劇場公開日 2018年6月8日

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家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 : インタビュー

2018年6月8日更新
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硬軟自在の演技派・榮倉奈々&安田顕が紡いだ夫婦の肖像

「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。」――突飛ともいえる行動をとり続ける妻と、しゅん巡しながらも理解しようとする夫。榮倉奈々と安田顕が奏でる夫婦の営みは不可解だがほほ笑ましく、ちょっぴりすれ違っているところですら愛らしい。李闘士男監督による洗練された笑いを生み出しながら、2人はいかにして夫婦の本質に迫ったのだろうか。(取材・文/鈴木元、写真/江藤海彦)

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なんといっても榮倉扮するちえの“死にざま”が見事だ。刺殺体というオーソドックス!?なものから始まり、矢が頭部を貫通、落ち武者と演出にも凝って徐々にエスカレート。果ては死体ですらなくなってしまう。すべてクランクインからまとめて撮ったというから、その苦労は想像に難くない。

「1日に3、4つずつやったので、メイクさんも『このライティングならこの下地の方が死体に見えるから、全部変えていい?』という感じでとてもこだわっていました。落ち武者の時はこだわりすぎて、その姿のまま映画が撮れるのではないかというくらいでした(笑)」

安田演じるじゅんもたじたじとなる、死んだふりの波状攻撃。その意図を明確に示すことはないが、ちえの心情には理解を示しあこがれも抱く。

「身近にあまりいない、私生活で出会ったら変わっているなと思ってしまうかもしれません。つかみどころのない不思議な人かと思いきや、旦那さんを大事にしたいという思いを貫ける芯の強い人だと思います。今はSNSなど簡単なやり取りで一瞬で終わってしまうところを、とても丁寧に言葉以外のもので伝えようとしている姿が美しくてけなげです。小さな手間を丁寧にできるのが素敵で、愛にあふれているなと思います」

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バツイチのじゅんは前妻と結婚3年目で別れたため、ちえとは3年たったら結婚生活を続けるかどうか確認するという約束を交わしている。その節目が近づいた矢先の不穏な出来事。時には妻に合わせて寸劇も披露するが、あくまで自然体で演じることを意識した。

「全部で60シーンあったら、その中の10シーン、ひょっとしたら2シーンというお仕事をありがたいことにいただくので、作品に100%沿う形でなにがしかのものを出していく役者根性も出たりしますが、こういう番手(主演)に慣れていないものですから、普通にやるのが一番だと思いました。監督のご指示に従って『はい、分かりました』と言ってやった気がします」

その境地に至ったのは、2015年の主演映画「俳優亀岡拓次」が契機。横浜聡子監督の演出に対する理解が追い付かなかったからだそうだ。

「横浜監督の発想がぶっ飛んでいて、もう分からないですってなって最後までもたなかった。それでも上がり(完成品)を見たら素晴らしくて、大好きだった。これが横浜監督の色なんだと、監督の力はまざまざと見せつけられた。それからは『はい、分かりました』しか言わないって決めたんですよ」

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撮影現場で寄り添っていた榮倉も同意しながら、その実、ちえらしい天真らん漫な感想も述べる。

「その『はい』の時の微妙な表情の変化を見て、いろいろと考えてくれている、という安心感がありました」

ちえはさりげなくヒントを出しているのだが、心情を推し量れないじゅんは焦るばかり。迫る3年の分水嶺。そこで、安田の結婚3年目はどうだったのかが気になった。

「忘れましたね…ああ、そうだ。子どもが生まれました。だから禁煙するぞと言って、1~2時間で2箱くらいをスパスパ吸ってしまいました」

対する榮倉は、初めて妻を演じることに興味を抱き、自身の成長も実感した。

「夫婦を題材にした作品が初めてだったので、なんだか成人した気分になりました(笑)。これからの人生を積み重ねていくのが楽しみになるような映画です」

その上で完成した作品を見て、少なからず影響を受けていることも明かす。

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「仲がいいですよね。コミュニケーションの取り方は夫婦それぞれにあるとして、じゅんさんは戸惑いつつもちえさんを受け入れている。受け入れ合える夫婦は素敵だと思いました」

安田も、ちえとじゅんがたどってきた道程に思いをはせる。じゅんの後輩、上司、ちえがパートに出るクリーニング店主ら、どの世代の既婚者にも当てはまるさまざまな夫婦の愛の形を見せながら、2人の距離を徐々に近づけていく構成も心憎い。

「今振り返れば、この夫婦の関係にはたくさんの偶然の積み重ねがあったんだろうなと思います。じゅんがあのバスに間に合っていたらちえとは出会っていなかっただろう、自由が丘でちえがいなくなった時にじゅんはどうしてあそこにたどり着いたんだろうとか、そういう些細なこともちえはすべて覚えているんだろうなと感じました。それで、上がりが作品として良かったから、本当に良かったと思っているんですよ。それが一番じゃないかな」

その思いの根底には、映画は監督のものだという持論があるからだ。

「絶対にそうだと思います。僕らはたくさんの人に見てもらいたいからプロモーションはやりますけれど、どうしたってすべては背負えない。監督がすべてを背負うわけだから、作品に監督の色が出ていないとダメという考え。昔みたいに、もっと監督の名前で見られる映画がたくさん出てくればいいと思っています」

監督の色という意味では、コメディに定評があり、やりすぎたように見せても常に上品な笑いで包みながら人間本来が持つ温かみをかもし出す手腕は、李監督の真骨頂といえる。的確な演出の下で、硬軟自在の演技派2人がつむいだ夫婦の肖像は深く心にしみいってきた。

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