隣の影のレビュー・感想・評価
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不協和の音楽がジェリー・ゴールドスミス見たい♥
この映画を隣とのいさかいの顛末と見てもよいが、社会制度と人口密度の低いアイスランドで起こる事件と仮定すると、ほぼ無い話だと思う。つまり、教訓的な話ではない。このパーターンを日本で作れば、現実の方がリアル。ありきたりな話だと思う。
さて、ではこの話のテーマは。
欧州共同体EUの事を行っているのだと思う。
相変わらず国粋主義の復活が目立つ欧州共同体の各国。ヒトラー没後(?そう表現して良いのか?)100年をまたずして、ファシズムは復活する。ファシズムを利用してファシズムが復活しているのだ。どちらが悪いではなく、どっちも悪いのである。
グローバル経済って言っていたのは何年前の事だろうか?寧ろ、国境に壁を建ててお互い干渉し合わないそんな世界を構築すべきなのかもしれない。
IKEAはスウェーデンの会社でこの映画の舞台はレイキャビク近郊である。
地球は『猿の惑星』になりつつある。従って、ジェリー・ゴールドスミスなのである。
どこにでもある日常
何となく結末は分かっていたが、後味は悪い。この映画は小さな歪みがやがて大きな不幸へ変貌していく様を描いている。長男失踪で心に闇を抱える母親、不妊治療でストレスを抱える隣家の妻。互いのストレスが隣家に向かい、次第にエスカレートしていく。最初は隣家から庭の大木のせいで日光浴ができないから切ってくれと依頼されたことが切っ掛け。片や、庭に隣家の犬が糞するのが気に食わない。どこにでもある些細なことだけど、隣の家にされたら困ることだ。初めは妻同士がいがみ合うが、次第に夫同士もいがみ合う。しかしながら、飼い猫の失踪を隣家の仕業と勘違いし、隣家の犬を剥製にしてしまうって、この母親かなり怖い。これが引き金だろう。結果殺し合いまで発展してしまう。全く映画だけの世界とは思えない。また、昔の恋人とのいちゃつくビデオを見られ、追い出された夫=次男はかなり情けない。しかも、妻に謝らない。まぁ今リアルに浮気されたわけではないから、そこまでしなくてもとわからんではないが、積もり積もったのだろう。この夫婦も些細な事の積み重ねが不幸を招いている。
Neighbourhood dispute
ご近所トラブルを描いた作品。黒沢清監督作品群、又は映画“葛城事件”を彷彿とさせるプロットと思う。
主人公の男の夫婦問題、そしてその男の母親の隣人トラブルのエスカレートが過ぎてゆく荒筋である。
そもそもが大人として成熟してない、ダメ男というキャラ設定は、北欧映画に於いては珍しく感じた。それは登場人物である男の父親、隣の主人、男のマンションの住民会議のまとめ役、その全員が揃って男としてどこか未成熟で、女性の尻に敷かれているようなイメージを与え続ける。そしてストーリーが進むにつれ、徐々にそのフラストレーションが溜まってゆく恐怖を感じ取れることができる。母親の異常な行動は男の兄(母からだと上の息子)の失踪で、警察は死亡確定をしたいところを停止されているというそんな現実直視できない理由があるとはいえ、平常心をとっくに失っている言動に周りが振り回され続ける事が原因であり、その長男の代替である、庭に植えている大木やネコに思い入れが強すぎる余りの行動は常にエッジが立っているのである。そして思い込みの激しさはもう誰の耳も貸さない状況だ。ネコを殺された(と思い込んだ)腹いせに、隣家の飼い犬を剥製に変えてしまう件は、そのホラー度は正に白眉であり、恐怖の絶頂である。アイスランドでは生きた動物を剥製にしてしまう事が当然なのだろうか?
そもそものメインストーリーは男のしでかした情けない行為(隣の夫婦の営みに伴する喘ぎ声に触発されての結婚前の恋人との性行為動画を視聴での自慰)が引き金での離婚トラブルだったのだが、そちらが段々と色彩が変化するように両親の隣人トラブルにグラティエーションしていく構成はどういう意味合いを持たせたのだろうか理解が難しい。余りその必然性を感じられなかったのだ。クライマックスである、木を切り落とそうともみ合う最中で倒れた木の下敷きになってしまう男の切なさと憐れさは充分汲み取れたが、そもそも庭のテントで見張らせる為に無理に男のトラブルを作ったのではと穿った見方をしてしまうのだが…ラストのオチは、まぁ万国共通なのだろう。ネコが戻ってくるというベタは分かり易い反面、喜劇を強調しすぎていて、ウケ狙いを感じてしまった。一人残された母親のヤサグレ感も同様である。
未来を嘱望されるヨーロッパ映画監督の一人
日本でも外国でも隣家の木の枝が、もし境界線となる塀を超えて、自分の家に伸びてきたらどうするのか、切るのか切れないのか?そんなことはよくあることとしてたまにニュースなんかに取り上げられたりすることがある。しかし、この作品の場合、少し、それよりも微妙な設定となっている。
アイスランドで最近話題になったのが、日本でも知られる経済危機があるが、この国の公用語が英語でなくて、アイスランド語であるということや人口が34万人ばかししかいない国だとは知らなかった。この映画はそんなアイスランドの首都レイキャビックで生まれた監督が制作したものである。
This isn't just about that fucking video.
We haven't been happy for awhile.
I've felt like he's just.......numb.
As if he wasn't there.
I tried to get him to do something about it.
But nothing happened.
物語のはじめ、隣の老夫婦の息子夫婦の折り合いが悪くなり、息子が、彼らの家に居候するところからはじまる。
隣人同士が、極端にいがみ合うというようなシナリオではなく、どちらかというとお互いの嫁さん同士が疑心暗鬼から不仲になっていくありきたりで展開の遅いものとなっているが、あることがきっかけで一気になだれ込むようにとは、少し大げさだけれども、意外な結末に進んでいく。多少、この展開では、そこまではしないと思っていると、この監督は案外、冷徹な部分も持ち合わせていることがわかる。そして最後に話のオチも用意してある。
一説には今から190年前に創刊された夕刊紙、London Evening Standardによるコメント「 アイスランドの観光局の善良な人々が頭を抱えているかもしれませんが、これは物事をだめにする映画です。」
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