劇場公開日 2019年1月18日

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「もっとポップだと思う」チワワちゃん 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

2.5もっとポップだと思う

2020年7月11日
PCから投稿

放恣で淫奔な女性を狂言回しとする、ポップな述懐です。

『チワワちゃんはあたし達とあそんだりおしゃべりしたりなやみをうちあけたりバカ話をしたりしたきすしたりセックスしたり恋をしたり憎んだりした人もいた』(原作より)

死を悼む話というより、何がしたいのかわからない破天荒な子がいて、彼女に対するそれぞれの思い出がある、という話です。チワワは気分屋で非倫理的で破滅的で刹那的な子だったのですが、忘れ得ない「人たらし」だったことを、みんなが懐かしがっています。
原作はスピンオフのようにも感じられる小品でした。

自堕落は好意的に言えばマイクリーのネイキッドのような映画になる可能性もありますが、勝手に生きる好ましいとは言えない人を撮って好ましい映画にしてしまうなんて芸当、おいそれとできることではありません。それを乗り切るため、プロモーションビデオ風に、きらびやかな頽廃を挿入していますが、いずれにしても類型的で、どこかで見たような放縦な若者たちだと思います。

ただしこれは岡崎京子です。
岡崎京子の漫画は、アンニュイな目ぢからのある女性像が、ファッションアイコンとして、激しく業界ウケしました。編集者やフォトグラファーや映像作家やミュージシャンや文筆家が、岡崎京子の女性像をそれぞれの方法で使ったり語ったりしました。そこへ、ご当人の事故があり、新作が拝めないという事態になります。で、レジェンドになったのです。

ポップでエキセントリックで頽廃的な岡崎京子の漫画は誰もが認めるものですが、レジェンド扱いになったことで業界人がそれに「解る人には解る」みたいな精神性/権威性を、纏わり付かせてしまった、という気がするのです。

つまり映像化したとき「神格岡崎京子」の雰囲気が介入してくるのです。「おまえらに解るかよ、この世界観?」が介入してくるのです。それはヘルターはもちろん、リバーズでも感じました。
ただ本作はそれら前二作よりずっと、シンプルでまともでした。しかし根本的に、岡崎京子の映像化とは、元来映像を持っている岡崎京子に映像を付けようとすることの矛盾だと思うのです。

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津次郎