ザ・スクエア 思いやりの聖域のレビュー・感想・評価
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身に詰まされた
本当に弱っている人、
助けを求めている人には一切見向きもせずに
自分たちは、
やれ高徳だ知的だ崇高だ緻密だと、
愛を語り合う、夢を語り合う、平和を語り合う。
そんなものは茶番だ。
よくよく考えなきゃいけない。
今の世界の情勢を。目の前の状況を。
グローバルだ何だで分断、格差とはっきりと分けられてしまった世界を。
身に詰まされた。
不条理
「フレンチアルプスで起きたこと」のリューベン・オストルンド監督が、2017年第70回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した作品。151分と比較的長い作品でもある。
こう来ましたか。タイトルと、宣伝内容から、“スクエア”が物事の焦点になるかと思いきや、必ずしもそうでも無かった気が?騒動のきっかけでもなく、結末でもなく。
リューベン・オストルンド監督の他の作品で「フレンチアルプスで起きたこと」がありますが、そちらが不条理劇であったのと同様、こちらも不条理劇ですね。時々映画館の中では笑いが出ていましたが、それは素直な笑いと言うよりは、皮肉な笑いという感じでした。
良く分からなかったのが、物語終盤の晩餐会の場面。この場面は、何を描きたかったんですかね??猿に扮した人物が、乱暴狼藉を働いただけですよね?“オチ”がわかりませんでした。展覧会の炎上PR動画で、“表現の自由”の問題について焦点が当てられようとしていましたが、これも、“表現の自由”なのですかね?
うーん、これがパルムドールか。カンヌの観客、目が肥えてるな。
なんて言えばよいのだろ
見終わった後の正直なコメント。
映画の作りとしては面白いのかもしれないのですが終始、苦い想いが口に広がる作品でした。
悪質なユーモアって感じで、観る人の立場によっても感じ方が変わるかと思います。
利己的なインテリ男が大してやられないので、観ていて小気味よさはありません。
ただ社会的な地位は人間性と関係ないし、芸術性とも関係ないことはしっかり描かれてました。
彼と部下の名がクリスチャンやミカエルであることが善良性と全く関係ないのと同じぐらいに。
唯一遠慮なく笑えたのはアンとのセックスシーン。下から観たアングルがすごくて。
相手に認めさせるまで諦めないアメリカスピリッツをあのシーンで描けるのはすごいなと。
アートそのもののような映画
善く生きたいとおもっているが、実際の行動は良いことばかりではない。
会話はすれ違い、見たいもの、聞きたい事しか受け止めきれない。
見たくない事、聞きたくない事を言われた時の我々の感情、行動を映画はあぶり出す。
どうなるのか、ハラハラしたが、ラストはちょっといい感じだ。
肉薄する作品
ここ数年で一番の衝撃作。
観客を映画の世界に否応なしに引きずり込んでいく、これまでにないような技法で。
現代社会はさまざまな安全や保障に囲まれていて、その中である種遊びのように少し過激なアートや広告が作られて、みんなそんなものに目を奪われたりする。だけどそういう決まり事の中の遊びがたまにマジの危険に豹変することもあるのだろう。
映画を観るというのも同じで、大概の観客は非日常を味わいたいが不快感を味わいたいわけではない。だが席に座ってしまえば最後、目の前には長時間にわたって観たことない映像が流れてくる。一風変わったものを観に行くつもりで視聴したら、一杯食わされてしまった。
社会における責任のありかたを、アート作品で風刺
昨年の第70回カンヌ国際映画祭(2017)・最高賞のパルムドール受賞作である。プレミア上映に合わせて監督のリューベン・オストルンドがスウェーデンがら来日していた。
ブラックコメディ「フレンチアルプスで起きたこと」(2015)で、笑えない"家族の崩壊"を描いた、オストルンド監督が、またしてもシュールな問題提起をする。
今回は、"モダンアート(現代美術)"を茶化してしまう。彫刻やオブジェなど、社会との共生を主題にした作品が多いモダンアートの世界は、一見、ワケのわからない作品が多いというのが、一般的だろう。
タイトルの"ザ・スクエア"は、劇中に登場するアート作品の名前である。それは広場に引かれた白線で囲まれた正方形のインスタレーション芸術である。横断歩道で自動車と人が譲り合うように、"ザ・スクエア"を通りかかる人々は、その中では、"思いやりの心"を持たなければならない、利他主義の象徴みたいなアートだ。
主人公のクリスティアンは、現代アート美術館の主幹キュレーター。社会的地位と経済的優位を持ったセレブ階級であるが、そのクリスティアンがとんでもない災難に巻き込まれる話である。
日本人のイメージする北欧は、"先進的な福祉国家"という印象が強いかもしれないが、監督が描くリアルなスウェーデンは、駅前や店先で物乞いや小銭を無心する人々が見かけられる格差社会。東京のホームレスと大差ない。
人混みの中では、困った人がいたとしても、互いに第三者を装う、"傍観者効果"が起きる。たとえ暴力事件や犯罪が行われたとしても、大衆は通りがかりの人になりきる。
モダンアート"ザ・スクエア"は、そこに困窮している人がいれば、なにをおいても助けなければならない。まさに"思いやりの聖域"である。クリスティアンは、その"ザ・スクエア"を展示会の目玉にしようとするが、皮肉にも良心とは反対の状況に追い込まれていく。
昨年のカンヌでは本作以外にも、"他者への無関心"をテーマにした作品が複数出品されている。監督たちは、スマホやPCによるSNS文化がもたらしたディスコミュニケーションを取り上げ、それにアプローチした作品が多く作られた。
「ザ・スクエア」は、最高賞パルム・ドール受賞という形で、それら作品トレンドの代表となったともいえる。
SNSは、それ自体がコミュニケーションツールなのに、不特定多数の相手とつながり、膨大な情報に浸りながら、社会とアダプトしているようでいて、実は誰ともコミュニケーションしていない。
例えば、"家族団らんの場で、各々がスマホ画面を見つめながら、家族はつながっていない"という風景である。
本作劇中で登場する、"モンキーマン"(チンパンジーを演じるパフォーマンス)のくだりでは、正装する参列者は、パーティー会場で大暴れするモンキーマンを無視し続けなければならないというルールを課し、大勢を傍観者状態に置く。
また逆に、作品終盤で出てくるチアリーディングの試合会場は、実はスクエア(正方形)である。ここで行われるダンス演技は、相手とシンクロしたり、リフティングするために互いを助け合い、より高度なパフォーマンスを成功させている。人と人のつながりや信頼を象徴している。
本作で、オストルンド監督は、"個人レベルや社会のレベルで、責任を取るとは?それらを集めてみた"と語った。お互いに信頼しながら共生することに、社会の希望があることを、観客に示したドラマでもある。
(2018/4/11 /ヒューマントラストシネマ渋谷/ビスタ/字幕:石田泰子)
「差別してません」という差別
面白かったなぁ
アートというのは、作品を創作した者も、その作品を展示する者も、それをしたり顔で理解した風な観客も、所詮、自己満足であり、そうやって人は他人を見下し、差別化しているのだと訴えかけくる作品だった
スウェーデンのコペンハーゲンにあるX-ロイヤル美術館では「ザ・スクエア」という作品を展示する
それは、ただ、床に描かれた正方形であり「この四角の中では、人はみな平等。ここは思いやりの領域です」という
そこで、私は思わずツッコミを入れてしまう
「人々が平等なのは、その小さな四角の中だけなのか!」と
もしも、社会が本当に平等ならば、そんな「領域」は必要ないのに
なぜ、その「領域」か必要なのか
それを「アートだ」と言って展示している人たちこそが、貧乏人を見下していて、そのアートの存在こそが、傲慢なのに、誰もその異常さに気付かない
この映画では、主人公で、美術館のキュレーターであるクリスチャンが、そんな「平等な社会」の理想と現実に気付くまでの物語である
そして彼が世に送り出した芸術は爆発する
現代においては
アート作品を発表し、それが反感を買い、ネットで炎上し、名前が売れるまでの全てを含めて、その全てがアーティストによるパフォーマンスなのである
これは、批判されればされるほど、作者の名前が売れ、知名度が上がるという現代を見事に描いた作品だった
現実は思いに足らず
口では平等と言っても社会の貧富、人間の身勝手さ、誘惑への妥協、問題解決の甘さ等お前はどうなんだと問われているような映画。色々なシーンで生活あるあるの真似してはいけない大人の行動を紹介しているよう。視覚的刺激はないが、精神的刺激がジワリとくる映画です。
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