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◆夜の浜辺でひとり

小さな胸騒ぎのかけらが、わたしたちの胸にも少しずつ積もっていく
  冒頭のキャスト、スタッフのクレジットタイトルが終わったとたんに映画が始まる。主人公たちの雑談の真っ最中に、わたしたちはいきなり投げ込まれるのである。タランティーノの映画みたいな濃密な会話ではない。もっと何気なくて、日常の続き。映画を観るつもりが不意に始まった「日常」に、わたしたちはまず戸惑うことになるのである。

  何しろこの映画も含め、監督のホン・サンスは昨年3本の映画を撮っている。今や世界中を見渡してもそんなペースで映画を作る監督はいったい何人いるだろうか? しかも本作はドイツ・ロケもあり。もはや映画と日常の区別がつかないはずだ。この映画も主人公は映画監督との不倫の中で疲れ、休養を兼ねてドイツに渡ったという設定で、おそらく監督の周りではかつてこんなことが起こったのかもしれない。あるいはこんなことが起こりかねない日常が続いているのかもしれない。いずれにしてもわたしたちが映画で観ようとするような恋愛はそこでは起こらない。すでに終わってしまったのかこれから始まるのか、もはやそんなものはそれぞれの登場人物たちの願う恋愛への妄想でしかないのか、とにかく恋愛の予感や残像が、彼らの雑談と飲み屋での会話の中で描かれていくのである。

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  そして小さな胸騒ぎのかけらが、わたしたちの胸にも少しずつ積もっていくだろう。いつかその集積が大きな物語となるかもしれないしならないかもしれない。いいことも悪いことも起こるだろう。いずれにしても、わたしたちはそんな小さな胸騒ぎの日常とともにあるのだ。何も大きな物語を実現する必要はないし、ただその胸騒ぎを抱きながら生きていけばいい。この映画の最後、浜辺から立ち去る主人公の後ろ姿がそんなことを語っていたように思う。ホン・サンスは浜辺で繰り返す波のように、何度も似たような映画を撮り続けるだろう。浜辺に寝そべって夢を見るようにわたしたちはそれを観続けて、そのたびに新たな人生が始まることになるだろう。

(樋口泰人)


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