劇場公開日 2018年2月23日

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「スパイスデ強烈で激辛コメディーに笑い無し」ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5スパイスデ強烈で激辛コメディーに笑い無し

2018年10月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

難しい

本作は2017年の今のアメリカだからこそ、制作可能となった作品だと思う。
しかもラブコメとして描いている点が逆にシリアスな題材をさらりと流れる水のようにから軽やかに表現しようと試みた作品なのでしょう。
だけれども、私にはその試みも却って全く笑えなかったし、コメディー映画としてサラリと流せるような題材の作品では決してなかったと思うのだ。

主役のパキスタン移民のカメイルのコメディアンライヴのシーンが余りにも強烈で、しかも何度となく繰り返しライブシーンが描かれている。
どれもクメイルは祖国を茶化して表現しているけれど、そう言う風にしか自国の文化を表現出来ない哀しさが胸を突く。
確かに、911の負の記憶を片隅に持って生きる米国人の意識の中ではパキスタン人に対する差別や偏見が現在でも残っているだろう事は容易に想像出来るし、それは特に意識的な物で無くても無意識で有っても、パキスタン人に対する風当たりは他民族への偏見とは少し異なる感情を含んでいる筈だ。
当のクメイル自身は移民であり、本作の当事者なので、映画が描くあのような体験をするのは日常茶飯事なのかも知れない。
そしてクメイル自身の差別に因る、辛い気持ちもパキスタン人としてアメリカに暮らし生きると言う事は、そう言う体験も含めての日常的な体験の一部なのだろうから、これがリアルな現実なのだろう。だが、お金を払って映画を観に来ている私には少しばかり居心地が良い物ではない。

トランプ政権下に於いて移民に対する政治的な圧力が強まる今のアメリカだからこそ、敢えて本作を世に送り出す意味の重要性が有るのだろう事も充分理解出来る。
そしてあのライブのシーンこそは、カメイルとエミリーとの交際の大きな壁と言う障害以上の意味を持っているのだろうけれど、それだからこそ重い作品だ。

本作はコメディアン志望のパキスタン移民クメイルと生粋の白人女性のエミリーとの結婚までの一大狂想曲って感じだが、エミリーもバツイチで、しかもHIVポジティブで、冒頭では心は純粋無垢でも、寂しさを身体で紛らわすヒロイン女性となれば、彼女の生き方に共感出来る人がどれだけいるのだろうか?

後半になりエミリーの病の真相は複雑な病では有っても、回復の見込まれるもので有り、時間経過と共に社会復帰が可能な物と判り、全ての障壁は台風一過の晴れ間のように、希望の色を見せて物語は終焉するので、先ずはホっとして、一応ハッピーエンドで何より良かったと安堵する。
しかし、私は台風が残した傷跡の処理に誰もが不安を覚えるのと同様に、何となく本作のカメイルとエミリーの物語の結末にも一抹の不安を覚える。それ故何とも笑えないコメディー映画で有る本作は非常に寂しく感じられたのだった。

何故かホリーハンターの芝居の存在に唯一救われていた気がする。

ryuu topiann