劇場公開日 2020年3月6日

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「悲しすぎるジュディの生涯」ジュディ 虹の彼方に ナカネムさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0悲しすぎるジュディの生涯

2020年3月14日
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鑑賞方法:映画館

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再起をかけてロンドン公演を行うジュディと子役時代のジュディ、華やかで煌びやかなハリウッド黄金期、スタジオの支配力も強く幼いジュディはスター街道を進みながらも少しづつ薬物やアルコール依存する状況に陥っていきます。スターになってからも5度の離婚や死ぬまでまつわるドラッグ依存症など、悲しいエピソードが多い生涯です。日本でも昔から今でもアイドルや女優のわがまま、遅刻、ドタキャンや芸能人の薬物犯罪など、一般庶民から見れば憧れの芸能界でそれなりにスターとなってお金持ちになってるのに、なんで全てを棒に振るようなアホな事するんだろうと思いますが、その人しか分からない特殊な環境なんでしょうか。

以下はジュディの人生を抜粋
1939年にミュージカル映画『オズの魔法使』で主役ドロシーに大抜擢され、人気スターとなる。1941年に作曲家のデヴィッド・ローズと結婚、翌年妊娠したが、当時違法だった堕胎手術を受けている。1943年に離婚。この頃から神経症と薬物中毒の影響が表面化し始め、撮影への遅刻や出勤拒否を繰り返すようになる。
1945年、映画監督のヴィンセント・ミネリと再婚。翌1946年3月、のちに女優となる娘ライザ・ミネリを出産する。1947年精神病院入院、自殺未遂事件を起こす。以降、度々薬物治療のための入退院を繰り返すこととなる。
1954年、ワーナー・ブラザースで撮影された『スタア誕生』で久々の映画出演を果たす。この作品は大ヒットし、ジュディはアカデミー主演女優賞にノミネートされた。しかしワーナー・ブラザースは、彼女の撮影中の遅刻や出勤拒否、それに伴う制作費の増大を問題視し、彼女の受賞のための宣伝や根回しを一切行わなかった結局ジュディの受賞はならなかった。受賞を逃した失意により、彼女の私生活は再び荒れはじめ、数度の自殺未遂を起こしている。薬物中毒と神経症はさらに悪化。逮捕されることはなかったものの、FBIはジュディを監視しており、膨大なFBIの監視記録が残されている。1963年を最後に表舞台から姿を消す。
1965年にはシドニー・ラフトとも離婚。その後、2度結婚している(生涯に5回結婚)
1969年6月22日に滞在先のロンドンで、睡眠薬の過剰摂取にてバスルームで死去。自殺とする説もある。47歳だった。彼女には莫大な収入があったがその大半を浪費してしまっており、埋葬の費用にも事欠いたという。長女のライザ・ミネリは、「母はハリウッドが大嫌いだった」「母を殺したのはハリウッドだ」と発言している。

tomクルー