劇場公開日 2023年8月25日

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「消えること。ミカンと、ハウスと、ヘミと」バーニング 劇場版 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0消えること。ミカンと、ハウスと、ヘミと

2018年12月31日
iPhoneアプリから投稿

この物語自体が実は、パントマイムだ。
もともと存在しないものが、存在に対する逆説的なメタファーとなり、そして、巧妙に仕掛けられたトリックがミステリアスさを増し、頭の中で複雑に絡み合いながら、存在や消失について考察することになる。

友達はいないが、ジョンスのことだけは頼りにしていたヘミが、突然消えた。
どこかミステリアスな結末に、何か解を与えるとすると…というより、小説の非現実感に、映画では現実感を持たせるために、また、物語が実は、壮大なパントマイムであったことを示唆するために、このようなストーリーに仕立てたのか、なるほどと…。特に、整形に違和感のない韓国では、この物語仕立てはマッチするのかもしれない。
人が忽然と消え去ってしまうには、現実では、やはり何か理由が必要なのだ。

「パントマイムで重要なのは、そこにミカンがあると思うことではなくて、そこにミカンがないことを忘れること」、ヘミの言葉だ。
ベンが言う、「ハウスを焼く」、「誰も気にも留めないハウスだ」と。
しかし、ハウスが焼かれた形跡はない。
焼いたと言うベン。
焼かれてしまったハウスはない。
そして、消えるヘミ。
焼かれて消えたはずのハウスと、確かに存在したはずのヘミを探し求めるジョンス。
ベンはパントマイマーで、ジョンスは観客なのか。

「ミカンがあると思うことではなくて、ミカンがないことを忘れること」。
小説でも映画でも冒頭に描かれるこの言葉の場面が、物語の展開を通して、何か哲学的な問いのように頭の中をよぎる。
だが、消えることは、無いことと同義ではない。だから、僕たちには喪失感がある。
焼かれてなくなるハウスは、きっと、消えてしまうヘミのことだ。
誰も気にも留めないハウスは、きっと、友達のいないヘミだ。
誰も気にも留めないないのだから、いなくなっても、存在した痕跡すら残さないのか。
だが、確かに存在していたものは、もともとないはずのミカンではない。
消えてしまったものを忘れることで、元どおりになるわけではない。
パントマイムの中のミカンの話しは、「存在」を考えさせるために逆説的に使われたメタファーなのだ。
そう、パントマイムは現実ではないのだ。
そして、この巧妙に仕組まれた物語も逆説的に僕たちの生きる世界に問いかけているのだ。
誰も気に留めなくても、存在した事実は消えず、消えてしまった事実は残るのだ。

だが、また、よく考えると、この「物語自体」が実は、「パントマイム」だというところに立ち戻ってしまう。
ヘミが初めてジョンスの前に現れた時、昔、学校で一緒だった、整形したんだと言っていた。
ジョンスは、何も覚えてないし、確認も出来なかったじゃないか。
もしかしたら、最初から、ヘミは本当に存在していないんじゃないか。
いろいろ思案を巡らせて、結局は、そこに立ち戻り、意外な結末を思い返しても、ふと笑ってしまう。
映画の結末は意外だ。
だが、喪失感とどう向き合うのか、喪失感とどう生きるのか、これも僕たちに対する問いなのだと考えてしまう。

ワンコ