劇場公開日 2019年6月14日

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「安心安全箱庭映画」ハウス・ジャック・ビルト 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

2.5安心安全箱庭映画

2023年2月6日
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ラース・フォン・トリアーの映画は箱庭めいている。よく言えば細部まで完成度が高く、悪く言えば飛躍がない。ちょっと映画慣れしてる人なら「この感じなら最後はこう締めて欲しいな」みたいな欲望がどこかで萌すと思うんだけど、彼の作品に限って言えばそれは大体当たる。気持ちいいくらい当たる。それはひとえに彼の作劇の緻密さと空気形成の上手さに起因する。見事なものだ。

ただ、私は映画において飛躍というやつを存外重視している。多大なカネと時間をかけて緻密に上質に練り上げてきたはずなのに、唐突に飛躍してしまったがゆえに、どこかが奇妙に歪んでしまった映画を私は愛おしく思う。これは決して憐憫じゃない。

さて、飛躍が生じれば、当然我々はこの意味不明の映画はなんなんだよ!と衝撃を受ける。安寧を奪われる。不愉快な気持ちになる。でも、映画を見る喜びって本来そういうものだと私は思う。日常から非日常へ、秩序から混沌への束の間の逃避。クラブで踊り狂ってなんだかよくわかんないけどメチャクチャ気持ちいい、わかんないことが気持ちいい、みたいな。ギャスパー・ノエ『CLIMAX』みたいな。オチがあるとか伏線が未回収とか、そんなんどうでもいいっつーの、みたいな。

本作はセンセーショナルな描写ゆえに表向きこそ狂った飛躍が起きているようにも見えるが、その底流を成すのはトリアーの生真面目で愚直な作為性・技巧性だ。死体の山で家を造り上げるのも、その家がおよそ「芸術性」からは隔たっているのも、その後ダンテの『神曲』になぞらえた地獄巡りが始まるのも、ジャックがマグマに落ちて死ぬのも、そのショットがネガ反転するのも、何もかもトリアーの知性と想像力の範疇に初めからあったもので、彼はそれを映画的文法に沿って美しく並べ立てただけのように思える。だって(烏滸がましいことは承知で言うが)私でさえそういう展開になると予想できてしまったのだから。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』なんかもひたすら真面目な露悪描写が続くばかりで、途中ウトウトしてしまった覚えがある。もっと変なことしてくれたっていいのに、と思った。いや、できないのかもしれない。できないがゆえに「非凡性にしがみつく凡人」の顛末を執拗に記述した本作のような映画が生まれたのではないか。

因果