劇場公開日 2018年6月23日

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「反グローバリズムとして読み解いてみる」ブリグズビー・ベア 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5反グローバリズムとして読み解いてみる

2018年8月19日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

確かにこの映画でも、タチの悪い人が登場せず、善意に溢れた人たちの中で、誤解や思い込みに基づくすれ違いを解決しながら絆を深めていくという、デジャヴのような構成がみられるわけですが、その背景には何があるのか?

ひとつの解として『グローバル化疲れ』があるような気がします。
この映画に登場する街や住民は、グローバル経済の中で敗者となった場所(現時点でのデトロイトのような)や人たちではなく、たぶんリストラの波も比較的穏やかで、中産階級が暮らしやすいところだと思います。当然ここに住む黒人家庭も貧困に苦しんでるケースや差別的扱いを受けることも少ない。街全体が経済的に安定し治安も良ければ、そこにわざわざ異文化や格差を持ち込み、複雑で煩わしい課題を抱える必要は無い。そのようなグローバリズムに晒されていない経済的背景・価値観で、ある程度画一的なムラ社会の方が、ジェームス君を温かく見守り支える精神的余裕も生まれる。
実母に、世界はもっと広い、というセリフがあったけれど、軽くスルーしたのは、わざわざ世界を相手にしたらコスト競争に追われ、夢を追うどころか、現実的な妥協をせざるを得なくなる、ということへの答えなのではないか。
ジェームス君にとって、わざわざハリウッド(国際社会)で勝負せず、ローカル社会(あの事件と何があったかを身近なこととして知る人たち)でしか通用しない作品を作ることの方がはるかに自己実現出来たうえに幸せだったのですから。

多様性を受け入れ、磨き合うことで生まれる進歩や新たな価値観の創造はもちろん大事なことですが、人間はみんながみんな勝ち残れるわけではないので、国際競争とは無縁のローカルな社会で、ローカルに生きることも選択できる世の中の方が全体的に平穏な気がします。
グローバルな人材になれ、と若い人たちを急き立てるばかりでなく、ローカルなままでも幸せになれる社会を作ろう、ということがもっと叫ばれてもいいんじゃないか、と思います。

脱線しますが、和食だってグローバル化し過ぎるとマグロやウナギの高騰化や品不足に見舞われるし、日本と一部の外国でなければ食べられないというローカルなものの方が良かったかもしれないですね(マグロやウナギがどう思うかはわかりませんが)。

グレシャムの法則