劇場公開日 2019年3月29日

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「踏み込みがいまひとつ」記者たち 衝撃と畏怖の真実 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5踏み込みがいまひとつ

2019年4月2日
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鑑賞方法:映画館

知的

難しい

 スターティングロールの最初に字幕監修が池上彰とあったが、池上さんはタイ料理にあまり詳しくないのか、情報提供者がトミー・リー・ジョーンズにパッタイが好きと言ったのを、タイ料理が好きという字幕にしてしまった。パッタイはタイ料理の焼きそばで、風味や味付け、麺の質などが中華の焼きそばとかなり異なる。たかが料理の話と言うなかれ。例えば外国人が日本料理が好きと言うのと、茶碗蒸しが好きと言うのとでは、かなりニュアンスが異なる。茶碗蒸しが好きと言われれば、その人は日本料理についてそれなりの造詣があるかもしれないと思うだろう。それに料理の名前を上げることで、その人は物事に対して具体的で正確な捉え方をする人だというイメージを作ることができる。映画の製作者は言葉にとても敏感だ。何故タイ料理ではなくパッタイなのか、きちんと考えて字幕にしてほしかった。万が一映画ファンはパッタイを知らないだろうという理由でタイ料理にしたとすれば、それは映画ファンを侮っている。
 字幕についてはもうひとつ、パトリオティズムとナショナリズムを、愛国心と愛国主義という字幕にしてしまっていたが、これも愛国主義と国家主義と、正しい字幕にするべきだ。アメリカでは愛国者であることは社会人としての必須条件で、自分は愛国者ではないと言うと村八分の対象となる。しかしアメリカの愛国心は、ともすればトランプのようなアメリカ第一主義に陥りがちであり、ブッシュ政権のイラク侵攻を支持したのも同じである。それでミラ・ジョボビッチはそういうのをパトリオティズムではなくてナショナリズムだと言った訳だが、愛国心そのものを否定できないアメリカならではの表現である。
 ハリウッドのB級大作の多くは、敵を探しだしてやっつける英雄が主役である。英雄はピンチに陥るが、最後は勝利する。予定調和の決まりきったハッピーエンドが喜ばれ続けるのは、観客の愛国心をくすぐるからである。民衆が共同体に精神的に依存している限りは、愛国心が善とされ続けるだろう。
 本作品の記者たちは、他の多くのメディアが政府の広報と堕す中で唯一、イラクにWMD(大量破壊兵器)がないことを主張する。その主張が正しく、ブッシュや小泉純一郎が間違っていたことは既に歴史が証明している。ブッシュを選び、トランプを選んだのはアメリカの有権者たちであり、愛国者たちである。愛国心がどれほど人の判断力を鈍らせるものか、記者たちには解っている筈だ。しかしそれでも愛国者であることをやめようとしないところに、アメリカという国が抱える問題の本質がある。そこまで踏み込んでほしかった。
 人間が共同体の呪縛から逃れ、寛容で平等な視点を獲得するまでには、まだまだ沢山の血が流れるだろう。その総量が人類のすべての血の総量に等しくならない保証はない。アメリカはこれからも、国内では銃の乱射事件を起こし、他国に向けては脅迫と恐喝を繰り返し、時には膨大な数の生命を奪い去るだろう。
 話せばわかるのは個人同士の関係で、共同体への帰属意識が絡むと、問題は絶対に解決には至らない。祖国や故郷といった言葉に感動しているうちは、人は優しさを会得することはないのだ。

耶馬英彦
kazmatさんのコメント
2019年5月4日

patriotismとnationalismの下りは、私も気になりました。欧州出身だからこそのコメントで、とても重要な違いの指摘だったから。

kazmat