが、
その案件は「シン・ウルトラマン2」に
持ち越しなのかもしれない。
是非、神永がウルトラの父になり、
浅見が、ウルトラの母になり、
そしてウルトラマンタロウが生まれるのも
見届けたい!!
(お粗末ですが、これが私の限界)
ウルトラマンの真髄を凝縮した一作
まさに、ウルトラマンの真髄を一作に凝縮した作品と自分は考える。
宇宙人≒外星人であるウルトラマンはなぜ人類のために戦うのか。そして、人類はウルトラマンという絶対的神に翻弄されるばかりなのか。その答えのためにあるのが原作となるウルトラマンであると思う。そうした核となるストーリーを完全に描き切ったのが本作である。
ザラブ星人、メフィラス星人というあくまで合理的な外星人に対して、非常に人間臭いウルトラマンという対比も面白い。敵はあくまでビジネスであり、宇宙全体から見れば何もおかしなことはしていない。一方でウルトラマンはあくまで個人的な感情で動いているにすぎない。宇宙のルールからも逸脱している。
あくまで合理的に考えて人類は滅ぼされるべき。ウルトラマンもかつてはゾーフィと同じ考え方だっただろう。しかし今は違う。ゾーフィとの会話はまさに、過去の自分との対話のようにも捉えることができる。ウルトラマン、そんなに人類が好きだったのか。あれは自分自身への問いでもある。人間と出会い、そして融合したことによる変化に自分自身が驚いていることの表れでもあろう。
ウルトラマンは怪獣と戦ってなんぼだと思われるかもしれない。しかし原作も非常に哲学的な作品でもある。人類とは何か、その問いを投げかけられることが印象的な作品も多い。そういう意味でも本作のようなウルトラマンの人間臭さを中心に描くドラマが、まさに最も本来のウルトラマンに近い気もする。だからこそ、この映画のタイトルはシンウルトラマンなのであろう。真ウルトラマン、こうなろう。
マイナス点を言えば、台詞回しがくどくて漫画チックなのと、演技もちょっとわざとらしい感じで、リアリティはだいぶんなかったこと。
ウルトラマン
オリジナルをそんなに知ってるわけではないけど尺が短い分、仕方ないけどテレビより正体バレたりとかの展開が駆け足で、ちょっと違和感あったかな。
そんな展開の早さもあったりで前半はツッコミどころも多くてコメディ観てる感覚でした。
メフィラス戦やゼットン戦は最新の映像美とアクションが相俟って見応えあったんですが、、、全体としてはストーリーがやや薄く感じたかな。
シン繋がりだとシン・ゴジラの方が好みでした。
庵野ワールド全開
公開当時、息子に誘われたのだがコロナが怖いので敬遠してしまった、後で感想を聞いたところ、面白さは文句なしだが、触れてはいけない深遠なテーマに踏み込んでしまったと言っていました。以来、気になっていたのですがアマゾンのサブスクに早くも登場、有難い。
シンと付くだけあって庵野ワールド全開、冒頭から透明怪獣ネロンガやウラン怪獣ガボラと立て続けに登場、先ずは観客の期待に添った直球勝負だから胸躍ること間違いなし。
金城哲夫さんや実相寺昭雄さんの作品でも哲学的なテーマがしばしば織り込まれたが庵野さんも掘り下げていますね、ウルトラマンはただの都合の良い存在、国威高揚の為に謎の異星人の甘言にまんまと載せられてしまう政府高官などシンゴジラの背景に似たアンソロジーも相変わらず、「そうまでして人類を救う価値があるのだろうか」といった異星人視点は重い言葉でした。
豪華俳優陣も見どころですね、長澤まさみさんまで巨人化してしまうのは驚き、ウルトラマンの尻を叩いて「気合入れてこっ!」と例によって上から目線のキャラでしたが終盤ではしおらしくなっていました。斉藤さんにクンクンされたりコメディアンヌとしてもいけるでしょうね。
やたらスケールが小さい
まずこの未曾有の大災害に対応する、「禍特対」なる超法規的組織のメンバーがたったの5人。自衛隊もシン・ゴジラの1/10ぐらいの規模だし、すべてが小スケールで軽い。かと思えば急に地球壊滅の宇宙スケールに事件が拡大する物語のちぐはぐさ。
また、しょせん観客はオタクでしょ、といわんばかりの、現実離れした社会性のない会話がダラダラと続くのも辟易しました。誰に向けて、どんな楽しさを提供したいのか、まったく企画が整理されていない、消費者を軽んじた事業に思えました。普通に子供向けとして、日曜の朝TVのような純粋な特撮娯楽作品にしたほうがよっぽど面白かったのでは。
唯一、早見あかりさんの天然系メガネリケジョが、自然な演技で素晴らしかったです。もし次にこのような特撮モノがあったらぜひ再演を希望します。
私のウルトラマン愛
お金を払って見たから言わせてもらいます。はっきり言ってつまらない映画だった。
長澤まさみを葛城ミサトにして、ハヤタがシンジにされた。メフィラス星人のイメージも山本さんがつまらなかった。ゼットンも使徒、、、
オタクの庵野さんにしては駄作ですね。コート着たチビノリダーみたいなシン仮面に期待がすでに無い。名作を汚すのはやめて欲しい。私はシンゴジラも認めて無いですよ。円谷英二の足元にも及ばない。
庵野さん、監督を人に任せてはダメだと思います。進撃で失敗作を作った監督に世界のウルトラマンを作らせたらダメでしょう?
ゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダーを使って変な巡業するのも貴方らしく無い。シン仮面撮ったら隠居したらどうですか?
良くも悪くも長く感じた。 ただこれは自分の調子が悪かったのも影響し...
良くも悪くも長く感じた。
ただこれは自分の調子が悪かったのも影響しているかも。
120分の映画、というよりも、30分の番組×4という印象。
特撮番組にはあまり明るくないが、幼いころテレビで見ていた子供向けアニメのように感ぜられた。
番組4つぶん、というよりも、4クールぶんといった方が正しいか。
上映終了までこの構成に気がつかなかったので、上映中「この時点でシナリオのどのあたりなんだろう?」というのがなんども気になった(これは自分の特性によるものなので映画になんら帰責事由はない)。
ただ、優れた子供向け作品に見られる、「ターゲットの興味から逸れるところ・作り手の見せたい箇所ではないところはバッサリ切る」という仕草に欠けていて、自分がどの属性の立場から見ればよいのかはよくわからなかった。
もしも、地球人が生物兵器としての利用価値があったら?
問い:もしも、地球人が生物兵器としての利用価値があったら?
答え:地球人同士の戦争に生かす。
答えは、異星人の思考の中。あらゆる考えを取り入れる懐の深さが大事?
☆地球人と異星人のハイブリットだから考えられることがある。いつの時代にも境目の人の考えには、とても大きな価値があるのではないか。偏った思考にならないよう、いろいろな考えを取り入れていきたいと思った。
面白かった。ただシン・ゴジラと比べると2度目も観たいかなと。
映画として普通に面白かったです。
ちなみに私はTDG世代です。
初代ウルトラマンはVHSを買ってもらって観ました。
冒頭のウルトラQ最高でした。
どうして禍威獣が日本にしか現れないのかという説明にも納得がいきましたし、やはりあの人が出てくるのも素晴らしかったです。
尺が足りないのは承知ですが、ただどうしても個人的にプロレスを求めていただけにもっと禍威獣を登場させてほしかったのが本音です。
そして2度目も観たいかという点では
やはりシン・ゴジラに劣るかなという印象です。ゴジラに求める破壊の権化とウルトラマンに求めるプロレスではやはり前者の方が観たかった以上の物があったかなと。
長澤まさみの映画
彼女の魅力でウルトラマンが霞んでしまったwww
ウルトラマンを食った長澤まさみwww
巨大化させたり、風呂に入らせなかったり、その体の匂いをクンクンされたりwww
長澤まさみのエロさに満ち満ちているwww
この映画はウルトラマンの映画ではないのだwww
「野生の思考」と「シン・ウルトラマン」
人間、つまり神永(斎藤工)の姿に“なった”ウルトラマンは、大量の本を読み始める。“外星人”である彼は、地球のこと、人間のことを学ぶ必要があるからだ。
彼が床に座り込んで本を読むシーンがある。書名が映る。レヴィ=ストロースの「野生の思考」である。
「野生の思考」の出版は1962年。植民地時代を過ぎ戦後になっても、西洋文明が優れていて、アジアやアフリカなどの発展途上国を“未開国”と見る文明史観がヨーロッパでは広く一般的であった。
つまり、西洋社会の文明や文化は「進んでいる」、未開社会は「劣っている」、という考え方だ。
だが本来、文明や文化に「優劣」はない。そこにあるのは「違い」だけである。こうした考えを唱えたのが「野生の思考」である。
(当時の西洋社会を基準にすれば)“未開”社会にはないものが多い。だが、実はそこには「違うもの」があるだけなのだ。
その土地の人たちは、そこにあるものを活かして暮らしている。ありあわせの道具や材料を使って必要なものを作り出す(ブリコラージュ)。レヴィ=ストロースはこれを“野生の思考”と呼んだ。
さらに些細に見れば、そこにあるもの、社会的な現象や事物には構造がある。このように唱えたレヴィ=ストロースの考えは「構造主義」と呼ばれた。
当時、「構造主義」と対置すると考えられた思想は、サルトルが唱えた「実存主義」だった。
実存主義は、人間一人ひとりの存在を起点にして社会を捉えた。人間たちは日々進歩している。その先頭を行くのが西洋社会だと考え、これを敷衍すれば西洋社会は優れ、西洋社会ほど進歩していない未開社会は、それより劣った存在ということになる。
人間の姿をしたウルトラマンとメフィラス(山本耕史)、2人の外星人が会話をするシーンが出色の出来だ。
2人とも姿は人間。公園のブランコに乗って話す、居酒屋のカウンターで話す。昭和のテレビドラマかよ?とツッコミいれたくなるほど、ありふれたシチュエーション。だが、2人がまとう雰囲気は恐ろしいまでの違和感に満ちている。この演技、なかなか出来るものではない。
メフィラスの人間(というより日本文化)に対する学習はかなり高度だ。上記、公園から居酒屋に場所を移動しようというときメフィラスは「河岸(かし)を変えよう」という言葉を使う。そんな表現、どこで覚えたのだメフィラスよ。メフィラスは、浅見(長澤まさみ)の匂いを手がかりに追跡したウルトラマンに対し「変態」とまで言う。この行為を「変態」と認識するのは、かなり深い文化理解を要する。メフィラスの知性、学習能力の高さに驚く。
だがメフィラスは、人間を見下し、人間を支配しようとしている。彼が人間の文化を学んだのは、人間と友好関係を結ぶためでなく、侵略のためでしかない。人間の目を欺くために、人間の理解者のフリをすることに活かされるのだ。
だがウルトラマンは違う。ウルトラマンは、ことさらに自分を「人間の理解者」として見せようとはしない。むしろ、一定の距離感を保っているように見える。しかし彼は、人間という存在を、そのまま尊重しようとしている。ウルトラマンも、おそらくメフィラスと同等か、それ以上の知性や科学力を有しているであろうにも関わらず、人間を見下そうとはしていない。
この、ウルトラマンの態度は、まさしく「野生の思考」そのものだ。
広い宇宙の中に、地球という、ウルトラマンやメフィラスから見たら発展途上の星がある。地球は、先進文明である外星人からの侵略という脅威にさらされている。
だが、地球は決して“未開社会”ではない。そこには、独自の文化や文明がある。メフィラスから見ればそれが“野蛮”だとしても。
なぜか禍威獣は日本にだけ出現する。その厄災は、いちいち国際社会の中で物議を呼ぶ。
地球は、決して一枚板ではなく、地球の中には日本以外の国も存在し、国際社会における交渉や駆け引きがある。
日本の中もそうで、禍威獣に立ち向かう禍特対の対応は複数の役所や政治家たちとの折衝や根回しの上でおこなわれる。
宇宙の中の地球。地球の中の日本。日本の中の禍特対。このように、本作の舞台には何重もの構造があり、それぞれの要素には関係がある。ここにもまた、構造主義的なアプローチが見られる。
さらに書けば、本作のベースとなったのはテレビの「ウルトラマン」と「ウルトラQ」の一部だが、それらの作品の脚本を担ったメンバーには沖縄出身の金城哲夫、上原正三がいた。特に金城はテレビ「ウルトラマン」の企画も担当し(上原は金城に誘われ、金城より遅れて円谷プロダクションに入社した)、本作の原案となっているザラブ星人、メフィラス星人、ゼットンの登場回の脚本を執筆をしている。
金城も上原も、沖縄人としてのアイデンティティを脚本に生かしていた(ウルトラマンシリーズ最高傑作の1つとも言われる上原脚本の「帰ってきたウルトラマン」第33話「怪獣使いと少年」に結実。なお、金城は早くに円谷プロを退社して沖縄に帰った)。
江戸時代までは薩摩藩に、戦後はアメリカに占領され、虐げられた沖縄を、地球侵略や、最終的には退治されてしまう怪獣や星人に投影したのである。
テレビ版の原案にまで遡れば、日本の中にある沖縄という視座もまた、構造主義的に捉えることができるだろう。
かつてのテレビシリーズの「ウルトラマン」は、原則1話完結。毎回、怪獣や外星人が現れ、ウルトラマンが退治する、その繰り返しだった。
そうしたエピソードの繰り返しを俯瞰したとき、どのような風景が表れるか。そう、もともとのテレビシリーズ「ウルトラマン」を構造主義的に捉え直し、表現したのが「シン・ウルトラマン」なのではないか。
ラスト、ウルトラマンはゼットンに敗れ、地球は滅亡の淵に立たされる。
テレビシリーズ最終回でもゼットンはウルトラマンを倒した。その強さに恐怖した記憶が蘇る。そして本作でもゼットンは強い。テレビのゼットンと同じ、あの「ピポポポポ…ゼットーン」という鳴き声(?)に震えた。
ちなみに、ゼットンという名前は最終回だからアルファベットの最後の「ゼット」と五十音の最後の「ン」から来ている。これは余談。
ここで奮起したのは人間だ(テレビシリーズでも、ゼットンを倒したのは科特隊の開発したペンシルロケットだったことを思い出す)。
Web会議で世界中の知恵を集め、人間はゼットンを倒す僅かな可能性に賭けて動き出すのだ。
メフィラスやウルトラマンら外星人から見れば、地球のテクノロジーは遅れているかもしれない。
だが、そこにあるもので何とかする。ブリコラージュ、野生の思考で地球は危機を脱する。
なぜウルトラマンは、そこまで人間を好きになったのか?地球滅亡の危機に、ことさらに強調される日々ある当たり前の暮らしの尊さ。
このあたり、脚本を急ぎ過ぎのように感じる。
禍特対の隊員の日時や家族すら描かれないからねえ。
ウルトラマンの出現シーン、ここぞというときはお馴染みのパースのついたグーが前のポーズ。まさに「来たぞ、われらのウルトラマン!」でグッときた。
テレビシリーズにはなかった行政組織とのあれこれは、かなり盛り込まれている。これはエヴァ、「シン・ゴジラ」からの流れ。
文字通り「国民的作品」に新解釈を加えつつも、高品質なエンタメ作品に“換装”した。アップデートというよりマルチバースとして楽しみたい。
パワ〜💪🏼
この時期に✈︎『トップガン』でもなく
⚡️『マイティ・ソー』でもなく、👽これを観に行く私。
『トップガン』は皆さん絶賛の嵐で👏🏼是非とも4DXで観ておくべき作品かとは思ってますが、いかんせん前作にハマってもいなかったので、劇場へと後押しするきっかけがなかなか無く、、
MARVELの雷神は這ってでも殺されて霊体になってでも意地でも観に行きますが、行列や人混みを避けたいので取り合えず鮮度が落ち着いてから行きたい気持ち😌。⚪︎(それまでネタバレ動画にもなるべく接しないよう注意して)→(後日談:‥などと言いつつ結局体調を崩して観に行けず😱Disney+で観た)
さて、このウルトラマン、やはり幼少時に学校から帰宅したら日課のように観ていた時期もあったので(初代〜タロウくらいまで?)、なんだかんだでそんな懐メロならぬ懐番組は💗ハートの中でも中心に近い位置にありますよね~ ということで気にはなっていたのですが🧐、でも今一歩踏み出せなかったところを、YouTubeでたまたま💪🏼なかやまきんに君でこの作品をパロディ的に紹介した動画を目にしたので、それきっかけでやっと行く気になって足を運びましたのです😙
遂に久々にフル料金の1,900円で観ることになるのか~⁉︎‥と思いきや、Amazon Payのお陰で他所からもらったばかりのギフト券が使えて辛うじてまた割引料金気分で観られました🙏🏼
せっかく劇場に足を運んだのですが、私が根っからの寝落ちマンなのでよほど興奮続きでないとだいたいどこかで寝落ちをしてしまいます。
今回もメフィラスの前の宇宙人が登場し交渉話をしている最中に寝落ちし😪、気が付いたら長澤まさみマンがウルトラマンに「ありがとう神永さん‥」とか言って、その後に彼女がデッカくなってました。
メフィラス役の山本耕史さん、つい大河ドラマでの石田三成役を想起してしまうのですがなかなかよい感じで😉
少し舌足らずなボディガード役を思い出す田中哲司さんの演技が私には一番ハマって落ち着いて観られました😌
竹野内豊さんは昔の神田正輝さんみたいになられてて😗
ゾォフィ兄さんは国の掟に忠実で堅物過ぎて思慮が浅〜いゾ😕
懐いところをリニューアルしたゼットンなどはデカいモビルアーマーみたいで(私がよく知らぬエヴァンゲリオンを観ていたらデカい使徒とでも形容していたか🤔)、お空に透けて浮かんでいてなかなか不気味で良い終末感を醸し出していましたね。
最後は『インターステラー』みたいになったり、最近どこでもマルチバースなんてワードが出て来たりでアレなんですが‥、とにかくどんな作品でも自己犠牲の精神は尊いのですね☝🏼
そういえば我らが子供の頃は、チープな特撮であろうがいつもテレビの前にかじり付いて、この最新作に期待するような熱い眼差しで毎回観てましたよね😙 今回も最初そんな久し振りな期待感を味わえました👍🏼
個人的には常に物憂げな喋り方の演技が聞いていて怠かったですが、早見あかりさんの顔面がかなりウルトラマン(=美しい?)ぽかったなと🧐
(童心を失いつつあるおっさんは、時間の都合上おまけの「ウルトラQ」は失礼しました😑)
三部作でも良かったかな。
前編は対:禍威獣
中編は対:外星人
後編は対?人類
どうしても、シン・ゴジラと比べてしまいます。
シン・ゴジラがワン・イシューで構成されているとするなら、シン・ウルトラマンは禍威獣、外星人、人類の3部構成とも言えるでしょうか?
詰め込みすぎ感はありますが破綻してません。
テンポが心地よいのと、隊員や政治家などのキャラクター作りや、政党や各国家などのステークホルダーの関係性作りが上手だったのだと思います。
特に外星人(ゾフィーも含む)のエッジが効いていながら、得体のしれない不安感を持たせるキャラクター作りは見事でした。
二部または三部作としても良かったかも。
ウルトラマンはカッコいい!
初代ウルトラマンについて細かい事まではわかりませんが、「正体は誰にも知られていない」という大前提が覆された点と、宿敵ゼットンがまさかの仲間から送られた敵というシナリオが驚きで、「す、すげー…」と驚愕した。ウルトラマンの登場シーンはカッコよく、特に夜の戦闘シーンは大好き。シルバーベースに赤ラインのボディ、そして目の光が夜の摩天楼に映えていてカッコいい(私は幼い頃にウルトラマングレートを繰り返し見ていたのでそれを彷彿させた)。
ただ、3話を1つにまとめたような作りなのでラストの達成感がイマイチなかった。(途中、眠くなっちゃいました)
三部作にして欲しかった
全体的にスピーディな展開だし、「シン・ゴジラ」との連続性も感じられる内容だった。
要するにゴジラ撃滅で国連安保理に核を使わせなかった日本は「その道のプロ集団」だと認定され、米軍も弾代だけだしゃB2は送るしバンカーバスターも使っていいよとなり、災害慣れしている日本人は「禍威獣」が出てきても「またか」としか思わず、通常兵器が効くだけゴジラより遙かにマシだとあしらい続け、ゴジラ退治に一役買った物理化学官僚集団の後釜として「禍特対」を設立し、直接攻撃役を担う自衛隊、在日米軍の上位指揮に位置付けた。
やがて本格的にヤバい禍威獣が出現しだしたことで見るに見かねた正義の善人ウルトラマン(ルピア)が助けてくれるようになる。
ウルトラマンが善意の存在だとなると今度はウルトラマンを貶めるザラブが出現する。
ウルトラマンの正体が神永だと暴露された上、拉致され、偽ウルトラマンの暴虐で信用を失墜させると既婚者の葛城ミサト的な神永のバディ浅見が信頼に応えて神永を救いザラブの謀略を暴き倒す。
すると一連の禍威獣騒動の黒幕メフィラスが地球人類と取引して巨大化の仕組みであるβシステムを供与する見返りに地球人類を生物兵器として内戦させようと画策し、ルピアとの停戦交渉を求めるが拒否したことで戦闘になるものの、ゾーフィの介入を知ったメフィラスはアッサリ退く。
一連の事態を監視監督していたゾーフィは地球人類の危険性を感じて最終兵器ゼットンを送り込み、一度は敗北したウルトラマンは人類への情報提供で滝ら科学者たちの解析で共闘してゼットンにリベンジするが・・・という話。
ただ、勿体ないのが折角の設定と展開とが生かし切れていないこと。
山本耕司演じるメフィラスはビジネスマン的な存在でとても魅力的な悪役。
「シン・ゴジラ」では臨時内閣の一員だった嶋田久作が大隈総理に、竹野内豊が「謎の男」として劇中終盤に登場する。
三部作設定であるなら、第一部を禍威獣激闘編とでも位置付け、禍特対と自衛隊、米軍が協力して事に当たるが対処しきれなくなるところでウルトラマン登場とし、レッドキングあたりをラスボスにして、ラストで外星人の存在を仄めかす。神永とルピアは身体は一つ心は二つの曖昧な存在となる。
第二部は外星人謀略編とでも位置付け、国際宇宙ステーションの作業員が拉致され、βシステムで巨大化した上で地球外星人母星に奇襲侵攻し、ウルトラセブンを彷彿とさせる光の星の戦士たちに殲滅され、星団評議会が地球人類を生物兵器となり得る脅威だと危惧し、調査責任者のゾーフィを正式派遣。騒動に便乗したザラブやメフィラスがそれぞれの思惑で暗躍する。
第三部が地球命運編と位置付け、外星人による度重なる地球人類拉致事件とメフィラスの提供したβシステムによる人類決戦兵器ウルトラマンアースとルピアの共闘で数々の脅威を撥ね除けるが、逆に増長した地球人類はβシステムを各国が要求し国家間対立の火種に。星団評議会の脅威意識は強まり、中立的に差配し強攻策に反対するゾーフィが星団評議会の決定に押し切られる形で最終兵器ゼットンを用意するものの、ゾーフィはルピアの真意を問い質した上でどうするべきかの最終的な結論を地球人類の精神活動に最も通じるルピアに委ねる。
そんな形であれば政治的な動きと外星人の策動、地球国家間の共闘論とβシステムの扱いや神永の帰属を巡って荒れる展開となり、ウルトラマンアース(エヴァンゲリオンのオマージュでありウルトラマンAとも通じる精神的に未熟な少年少女の化身)が鍵を握ることになり、元公安所属の加持リョウジ的な神永本人とルピアの対立葛藤共闘と揺れ動く展開となり、ウルトラマンと禍威獣の戦いで一般市民の死傷者犠牲者は増えて世論は二分し、あくまで地球人類側の警察官僚という立ち位置の神永とルピアは葛藤対立し、ルピアは地球人類に協力すべきか見限るべきかで苦悩する。
禍威獣が日本にしか出現しないのも元々の光の星の戦士たちのルーツが日本にあり、ゾーフィ、ルピアら光の星の戦士たちとは生物兵器たる起源もつ日本人がその姿を変え、大きな戦いを通じて発足した星団評議会から信任と共に戒律を課された存在だとなれば、過去の経緯を知る外星人たちが一番脅威になりそうな日本と日本人を早めに叩くなり、懐柔しておきたいとの説明がつく。
そして、地球人類は未開でこそあるが繁殖力に富み、その知性は時として外星人たちの高度理論を看破する侮れない存在と規定すれば、大逆転劇を可能にする叡智も備えた存在だとなる。
なんにせよ妄想が膨らみ、シン・ウルトラマンの世界観は無限に拡大する。
戦闘シーンにおいては殊に空中戦においては着ぐるみでは再現が難しかった多彩な動きが表現されていてその象徴たるカラータイマーが逆にないことで、エヴァにあった活動限界を悟らせない趣向となっている。
4DXで鑑賞
長澤まさみの匂いが嗅げるのでは?という卑しい思考のまま
これは4DXで鑑賞せねばと意気込んで行ってきました。
4DXは観る作品によっては揺れ過ぎやエアが多すぎて映画に集中できないのですが
シン・ウルトラマンは戦闘とドラマパートがハッキリ分かれているので
比較的ドラマパートに集中できた
メフィラス星人までは非常に面白く観ていたのだけど
ラストゼットンのエフェクトがなんか他の禍威獣と比べて強そうじゃなくて
少し残念だった。
カメラアングルが庵野さんだなと思う
撮影場所でいろんなアングルを探っていたのか元々コンテ段階でアングルを決めていたのかが
気になるところだが
GoProで撮ったからかなのか独特な構図は良いのだけど画質にムラがあり
数カットなら気にならないのだけど多用されているとなんか気になってしまった。
円谷プロ版のウルトラマンが好きな方は少し抵抗があるかもしれないが
これはこれで面白い試みだなと思う映画でした。
マルチバースを匂わせる雰囲気があったけどシンシリーズはいずれ交差することが
あるのかな?あるんだったらこんな感じかなと空想させてくれるのが良いですね。
最後に匂いはなかったです。倫理観大切ですね。
醒めた映画
シンゴジラ同様、セリフが早口なわりに緊迫感がない。
早口なのにスピード感もない。
引き込まれない。
場面の切り替えの間が早いので、ついていけない。
頑張ってカイジュウを倒す感じが全くない。
そういう意図で編集してるんでしょう。
最近、流行りの作りかたなんでしょうけど、
でも映画なので、びっくりしたり、笑ったり、ドキドキしたかった。
単なるプロモーションビデオになっている。
この映画を作った人達のファンだけの映画なのかな。
ゼットンが、地球を壊すための、ゾフィーが持ってきた兵器になってるけど、
特撮カイジュウ映画を皮肉っているのか、とても壊せそうにない兵器なのに
ウルトラマンの変身パワー?(はっきり分からないが)で壊してしまう。
今度作る時は、特撮の演出と人間の演出する人を分けてほしい。
三池監督がいいな。
シン仮面ライダーも期待できないので、動画配信サービスだけでいいですよ。
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