劇場公開日 2019年4月20日

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「ヨネコ」センターライン いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)

2.0ヨネコ

2019年5月1日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

難しい

いわゆる法廷劇とシンギュラリテイが起こったAIに感情が認められ、人格存在のパラダイムシフトを許容できるのかというコンセプトの比較的短い作品であり、演出や編集はテレビドラマを感じさせる構成であり、日曜深夜枠にはぴったり当てはまる内容ではないだろうか。自動運転AIが意思と感情を獲得時代が来ることを想定しての前提であり、似たような話は古今東西どの媒体にも取り上げられており、少なくても自分は攻殻機動隊でこのような話を知っている。で、今作なのだが、話が噛み合わない。本来はもっと高度な哲学的倫理的問題なのに、その葛藤が描かれない儘に結論に性急すぎる。なので狐に摘まれたような、展開の強引さに置いていかれてしまう。判決としての刑罰で記憶の抹消という落とし処がイミフである。
そもそもAIに責任論を押しつける程の高度な知能を人間が獲得しているのが怪しく、合理性を突き詰めるのか、もっと情緒を大切にするのか、その両方のバランスを保つのか、はたまたそもそも本質である“揺れ”を自然と認知して受容れるのか、それは統一できるものではない?それともできる?そんな大風呂敷を広げてしまって綺麗に畳むことなど不可能なのに作ってしまったストーリーではないだろうか。法廷劇のフリと回収も、個々に繋がりは披露しているが、結局それは物語にどこまで重要なファクターなのかといえば、疑問が残る。AI=未成年の我が子というメタファーとしての描き方ならば、違った目線の解釈になるのかもしれない。そういう多重層な狙いなのであろうか?
ちなみに題名の“センターライン”→車が中央分離線を越えて事故を起こしたことが起因と言うことと、道を分けることで人とAIのアンタッチャブルな領域を超えてしまったことのダブルミーニングらしい。この手の問題のややこしい事がいわゆる“トロッコ問題”である。もしこの部分を“華麗にスルー”したいのならば、先程のメタファー部分を強調した方が良かったのではないだろうかと思う。
監督自身はシリーズ化を図っているようだが、映画作品にするより、ネットフリックス的なメディア媒体を利用した方が作品向きなのかなと思う。その際はやはりキャスト陣を高演技力溢れる俳優に変更して仕切り直しをすることをお奨めしたい。自動運転AIの容れ物をナビゲーションにし、カメラをくっつけたことで、その容貌が擬人化出来たことはアイデアとして素晴らしいし、そのカメラがモーターによってコミカルな仕草を繰り返す演出も巧いし、そもそもコメディ演出はレベルが高いと思うので、ストーリー展開と、法律用語及びAI用語という、かなり専門性の高い問題をどう観客に表現できるのか、その辺りの手腕を期待したい。

いぱねま